第37話
バタン
薄暗い小屋の扉が閉まる。
その衝撃で、腐った木製の扉は一部が剥がれ落ち、新しい隙間を作っていく。
そんな小屋の中はもっと酷い有様であった。
所々開いた隙間からは月明りが差し込み、もし部屋の中でランプなどを焚けば小さな虫や生物が我先にと集まってくる。
そんな森の中の忘れられた廃屋で、フィス達は束の間の休息を取っていた。
「追っ手の気配はないな。あの王子が上手くやってるんだろう」
リュンヌは月明かりで淡く光る金髪を整える。
体のラインが浮き上がる黒革の服は、彼女の魅力をより際立たせていた。
「フィスはどうだ?」
「ずっと寝てる。でも、この感じだとしばらくは動けないと思う」
そう声を上げたルーチェの脇で、フィスは規則正しい寝息を立てていた。
ボロボロの床の上に申し訳程度に敷かれた薄い布の上で。
フィスがルーチェに担がれこの小屋に到着してから、かなりの時間が過ぎていた。
ただ、フィスは到着と共に眠り落ち、それから一向に目覚める気配は無かった。
その間、ルーチェは片時も離れることなくフィスを見守っていた。
「そうか。いざとなったら担いで逃げられる準備をしておけ。いつ追手が来るかわからない」
リュンヌの言葉に、ルーチェは頷き、周りの荷物を纏め始める。
それに続くように、元近衛兵隊長のアリシアや元騎士のカーラとリタニアも近くの荷物に手をかける。
「何故……でしょうか?」
消え入りそうな小さな声。
「どうしてこの方はこんな姿になってまで、私を助けたのでしょうか?」
それは、呆けたようにフィスを見つめるクリティアの発した声だった。
クリティアは一言も喋らなかった。
フィスに助けられこの小屋にきてからずっと。
そして、今初めて発した小さな言葉。
それは自然と周りの注目を集めてしまう。
「私はこの方が良く分かりません。罪の無い子供を平気で殺したと思えば、今度は命をかけて、こんな姿になってまで私を救ってくれる。まるで行動が一貫してません」
クリティアは大きな塊を吐き出すように、息を吐く。
ただ、胸の底には依然として拭いきれない何かを残しながら。
「……フィスの行動はいつだって単純だ。それに気がつかないのは、お前が馬鹿なだけだ」
ルーチェは答える。
手を忙しく動かし、視線すらクリティアに向ける事無く。
「馬鹿……ですか。そうですね。その通りかもしれませんね」
自重気味にクリティアは笑う。
考えてみればその通りだと。
名誉ある戦いに敗れたわけでもない。
ただ、愚かな策略に嵌り王女から犯罪人へと成り下がった。
情けなくて涙さえ出ない。
こんな王族、後にも先にも自分だけだとクリティアは自嘲する
「かもじゃねぇ。本物の馬鹿なんだ」
ルーチェは呆れたように言い放つ。
それは一切の配慮がない、厳しい言葉だった。
「……貴方は私の何を知ってるんですか?」
クリティアの語尾が上がる
配慮の一切ない言葉に、流石に怒りを覚えていた。
「詳しく知らなくても分かるさ、配慮のない行動をして皆を困らせ、そして感謝も知らない。大馬鹿者だ」
ただ、ルーチェは配慮のない言葉を吐き続けていた。
クリティアに視線すら向けることなく、淡々と。
「何を!!」
「じゃあ聞くが!!」
堪え切れなったクリティアの怒声を、さらに大きな怒声でルーチェが遮る。
「お前はここに来て、皆に感謝の言葉を伝えたか?ありがとう。の一言でも言ったか?!いいか、ここにいる全員はお前を助けるために犯罪者になったんだぞ?!」
「そんなの私頼んでない!!」
「そこだよ!!お前が馬鹿なのは!!」
ついに、二人は大声を上げ言い争う。
「人の事をバカバカと!!」
「図星だからな!!何度でも言ってやる!!いいか、お前は助けられることを当たり前だと思ってる。人から本当の善意で差し伸べられた手をお前は何だと思ってる!!それが例え血に塗れた手でも、お前は感謝しなきゃいけないんだよ。それは助けられた者としての最低の礼儀なんだ!!」
「だから私はそんなの頼んでない!!皆どうせ父か兄に頼まれて私を助けただけ!!」
その言葉を聞いたルーチェはスッと黙ってしまった。
ただ、侮蔑を込めた目でクリティアを見つめ。
そして、ただ一言だけ本気で言い放つ。
「最低だよ。お前」
今までとはまるで違う、ルーチェの冷たい気配。
背筋が凍る様な気配に、クリティアは反論する事さえ出来なかった。
「何でフィスがお前を助けたかって聞いてたな……読んでみろよ」
ルーチェはフィスの荷物を探り、一枚の手紙を取り出しクリティアへと差し出す。
「こんな汚い紙……どうしろと……」
ルーチェの冷たい気配に押され、クリティアはおずおずと素直に手紙を受け取る。
「えっ!!」
そこに書かれていたのは、見覚えのある字だった。
クリティアが間違えるはずがない。
懐くかしく、そして小さい頃から見慣れた大切な文字。
「そんな……まさか……」
「そうだよ。これはお前の兄。アィール……いや、クレセント王子がフィスに宛てた手紙だよ」
「え?嘘……本物なの?」
その疑問の答えは誰よりもクリティアが分かっていた。
大好きだった人の字。
それを忘れるわけがないのだから。
そして、長い時間をかけ、クリティアはその手紙を丁寧に読んでいく。
一語一句確認するように。
「……一つ聞いてもいいですか?」
全て読み終えたクリティアは、ルーチェに真剣な眼差しを向けていた。
「どうしてこの方……いえ、フィスはお兄様を殺したのでしょうか?」
「お前、そんな事も知らなかったのか?」
ルーチェは心底呆れていた。
フィスに散々悪態をついたにも関わらず、その一番の理由すらきちんと知らないクリティアに。
ただ、知らなかったものは仕方ないと割り切り、ゆっくりと語り始める。
「……見世物にされたんだよ。父と子のように慕う二人を殺し合わせ、それを見て楽しむ最悪の娯楽にな」
その言葉を皮切りに、ルーチェは自分の知る全てを話していく。
何故、血のつながらない二人が親子と呼ばれたのか。
そして二人はどんな境遇に置かれ、困難に立ち向かい克服していったのかを。
フィスは父のようにクレセントを慕い。
クレセントもフィスを子のように大切に扱った事を。
それは、二人を間近で見続けていたルーチェだからこそ話せる事でもあった。
「フィスと王子はな、二人共自分の命を絶ってでもお互いを救おうとした。ただ、結果は王子が死にフィスが生き残った。フィスが王子の首を刎ねる。という最悪の形でな」
ルーチェから語られる話は、クリティアの想像を遥かに超えていた。
「ただ、その後フィスは壊れたよ。王子を殺した自分を責め続け、昼夜問わず謝り続けていた。でも、王子もただ殺されたわけじゃない。最後の瞬間、フィスの中に王子は自分の魂を移したんだ。フィスの力になる為に」
「待って下さい!どういう事ですか?!」
「分からないか?王子は自身の命と引き換えに魂ごとフィスに託したんだよ。あとはその手紙に書いてある通りだ」
「まさか……」
クリティアにとってフィスは、この世で一番憎い人だった。
クレセントを殺し、反省すら無く、この国へやってきて父や兄に取り入った最悪の人間。
そして、その印象は時間が経つほど悪化していった。
どんな嫌がらせを受けても逃げるどころか、近衛兵としての地位を離さず権力に媚びようとする姿勢。
そして、罪のない子供を容赦なく殺す悪魔の様な性格。
フィスという男は、疑いようのない最低な人間……のはずだった。
「この方の中にお兄様の魂が?」
「そうだ。だから、フィスは少しでも恩を返そうと必死なんだ。誰もが諦める状況でも、どんな事をしてもお前を救おうとした。どんなに嫌がらせや、暴力を受けても諦める事無く、文字通り全てを懸けて……な」
これまでの、全く理解できなかったフィスの行動の全て。
それが、クリティアの中で一つ線として繋がって行く。
クレセントを殺した事を反省していない。訳ではなかった。
そして、権力に媚びて逃げなかった。訳でもなかった。
罪の無い子供を簡単に殺せる。訳が無かった。
フィスはクレセントとの約束を守り、ただ全力でクリティアを助けてに来てくれただけなのだと。
どんな暴力にも嫌がらせにも耐え、見返りさえ要求する事も無く。
「そんな……なら、私は……」
「ああ、だからお前はバカなんだ。救いようの無いほどのな」
「仰る……通りですね」
クリティアはフィスに近づきそっと小さく上下するフィスの胸に手をあてる。
「貴方はそんな思いをして、ここに来ていたのですね」
クリティアはフィスに心の底から感謝し、詫びる。
今までの無礼、そして行動の全てを。
(本当に私は馬鹿でした)
クリティアは痛感する。
感情だけで動き全てを壊そうとしていた自分の浅はかさと愚かさを。
もしかすれば、フィスを死ぬまで恨み続けていたかもしれない。
クレセントの願いを他でもないクリティア自身が踏み潰していたかもしれない。
それを痛い位に理解したクリティアは、大きく息を吐き立ち上がる。
「皆さん、遅くなりました。この身、助けて頂き本当に感謝します。この通りです。ありがとう」
そして、体を二つに畳み、この場にいる全員に頭を下げる。
ルーチェは当然だ。と腕を組み少し不機嫌そうに答え。
リュンヌはつまらなそうに顔を背け。
アリシアとその二人の元騎士は、涙を流し再度クリティアの無事を喜んでいた。
「そして、フィス。貴方にも感謝します」
クリティアはフィスの枕元に座ると、フィスの頭を自身の膝へと移す。
そして、体を折り曲げ意識を失っているフィスの口に自身の唇を重ねていた。
「な、何してんだ!!!」
「この方、いえ、フィスはお兄様の生まれ変わりです。それに、私はフィスに命を救われたのです。ならば私の全てを捧げ返さなければいけません。その誓いです」
「なっ……」
ルーチェは絶句する。
クリティアの迷いも無い素早い行動に、言葉すら奪われてしまっていた。
「あー……」
「重度のブラコンだったからな、クリティア様は……」
アリシア達はどこか納得したように頷く。
ただ、残念そうな目でクリティアを見つめながら。
「やめろ!!そういう事を言ったんじゃねぇ!!離れろ!バカ!」
「譲りません。この方はお兄様の生まれ変わりですから」
毅然と答えるクリティアに何処か怒りを覚え、ルーチェは慌ててフィスの頭を奪い取ろうとする。
ただ、クリティアはフィスの頭を抱え込むようにして抱きしめ抵抗する。
「離せ!!」
「嫌です!!」
ルーチェはクリティア背後に回り、無理やりフィスの体から引き離す。
クリティアとルーチェの力比べ。
それは勝負にすらなっていなかった。
ゴツッ!
床に鈍い音が響き、フィスの頭は地面へと叩きつけられていた。
ルーチェが無理やりクリティアを引き剥がしたせいで、フィスの頭が地面へと転げ落ちたのだ。
「「あっ!」」
その音を聞いた二人はただ固まり、お互いの顔を見つめ合う。
「……貴方のせいですよ?」
「はぁ?お前がすぐ離さないからだ!」
クリティアとルーチェ。
二人は、またギャアギャアと言い争いを始めていた。
「生き生きとしてますね」
「ええ、クリティア様のあんな姿初めて見ます」
アリシアと二人の元近衛騎士達は、優しい目で言い争う二人を眺め、リュンヌは頭を抱え「姦しい」と小さく呟いていた。
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「なるほど。これは予想外の結果となりましたね。まぁ、筋書きとは違いますが、帝国とオーランド。どちらが勝者になろうと特に問題ありません。我々の目標はどちらにせよ達成されるでしょうからね」
蛇の刺繍の入った黒いローブを纏い、優しそうな笑みを称えた男。
ディエスは告げる。
沢山の書類と共に、机の対面に座る黒服の男に向かって。
豪勢ではないが、どこか趣のある品の良い部屋。
そこには、3人の人影があった。
優しく微笑み、席を立ち、香りの良い紅茶を入れ始めるディエス。
それを不思議そうに見つめる黒服の男。
そして、ゆらゆらと揺れる椅子に座り、ただ虚空を見つめる少女。
それ以外はただ、花の香りを漂わせる湯気だけが上っては消えていった。
「では、戦争になると?」
「ええ、そう思いますよ。それもかなり大きな戦いに。皇帝はどうやら気がついたようですからね。帝国内も綺麗に二つに分かれて争いを始めるでしょう。その上ででオーランドと戦うのですから今回は何処が勝つかすら予想もできません」
「その件に関してですが、あの雷神が……」
「皇帝側についたのでしょう?想定通りですよ」
ディエスは満足そうに頷き、入れたばかりの紅茶を男へ勧めていた。
「予想……されていたのですか?」
「ええ、彼らは凡庸な人間ではありません。戦う理由が同じであればいつかは一つになると思っていました。想像より早かったですがね」
「何をした……のですか?」
「何もしてませんよ?言ったでしょう。彼らは特別だと。自身で戦うべき敵の正体位は掴めるでしょう。それこそ、何かヒントでも与えてしまえば、我々の存在まで気がついてしまいますよ」
「なるほど」
「それに苦労して自分達で謎を解くからこそ、それは真実になるのですよ。まぁ気がつかなければ、その程度の人間だったという事ですからね。どちらにせよ気にする事はありませんよ」
重大な報告だと思い、男は急ぎ駆けてディエスの元へ駆けてきた。
しかし、ディエスはその報告すら、笑顔と共に楽しげに聞くだけであった。
「ああ、もう帝国への支援は打ち切って構いませんよ?ですから、部下達と共にゆっくりとお休みを取っては如何です?予定より早く事は進みました。お金でも美しい女性でも欲しいものなら何でも用意しますよ」
ディエスは机の上に置いてあった紙とペンを差し出し、コンコンと紙を叩く。
それは、欲しいものを好きなだけ書け。というディエスの計らいであった。
「……ですが」
「いいのですよ。貴方の忠誠を疑っているのではありません。私の感謝の気持ちです。時がたてば忙しくなります。その時に存分に力を振るって頂く為の準備だと思ってください。この通りです」
ディエスは軽く頭を下げ、男に願う。
その状況に黒服の男は困惑しながらも、断るのも失礼だと思い紙に自分やその部下が喜びそうな物を書いていく。
「わかりました。直ぐに用意しますよ。楽しい休暇にしてくださいね」
「はっ!」
黒服の男はまだ熱い紅茶をグイっと飲み干す。
飲んだ直後に蒸せていたが、そんな事は気せず一刻も早く部下達の下へ知らせに行きたい。
そんな様子だった。
それに気がついたディエスは笑いながら男を送り出す。
「……面白い。想像とまるで違いますよ。やはりニホンの方は本当に素晴らしいですね、適度に苦難があり、沢山の人から愛され、それを無自覚に幸せに生きていく。そんな夢のような人生を過ごしてきたのでしょうね」
男が去り、残された部屋でディエスは楽しそうに呟く。
そして、自分の想像していた筋書きを書き換えた原因である一人の青年を思い浮かべながら。
「幼い頃、いえ、生まれた時から喜怒哀楽。様々な感情を刺激し鍛えてきた。おかげでこの世界の人間と比べ、はるかに魔力の許容量が大きい。器としては最適です。苦労して召還した甲斐がありましたよ」
そして、もう一人。
部屋に残っていた少女の方へ歩み寄り、ディエスはポンと少女の頭に手を載せる。
艶のある少女の黒髪はデェエスの指の間にサラサラと溶けていく。
良く見れば少女の着ている服は薄く透け、下着を身につけていない裸体をそのまま晒していた。
膨らみかけた蕾がその薄い服押し上げ、その薄い服は少女の白い肌を妖艶な色へと変えている。
「後は貴方の中を力で満たすだけです。もう少しお待ち下さいね。ノガミ ミクさん」
ディエスはいつものように優しく微笑む。
ただ、少女は人形の様に虚空を見つめ続けるだけだった。
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