第32話

「農業!」

「似合わない」

「漁師!」

「ダメだ。あれは危ない!」

「……じゃあ、剣闘士?」

「論外」



冷たい目でルーチェは僕を睨む。

そんな目で見なくてもいいじゃないか……



「じゃあ、僕は何をすればいいのさ?」

「んー……」



ルーチェは考え込む。

僕らは城下町の宿でこれから何をするか話していた。


というのも、僕は近衛隊から正式にクビになった。

そして、クリティア姫を守るというアィールさんとの約束も果たした。と思う。


だから、荷物の回収と今後どうしていくか?という点について話していた。

ただ、僕のやりたい事。ではなくて、僕は何が出来るのか?という事についてだけど。


やりたい事はある。

でも、それにルーチェを巻き込むことはしたくない。



「やっぱダメだな、俺が働くからフィスは家で待ってろよ」



それが、ルーチェが考え抜いて出した答えだった。



「……ヒモ男のダメ人間」



それを聞いていたリュンヌさんがポツリと呟く。


ですよねー。

僕もそう思ってましたもん。



「そ、それは嫌かな!僕も何か働くよ」



やっぱり何かしないと!

ルーチェを働かせて、僕が何もしない訳にはいかない!



「無理だろ。フィスは常識ないし」

「すぐ騙されるしな」



でも、二人は容赦なく僕の心を折りに来る。


なにこれ……

事実だから余計に心に来る……



「とにかく、フィスには農業とかそういうのは似合わねぇよ。だから、俺が稼ぐ。フィスはこの世の中の事を知らな過ぎるからな」

「う~ん……」



確かに。

僕はこの世界の常識を知らない。


下手な話、食べる食事の料金すら分からない有様だ。



「働かない。家事も出来ない。常識も知らない。終わってるな」

「うっ……」



リュンヌさんの容赦ない言葉。


でも、確かにそのとおりだ。

僕はこの世界の常識どころか、料理の一つだってろくにを作る事すらできないんだから。



「なら、まず料理から覚えるよ!」

「えっ?」

「うん、出来ることを一つづつ増やしていく。掃除も洗濯もひとつづつね」



ルーチェもリュンヌさんも唖然としてる。


……ちょっと失礼じゃないかな。

確かに出来ないかも知れないけど、それはやってみてからの話だ



「フィスが家事をやるのか?」

「出来る……とは言えないけど、頑張るよ!」

「……男なのに料理に洗濯を覚えて頑張るのか?」



そんなに才能無い様に見えるかな……。

まぁ、料理だって裁縫だって家庭科の授業で習った位だから、いつもこなしているルーチェとは比べ物にならないとはおもうけどさ……。



「やっぱり。変な奴だなフィスは」



一瞬の間を置いて、ルーチェはシシッと笑う。


あっ!笑ったな!

なら、絶対やってやる!


きっと、ルーチェが驚く位凄い物作ってみせるよ!



「ま!頑張ってみろよ!!」



バン!と背中を叩かれた。


痛い。

でも、心地いい痛みだ。


うん。決めた!

出来ることは少ないけど、一歩づつやってみるよ!



--■----------------------------------------------



「クリティアは今自室にて謹慎させておる」

「頭が痛いね……」

「こんな理不尽な要求を呑む必要がありません。戦う他ないでしょう」




王城では重苦しい雰囲気の中、議論が交わされていた。

その会議の参加者は4名。


王と王子2名。

そして、宰相。


いずれもこの国で最高峰の力と権限を持つ人間が集まっていた。



「帝国と戦うという選択肢はありえないよ。しかもこっちから仕掛けるなんて尚更ね。となれば僕達が選べる選択肢は一つしかない」



そう発言したのは第一王子であるヴェルナーであった。

クリティアの兄であり、この会議の中心的な人物。



「選択肢とは?」

「帝国の要望どおり、クリティアを処刑するしかない」



ヴェルナーの発言に全員が言葉を失ってしまう。

それほど、その言葉は皆に衝撃を与える物だったから。



「クリティア様を殺すというのか?!!」



ダンッ!と机を叩き、その静寂を破ったのは宰相だった。

皺のある顔を歪め、枯れたような体からは考えられないくらいの声量でヴェルナーに怒鳴りつけていた。



「うん、今回の件、非はこちらにしかない。むしろこれで済むなら安いものだよ」



ヴェルナーはそれを気にした様子も無く淡々と返す。

その声は宰相とは真逆。


とても穏やかで、そして冷たかった。



「……実の妹を見殺しにしてか?」



ヴェルナーと宰相。

その二人の会話に割って入ったのは、第二王子であるエルハルトだった。


エルハルトは戦争後、突如湧き出した魔物を討伐する為に兵士を連れ各地を遠征し、束の間休暇を兼ねて王城に戻っていた所であった。



「うん。クリティア一人の命で何万もの民の命が救える。比較するまでもないね」

「本気で言ってんのか?」

「勿論、本気さ」



エルハルトはヴェルナーの目を見つめる

その真意を少しでも推し量るように。



「私は反対ですぞ!!皇女であるクリティア様を見捨てるなど!!」



宰相は声を荒げ二人の会話を上書きする。



「いいかい。僕だって好きで言ってる訳じゃない。今回の件は明らかに分が悪いから言っているんだ。帝国からの言い分だけを確認すれば、クリティアが国境を破り帝国領であるトゥテレの町へ入り、人々を虐殺したという事になる」



優しく穏やかな声でヴェルナーは言葉を紡ぎ続ける。

まるで子供に言い聞かせるように。



「勿論、それは事実じゃない。でも、そんな事はどうでもいい。問題は王族しか持ち得ない指輪とクリティア直筆の虐殺を指示した手紙を帝国が証拠として持ってきたという事実だ。対してこちらはなんの証拠も無い。この状況で、僕の方法以外に選べる選択肢はあるのかい?」



そのヴェルナーの問いに答える者はいない。



「はっきり言うよ。向こうは開戦のきっかけを探しているにすぎない。だからこそ、こんなにも早く帝国からの使者が来た。それが事実だよ。そして今僕らには戦う力なんて残っていない」



クリティアが城へ戻ってまだ3日しか経過していない。

にも関わらず、帝国からの使者がやってきた。


そして、彼らはクリティアの処刑を主張した。


理由は明確。

クリティアが私兵を使い、自国の民を虐殺した。

その罪を問う。という物だった。


勿論、確固たる証拠とかなりの数の護衛を伴って。



「し、しかし、王族を処刑するなど聞いたことがありません、そんな事をすれば王家。いえ、国への忠誠が無くなってしまうかもしれませんぞ?」

「国への忠誠ね……」



少しうろたえた様子で言葉を発する宰相を、ヴェルナーは目を細めて見つめる。



(どの口が言うんだろうね。本当に)



ヴェルナーは思う。

ただ、その疑問を口にすることは無い。


なんの確証も無しに宰相を追及すればそれは自分の落ち度にしかならないと理解しているから。



「今はもう議論している場合では無いんだ。帝国の反戦派だって、これだけの証拠を出せば黙らざる負えないだろうしね。ここで断れば帝国の戦いは避けられないよ。そして戦いになれば確実に負ける。それは分かるでしょ?」



そのヴェルナーの冷静な言葉に誰も反論する事が出来なかった。



「……そうだな。ここで反発すれば相手の思う壷か」



エルハルトは唸るように同意する。


エルハルトは、今は国を維持するだけでも精一杯だとだれよりも痛感している。

毎日どこからともなく沸いた魔物と戦い、国内の治安維持を必死に担っているエルハルトだからこそ。



「やっぱり……慰問なんて行かせるべきじゃなかった。なんとしても止めるべきだったよ。想像を超える結果だよ」

「あいつが悪い訳じゃない」



少しムッとしてエルハルトは言い返す。

まるで全てクリティアが悪いと言いたげな、ヴェルナーを嗜めるように。



「本当にそうかい?見張りの目を掻い潜り、ただ村で会った子供の願いを聞くなど正気の沙汰ではないよ。愚かさも極まったという感じだ」

「あいつは……優しいだけだ」

「優しい?」



エルハルトの言葉に、それまで穏やだったヴェルナーの口調が変わる。



「何万もの民の命を危険に晒す人間がかい?!考えも無い愚鈍な優しさは狂気の殺人より厄介だと分からないのかい?!」

「あいつだって好きでやった訳じゃない!」

「一人の町娘ならいいだろう。だがクリティアは皇女だ。それなりの振る舞い、考え方を持たなければいけない。個ではなく全体を考える。それは皇族としての勤めだ!それを放棄すれば、そのつけを臣民が払うことになる!今回の様にね!」

「だが!!」

「そこまでだ!!」



そう叫んだのは王だった。

王子二人の言い争いを、二人の父である王が止めていた。



「この件はワシが預かる。今日は解散せよ」

「ですが!」



それでも、ヴェルナーは食い下がる。



「なら、お前だけここに残れ。愚痴はたっぷりと聞いてやる」



王はそう宣言し、会議の解散を命令する。

その言葉に従うように、ヴェルナーはその場に残り、エルハルトと宰相は部屋から出て行った。



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「お兄様?」

「クリティア。少しいいかな?」

「……私は謹慎のはずですが」



謹慎中のクリティアの自室。

そこには意外な人物が訪れていた。



「ここに来たことは内密にして欲しいかな?」

「……どうぞ」



クリティアは訪ねてきた人物を自室に招き入れる。


訪ねてきた人物。

それは、第一王子であるヴェルナーだった。


クリティアはヴェルナーに椅子を勧め、ヴェルナーは軽く会釈しその椅子に腰掛ける。


一つの机を挟んで座る兄妹。

その二人の間に流れる空気はピンと張り詰めていた。



「率直に言うね。国、いや、父さんの為に死んでくれ」

「はぁ?」



意図しない声がクリティアから漏れる。

ヴェルナーの言っている事がまるで理解出来ない物だったから。



「君の行動のせいでこの国は再び戦争を仕掛けられそうになっている。それを回避したいんだ。だから死んでくれないかな?理由は君の指輪と手紙といえば大体は分かるよね?」



時間の経過と供に、クリティアの頭にヴェルナーの言葉が入ってくる。

そして、理解すればするほどクリティアの全身から血がサァーと抜けていく。



”冗談ですよね?”



その言葉をクリティアは言う事が出来なかった。


ヴェルナーの視線、態度、そして声のトーン。

そしてクリティア自身、思い当たる事もある。


その全てがヴェルナーが冗談を言っている訳では無いことを示していたから。



「帝国から君を処刑するように要望が来ている。僕はそれに従おうと思っているんだ」

「……従わなければ?」

「もう一度戦争が起きるね。そして沢山の人が死に、村や町は荒れ果て、この国の男は労働力として奴隷に、女、子供は売り物にされるか飢えて死ぬだろうね」



ヴェルナーは冷静に告げる。

その言葉には、誇張も無ければ、嘘もない。


ヴェルナー本人が確信している事そのままであった。


それは何よりもクリティアの心を深く鋭く突き刺していた。



「……それが父上の為ですか。確かに、心労を和らげる事位は出来るでしょうね」



フッと笑い、出来るだけ嫌味を込めてクリティアは言う。

それが自身の出来る最大の抵抗だと知りながら。


どうして自分だけがいつもいつもこんな目に合うのか。

クリティアはそう思わずにはいられなかった。


皆からは煙たがられ、肉親である兄弟からは死ねといわれる。

優しくしてくれた母親やクレセントはもうこの世にはいない。


どうして自分ばかり、こんな目にあわなければいけないのか。

その思いは時間と共に大きくなり、クリティアを深い闇へと押し込んでいく。



「違うよ。父上は君の為、自身の首を差し出そうとしてるんだ。王である意味も忘れてね」

「えっ……?」



その言葉は、暗く染まったクリティアの心に少しだけ光を灯す。



「父上はこの国の王だ。この国の民の頂点に立つ人間。にもかからわず、父上はクリティア。君を優先しようとしてるんだ。文字通り命を賭けてね」

「そんな……」



王族は個を殺し、全体の為に行動せよ。


父である王がクリティアに数え切れない位言ってきた言葉。


クリティアはその言葉が嫌いだった。

反感を覚え、反抗したことは、一度や二度ではない。


でも、どれだけ反抗しようと、父は王としての姿勢を崩さず、常に国の為に行動してきた。

クレセント兄様が殺されたときも、クリティアがどれだけ説得しても決して動かなかった。



「はっきり言うよ。父上らしくない間違った決断だ。まず、帝国への属国だと宣言するような行動を取ればこの国は荒れる。ただでさえ、帝国に不満を覚える人間は多いんだ。例え、今回帝国が攻めてこなくてもこの国は瓦解するだろうね」

「……そう……ですか」



その通りだと、クリティアも思う。

たぶん、父もそれは理解しているのだろうとも。


それでも、自分の為に父は矜持を曲げようとしてくれている。

王としての苦労を間近で見てきたクリティアにとってその事実はなによりも嬉しい事だった。



「どちらにせよこの国は終わりだ。君が生きている限りはね」



ヴェルナーは冷酷に告げる。


その言葉に、クリティアの心が震える。

ただ、涙を流す事だけはかろうじて避ける事が出来た。


いったい自分が何をしたのか。

何故こんな目に合わなければいけないのか。


抑えても抑えきれない、どうしようもない気持ちが湧き上がってくる。



「わかりました」



でも、それ以上に父を殺す訳にはいかない。

それは子供として、娘としの最低の勤めだと思ったから。


個を殺し、全体の為に勤める。

父が当たり前のように判断し、行動してきたことの辛さが今になって初めて実感できる。



「……分かりました。この場で命を絶てばよろしいでしょうか?」



クリティアは大きく息を吸い背筋を伸ばして言う。

それでも、声が震える事だけは我慢できなかった。



「いや、公の場での斬首でないと意味がない。見せしめの意味もあるからね」

「何時……ですか?」



ヴェルナーはそんなクリティアの様子を気にすることなく、淡々と役目を語る。

それは、壊れそうなクリティアの心を容赦なく砕いていく。



「明日だ。段取りは私の方でやっておく。時間が経てば邪魔が入りそうだからね。くれぐれも誰にも言わないように。今日この事を話したのは僕は君の兄としての最後の手向けだ。どうか裏切らないでほしい」

「はい。ご配慮……ありが……とう……」




クリティアは、最後まで言葉を紡げなかった。

ただ、涙が溢れ、膝を地面に落としてしまう。



「クリティア。君の判断に感謝するよ。皮肉かもしれないが、成長したと僕は思うよ……本当にありがとう」



ヴェルナーは、床に頭を垂れるクリティアに一礼する。

そして、泣き続けるクリティアに背を向け、部屋を後にした。



「怖い……」



誰もいなくなった部屋。

クリティアのすすり泣く声だけが響いていた。



「……どうか助けて……クレセントお兄様」



明日、自分は死ぬ。

そんな恐怖の底。


その場所で無意識に頼ったのは、今は存在しない心から信頼できる人だった。

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