第56話



「寝たか?」

「ええ、キャロルで確認したけど何をしても起きなかったわ。無理やり気付け薬を飲ませてやっと起き上がれた位よ」

「強い薬だからな。アレは」

「貴方は本当に酷い人ね。ウィレムス」

「誉め言葉だな。それは」



ウィレムスと呼ばれた男は、口角を上げニィと笑う。

傍から見ればウィレムスは、清潔感があり爽やかな印象を受ける青年だ。


ただ、今の顔はそれとは真逆。

醜悪。

その一言に尽きる表情を浮かべていた。



「強いお酒の味で誤魔化してやっと飲める位だもの。なにもしなければ明日の夜までは目を覚まさないでしょうね」

「キャロルは休ませておけ。それに、雨の匂いがする。すぐに降ってくるからな。急ぐぞ」

「やるのね?」

「ああ」

「大体まわりくどいのよ。最初に浴場に行ったときにでも奪えばよかったのに」

「あれだけの品物だ。下手に奪えばすぐ露見する。そうなれば、次に狙われるのは俺たちだ。だから、念には念を入れて……だ。俺たちは魔物に負け消息不明。よくある話だ」



ウィレムスは剣を抜き、ある一点を見つめる。

先ほどまで仲間だと言っていた一人の青年が眠る場所を。



「ほんと変な所で慎重なんだから。まぁ、どうでもいいわ。さっさと殺しましょ。あの魔法の剣さえあれば私たちはこんな生活からサヨナラできる」

「そうだな、俺たちは魔物狩りなんて危険な真似をしなくとも、一生遊んでも使い切れない金が手に入る」



ウィレムスは頷き、歩き出す。

少し離れた場所でゆっくりと上下する毛布に向かって



「やるぞ。準備はいいな」

「キャロルは無理よ。あそこで見ているだけで精一杯」

「わかってる。寝ているだけの馬鹿を殺すだけだ。問題ない」



ウィレムスは青年の側に立ち、剣を地面に突き刺す様に垂直に構える。

ただ、その剣の先にあるのは地面ではない。


深い眠りに落ちた青年の頭だった。



「一突きで決める。油断するな」

「ええ」



その言葉と同時に、剣は青年の頭へと真っすぐに振り下ろされた。




「……ス。フィ……」



……なんだろう。声がする。

僕は心底疲れて眠っていたはず。



「フィ……ス、フィス」



聞き覚えのある心地のいい声。

そうだ。


この声は……忘れるわけがない。


僕はその声を聴くために必死に耳を傾ける。

何を言っているのか。

何をいいたいのか。


それを理解するために。



「きろ!フィ……」



もう少しだ。

もうちょっとで何を言ってるか分かる。



「起きろ!フィス!!」



その声に弾かれるように僕は目を開けた。

瞬間、顔を反射的に捻る。



「あ”ぁぁっっっ!!!」



左目がただただ熱い。


理由なんて分からないけど、剣が僕の顔めがけて真っすぐ伸びてきていた。

突然降ってきた剣。

それを完全に避ける事なんて出来くて、剣は僕の左目を抉っていた。


頭を突き刺すような熱。

身をよじりたくなるような痛み。


それが容赦なく僕を襲う。


本来なら全てを忘れ地面に転がりたい。


だけど、ここにいたら殺される。

そんな本能が僕の体を動かしていた。



「ちぃ!!!」

「何してんのよ!!あいつ逃げるわよ!!」



地面に転がりながら距離を取る。

そして、痛む左目を抑え状況を把握する。


……わかった。

状況は理解できた。


僕を攻撃したのは、他でもない。

町で僕の事を親友だと散々触れ回った。


ウィレムスだ。



「目は抉った!視覚から攻撃しろ」

「後で、ヘマした分貰うわよ!」

「分かってる!これさえあればこっちのもんだ」



僕の仲間だった人達は僕を逃がさないように挟み込むように動く。


ウィレムスは僕の寝床の横に置いてあった魔法の剣を奪い、構えていた。

白い残像を描き、剣先が僕へと向かう魔法の剣。


……痛い。

痛いよ。

本当になによりも痛い。



「……どうして。こんな事を」

「お前が悪いんだろうが。酒場で魔法の剣を見せつけるなんて狙ってくれといってるようなもんだろ?世間知らずのカモさんよ」



ウィレムスは顔をしかめ、地面に唾を吐き捨てる。



「イライラしたぜ。疑う事すら知らない馬鹿が。それに奴隷の烙印が誇りだ?あんときは流石に笑いがこらえきれなかった。お前はここで俺たちの為に死ね」

「僕が何をしたっていうんですか……?」



分からない。

僕は何かしたか?


彼らの怒りに触れるような行為をしたか?

なんで、なんで僕だけこんな目に合わなきゃいけない?


そんな疑問が抑えきれない怒りと共にあふれ出す。



「はっ!人を簡単に信じ、疑う事すらしない。それだけで十分だ。死んで当然の人間なんだよ。お前は!」

「……これだ。これだからだ」



そうだ。

この世界は信じれば裏切られる。


仲間だと思ったら、後ろから刺される。

信頼すればするほど、裏切られた時の痛みも大きくなる。


だから痛い。

こんなにも……身が裂けるような痛みが襲ってくる。


これだ。

これだから。



「……このクソみたいな世界は!!」



頭が沸騰し、僕は感情のまま吠えた。

目を抉られた激しい痛みすらも凌駕する、怒りと絶望。


どうでもいい。

ただただ全てを壊したい衝動が湧き上がり僕を支配する。



「ごちゃごちゃうるせぇ!!」



ウィレムスは僕との距離を一気に詰め、魔法の剣を頭の上まで振りかざしていた。


丁度いい。

良い物があるじゃないか。



「下手くそ」



剣を無駄に大きく振りあげたせいで、体は無防備だ。

僕はウィレムスの首を素早く掴む。



「ごっ」



変な声が聞こえた。

ただ、そんなのはどうでもいい。


今感じている怒りを。

絶望をぶつけられるならなんでも。


僕は拳を握る。

力の限り、持ちうる感情の全てを込めて。



「ビッ」



変な声。


その声と同時に僕の拳はぬめりとした赤色の液体で染めあがる。

何かをねじ切った確かな感触と共に。


気が付けば僕の足元にウィレムスの頭が転がっていた。



「ば……化け物……」



後ろから声がした。

そういえば、仲間だった物もいたはずだ。


考えるのをやめ、僕は動く。

かつて仲間だった物は腰を抜かし、地面に縫い付けられたように動かなかった。




「ひぃ」



女性らしい細い腕。

僕はその腕をしっかりと掴み。


握った。



「い”や”あ”あ”あ”!!!」



耳を劈くような悲鳴。

とても五月蠅い。


ただ腕を毟っただけで、この有様だ。


僕はその五月蠅い物の頭を乱暴に掴み、近くの岩に投げた。


ぐしゃりと何ががはじけるような音を最後に辺りは静かになった。


うん。五月蠅くなくなった。

でも、物足りない。

気を抜けば激しい痛みと怒りで発狂しそうになる。



「……ぃゃ」



ふと声が聞こえた。

そういえばもうひとつあった。


それを思い出し、僕はゆっくりと声がした方へ近づいていく。



「お、おねがい!助けて!私も脅されてやってただけ!!」



何か言ってる。

でも、聞く気が起きない。


今はただ僕に必要な道具にしかみえない。



「なんでもするから、私の事好きにしていいから!お願い!」



おしゃべりな物が上半身の服をはだけさせながら意外な言葉を発した。

僕の足をとめ、首を傾げる。



「好きにしていい?」

「うん!うん!勿論!なにしたっていいよ!」



僅かな希望でも見出したのか、そのしゃべる物は急いで服を脱ぎだした。


そうか。

そうやって生きてきたんだ。

これは。



「そうですか。なら、遠慮なく」

「ちょっ。お願いだから痛くしないで」



一糸纏わぬ姿になった物の足にそっと手をやる。

そして、僕は力を籠めその足を握った。


……それと同時にまた劈くような声が響きわたった。

うるさいな。


好きにしていい。そう言ったのに



「や、やめっ」



その声を無視し僕はもう片方の足や手を乱暴に引きちぎっていく。


左目を貫かれた痛みの代わりに。

そして、裏切られた傷を紛らわせるために。



「や”め”で……」



その言葉を最後に目の前の物は動かくなった。

ただ、満足なんて到底出来ない。


僕は近くに落ちていた短剣を拾い上げ、その動かなくなった人形に突き刺す。


何度も、何度でも。

でも、何回刺しても、痛みは和らぐどころか……増すばかりだった。



「……痛い」



その痛みに耐えられず地面に膝をつき、歯を食いしばる。



「痛いよ。痛い」



耐えられない痛み。

それが僕を襲い続ける。



「もういいよ。辛いだけだよ」



この世界で生きる事。

それはもう拷問だった。


だから、もういい。

手に持った短剣。


これで喉を貫けばすべてが終わる。

救われるんだ。


僕は迷うことなく手に持った短剣を喉へと突き刺した。



「……どうして」



ただ、その手は動かなかった。

僕が何度も動かそうとしてもピクリとすら動いてくれない。



「なんで?どうして?!」



自分の体なのに全く動かせない。

有り得ない。


でも、その有り得ない現象を引き起こす原因の心当たりはある。

むしろそれしか考えられなかった。



「僕に生きろって……言うの?アィールさん!?」



その問いに答えは無い。

答えの代わりに僕の手は短剣を静かに地面へ離していた。



「どおして……どおしてだよーーー!!!」



僕は叫ぶ。

その叫び声をかき消すように、空からは大粒の雨が降り注ぎ始めた。


冷たい雨。

それは僕の焼けるように熱い体を冷やし、こびりついた赤い液体を洗い流してくれる。


どれくらい雨を浴び続けただろうか。

体が冷やされ、沸騰したはずの頭が冷えていくのが分かった。



「わかりましたよ。僕は……いや、俺は生きますよ。例え、盗賊に身を落としてでも。人から沢山の物を奪ったとしても……俺は」



雨で濡れたびちゃびちゃの地面。

僕。いや、俺はそこに仰向けに倒れる。


俺は生まれ変わる。


人の事など信用しない。

他人などそこらに転がる石と変わらない。


その事実を。

この世界の道理を、理解した賢い人間へと俺は生まれ変わる。


フィスという人間はここで死ぬ。


激しい痛みが全身を襲い薄れゆく意識の中で、俺は決意する。

そして、冷たい雨に身を晒しながら俺は意識を失った。





「やばい……」


抉られた目。

そこが化膿して、体がどんどん熱を帯びていくのが分かる。


視界がぼやけ意識が朦朧とする。



「……覚悟を決めろ」



もう、何をしてでも食べ物を手に入れ、体力を回復しなきゃいけない。

じゃないと、俺は間違いなく死ぬ。


幸運なのか、俺は森で女性が一人歩いているのを見つけていた。

なんの罪もないただの女性。



「よし!」



覚悟を決め、僕は……いや、俺はその女性の前に躍り出る。



「食料を置いていけ」



剣を構え、俺は言う。

フラフラする頭を抱え寝転がりたい衝動を抑えながら。



「あら。お金はいいの?」

「金は……置いていっても困らないだけ置いていけ」

「ふふっ、珍しい強盗さん。今日は沢山の強盗さんに会う日ね」



ダメだ。

思考がぼやける。

そんな無能な頭でも相手は全く怖がっていない事は理解できた。



「いいから置いていけ!」

「……魔法の剣ね。珍しい」



ふらつく足を叱咤し、相手を威嚇するように声を荒げた。

ただ、相手は怖がるどころかゆっくりと俺の方に近づいてくる。



「近づくな」

「貴方は喧嘩を売る相手を間違えた」



そう言って女性は腕を空へ伸ばす。

そして小さく呟くと振り上げた手を俺へと向ける。



「!!」



次の瞬間、僕に向かって2本の氷柱が真っすぐ伸びてくる。

動作が遅れる体で何とかその1本を避け、もう一本は剣で打ち落とす。



「魔法か」

「貴方何者?」

「どうでもいい」



不味い。

長引かせたら、こっちがやられる。


そもそも、こんな場所を女性が一人で歩くなんてありえない。

よっぽどの馬鹿か、腕に自信があるかのどちらかでしかない。


この人は後者だ。


悪いが一気に片付ける。

今は罪のない人を殺してでも生きる。


そう決めたのだから。



「ねぇ、少し話さない?」

「黙れ」



俺は体に残った力を魔力に変え、地面を蹴る。

その途端、無数の氷柱が地面や空から僕に向かって降ってくる。


全てを躱す事は出来ない。

そう判断し、俺は走る速度をさらに限界まで上げた。


反撃される事を想定しない捨て身の行動だ。

もし、槍のような物が真っすぐ伸びてきたら躱せない。

一撃でやられる。


でも、今はそれしか取れる方法はなかった。



「ちょ!」



ただ、俺の行動は相手の意表を突いたらしく行動が一手遅れた。

その一瞬の遅れ。


それが戦いでは命取りになる。


回避が間に合っていない女性の首に、俺は最小限の動きで剣を突き立てた。

……はずだった。



俺の剣は女性の喉元の前でピタリと止まり、動かなかった。

それは俺の意思なのか、それとも別なのか。


そんな事を考えた時、少し遅れてやってきた氷柱が俺の体に刺さっていく。



(やられた……)



全身から感じる激しい痛み。

その痛みは俺の意識を刈り取るには十分過ぎた。


足がもつれ、目の前が暗くなっていく。


そんな状況下で俺は笑っていた。


心のどこかで安堵したせいだ。

これで、この世界とお別れ出来る。


その事実が、痛みをかき消し安寧を与えてくれた。

俺はその安らぎを受け入れるように、静かに目を閉じ地面へ倒れる。


これで全てが終わった。

あっけない最後だったと思いながら。


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