第53話


優しい風が頬を撫でる。

そんな感覚に引っ張られるように、僕はゆっくりと目を開けた。



「起きたかの?」



声のする方に視線を移せば、セネクスさんが座っていた。


……ダメだ。

今は何も話したくない。



「一日以上寝ておったぞ、あれほどの魔力を体に蓄えるからじゃて、無理はよくないの」



一言でも話せば怒りがこみ上げ、怒鳴ってしまいそうになる。



「まずは、謝罪させて欲しい。それから話をきいてくれんかの」

「……一人にしてください」

「少しでいいんじゃが」

「一人に!!」



無理だ

どうしたって声が荒くなってしまう。


それでも、なんとか心を落ち着かせるように、ゆっくりと息を吸い。

吐き出す。



「一人にしてください」



そして、出来る限る声を抑え、もう一度同じ言葉をなぞる。

それが僕に出来る精一杯だった



「……わかった」



セネクスさんは、頷き椅子から立ち上がった。



「返事はいらん。かつて皇帝のしたことは許される事ではない。しかし、理由がある事だけは知っておいてほしい。だからこそワシも周りの皆も皇帝と行動を共にしておる。だからどんな選択をするにしろまずは話を聞いてほしい」



そう言い残しセネクスさんは出ていった。


一人残された部屋。


ため息が漏れる。

なにから考えればいいのか。


それすら僕には分からない。


言いたいこと、聞きたいこと、それは沢山ある。

でも、もう何をすればいいのか。


考えたくもなかった。



「遠くに行こう。もう誰とも会いたくない」



僕は部屋にある衣類を適当に羽織り、優しい風が舞い込む窓から飛び降りた。





「フィスがいない?!」

「ああ、俺が部屋に行った時には部屋には誰もいなかった」



街の主だった人々が集められている。

皆にこの場所に集まるように召集をかけたのは、他でもないルーチェだった。


当の本人であるルーチェは剣と盾を身に着けて、すぐにでも飛び出せる準備を整えている。



「なにしてる?」

「何って、当たり前だろ。フィスを探しにいくんだよ」

「剣と盾を持ってか?」

「そうだ」

「フィスを裏切ったお前がか?」



決意の固いルーチェに、責めるような鋭い視線と言葉を浴びせる人物。

リュンヌだった。



「ああ、そうだ。俺はフィスを裏切った。だからこそだ」

「フィスがお前に会いたいとでもおもっているのか?むしろ一番会いたくない相手のはずだ」



リュンヌはルーチェに事実をつきつける。

その指摘は正確で、ルーチェの心に鋭く刺さっていた。



「何を言おうが、お前はフィスを裏切った。それが事実だ。そんな奴がいったい何をしようとしている?」

「ああ、そうだよ。リュンヌさんは正しいよ!なら、どうしろってんだよ!」

「ほっておいてやれ」

「フィスがこの町から一人出て行ってもいいのかよ!!」

「ああ、それがあいつの望みならその方がいい」

「はっ!リュンヌさんはフィスの事を良くわかってるんだな!」



怒りに任せルーチェは叫ぶ。

ただ、リュンヌは感情的になることは無く、淡々としていた。



「あいつはもう人と関わるべきじゃない。持つ力と精神のバランスが取れてない」

「なんだよそれ!」

「子供過ぎるんだよ。あいつは」

「そんなこと知るかっ!俺はあいつの!!」



何かを言いかけ、ルーチェはグッと口を横に塞ぐ。

そして、言葉を紡ぐ代わりに息を吐き出し、大きく肩を揺らしながら息を吸っていた。



「みんなはいいのか?フィスを探さないのか?」

「無理じゃの。例え探したとしてもフィスはワシらから逃げるじゃろ。フィスの居場所を壊したのは他でもないワシらなのじゃからな」



周りは一斉にセネクスの言葉に申し訳なさそうに、頷いていた



「私は探しますよ。フィスはこの町にとって欠かせない人物なんですから」



ただ、一人。

リティだけがルーチェの味方だった。



「頼む」

「行きますよ。私向こうを探します、ルーチェはあちらを」

「わかった」



ルーチェは縋る様に頭を下げ、リティと二人部屋を出ていく。



「悪いことをしたの……こうなる事は分かっておったのに」



残された老人はフッと息を吐く。



「あいつはもう戻ってこないほうがいい。さっきも言ったが持つ力に対して精神が追い付て無い」



リュンヌは腕を組みながら壁に背を預ける。

それはフィスを探しに行かないという意思表示でもあった。



「それはフィスがワシらに利用されるという事か?」

「そうだ。ただ、それはアンタ達だけじゃない。このままならフィスはいつか利用されるさ。アンタ達か私、それとも別の誰かにね」

「……龍を従えた奴隷王。誰もが憧れ、傍に置きたいと思うからの」

「現にあいつに下心を持って近づこうとした人間は片手じゃ足りないくらいだ」

「元々おぬしの役割じゃったの。フィスを守るのは」

「ああ、そうだ。そうだった」



リュンヌは下を向きながら、小さく答えていた。



「どうしたんじゃ?」

「嫌になるなと思ってな。純粋でまだまだ子供な奴を利用する大人というのは。本当に」

「……そうじゃの」



セネクスとリュンヌ。

二人は若い二人が出ていった扉を暫くの間、見続けていた。





町が一望できる丘の上。

僕はいつの間にかこんな所まできていた。


ただ、何をする訳でもなく、町をただボーっと眺めていた。

高かった太陽はいつの間にか赤く色を変え、町全体を朱に染めていた。


太陽が落ちて暗くなったら、僕はここから去ろう。

そんな事を漠然と思いながら。



「隣いいですか?」

「リティ?」



自分でもなんでここに来たのかわからない。

でも、隣には肩で息をしながら安堵した様な表情を浮かべたリティがいた。


そして、リティは僕の許可を待たずに隣に座る。



「どうしてここに?」

「あなたを探してたのですよ」

「僕を?」

「はい」



そういう事か。

リティも僕を連れ戻しに来たんだな……。


リティは夕日で真っ赤に染まる空を見つめ。

僕は一言も喋らなかった。


そのまま。

何も喋らないまま、ゆっくりと夕日は落ちていき、太陽の光が完全に山の後ろに隠れてしまった。



「日がおちましたね」

「うん」



僕は息を吐く。

少し気分が落ち着いた。


僕はリティと話さなきゃいけない。



「ねぇ、リティ。僕はこの町を出ていくよ」

「はい?」

「あいつ……あの皇帝を許す事が出来ない。なんて言われてもこれだけは譲れない。でも、みんなあいつを必要としてる。なら、僕が出ていく他ないよ」

「……フィスの気持ちはわかっているつもりです」



リティは僕の顔を見る。

少し困った様な表情を浮かべた後、優しく僕を見つめていた。



「ねぇ、フィス。私と初めて会った時の覚えてますか?」

「うん」

「私は酷い事言いましたね」

「でも、あれは本当の事だから……」



僕とリティの初めての出会い。

それは、お世辞にも良い出会いとは言えなかった。



「私はフィスに当たり散らしてましたね。酷い事も沢山いいました」



そう……だった。

”お兄様を殺した大罪人に守られる必要などありません”

確かそんな様な事を言われた気がする。



「正直恨んでました。兄の仇。そう思ってましたから。そうですね、今のフィスが皇帝に抱いている感情と近いと思います。でも、私は今はフィスに怒ったりしてません。むしろ感謝している位です。どうしてだと思います?」

「分からないよ」

「お兄様を殺された事。それは私の心に大きな傷となって残っています。一生忘れることはないでしょう」

「……うん」



それはそうだ。

僕だって、アィールさんの首をはねた事は絶対に忘れない。


忘れる訳がない。



「でも、それ以上にフィスという人間を知り、愛してしまった。お兄様と同じように」

「うん……」



意外な言葉。ではなかった。

リティは事あるごとに示してくれている。

僕の事をアィールさんと同じ様に大切に想ってくれている事を。


フッと胸の奥が熱くなり、涙が出そうになる。



「もし、フィスが取るに足らない私の想像した通りの人物ならきっとこうはなっていないでしょうね。でも、フィスは違った。命を懸けて私を守ってくれた。私が攫われた時も、殺されそうになった時も危険を承知で単身で救い出してくれた」



リティは僕の手をそっと握る。

柔らかく、温かい感触だった。



「だから、私は誰かから聞いた印象だけで皇帝の人となりを判断するのは辞めようと思います。顔を合わせ、言葉を交わし、そのあとで判断しても遅くはないとフィスが教えてくれたから」

「リティは強いね。でも、僕にはそんなの無理だよ。姿をみただけで……」



気持ちが抑えられなくなる。

こいつさえいなければ、アィールさんが死ぬことは無かった。


その思いが感情となり制御できない位に湧き上がってくるんだから。



「そうですよね」

「僕はそんなに……、リティみたいに強くないよ」

「フィスに”強い”といわれるのは嬉しいですが、なんだか複雑な気もしますね」



僕はリティの手を解き、離す。

リティは困ったように手のやり場を探していた。



「でも、これだけは言えます。人は最初から強い訳ではありません。自分に絶望し、それでも行動する。例えその行動が間違っていても、何度も何度も行動し、結果を得る。それを経た人だけが強くなるのだと」

「そんなの、もうやだよ。辛いよ……」



言ってる事はわかる。

わかるけど……さ



「いつまで続けばいいんだよ。一番大切だった人の敵すら討てなくて……みんは僕を頼るけど、僕は誰に頼ればいいんだよ!だれが救ってくれるんだよ!!」



誰も助けてくれない。

助けてくれると思って信頼した人からは裏切られる。


もう、こんなの嫌だ。

辛いよ。

本当に辛いよ……



「ねぇ、フィス」



ポスッ。

体に感じる柔らかい感触。


いつのまにかリティが僕を抱きしめていた。



「二人で逃げませんか?」

「え?」

「皇帝の事、お兄様の事、町のこと、全て忘れて。二人でどこか山奥でひっそりと暮らすのです」



僕を抱きしめたままリティは言う。

考えすらしなかった新しい選択肢を。



「たぶん、私とフィスは些細な事で喧嘩して、怒り合い、お互い意地悪になって、反省して、仲直りする。そんな退屈しない毎日を送れると思うのです」



フフッとリティは笑う。

それは想像に難しくない。


きっと僕とリティは些細なことで喧嘩するだろう。

そして言葉の通り、反省し、謝って仲直りする。


それは僕とリティだけの特殊な関係でもあった。



「フィスは私の事、嘘をつく人間だとおもいますか?」

「いや、それは無いと思う。嘘をつくの苦手そうだし」

「それはそれで、嫌な評価ですね」



僕を抱く腕に力が入る。

きっと少しだけリティは怒っている。


それは顔を見なくても分かる。



「でも、私はフィスは優しくて真っ直ぐだと思いますよ。信じられる者同士、全てを忘れて二人生きていくのも良いと思いませんか?」

「二人で……」



悪くない。

そんな気がする。


このままどこかに逃げてリティと二人で暮らす。


きっとアィールさんは許してくれる。

むしろ、応援すらしてくれるかもしれない。


アィールさんの願いはリティを守る事なんだから。



「良いかも……」



リティと二人で過ごす世界。

でも、それはきっと実現しない。


実現させちゃいけない。


リティはもうみんなの中心となっている。

僕とは違い、町の中心となり替えの利かない存在になっているのだから。



「でも……無理だよ。僕たちは町を作り、リティはみんなの中心になっているじゃないか」

「……そうですね」



リティの額が僕に押し付けらる。



「困らせてしまいましたね。今の話は忘れてください」



そしてリティの体が小刻みに震える。

理由は……わかる。


でも、僕はそのまま何もしなかった。

ただ、輝き始めたばかりの星を見続ける。



「ごめんね。リティ」

「……はい」



もう一度、僕はリティに僕は謝る。

僕はリティの気持ちに答えてあげられないから。



「兄は戦いを好む人ではありませんでした。でも、そうせざる負えなかった。時代がそれを許さなかった。だから、私はこの戦いを終わらせたいのです」

「うん」

「私は戦い自体が兄を殺したとおもっています。だから、私はフィスを利用したい。兄への復讐を叶える為、皇帝を殺す事ではなく、帝国を。いえ、戦いそのものを終わらせて。それはきっと私の役目だと思うのです」



リティは震えながら必死に言葉を紡いでいた。

ここまで必死になるのは、きっとリティの優しさなんだと思う。


それにこれ以上甘える訳には行かない。



「僕はもう行くよ」



僕はゆっくり立ち上がり、リティに最後の挨拶をする。



「待って!この戦いが終われば私がフィス達を誰にも干渉されない場所へ逃がします。だからお願いです。私に力を貸してください。私に少しでも同情してくれる気持ちがあるのなら、私の願いを叶えてください。それ以上は……もう、望みませんから」

「……ごめん。あと、本当にありがとう」



最後にもう一度謝り、僕はゆっくりと歩き始めた。

何もない荒野が広がる暗闇に向かって。





僕は子供だ。

リティにように割り切る事も出来ず、裏切られた事も許す事は出来なかった。


でも、それでいい。

別に変に大人になる必要もない。


誰もいない所へ行き、好きなように生きる。

これでいい。



「いく……のか?」



そんな僕の後ろから上がる声。

振り向かなくても分かる。


だから、振り向かない。

もう、顔すら見るのが怖かった。



「フィスが決めたならしょうがないな」



たぶん後ろの人物は、悲しそうに笑っている。

それが分かる。



「ただ、この剣だけは持って行ってくれ」



僕の横に小さな土煙を上げて投げ置かれた剣。

それは、魔法の剣だった。



「俺が帝都で攫われた時、ゾットさんは俺を救ってくれた。でも、ゾットさんは俺だけじゃなく俺と同じ境遇にあった沢山の人助けてくれた。その中によ、すげー裕福な奴がいてさ。そいつの親が、ゾットさんの命を救えなかった代わりに用意してくれた剣。それがこの魔法の剣だ。だからこれはゾットさんの形見。フィスが持っておくべき物だ」

「……わかった」



僕は魔法の剣を拾い上げる。

ゾットさんの形見。


そう言われたら、無視できる訳がなかった。



「盾は俺が持っておく。もし、フィスがこの町に戻りたいと思ったらいつでも戻ってこれるようにここは俺が守っておく」

「もう、戻らないよ」

「それでもだ。人は変わる。もし、フィスが……俺のことを許してくれる日が来たらまた顔を見せてくれ!」



僕は何も答えなかった。

その代わり足を一歩前に出し、ゆっくりと暗闇の中へ進んでいく。



「待ってるぞ。俺は、俺はずっと、ずっーと待ってるからな!!」



僕はその声に答えることなく、暗闇の中を突き進んでいった。


………

……



「いいのか?」

「うん、フィスが決めたことだから」



暗闇を見つめながら泣きはらした目を擦り、ルーチェは呟く。

その一部始終を見ていたリュンヌがそっとルーチェに寄り添う。



「フィスのためにやった事だろう?」

「でも、それはフィスが望んだことじゃない。それに話すチャンスはいくらでもあったはずなんだ。それをしなかったのは、俺の責任だ。フィスが冷静に判断した決断なら、どんな内容でも尊重するさ……」



ルーチェは元気なく薄く笑い、ゆっくりと立ち上がる。

そして、町へ戻ろうとするが、その途中ふらふらと脇道に入り膝を付く。



「どうした?」



リュンヌはルーチェに寄り添い、ハッとする。

ルーチェは胃の中のものを戻していた。



「お前、病気か?」

「大丈夫。こういう物だって話は聞いてる」

「まさか!!お前?!」



ルーチェはただ頷く。

そして、口を乱暴に拭い立ち上がっていた



「フィスは知ってるのか?!」



リュンヌの問いにルーチェは首を横に振って答える。



「なんでだ?なぜ伝えなかった!」

「もう俺はこれ以上フィスの負担になりたくは無い」

「馬鹿か?!子供だぞ?フィスとの子供なんだぞ!!」



あまりにも無謀。

そして考えの無い行動に、リュンヌは頭を押さえてため息を吐いてしまう。



「もし、フィスにこの事を伝えれば、戻ってきてくれるかもしれない。いや、間違いなく戻ってくる。でも、それはやっちゃいけない事なんだ」

「なんでだ?」

「俺もこの子もフィスを利用する人間になっちまう。この子がいるから俺が裏切った事を許せと。そんなのズルすぎるだろ」



リュンヌはルーチェに反論する事すら出来なかった。



「おれは、俺だけは……あいつの味方でいなきゃいけない。でも、1度……いや、2度も裏切ったからな、3度目はなんとしても避けたい」

「馬鹿が!!」



リュンヌの罵声に、ルーチェはフッと笑い、ゆっくりと立ち上がる。



「誰にも言わないでくれよ。言ったら許さないからな」

「……チッ、わかった」



リュンヌの答えに満足したのか、ゆっくりとした歩調でルーチェは町へと戻っていった。

その背中を見送ったリュンヌは、感情のまま言葉を吐き出す。



「本当に馬鹿だ。何をやってんだよ……私は」



肩を落としリュンヌは空を見上げる。

夜空はいつもと変わらず星が無数に瞬き、そして美しかった。



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