第50話


「絶対に!!死んでも!必ずお前達を殺してやる!!」



泣きながら男は叫ぶ。

その男の両足は切り落とされ、今もなお血の池を自らの体の下に作り続けている。


男は自らの命が尽きるなど忘れ怨嗟の視線を送り続けている。

痛みと死の恐怖を、憎しみがかき消していた。


何故そんな憎しみを抱えているのかその理由は明確。


男の子供、妻、そして両親も、男の前でこの世の苦しみの全て味わいながら死んでいったのだ。


その光景は、言葉に出来ないくらい悲惨だった。

幼い子供は泣き叫ばない様に舌を切り落とされ、その後、指の一つ一つを順番に切り落とされる。

そして指がなくなれば目を潰され、次に足、腕と切り落とす個所を増やしていく。


子供は声にならない悲鳴を叫び続け、脚をきられた直後にその声も聞こえなくなった。


その間、子供の母親は自らを身代わりにと叫び続けた。

そして、その願いは聞き入れられる。


子供が絶命した後に。


母親も子供と同じように舌や指、そして四肢を切り落とされ、さらに男の両親も同じ苦しみを全て強要され死んでいった。


それは男の心を殺すには十分な痛みだった。


自らの痛み、死の恐怖よりも、ただ目の前にいる男共を殺したい。

たとえ地獄で永遠に焼かれ続ける事になるとしても、妻や息子と同じ苦しみを目の前の男たちに与えられるなら、男は迷わないだろう。


溢れる暗い感情。

ただ、この場ではそれは普通の光景だった。


何故なら、周りには血の池で怨嗟の声を上げ続ける男と同じ境遇の人間であふれていたから。


そんな地獄の様な大部屋の中心。

そこには一人の少女が椅子に座っていた。

透けた薄い布を一枚羽織り、裸同然の恰好でただ人形の様に虚空を眺めるだけ。


艶のある黒髪に整った顔。

そしてまだ華奢で未成熟な体。


ピクリとも動かないその姿は、まさに人形。

表情の無い目からは大量の涙が流れることさえ除けば。



「足りませんね。前回の戦争のほうが遥かに集まりが良かったはずですが?」

「申し訳ありません、ディエス様……」



そんな人々の異様な光景を吹き抜けの上階から眺める2人の姿があった。


一人は頭まで隠れるローブを羽織り、地面に膝を付き頭を下げていた。


もう一人は微笑みながらこの世の地獄を見ていた。

その男はディエス。

メリス教の司祭であり、この地獄を作り出した張本人。



「それは……」

「何か理由があるのですか?」



ローブの男は困ったように口を噤む。

それは、何か言いづらい理由がある事を示していた。



「構いませんよ。ここだけの話にしておきますから、話して頂けますか?」

「かしこまりました」



ローブの男は端的に自分の考えを説明する。

その話をディエスは笑顔のまま聞いていた。


階下から湧き上がる怨嗟の声の中、微笑むその姿は異様としか言えない



「なるほど、その龍の縄張りに出来た一つの町が原因という事ですね?」

「はい。我々とは違う”希望”のような存在になりつつあり、様々な人間が逃げ込んでいます」

「なら、人が集まりすぎて放って置けば自壊しそうなものですがね?我々だってこうやって間引きしなければ、戦争を逃れてきた難民が集まり過ぎて破滅を迎るのですから」

「それが……」

「続けてください。配慮は無用といったはずですよ?」

「奴隷王が納めている町だそうで……」

「ほう」



ディエスの顔から微笑みが消える。

その目は薄く鋭くなり、いつもとは違う。

恐怖すら感じる表情に変わっていた。



「なるほど、私が彼を生かした事が原因だと言いたいのですね」

「そういうわけでは!!」



ローブの男は慌てて否定する。

ディエスの真剣な面持ちに、無意識に2歩、3歩と下がってしまっていた。



「いえ、いいのです。本当の事でしょう。しかし、責任を取らなければいけませんね。これでは我々の所に十分な人が集まりませんよ」



男の様子に気が付いたディエスはまた微笑えみ、優しい顔に戻る。



「そういえば、帝国と皇帝達はどちらが優勢ですか?」

「帝国での内部分裂は思いのほか深刻で、想像していたように一方的にはなっていません」

「たしか、皇帝の勢力には奴隷王の仲間達が付いたはずですね?」

「ええ、皇帝と雷神の二人が中心となっているはずです」



なるほど。

と小さくディエスは呟き、少し考えこむ。



「では、巻き込みましょうか」

「は?」



ディエスはパン!と軽く手を叩き、まるで名案を思いついたように話す。

ただ、ローブの男は何を言ってるのか全く理解出来なかった。



「我々のところに侵入している賊がいますね」

「ええ、全員女で魔女ベリスの部下だと調べはついていますが」

「まだ手出しはせてませんね?」

「はい、そういう指示ですから」

「大変結構です。では、頃合ですね。捕まえて下さい。勿論、傷つけてはいけませんよ?あと、魔女ベリスにも連絡を取ってください。彼女達を人質にすれば合う事位は出来るでしょう」

「はっ、承知しました」



ディエスは微笑みながらローブの男に告げる。

ローブの男は恭しく頭を下げ、その場から早足で立ち去っていた。


ただ、一人残されたディエスは微笑みながら階下を見つめる。

怨嗟の声が絶えず上がり続ける地獄の様な場所を。



「愚かですね。他の誰かに自らの命を懸けるからこうなるのです。幸せに生きたいと願い、命を懸けるのなら他人ではなく自己の中にあるものに頼るべきですよ。そうすればこんな目には合わなかったものを」



ディエスは笑顔のまま呟く。

その間も、怨嗟の声は絶え間なく上がり続けていた。



「さて、許せない相手との協力を迫られたとき、果たしてフィス君はどんな選択をするのでしょうね」



ディエスはフフッと小さく笑い、地獄で悶える怨嗟の声を笑いながら聞いていた。






「べリスさんですね、お初にお目にかかれて光栄です。私はディエスと」

「挨拶はいらないよ」



ディエスの言葉を、魔女べリスが遮る。

高そうな調度品に複雑な模様の施された絨毯が引かれた豪華な部屋。


そこに魔女べリスとディエスは机を挟んで対峙していた。

それぞれの後ろに2名の護衛を伴いながら。



「まずは、ここに来た約束を果たしてもらおうか」

「そうですね。仰る通りです」



ディエスは後ろの護衛に合図する。

するとしばらくの間を置き、3人の女性が部屋に連れられてきた。


連れられてきた女性達はディエスの姿を見るなり小さな悲鳴を上げ、震え始める。

ディエスはそんな女性達の様子に苦笑を浮かべる。



「嫌われたものですね」

「何をした?」

「ただ、私共のお仕事を少し手伝って頂いただけです。命に別状はありませんし、体に傷もありませんよ?」



どうぞ確認してください、とディエスは微笑む。

その姿にべリスは全身の毛が逆立つ様な嫌悪感を覚えていた。



「確認しな」



べリスは後ろの護衛に命じる。

護衛は女性たちの体を確認する。


女性達の体は、欠損はおろか痣の一つも見つける事は出来なかった。

本当に何かされたのかと疑いたくなるくらい綺麗であった。



「信じていただけましたか?」

「ああ、話を聞く位にはな。ただ、まずはこの娘達を安全な場所へ運ぶ、話はその後さ」

「ええ、もちろんです。監視もしません。好きになさってください。外に控えているお仲間さんをこの屋敷に入れて頂いて構いませんよ」

「ふん」



べリスはつまらなそうに鼻を鳴らす。

暫くして部屋に入ってきた複数人の部下達が震え続ける女性達を抱えるようにして連れて行った。



「まだ信頼はしないよ。あの娘達を安全な場所に届けるまで話は無しだ。せいぜい合図を待ってるんだね」

「承知しました。では、待っている間、お茶でもしませんか?香りのいい上物が手に入ったのです」

「いらないね」

「それは残念です。なら私だけでも」



ディエスは背後に控える部下に命じ、湯と茶葉を持ってこさせる。

そして、慣れた手つきで紅茶を入れ、一人香りと味を満喫する。


そのカップが空になり、一息ついたところで、窓外から朱色の狼煙があがっているのが見えた。



「無事に運べた合図だ。いいだろう。帝国を支える屋台骨が何の用だ?」

「ありがとうございます」



べリスは窓の外を一瞥し、ディエスへと向き直す。



「ベリスさん。貴方はこの戦争、いえ、帝国内の争いはどちらが勝つと思いますか?」

「現状のままでいけば上位議員達だろうね」

「なるほど。現状がよくみえていらっしゃる。貴女方がサポートする相手は負けると踏んでいるのですね?」

「何が言いたい?」

「これはこれは出過ぎた真似を、申し訳ありません」



ディエスは頭を下げ、べリスに微笑みかける。

その態度にべリスはただ眉を顰め、嫌悪感を表すだけだった。



「では、結論から言いましょう。貴方方、つまり皇帝と雷神がこの戦争に勝てるように取り計らうと言ったらどうしますか?」

「……何をいってるんだ?」

「簡単ですよ。この争いの勝利を貴方達に捧げようと言うのです。我々は何処が勝とうが構いませんから」

「何を考えている?お前……」



べリスはただただ混乱する。


ディエスの提案。

それはべリスの想像を遥かに超えた、想像すら出来ないものであったから。



「別に無理に協力しろとは言いません。ですが、断られれば私は貴方の事を報告しなければいけません。そうなれば上位議員達は動くでしょう。ましてはここは彼らのテリトリー。どうなるか想像しただけでも恐ろしい。貴方方のアジトは余すところなく先ほどの彼女達から教えていただきましたから」

「それは脅しかい?」

「まさか、私は想定される事実を述べただけです。今回協力さえしていただければ、貴方達が恐らく勝つでしょう。勿論、私は未来が見える訳ではありませんから、絶対という訳ではありませんが」



べリスには到底理解出来ない提案。


アジトもすべて分かっているのであれば、帝国に話して自分たちを総攻撃すればいい。

圧倒的に優位に立っているはず。


なのに、なぜこんな提案をするのか。


べリス達はともかく、ディエス達には何の得もない。

築き上げてきた物が崩れるだけだと、べリスは何度考えてもその結論に至っていた。



「理解できないね。アンタになんの得がある」

「ふふっ、貴方は優しいですからね。見捨てられた子供や一方的に嬲られる女性を積極的に引き取り、仕事を与えている。貴方が裏社会で活躍しているのはその道しかないからでしょう?貴方は理解している綺麗事だけでは大切なものは守れないと」



困惑するべリスに、ディエスはいつもと同じ表情で微笑みかける。

それは優しい笑みにも見えるが、べリスには悪魔の微笑みにしか見えなかった。


”危険だ”

べリスは本能的に悟り、頭をフル回転させる。


知恵。

それはべリスが今まで培ってきた力の中でも、最も優れた物であったから。



「お前はこの国が欲しくないのか?」

「必要ありません。我々が国を治めても南の聖教国が黙っていませんからね。余計な面倒が生まれるだけです」

「なら、邪教を広める為か?」

「そう理解して頂ければ助かります」



ディエスは表情も変えずに微笑んでいた。



(そう理解すれば助かる……か)



肯定も否定もしない、その言葉にべリスは引っかかる。

自らの信仰する神を広げたいのであれば、帝国にこのまま組し国教にしろだとやりようはいくらでもある。

むしろ、ここから帝国を裏切れば教えを広げるどころか悪名が広がる可能性もあり逆効果ですらある。


この取引が引き起こす結果は、わからない。

ただ状況は混乱し、いたずらに戦火が広がる事は間違いない。



(まるで戦う事が目的。そう考えた方が納得できるね)



あり得ない。

そう考えたべリスは、ハッとする。


ヒントは自分の愛弟子から上がっていた馬鹿な報告。

その時は、信じられる訳がないと一蹴したあの突拍子のない話。


しかし、あの報告が全て真実だとしたら?

そうすれば全ては綺麗に繋がる。


この国の行く末も、自らの信じる教えを広げるなんてどうでもいい。



「貴方が守るべきものは、なんなのでしょうか?私はその一番を確実に守る道を提示しているに過ぎませんよ?」



考え込むべリスに、ディエスは優しく囁く。

その表情を見たべリスは、覚悟を決める。



「邪神が復活したら、同じだろう?」



それは賭けだった。

もし、これが本来の目的であれば、知られた時点でべリスは殺される。


ここは相手の拠点なのだから。

だが、少なくとも真意を測る事が出来る。


後は、命尽きるまでになんとかこの情報を外に伝えるだけだ。



「おや、ふふっ」

「何がおかしい」



ディエスは一瞬驚いたように大きく目を見開き笑う。

今までの微笑みではなく、本当に面白いといった笑いだった。



「そこまでわかっていられるのであれば話は早い。いえ、貴方を過小評価してしまいましたよ。もっと早く仰って下されたば良いのに」



こんな回りくどい事をしなくてもすんだと、嬉しそうにディエスは語る。



「護衛を下がらせていただけますか?もちろん私の護衛達も下がらせます。貴方の身の安全は確実に保証します」

「……いいだろう」



べリスが合図をすると後ろの護衛がゆっくりと部屋から出ていき、ディエスの護衛もそれに倣う。

そして、その代わりに一人の少女が部屋へと通された。


車輪のついた椅子に座り、透けた薄布を纏っただけの少女。

生気もない目とピクリとも動かない姿は、まさに精工に作られた人形の様だった。



「なんだ、これは……」

「まぁ、見てください。ああ、剣を抜きますが敵対する意思はありませんからね」



ディエスは車輪のついた椅子をゆっくりと押し、べリスの正面で止める。

そして、壁に飾ってある一本の飾剣を抜く。



「なんでもいいが、無駄な時間を」



べリスが言葉を発した瞬間だった。

ディエスは、迷いもなく剣を少女の首へと突き刺していた。



「何を?!」



突然の行動にべリスはただ驚く。

ディエスは荒々しく少女の首に刺した剣を抜き去り、少女は大量の血を流しだらりと首を下げていた。



「なんで殺した?」

「いえ、殺してはいませんよ?ほら」



ディエスは少女の血だらけの首を布で拭う。

すると、傷一つない白く美しい肌が表れ、少女はゆっくりと首を上げ何事もなかったように、ただ虚空を見つめていた。



「私のしていることはただ時計を進めているに過ぎません。遅かれ早かれメリスは復活しますよ」



べリスにはディエスの言っていることが真実かどうかわからない。

ただ、一つの事実として目の前の少女がもはや人では無い事は間違いない。


首を貫いて死なない人間などいるはずがないのだから。



「自らの神を呼び捨てとはいい身分だな」

「秘密ですよ?実は私は熱狂的な信者ではありませんから」



ふふっ、とディエスはいたずらっぽく笑いかける。

その姿ははしゃぐ子供に様に純粋で残酷だった。



「私はメリスの考えに賛同しているだけです。しかし、それを一方的に決め付けるのはフェアじゃない。だから私は選択肢を与えるのですよ。人と神どちらが滅びるのか」

「人は神との争いに勝った。だから私達はここにいる」

「それは違いますよ?戦いが一時的に延長されただけに過ぎません。少なくともメリスは負けを認めてはいないのですから。メリスは今も虎視眈々と復活の時を待っています」



ディリスは椅子に座り、話している間に冷めてしまった紅茶を一気に呷る。



「メリスが諦めない限り、例え我々を止めたとしてもそれは時間稼ぎにしかなりません。我々にとって時間は有限ですが、メリスは違います。諦めない限りいつか必ず復活する。それならば、きたるべき戦いに備え有利な状況を整えるのは貴方の責務ではありませんか?現状に目を瞑り、不確かな未来に懸け、責任を放棄するよりずっとね」

「……何が望みだ」

「ふふ、簡単ですよ。表面上で構いません。皇帝と雷神を裏切り、ある町へ逃がしてほしいのです。勿論、一人も殺す必要はありません。ただ逃がし、ちょっと手伝って貰えばいいのです。いい取引だと思いませんか?」

「なるほどね。目的がみえたよ。アンタ、私たちをそのメリスと戦わせようとしてるんだね?」



狂人。

目の前にいる男は間違いなくその類の人種だとべリス確信する。



「ええ、理解していただけてなによりです。それに確信しましたよ。貴方方以外には適任者はいない。それにもう奴隷王を新しい皇帝に祭り上げる必要もなくなりましたよね?」

「全て知っての事かい。狂ってるよ。アンタ」

「私はただ見たいのです。人と神どちらが強いのかを。それを見るためには帝国の……上位議員達では能力不足ですからね」



微笑を称えたまま、淡々とディエスは告げる。

その内容は決して笑いながら話せる物ではなかった。



「私がこの取引を断ったら、事態は悪化するんだろうね……」

「そうですね。すべての事実を上位議員達に話していただいてもかまいませんが、貴方は敵側ですからね。程度の低い策略だと言えばそれまでですよ」

「そうさね。何より信憑性がまるでない」



腹を括るしかない。とべリスは思う。

このまま戦えば自分たちは必ず負ける。


そうなれば、このディエスは易々と邪神を復活させる。

帝国の人間はこの事実に気づきもしないだろう。


自分の命など惜しくもないが、もはやそんなレベルの低い問題ではない。


例え自分が裏切り者と誹りを受け、殺されようとも。



「……どこに逃がせばいい」



べリスは大きく息を吸い、吐き出していた。



「ただの町ですよ。そう、あの奴隷王が納める町へね」



べリスは一人の少年の顔を思いだす。

そして巻き込まれるであろうその姿を想像し、心の中で深く謝罪した。


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