第58話



「よーし、よし、よーし」



泣き叫ぶ赤ん坊。

ルーチェは両腕に抱きあげ揺らす。


ただ、残念な事にその効果は皆無。

より大きな泣き声が響くだけだった。



「シャールは今寝たいんですよ。貸してください」



リティはルーチェから赤ん坊を奪い取り、包み込むように優しく抱く。

たったそれだけで、泣き叫んでいた赤子はすぐに大人しくなった。



「ルーチェ、あなた父親みたいな扱いになってるわ」

「だなぁ。遊ぶときは俺で寝たいときはリティだもんな」

「分かってるならもうちょっと母親らしくしたらどうですか?」



リティとルーチェ。

二人は傍から見れば容姿の優れた夫婦にしか見えなかった。



「本当の父親がいればいいんだけどな」



ルーチェがポツリと漏らした言葉に、リティはハッとし二人の間に沈黙が流れてしまう。



「……すまない。そういうつもりじゃなかったんだ」

「いえ、私もごめんなさい」



二人は向き合って謝り合う

子供の父親がどうしてこの場にいないか。


それは誰よりも二人が知っている事だから。



「フィスはどうしてるんでしょうね」

「さぁな。俺はあいつが幸せに過ごしてくれているのならそれ以上は望まない」

「そう……ですね。その通りです」



自らの失言で暗くなる雰囲気の中、二人は言い聞かせるように言葉を紡いでいた。



「本当にそうか?あいつが一人で幸せに過ごせると思うか?」



そんな二人に投げかけられる冷たい声。

振り返ればそこにはよく見知った顔があった。



「リュンヌさん?!」

「無事帰ってきたのですね。今回はどちらに?」

「フィスに会ってきた」

「「えっ?!」」



予想外の返事に二人は固まる。

そんな様子を気にも留めず、リュンヌは近くのソファに体を埋めていく。



「結論から言う。アイツは商業国ルアトリアで剣闘士をしている。まぁそれしか生き方を知らないだろうからな」



リティとルーチェ。

二人にはゴクリと唾をのみ、リュンヌの言葉を待つ。



「あいつを庇う訳じゃないが、仕方のないことだ。今までの行動を調べてきたが、アィールの町を出た後、最初は普通の仕事にも就いたが騙され賃金をまともに払ってもらえず食う事にすら困った。なんとか飯を食うために冒険者となったが、今度は冒険者達がフィスの魔法の剣を奪おうと寝込みを襲い、撃退こそしたがフィスは左目を失っていた」

「なんてこと……」



その言葉にリティは頭を抱え、ルーチェは険しい表情を浮かべていた。



「最終的に安全に稼げるのは剣闘場しかないと悟り、毎日戦いが行わる劣悪な環境で今も戦い続けている」

「もう!何故自分を大事にしないのでしょうか!フィスは!!」



リティは声を荒げ怒る。

そのせいで赤子が再び泣き始め、リティはルーチェと二人。

赤子をあやす羽目になっていた。



「あいつはどこかで殺されることを求めてる。事実、遠くない将来自分は死ぬと言っていたからな」

「えっ?」

「ま、女を囲っているいるあたり、あいつもワザと負けて死ぬような事はしないだろう」



リュンヌの言葉に二人はピタリと動きを止める。



「女を……」

「囲っている?」

「ああ、物凄い色気のある美人だったな。なんでも街一番の娼婦だそうだ。それをずっと借り切ってたぞ?」



リュンヌは挑発するように二人に言い放つ。



「色気のある」

「娼婦」

「「借り切る」」



二人の声が冷たく揃い空気が変わる。

それを察したのか、赤子が突然泣き止む。


それは長く続かず、堪えきれなくなった感情が、再び大きな声となるのには時間はかからなかった。




「ふふっ、よくもまぁ」



赤子をあやしながらリティは不敵に笑う。

そこには確かな怒りが宿っていた。



「でも、よかったよ。何にせよ生きててくれて」

「貴方がそんな事を言うから、私が怒れなくなるじゃないですか……」



リティは口を尖らせて文句を言う。



「早く戦いを終わらせてフィスを迎えに行かなきゃだな」

「私は貴方と違って妾なんて認めませんよ?」

「そういう事いってるんじゃないんだけどな」



赤子をあやしながら二人は器用に雑談する。

その雰囲気は丸く、決して尖ったものではない。


赤子が泣き止んでいくと同時に、いつもと変わらない優しい雰囲気が辺りを包んでいた。



「はぁ、おめでたいな」



リュンヌはつまらなそうに呟き、三人を眺める。


幸せそうだが、何か欠けている。

その欠けているものも、リュンヌは痛い程分かっていた。


暫くすると、ドアがノックされ一人の兵士が部屋に入ってきた。



「クリティア様、そろそろ会議の時間です」

「はい。リュンヌさんも来ていただけますか?最新の情勢が知りたいです」

「ああ、わかった」



リティはルーチェに赤子であるシャールを預け、リュンヌはゆっくりと立ち上がる。



「頼むぞ、俺は剣を振るう事しかできねぇからな」

「私は剣を持つことすら出来ません。お互い出来る事で戦いましょう」



ルーチェとリティは頷き合う。

そこには確かな信頼が生まれていた。





「状況は圧倒的不利……か」

「しかし、信じられません。あの聖教国が何故帝国に……帝国の旗印はこちら側。大局的な正義からすればこちらにつくのが筋なのに」



飾り気のない大きな部屋に沢山の人が集まっている。

雷神と呼ばれる老人やオーランドの王子に姫。

そして帝国の元皇帝。


平時であれば大きな催し物でもない限り顔を合わせる事のない重鎮達。

それを取り囲むように皇帝の近衛兵やオーランドの隊長クラスの兵士達が顔を揃えている。



「おそらくクリティア。君の存在さ」

「私……ですか?」

「別に責めている訳じゃない。君の。いや、君が興した龍神教とやらを危険視してるんだよ」

「どうしてでしょうか?難民を受け入れ、生活しているだけなのに」



自分の兄。

ヴェルナーの言葉にクリティアは怪訝な表情を浮かべる。


クリティアに聖教国を敵に回す理由など、心当たりすらなかった。



「アィールの町は貧困に喘ぐ人の最大の希望になっている。厳しい掟こそあれ、生きるのには困らない。さらには龍という見えない神よりもはっきりとした守護者がいるのだからね。その町の代表がこちら側にいるとなれば……あとは分かるだろう?」



クリティアは少し考え込む。

自分の考えを反芻するように何度か頷いていた。



「わかりました……つまり私。いえ、龍神の教えは彼らの力。信仰と信者を奪う存在だと」

「そうだね。言いたくはないが信仰の無い宗教など無価値さ。それが国の支えとなっているのであれば猶更ね」

「体よく言えば、邪魔な訳ですね」

「戦いに勝ち、クリティアを傀儡にして宗教ごと取り込もうとでも考えているんだろうね。龍には勝てないだろうから」

「戦いに勝てば、私を傀儡にする事など造作もないでしょうからね」



クリティアは納得したのか、小さく息を吐く。



「そうだね。でも、気にすることはないよ」

「気にはしていません。物事には様々な側面があり、それをどこから見るか。というだけの事。だからこそ、我々は我々の正義の為、戦い、そして勝たねばなりません」



クリティアは真っすぐ背筋を伸ばし言い放つ。

確かな決意が宿しながら。



「強いの……」



クリティアの姿を見て、雷神はそっと呟く。

そして、セネクス自身も出来る役割をしっかりとこなそうと人知れず気合を入れる。



「しかしの。現実は厳しいぞ。あの砦、帝国では一度も落ちたことがないんじゃろ?」

「そうだ。山間に存在する天然の要塞でもあるからな。私が言うのもなんだが正直どう攻略していいかもわからん」



帝国の皇帝だった男が険しい顔で告げる。

彼が知る限り、これから堕とそうとしている砦は一度も破られたことがない。


彼らは帝国領土の入り口にある要塞。

それを堕す為に集まり、議論を重ねている。


その砦を堕とせれば、初めて帝国の領土に侵攻する事が出来る。

今まで劣勢と言われていた戦況が覆る第一歩でもあった。



「正攻法で攻めるなら圧倒的な物量差じゃろうな……」

「物量差なら向こうが上だな」

「ふむ、どうするかの」



雷神は考え込む。

ただ、どれだけ考えても名案など浮かんでは来なかった。



「せめて砦から出てきてくれれば戦いようがあるのだがな……」



近衛兵の一人が発言する。

ただ、それはこちらから手出しができないという事を暗に示しており、沈黙をもたらすだけだった。



「なら引きずり出せばいいだろ」



壁に背を預けていたリュンヌがつまらなさそうに言う。



「要は砦から敵を出させれば良いんだろ?誰かが忍び込んで油でも撒いて火をつけるか指揮官の首でも持ってくればいい」

「相手の砦に忍び込んでか?それが出来れば苦労はせんよ。仮にできたとして油はどうする?まさか、懐に入れていくとか言わんじゃろな?」



雷神は少し苛立った様子でリュンヌを睨む。

ただ、リュンヌはそんな視線など気にも留めなかった。



「私がいけばいい。魔法も使える盗賊なんて貴重だからな。相手も対策はしていないはずさ。必要なものは敵地で奪い、混乱させる。上手くいけば敵の指揮官の首を取ってきてやるさ、どうだ可能性はあるだろ?」

「ダメじゃ。可能性が低すぎる」

「失敗すれば見捨てればいい。どうせ別の策も講じるのだろう?」



リュンヌは話は終わりだと、一人扉へと向かっていく。



「待ってほしい」



リュンヌの背中を引き留める声。

クリティアの兄でありオーランドの第一王子でもあるヴェルナーが発したものだった。



「たとえ上手くいっても君は逃げられない可能性の方が高い。いや、むしろ逃げられないと思うべきだ」

「だからなんだ?一人の命と国の存亡を天秤にかけるほどお前は甘ちゃんなのか?」



首だけをヴェルナーに向け、リュンヌは言い放つ。

二人はしばらく見つめ合い、ヴェルナーはため息をつく。



「そうだね、私が間違っている。余計な事だった」

「ふん、任せておけばいい。簡単だろ」



リュンヌは軽く手を上げ、部屋から出ていった。

その姿を見届けたヴェルナーは一度深呼吸し、背筋を伸ばす。



「彼女は文字通り命を賭けた行動を取る。おそらく帰って来ることは無いだろう。なら、我々はどうする?何も出来ないと嘆くか?我々は負けるわけにはいかない。負ければ死よりつらい経験を家族や身近にいる人々させる事を皆は既に知っているはずだ!!」



ヴェルナーの声は徐々に熱を帯びていく。



「それを理解しているからこそ彼女は一人命を賭け、出来る事をするという。なら我々は何が出来る?家族の為、今までに死んでいった人間の為に何が出来る?」



ヴェルナーの言葉を皆黙って聞いていた。

リュンヌの無謀な行動のせいか、その言葉には周りの心を震わせる確かな魂が籠っていた。



「そうじゃの。ワシも覚悟を決めるべきかの」



そのヴェルナーの言葉に一番に反応したのは、意外な人物だった。



「安心せよ。全ての策が失敗に終わってもワシらは負けんよ」

「セネクス老?どういう事でしょうか?」

「そうじゃな、各部隊の隊長には色別の狼煙を2つほど持たせてほしいの」



セネクスはヴェルナーの問いを無視し言葉を重ねていく。



「負けそうになったら黄色の狼煙を、確実に勝利出来ると思ったら赤色の狼煙を上げてほしい」

「そういう事ではなくて、何をするつもりかと」



ヴェルナーは困惑しながら問い直す。


ただ、セネクスは薄く笑うだけ。

何も答えようとしなかった。



「……ワシはフィスの真似事をするだけじゃて」

「フィス君の?」



小さく呟くセネクスの言葉にヴェルナーは考え込み、一つの結論にたどり着く。



「まさか……周りの魔力を自らの体に?」

「そうじゃ、戦場はまさに感情の間欠泉。半無限に湧く力を借りれば砦を丸ごと破壊することも容易いじゃろうて」



セネクスのやろうとしている事。

それが実現できれば砦を落とすのも容易いかもしれない。


ただ、それはセネクスの命と引き換えだという事もヴェルナーは理解する。



「貴方は分かっているだろう?この戦いは終わりではない。むしろ「そこまでじゃ!」」



感情の籠ったヴェルナーの言葉をセネクスは強い口調で遮る。

その意図をヴェルナーは即座に理解し、口を閉ざす。



「託すのじゃよ。沢山の若者がしてきたようにな。ワシはその選択をするのが遅すぎたくらいじゃて」

「貴方は他の人とは違う。色々な面でまだまだその力が必要だ」



絞り出す様にヴェルナーは言う。

これからの事を考えればセネクスは必要不可欠な存在だからこそ。



「ここで勝てなければ同じじゃて。勿論、勝機があれば命を投げ捨てることなどせん。ただ、リュンヌの様な若者が命を賭けると言うておるのじゃ。お先短いワシが命位懸けんでどうする」

「ですが!」

「なら、お主が勝てる方法を提示せよ。この状況で確実に勝つ方法を」



セネクスの強い口調にヴェルナーは黙る。



「……すいません。感情的になってしまいました」



そして、ヴェルナーは小さく頭を下げ謝罪する。

自分が論理ではなく感情で動いている事を理解していた。



「……ただ。私がそんな事態にならないように全力を尽くします」

「期待しておくの。ただ、もしそれが叶わなくても自分を責めんでくれ」

「わかりました。では、地形、戦術、人員配置、全てを一から見直しましょう。それくらいはさせて下さい」

「構わんよ。好きにすればええじゃろ」

「ありがとうございます」



ヴェルナーは微笑み、そして固く拳を握る。

自分にもっと力があればと強く、強く思いながら。




オーランド領内にある大きな建物。

つい最近までは帝国の領土だったこの場所もオーランドの勝利によって久しぶりに元の持ち主の元へと帰ってた。


その庭で剣を振るう一人の騎士。


剣筋は鋭く、そして柔らかい。

どこか舞にも似た騎士の姿を一人の老人が地面に座り眺めていた。



「待たせたな。どうしたんだ?」



区切りがついたのか、剣を置き騎士は老人の方へ歩み寄る。



「ルーチェ、少しいいかの?」

「ああ、セネクスの爺さんならいつでも歓迎だ。ただ、リティにシャールを預けてるからあんまり長い時間は勘弁してくれよ」



汗を拭きながらルーチェはセネクスの横に座る。



「謝らなければいけないと思ってな」

「ははっ!いきなりどうしたんだ?らしくない」

「そうじゃの、自分でもそう思うわい」



二人は笑い、そしてゆっくりと沈黙する。



「心残りでの」



セネクスは小さく息を吐き、遠くを見つめる。

その雰囲気にルーチェもこれは真剣な話だと察していた。



「フィスの事じゃよ。ワシはあいつの恨みが深い事を痛いほど分かっていたはずじゃった」

「……うん」

「ワシはいつの間にかそれを忘れ、自分の復讐を優先させ、フィスに押し付けてしもうた。その結果、お主と赤子のシャールに負の連鎖を背負わせてしもうた」



セネクスが言いたいこと。

それをルーチェは理解する。


そして、肯定も否定もせずにただ黙るだけだった。



「それを詫びねばならんとおもうてな」



ルーチェは何も答えなかった。

セネクスと同じように、ただ遠くを見るだけ。


二人の間には、草木を揺らす風の音だけが流れていた。



「悪いと思う……ならよ、フィスを返してくれ」



重い静寂を破ったのはルーチェの方だった。



「この戦争を終わらせて一緒に迎えに行ってくれよ。それでおしまいだ」

「優しいの……しかし、おそらくそれは出来んじゃろうな」

「なんでだ?」

「本当は黙っていようと思ったが、ワシはアィールのような愚かな行動はとらんと決めたからの」



そう前置きをしてセネクスはゆっくりと語る。


次の戦いでセネクスがやろうとしている事。

そして、それを実行すればセネクスは命を落とす事。


全てを正直に語っていた。



「……安心しろよ」



全てを聞き終えたルーチェは声を絞り出す。



「俺がそんな事にならないようにしてやる。誰かの犠牲の上に成り立つ勝利なんて俺は認めない!」



徐々に言葉に熱が入り、ルーチェは涙を零す。

その姿をセネクスは少し悲しそうに見つめていた。



「気持ちは嬉しいの。ただの、無理はするでない。お主を信用しているからこそ正直に話したのじゃ。これでお主が無理をして死ぬような事があればワシはお主を許さんぞ?」

「分かってる!」



ルーチェはセネクスの胸に顔を埋め、小さく震える。



「セネクスさんは俺の恩人で、もう俺の家族なんだ。だから絶対に殺させたりしない。もう御免だ……これ以上家族を失うのは……」

「……ありがとうの」



ルーチェの頭をセネクスは大事そうに抱える。


そして、セネクスは今まで気が付かなかった。

いや、気づこうとしなかった大事な事をしっかりと認識してしまう。



「復讐などロクな事にはならん。それにもっと早く気が付いておれば……違う道もあったかもしれんな」



ただ、今はどうする事も出来ない。

自分を心配してくれるもう一人の娘。

その娘にどうか幸せをと、セネクスは心から願う事しかできなかった。



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