第51話
「休暇……ですか?」
「ああ、少し用が出来た。いつ帰ってこれるか分からない」
「戻ってきてはくれるんですよね?」
「ああ」
抑揚のない声でリュンヌさんは言う。
朝食を食べている時にフラっとやってきて、いきなりこの町を離れると言ってきた。
「なら、僕は反対出来る立場に無いです。リティもルーチェもいいよね?」
「ああ、俺は問題ないぞ?リュンヌさんは働き過ぎだ。ドッと休んできてもいいんじゃねぇか?」
「私も賛成です。幸いこの町は貴方のおかげで上手くいっていますから」
この場にいたリティもルーチェも賛成してくれる。
ここまで沢山助けて貰ったんだ、反対する理由なんてない。
「だそうです。ゆっくり羽を伸ばしてください」
「ああ、悪いな。あと、ついでに一つ頼みがある」
「なんです?」
なんだろ。
僕で出来る事なら何でもするつもりだけど。
「フィス、ルーチェ。悪いがお前達の魔法の剣を貸してくれ」
「へ?ああ、俺はいいけど。フィスもいいか?」
「別にいいですけど」
そこまで口に出してからフッと思い出した。
もしかして、リュンヌさんは……
「あの、一つ聞いてもいいですか?!」
嫌な予感がする。
僕は一つ約束していた。
決して無視できない、大事な約束を
「あの!この剣売るつもりなんですか?!」
「あ?」
「前に僕とルーチェの護衛料はこの剣でいいって……」
一方的な約束だったけど、考えてみればリュンヌさんに報酬を渡してない。
この剣は……譲れない。けど、欲しいと言われれば無下にも断れない。
僕はリュンヌさんに貰ってばかりで何も返してないのだから。
「ああ、そんな約束もしたな」
思い出したかの様に、リュンヌさんはフッと笑う。
「いらない。今までの護衛料なんて忘れていい。払う必要もない」
「えぇ?!」
信じられない言葉だった。
何つけても報酬を要求するあのリュンヌさんが。
「この剣はただ借りるだけだ。旅は物騒だからな。多少なりとも魔法が使える今その剣は護身用になる」
「そういう事なら」
「絶対戻ってきて下さいね。約束ですよ」
「ああ」
リュンヌさんはルーチェから魔法の剣を受け取り、僕らに背を向けて出ていった。
なんだろう。
その背中は凄く小さく見えた。気がする。
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「……旧市街のアジトも駄目か。これで全滅じゃな」
「申し訳ありません。セネクス様。私が迂闊なせいで……」
「違うの。裏切り者がおっただけじゃろ。あまり気にするなて」
セネクスと呼ばれた老人は、項垂れる若い騎士の肩を優しく叩く。
その周りを剣闘士と呼ばれる逞しい肉体を持った戦士達が囲んでいた。
「命を捨てるのは構わんが、ここで朽ち果てるのだけは死んでも御免だ」
「ご安心を。陛下の身は我々が命に換えても守ります」
陛下と呼ばれたのは、帝国の皇帝。
その周りには皇帝を守るべく白鎧一式を身にまとった近衛騎士達が囲んでいる。
本来であれば帝国の王座に座し、こんな廃墟同然の屋敷にいるはずがない人物。
「雑魚がいくら集まっても俺にはかなわねぇよ」
大斧を二本担ぎ、自慢の筋肉を見せつけるように大柄の男は宣言する。
剣闘士、近衛騎士、魔法使い。
普通なら関わり合いすら避ける不思議な一団が集まっていた。
「戦うだけが争いでは無いからの。これからワシたちは、休む場所はおろか、食事さえも満足も取れない状況に追い詰められるじゃろうな。おぬしは眠らず、飯も食わずいったいどれだけ戦い続ける事ができるのかの?」
「ん?むぅ……」
大斧を担いだ男は黙り、暗い雰囲気が辺りを包む。
誰もがわかっていた事を口に出した事で、嫌でも現状を理解しなければならなかったから。
「随分と沈んでるな、通夜でもしてるのか?」
そんな重苦しい雰囲気の中、一人の女性の声が響く。
その瞬間、反射的に騎士や剣闘士達は自分達の獲物を構える。
「リュンヌか?!」
セネクスは目を細め、少し驚いた様子で声の主を見つめてた。
月明かりに照らされ薄く輝く短い金髪に人形の様に整った輪郭。
そして、体のラインを浮き上がらせる黒い皮製の服。
間違いなくリュンヌであった。
「助けてやる。ついてきな」
リュンヌは首をクイっと上げ、皆を促す。
ただ、その指示に従う者など一人もいなかった。
「信じられんよ。おそらく我らを裏切ったのはベリスだ。その配下であるおぬしの事など」
「私はベリスの部下になったつもりはないよ」
「ふん、どうじゃか。今はお主からでも得られる情報は貴重だからの」
セネクスは杖をリュンヌを睨みつけ、杖を構える。
周りもそれに倣い、リュンヌに明確な敵意を向けていく。
「誤解してるな。私はフィスに頼まれて来ただけだ」
「フィスじゃと?」
「ああ」
”フィス”たったその一言でセネクスはもちろん周りの雰囲気もガラリと変わる。
「これを見ればわかるだろ」
リュンヌは腰に下げた剣をセネクスの隣に控える若い騎士へと放る。
その剣を受け取った騎士は、剣を抜き驚愕する。
「この魔法剣は……確かにフィス君の」
「あいつが私に託したのさ」
「奪ったんじゃないだろうな」
若い騎士はリュンヌに疑いの目を向けていた。
リュンヌはその視線にため息で答える。
「知ってるだろ?龍を従えた奴隷王の話は。私が勝てると思うか?そばにルーチェもいるのに」
「フィスにルーチェか。懐かしい名じゃの」
セネクスは杖を下ろし懐かしそうに髭を掻く。
その目元は先ほどとは違い、緩やかになっていた。
「ま、信頼できないのも仕方ない。だから、一つ提案だ。私が先頭になる。不可解な行動をすればその剣で私を背中から刺せばいい。ただ、今はなにより時間が貴重だ。わかるだろ?」
リュンヌは淡々と答える。
ただ、その額には隠すことの出来ない一筋の汗が流れていた。
もし、拒絶され間者と判断されればリュンヌの命は無い。
自分の言動に命が懸かっているのだから。
「どうせこのままいても全滅するだけだ。私はお前たちを連れて帰るとフィスに約束してここに来たんだ。捨てる命なら私に寄越せと言っている。わかってるだろうが私も命を懸けてここにいる。お前たちと状況は同じだ」
「ふむ……」
セネクスは小さく呟き、考え込む。
それを察した若い騎士は、ズイッと皆の前に出る。
「なら私がお前の後ろにつく。少しでも可笑しな真似をすればこの剣で心臓を貫くぞ」
「好きにすればいい。ただ、無駄にしている時間は無い。何度も言うが、今はほんの一瞬でも貴重だ。急げ」
これ以上話すことは無いと、リュンヌは皆に背を向け廃墟の入り口から出ていく。
「皆ええかの?今は他に考えられる妙案が浮かばん。もし窮地に陥ればワシが命に代えても全力で皆を逃がすと約束しよう。皆の命をワシに預けてくれんかの?」
「本当にいいのか?それで」
誰かが発した皆が感じている不安。
「大丈夫じゃ。ワシはフィスに賭けて負けたことが無いからの」
雷神はその不安を和らげるどころか、なんの根拠もないふざけた答えで返す。
ただ、その一言に誰かが小さく噴き出し、そしてすぐに大きな笑いとなった。
皆の意見は驚くほど簡単に纏まった。
”フィス”というたった一つの希望に賭けると。
■
「あれがフィスの町か。まさか本当に龍の狩場に存在するとはな」
「大勢でこの町へ来れば龍の餌食になる。だからこうやって数組に分け別ルートで取る必要がある。そういう約束になっているからな」
リュンヌは一団の先頭に立ち説明をしていく。
リュンヌに導かれ、剣闘士と近衛騎士の集団はなんとか帝国の追手から逃げる事が出来た。
勿論、それは簡単な道のりではなかった。
追手と戦い、正規のルートから外れ次に魔物と何度も戦い、時には夜襲を受け、命を落としそうになった事も一度や二度ではない。
そんな死線を潜り抜けた事でリュンヌも仲間の一団として認められていた。
「なるほどの。軍勢で押し寄せれば龍と戦う羽目になる、かといって少人数で身を潜めて街道に潜伏すれば龍はもちろん、お主やフィスと戦う羽目になる。少人数での戦いならフィスに勝てるものはおらんでの」
「ああ、まぁここら辺は元々山賊とかが潜伏していたから、待ち伏せが全く無いとは言わないが、この土地に慣れない内は下手したら向こうの方が消耗が大きいだろうな」
「確かに。守りに関しては帝国以上の最高の町といえるじゃろうな」
雷神と呼ばれた老人。
セネクスは楽しそうに笑う。
帝国を出てから初めて浮かべる笑みであった。
「やっぱ爺さんつえーな。また賭けに勝ちやがった」
「ふん、ワシは勝てる勝負しかせんからの」
「言ってろ」
剣闘士達からの軽口にも、セネクスは上機嫌で答えていた。
「おい、街の門が見えたぞ。獲物をしまえ」
「お、そうだな」
石造りの城壁に見張り台。
本当に最近できた街なのかと疑うほど、立派な作りの門がセネクス達の前に広がっていた。
「誰だ!」
門の上から警戒する声が発せられる。
「私だ!リュンヌだ!!」
「リュンヌさん!?ああ!おかえりなさい!今、フィスさんとルーチェさんを呼んできます!!」
「頼む」
その声をきっかけに門の中が慌ただしくなる。
そして、少しの時間をおいて門はギリギリという金属音を響かせながら開き始めた。
「……この剣を返すべきだな。疑ってすまなかった」
若い騎士は、リュンヌに魔法の剣を返し深々と頭を下げる。
最後の瞬間まで、若い騎士だけはリュンヌを疑い続けていた。
「いいさ、私も嘘をついていからな」
「嘘じゃと?」
その言葉にセネクスが反応する。
「フィスはあんた達が襲われたこと知らない。知れば命を懸けて助けに行くからな」
「お前の独断でワシらを助けたのか?!」
「ああ、だが役に立っただろ?どうせフィスの名前を出さなければ信じなかったんだ」
「まさか、おぬし!べリスを裏切ったのか?」
「信じなかっただろ?私があの場でべリスを裏切ったといっても」
「むぅ……それはそうじゃが……」
セネクスは訝しんでリュンヌを見つめる。
ただ、それも長くは続かなかった。
「まあいい。私は皇帝を迎えに行ってくる。お前たちにもう案内は不要だからな」
リュンヌがそう言った途端、鈍い音を響かせながら町の城門が開いていく。
「リュンヌさん!え?!もしかしてセネクスさん??!!それに皆も!!」
「あー!!師匠!!!お久しぶりです!!」
懐かしい顔ぶれがセネクスの前に現れ、セネクスの顔も綻んでしまう。
セネクスにとって門から顔を出した二人は孫のような特別な存在になっていた。
「大きくなった。フィス、ルーチェ」
「「はい!」」
セネクスはすっかり成長した二人と抱き合う。
自分よりも大きくなった二人を直接体で感じ、時が立つ早さを実感する。
「おい!俺たちもいるぞフィス!」
「え?!ああ!!お久しぶりです!!」
セネクスと抱き合っていた青年は、剣闘士達に引っ張られ、輪の中でもみくちゃにされていた。
かつて見た微笑ましい光景。
ただ、これから起きる出来事を想像すると、セネクスの心は暗くなる。
「さて、あとは皇帝か……頭が痛いの」
「ん?どういうことだ」
「そうじゃの、ルーチェには話しておくべきだの」
セネクスはゆっくりと説明する。
目の前で楽しそうに再開を喜ぶ青年に罪悪感を感じながら
「……それってよ」
「うむ、あとはフィスの心が癒されいてる事を願うのみよ」
「……そんなの。うそだろ」
セネクスは息を吐き、心に溜まった暗い気持ちを追い出していく。
これから起きるであろう問題。
それは決して簡単に解決しないだろうと思いながら。
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