第35話【間章3】

「やあ、久しぶり。と言えばいいかな」

「え?どうして……」



リュンヌさんに連れてこられた場所。

そこは人気の無い建物の一室だった。


ここまで来るのにも何回も遠回りをした事から普通ではないとは分かっていたけど。

そこには意外……というか、想像すらしていなかった人物がいた。



「今日はお願いしたいことがあってね」

「ヴェルナー王子にアリシア隊長まで……いったいどうしたんです?」



この国の王子に、クリティア姫の近衛隊長。

二人はこんな場所にいる人物ではないはずだ。



「すみませんが、フィス様以外にはご遠慮頂きたいのですが」

「フィス様?!」



思わず声を上げてしまった。

アリシア隊長が僕の名を”様”づけで呼ぶなんて。


ダメだ。鳥肌が立ちそうだ。



「辞めなさい。お願いをするの我々だ。その態度は失礼だよ」

「……っ、申し訳ありません」



ヴェルナー王子の言葉に従うように、隊長は頭下げ数歩後退する。


うわぁ……

らしくない。


本当にアリシア隊長らしくない。



「本当にどうしたんですか?」

「そうだね。あまり時間を取らせても申し訳ない。早速だけど話を初めてもいいかな?」



僕が頷くのを確認して、ヴェルナー王子はゆっくりと話し始める。


その内容は衝撃的な物だった。


まずクリティア姫が処刑されるという話から始まり、その理由、そして姫を処刑しない限り、帝国との戦争が始まってしまうという信じられないような話がヴェルナー王子から語られた。



「……せっかく助けたのに、今度は国がクリティア様を殺すんですか」

「そうだね」



淡々と答えるヴェルナー王子。

その言葉や仕草に、沸々と怒りが湧いてくる。


せっかく命を賭けてまで助け出した人が今度は味方から殺されるなんて、ありえないよ。

声を荒げて反対したい位だ。


でも、内容は理解できて……しまう。


例え、クリティア姫を無理矢理助けたとしても、間違いなく戦争が起きる。


そうなれば、この国に来るまでに見てきた様々な町や村が今以上に荒廃していくだろう。

直接戦争に巻き込まれて死ぬ人は勿論、奴隷、餓死や孤児になる子供も沢山発生し、本当に地獄のような国になってしまう。


そんなのきっとアィールさんも望んでない。



「でも、話が見えません。僕にどうしろと?」




……だからもう、詰んでる。

最早、僕に出来る事なんてないじゃないか。



「クリティア様を攫っていただきたいのです」

「え?」



我慢しきれない。

そんな感じで横から口を挟んできたのはアリシア隊長だった。



「あの言ってる意味が……ちょっとわから」

「ですから!処刑される直前に民衆の目の前でクリティア様を攫っていただきたいのです!これはフィス様にしか出来ない事でなんです!」



理解出来ない僕を置いて、アリシア隊長はどんどん語気を強めていく。



「ちょ、ちょっと待って下さい!それって助けるって事と同じですよね?」



慌てて僕はアリシア隊長を止める

クリティア姫を無理矢理助けても、意味が無い。


戦争が始まってしまうって今ヴェルナー王子が今説明したばかりじゃないか。



「全然違うんだ。これは奴隷王の名を持つ君にしか出来ない事なんだよ」

「はぁ……えぇ?」



今度はヴェルナー王子が、小さく首を振りながら答える。


訳が分からない。

僕の頭が悪いせいなんだろうけど、本当に分からない。



「要するに、フィス君には一人の犯罪者となってクリティアを誘拐して欲しいんだ。この国は勿論、帝国をも敵に回してね」

「犯罪者……ですか?」

「うん。国や法に縛られないただの犯罪者となってね。ただ、それを実行すれば、帝国は勿論。この国からも追われる身となるよ。多額の懸賞金も賭けられてね」



やっと理解出来た。


凄い事を言われている。

要は、僕に王族を誘拐する大罪人になれって事だ。



「……いい加減にしろよ?」



ポツリと響く。

それは、今まで黙って話を聞いていたルーチェが発した声だった。


声だけで分かる。

ルーチェ本気で怒ってる。



「今まで散々邪魔者扱いして、怪我させて、虐め抜いて……フィスの実力が分かった途端、掌を返して今度は助けて下さい?それだけならまだしも、今度はさらに犯罪者になれだ?ふざけすぎだろ!!」



言葉を重ねる度にルーチェの声と怒りが増していくのが分かる。



「それは分かっています!自分が何を言っているのかも。どれだけ恥知らずな事なのかも。ですが今はフィス様に頼るほかありません!」



ただ、アリシア隊長も声を荒げ、必死な様子でルーチェに正面から向かっていた。

正直、ちょっと怖い。


僕が怒る隙もなくなってしまった位に。



「何言ってんだ!!そんな事をしたらフィスはこれから一晩だって安心して眠れなくなるんだぞ?!アンタは安全な場所で、安眠できるだろうから、分からないだろうけどな!!」

「そんな事わかってます!だから、私も騎士を辞めフィス様に付いていき共に罪を背負います。私で出来る事なら何でもします!クリティア様を救って頂けるのであれば、この身を捧げ一生をかけてでも!!」

「なっ……」



正面からの言い合い

その勝敗は、アリシア隊長に傾いたようだった。


ルーチェは顔を赤らめて黙り、アリシア隊長は肩でフーフーと息をしている。



「あのぉ……」



その二人の戦いを見終え、僕は遠慮がちに声を上げる

決して、その二人に割って入るのが怖かったからじゃない。



「……お話しはわかりました。でも、お断りします」

「しかし、それではクリティア様は!」



僕の言葉に、アリシア隊長は縋る様に見つめてくる。



「僕がクリティア様を助ければ当然ルーチェも巻き込んでしまいます。ルーチェを巻き込み不幸にする真似は僕には出来ません」



僕は今までルーチェと共に行動してきた。

もう、立派な関係者だ。


ここで僕が国からも帝国からも追われる大罪人になれば、ルーチェもただじゃすまない。

この世界は僕が考えるより何倍も残酷なんだから。



「酷い願いだとは、理解しています……ですが、貴方に見捨てられたら、もう頼るところなんて……」

「そこまでにしなさい。こんなお願い頼むほうがどうかしているのだから」



粘るアリシア隊長をヴェルナー王子が戒める。

ただ、ヴェルナー王子の視線はアリシア隊長ではなく、リュンヌさんに向けられている気がするけど。


まぁ、リュンヌさんは下を向いたままで動かないので、気のせいだと思う。



「この件に関しては、僕らに正義は無いよ。フィス君が判断することだ」

「……はい」



アリシア隊長は小さく答え、肩を落とし落胆していた。



「最後に一つだけ、この件は口外しないでくれると嬉しいな」

「ええ、勿論です」

「ありがとう」



ヴェルナー王子はそう告げると、アリシアの肩を叩き建物から出て行った。



「……良いのか?」

「うん。これでいいと思うんだ」



正直に言えば、僕は納得はしていない。

でも、僕のこの判断が間違っていたとは到底思えない。



「……ちょっと外で剣を振ってくるね。先に宿に戻ってて」



僕はそういい残し、一人建物を後にする。

剣を振り、疲れ果てればきっと何も考えなくて済む。


そして、泥のように眠り、時間さえ経てばきっとこの問題は解決する。



「フィス……」



ルーチェの声が僕の背中に届いた気がしたけど、扉のパタンと閉じる音がそれを掻き消してしていた。





「何を言ってるんだよ?断るって言ったじゃないか?!」

「本音を言えよ。助けたいんだろ?」

「そんなこと無い!!これでいいんだって!仕方ないんだって!!」



我慢出来なかった。

つい大声を上げてしまった。



「分かってる?ここでクリティア姫を攫えば、僕もルーチェも大罪人になるんだよ?この国からも帝国からも追われる身になる。それを本当にわかってるの?」

「分かってる」

「全然わかってない!王族を攫った犯罪者とその協力者だ。捕まれば殺される。どんなに良くたって奴隷落ちしかない。もし、ルーチェが奴隷落ちしたらどんな目に合うか!!」



というのも、ルーチェが突然クリティア様を誘拐しに行くとか言い出すからだ。


剣を振り終え宿に戻ったら、夕食の献立を聞く様な気軽な感じで。



「でも、フィスが守ってくれるから問題ないだろ?」

「僕はそんなに強くない!!」



無理だ。

僕は弱い。

それは誰よりも僕が一番分かってる。


この世界にきてから、一人で誰かを救えたことなんて一度も無い。

それどころか、僕一人だったら、何度命を落としているか分からない位だ。



「いいか。俺はどんなに不幸になろうとフィスと一緒にいれればそれでいい。隣でフィスが笑ってくれるだけでいい。でも、ここで姫さんを諦めたらフィスはきっと一生後悔するだろ?心の底から笑えなくなるだろ?」

「それは……」



そんなこと無い!

そう答える事は出来なかった。



「即答出来ないだろ?なら、それが答えだ」



ルーチェは笑っていた。

ただ、どこか寂しさを感じてしまう表情で。



「フィスの思ってる事なんて手に取るように分かるぞ。俺の事を思ってくれるのは嬉しい。だけど、俺の為に自分の信念を曲げることはしないでくれ。それは俺にとっても重荷だ」

「嘘だよ……だって、ルーチェは前に王城から僕を連れ出そうとしたじゃないか……」

「そうだな。あの時はあの時だ。俺はコロコロ意見が変わるからな」



ルーチェはばつが悪いのか、すこし苦笑いを浮かべながらゆっくりと僕に近づいて来る。



「でも、俺はお前がどれだけ辛い思いをしてきたか全て知ってる。そしてアィールの旦那がフィスの中でどれだけ大きな存在になっているかもな」



ルーチェは僕の目の前までやってくると。汗をかいた僕の鎖骨にコツンと額を当てる。

女性としては短い髪の毛が僕の体にピトッとくっついていく。



「フィスは強いよ。俺だけじゃない。この世界を守れるくらいフィスは強い」

「そんな事」



絶対にない。

そう反論しようとした僕の口を、ルーチェは背伸びして優しく塞ぐ。



「でも、俺達は知ってるだろう?どうしようもない、誰も助けてくれない絶望的な状況で差し伸ばされる手がどれだけ暖かいか」



ルーチェの暖かい唇が離れ、その少し湿った唇から紡がれた言葉は、僕の心に簡単に染み込んでいく。


この世界に来てアィールさんから差し伸ばされた手。

確かに、それは何よりも暖かく、そして何よりも眩い希望だった。



「フィスはその手をアィールの旦那から差し出されたんだろ?そこから全てが始まった。だから、フィスがアィールの旦那に恩返しをしたいのであれば、その手を今度はフィスがあの姫さんに差し出してやる事じゃないのか?」



その言葉は、容赦なく僕の心を叩いてくる。


どうしたら命を懸けて救ってくれたアィールさんに報いる事が出来るか。

そればかり考えてきたけど、ルーチェの言葉が一つの答えのように思えて仕方なかった。



「悩むなら行動すべきだと思うぞ?お前は馬鹿なんだから考えるなよ」



考え込む僕を見て、ルーチェは優しく笑っていた。


きっかけはほんの些細なことだった。


唇を重ねた。

たったそれだけ。



「でも、ルーチェ絶対死なない?絶対僕を置いていかない?」

「いきなり何言ってんだ?」



ルーチェは苦笑していた。

僕だって分かってる。


脈絡の無い言動。

関係ない言葉。


でも、それは僕の心の奥底に眠っていた塊みたいなもので、僕の意思とは関係なく一気に噴き出してくる。



「本当に?絶対にやだよ。本当だよ?もう、大事な人がいなくなるのは絶対に嫌なんだ」



僕自身考えてすらいなかった言葉が涙と共に溢れてくる。



「一人残されるのはもう耐えられないよ。どうやって償えばいいか、何をすれば許されるか。そんな事ばかり考えてしまうんだよ?それは本当に何よりも辛いんだ」

「そっか、お前……」



ルーチェは少し考えた後、優しく微笑む。



「俺は絶対フィスを置いていかない。神にでも何でも誓ってやるよ」

「……本当?」

「ああ、絶対だ。もし、俺がフィスより先に逝く事になれば、俺がその前にフィスを殺してやるよ」

「……えぇ?何言ってるの?」

「確かに意味分からないな」



不意に、笑って……しまった。

意味の分からない、歪な約束。


でも、その約束は不思議と何よりの安心を与えてくれた。


簡単な事だった。


将来の不安とか、僕に出来るか分からない事を幾ら悩んだって解決はしない。


ただ、最後の覚悟さえ決めてればいい。

そうすれば、どんな道でも歩める。


ルーチェと共に死ねるなら、それはきっと幸せな事だと思う。



「……約束だよ?絶対だからね?」

「大丈夫だ。任せろって」



僕はルーチェをしっかりと抱きしめる。

自分よりも小さなルーチェの柔らかい体を。


絶対にこの人だけは守ると誓いながら。

そして、その誓いが破られる時は、僕の命が尽きる時だとも。


そう覚悟を決めてしまえば、何も怖いものは無い。



「腹は決まったのか?」



どれだけの時間ルーチェを抱きしめていたのか分からない。

流れていた涙も乾き、手はもちろん足先まで暖かくなった所で、リュンヌさんの声が僕とルーチェの間に割って入ってきた。



「……はい」



なんだろう。

心の奥底がすっきりしている。


何も考えなくて済むように、キツい訓練してきたのに体も心も凄く軽い。



「なら、私が話はつけてこよう。ただフィス、お前には少し演技をしてもらう事になるぞ?」

「演技?」

「そうだ。姫を助け、現状を打破する最善の方法だ。ここまできて後から出来ませんとは言わせないからな」

「えぇ……?」



リュンヌさんは不適に笑う。


なんだろう。

凄く悪い笑顔なんだけど、とても心強い。


そんな気がした。

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