第31話
「あれは……?」
まだ体温すら感じそうな生々しい死体。
それがルーチェの周りに数え切れないほど転がっている。
その中で唯一、地面に足を着け立っている集団があった。
当然、死体しかないこの草原ではその一団が何より目立つ。
敵なのかもしれない。
そんな疑惑が湧き上がるが、ルーチェは即座に地面を蹴っていた。
一刻も早くフィスの安否を確認する為に。
「おや?お知り合いですか?」
「アンタ達は?」
荒い息と疲労を隠しルーチェは尋ねる。
呼吸を整えたい衝動を抑え酸欠で倒れそうになる自分の体を叱咤しながら。
男達は黒い布で顔や体を覆い怪しさ満点の格好をしている。
ただ、敵とは思えなかった。
フィスを地面に寝かせ、その周りを警護するように囲っていたから。
「ああ、ご安心を。命に別状ありませんよ。すでに手当は済んでおります」
周りの男達とは違うゆったりとしたローブを羽織った男。
その男が優しい笑みを浮かべ、柔らかい物腰で答えていた。
普段ならこんな状況で合った初対面の男などルーチェは絶対に信用しない。
簡単に人を信用すれば手痛いしっぺ返しを受ける。
それを経験から学んでいたから。
「本当か?」
ただ、ルーチェは迷うことなくフィスに近づく。
騙される事などよりも、フィスの安否の方がはるかに重要であったから。
「……よかった」
フィスは規則正しい寝息を立てていた。
ルーチェは息を吐き、安堵する。
吐いた息と共に、体の疲れも一気に押し寄せていた。
ルーチェは地面に倒れこむように座り、フィスの頭をそっとひざの上に乗せる。
そして、ゆっくりとフィスの顔を撫でる。
周りの目など気にすることも無く。
「貴方がルーチェさんですか?」
「え?何で俺に名前を」
「フィスさんが死の淵を彷徨いながら、何度も何度も呟いていましたから」
「そう……なのか」
馬鹿。
ルーチェは心の中で文句を言う。
ただ、その文句はフィスが目覚めてから何度でも言ってやろう。
ルーチェは優しく微笑みながら、そう誓っていた。
「あまり無理をさせないで下さいね。1人でこんな大勢と戦うなんて無謀過ぎますよ?」
「もしかして、これ全部フィスが?」
正確には分からないけれど、この辺りには3桁近い数の死体がある。
これを全てフィスがやったとしたら、はっきり言って異常だ。
「ええ、殆ど一人で片付けたようですよ。本当に酷い状態でした。体はボロボロ。魔法治療や解毒剤が無ければまず助かりませんでしたよ」
ローブを羽織った男の言葉。
それだけで、フィスがどれだけ無理をしたのか容易に想像が出来る。
腹が立つ。
なんでもっとフィスは自分を大事にしないのかと。
その思いはフィスを撫でていたルーチェの手に無意識に力を込めさせていた。
「おや?フィスさん苦しそうですよ?」
「あっ!」
ルーチェは慌てて手を離す。
確かにフィスは、ルーチェの手の中で苦しそうに悶えていた。
「ふぅ……」
ルーチェは小さく息を吐く。
フィスを助けに来て、止めをさしたのでは流石に笑えない。
「あの、本当にありがとうございます。お金なら幾らでも用意します!」
「いえ、必要ありませんよ。ここで死なせるには惜しい人材だと思っただけです。だからお金などいりません」
ルーチェにローブの男は笑いかける。
まるで親しい友人に語りかけるかのように。
その男の言葉に、ルーチェは疑問を持つ。
フィスに知り合いなどいない。
フィスはこの世界に来てすぐに奴隷となり、ルーチェや剣闘士達以外とは全くといっていい程交流が無い。
それなのに、この男はフィスの事を知っている。
いや、そもそも何故この場所にいるのか?
何故都合よく回復魔法と解毒剤を用意していたのか?
様々な疑問が湧き上がるが、その疑問をルーチェは頭の中から追い出す。
今はフィスが助かっただけでも十分だ。
それに、フィスの恩人に対して無闇に詮索するべきではない。
ルーチェはそう判断し、ローブの男に深く頭を下げ感謝する。
「運命……なのかもしれませんね」
「へ?」
ルーチェは呆けた返事をしてしまう。
あまりにもローブの男の言葉が予想外だったから。
「フィス君は命を落としてもおかしくない状況に何度も遭遇しその全てを潜り抜けています」
「……そうですね」
「彼はきっと生き残る。そんな運命が定められているのかもしれません」
「そう……だといいですね」
「ええ、運命が味方する。それは普通の人ではどんなに願っても得られない物だと思いますよ」
思い当たる事は無数にある。
フィスが死んでも可笑しくない状況だったのは一度や二度ではない。
運命的な何かがフィスを助けていると考えても不思議ではない。
でも、ルーチェはフィスがもうそんな目に合わないように願う事しかできなかった。
「おや?新手ですかね?」
黒服の男達が周りを固め明らかに警戒していた。
彼らの視線の先のには土煙を上げ、近づいてくる一団があった。
「あれは俺の仲間です。敵じゃありません」
ルーチェは慌てて弁解する。
土煙を上げて近づいてくるのは、リュンヌ達だった。
「そうですか。では、もう大丈夫でしょう。私達は忙しいのでここで失礼しますよ」
ローブを羽織った男は、周りに指示を出し黒服の男達は馬に跨りその場から離れていく。
素早く、統制の取れた動きだった。
「あ、あの!名前は?」
ローブの男は一瞬足を止める。
そして、少し考えた後。
「ディエス……そう言えば、フィスさんならわかりますよ」
ディエスは笑顔を称えたまま、ゆっくりと告げた。
「こんな姿だから礼は言えないけど、フィスもきっと感謝してると思います」
「そうだと嬉しいですね。では」
ディエスは軽く会釈し、回りの男達を伴ってその場から去っていった。
その姿が見えなくなるまで、ルーチェは頭を下げ続けていた。
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「何故生かしておくのですか?」
顔に黒い布を巻いた一人の男。
その男は馬をディエスに寄せ、自身の疑問を投げかける。
「もう器は必要ありません。予備と考えても、最悪連れ去ってしまった方がよかったのでは?」
「彼は力で繋ぎとめておける人材ではないでしょう。その方が我々にとっては重荷になってしまいますよ」
「ならば、両手、両足を切り落として監禁すれば……」
その男の質問にディエスは答えなかった。
慣れない馬の操作に苦戦しているのか、”よっ、ほっ”と小さく声を上げるだけだった。
「っと、すみませんね。確かに、その手もありましたね」
「では、早速……」
男は今からでも遅くは無い。
そう言わんばかりに、下げていた剣の柄に手を置く。
「まぁ、それには及びませんよ、っと。どうどう。よしよし、いい子だ」
ディエスは馬を優しく撫でる。
ただ、馬はそれが気に入らなかったのか、乱暴に首を振りディエスを落とそうとする。
それを見かねた男は剣の柄から手を離し、ディエスの乗る不機嫌な馬の手綱を取り制していた。
「ああ、ありがとうございます」
ディエスは男に会釈する。
「心配はいりませんよ。彼は絶対的な正義にも似た信念を持っています。どんな欲望にすら負けない強い信念を。そういった人材が味方につけば心強いと思いませんか?」
「ですが、あの者は味方という訳では……」
男は困惑する。
まるであのフィスという青年が仲間になる。
そんな確信をディエスが持っている事に。
「ふふ、気が付きませんか?フィスという青年の本質。彼は既にこちら側の人間です。自身の正義のためなら、どんな犠牲も方法も厭わない。後は彼の正義が我々と同じ方向を向くか?というだけですよ」
「しかし……」
ディエスの言っている事は、あくまで可能性の問題。
そんな不確かな根拠で、行動するなどありえない。
「心配ですか?大丈夫ですよ。彼は尋常ではない強い力を持っています。そして、その行き過ぎた力は人を嫉妬させ、その嫉妬はいつしか刃となり彼に向かうでしょう。そして、彼の大切な物を容赦なく奪う。その時、彼がどういう決断をするか。そう考えれば十分に勝算のある選択だと思いましてね」
「……なるほど」
ディエスの言う事には一理ある。
あれだけの強い力。
その強すぎる力は確実に嫉妬を生む。
それが大きな組織の中であれば尚更。
そして、その嫉妬が刃に変わるのに大して時間は掛からないだろうという事も。
「それにもし、彼が敵となった時は私が責任を取り全力で叩き潰します。彼の一番大切な物と弱点を知る事が出来ましたから。私は負けませんよ?」
ディエスは男から馬の手綱を受け取り、少し上に掲げ力強く答えてみせる。
「そこまで仰られるのなら」
「ええ、ご理解頂けて幸いです」
今度は馬の機嫌を損ねないように、ディエスは馬の動きに体を合わせる。
その試みは成功したようで、馬はディエスを振り落とそうとはしなかった。
「おお!見てください!大分上手くなったでしょう?」
「……そうですね」
納得したのか、男はディエスから馬を放す。
「それに彼は聡明です。いずれ気がつきますよ。この世界の人間など命を懸けて助ける価値など無いと。その時に彼がどんな行動をするのか……楽しみですね」
ディエスはポツリと呟き、微笑む。
上機嫌で馬の背で揺られながら。
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「……う……ん」
頭が温かい。
なんだろう、柔らかい物に包まれている気がする。
「うっ……」
目を開ければ、これ以上ない位の光が飛び込んできた。
……太陽だ。
「起きたか?」
「……ルーチェ?」
その光を遮ったのはルーチェの顔だった。
光に透けた綺麗な栗色の髪。
天使のような姿。
そうか、そういうことか。
僕は死んだんだ。
でも、最後に一目でもルーチェの姿をみれた。
これほど嬉しい誤算はない。
「ごめんね、ルーチェ」
「いつまで寝ぼけてんだよ」
「いたっ!」
頬を思いっきり抓られた。
めちゃくちゃ痛い。
うん……痛い?
え?なんで?
痛みなんて、もうとっくに感じてなかったのに。
「あれ?何で?」
慌てて自分の体を確認すれば、体の傷も毒も完全に癒えていた。
数え切れない位の切り傷も、神経を捻じ切りそうな毒の影響も感じない。
完全に体が治っていた。
「これ、ルーチェが全部……」
「そんなことより!」
ルーチェが大声を上げる。
って、うわっ……めちゃくちゃ怒ってる……
ほんの一瞬前までの天使の様な笑顔が、般若に変わってる。
何をそんなに怒ってるの……って、心当たりしかない。
「謝る位なら最初から全て話せ!分かってんのか?」
「えっ?何?何の話?」
「理解するまで何度でも言ってやるぞ!!」
「いたっ!痛いよっ!!」
ルーチェに耳をギリギリと引っ張られる。
ほんと痛い!
千切れるって!ホント!!
「その辺にしておけ」
そう言ってルーチェをとめてくれたのは、リュンヌさんだった。
僕はルーチェの暴力から逃れるように、ルーチェの膝の上から起き上がる。
「あっ」
ただ、僕の体は万全じゃなかった。
立った瞬間、足に力が入らず倒れてしまった。
それをルーチェが咄嗟に支えてくれた。
「無理するなよ」
本当に心配そうな表情で、ルーチェは僕の腕をギュと掴んでいた。
「ありがとう」
僕は感謝の言葉と共に、ルーチェに全身を預けた。
ルーチェの柔らかい感触が全身で感じられる。
「この度は本当にありがとうございました」
「え?」
後ろから投げかけられた言葉。
視線を向ければ、意外な人物がそこにいた。
まさか、この人達まで来ているとは思わなかった。
「貴方のおかげでクリティア様は無事戻られました」
近衛隊長が僕に頭を下げていた。
見覚えのある近衛の騎士もそれに倣っている。
「よかった。一人で帰れたのですね」
僕は安堵していた。
この人達がここにいる。
それは、クリティア様が無事村に戻れたという事だ。
「我々は貴方に謝罪しなければいけません。これまでの貴方への振る舞い心よりお詫び致します」
近衛隊長が腰に下げた剣を地面に置き、僕に片膝を付く。
後ろに控えていた近衛騎士達もそれに続く。
それは、王城でも見た最大限の敬意の表し方だ。
「ちょっとやめて下さい!」
慌てて止めようとする僕の腕をルーチェが引っ張り阻止する。
「これからは貴方の誤解を解き、その実力に見合った立場と職務を約束します」
そういって近衛隊の皆が地面に片膝をついたまま、頭を下げていた。
本気だ。
本気で僕に謝罪している。
「……ありがとうございます」
なんだろう。
なんだか、嬉くなってしまった。
別に認められようと思って行動した訳じゃないけど。
やっぱり、僕のした事がこうやって認められるのは本当に嬉しい。
それが命を賭けて達成した事なら尚更。
「でも、ごめんなさい。もう僕は近衛隊には戻りません」
「えっ?」
「……クリティア様に言われました、二度と目の前に姿を表すなって」
クリティア様が別れ際に僕に言い放った言葉だ。
それに、その言葉が無くても僕にもう戻る資格は無い。
僕はクリティア様を救うため、何の罪も無いニトの命を奪った。
きっと、その事実はクリティア様を傷つける。
僕の姿を見る度に彼女はそれを思い出し、彼女自身を傷つけ苦しめるだろう。
「あの馬鹿姫!!そんな事言ったのか!!」
僕を支えているルーチェの腕に力が入る。
僕はそれをゆっくり宥める。
「もう、今回で僕の役目は終わりました。後の事はお願いします」
「ですが……」
「それに国境を越え、町で人殺しをした人物が近衛隊にいるとそれは凄く不味いですよね?」
「……それは」
近衛隊長は言葉に詰まっていた。
そもそも、国境を越えたのは近衛隊でもないただの旅人だ。
国の人間が国境を越えたら、戦争の火種になってしまう。
だから、僕は近衛隊を抜け一人で国境を越えたんだ。
「どうかこれからも、クリティア様を守ってあげて下さい」
僕は頭を下げる。
ほんの些細な事しか出来なかったけど、もう僕に出来ることはない。
「……分かりました」
暫くの沈黙の後、近衛隊長は僕に告げる。
「ですが、貴方の武勲は我々がしっかりと覚えておきます。貴方は誰にも真似出来ない事を一人で成し遂げた。それは間違いありませんわ」
近衛隊長は僕の目を見て宣言する。
力強い視線だった。
「私はアリシアといいます。アリシア・ロートウッド」
そういうと、アリシア隊長は僕に手を差し出してきた。
僕はその手をしっかりと握る。
そして、アリシア隊長に倣うように、後ろの二人も名乗り、手を差し出してくれた。
カーラさんにリタニアさん。
初めて名前が分かった。
出来ればもっと早くにこういう関係を確立したかったな。
「僕はフィスです。フィス・クレセント。一番お世話になった人から貰った名前です」
僕が名乗ると、皆一斉に驚いた表情を浮かべ、そしてゆっくりと頷く。
「貴方に相応しい名かもしれませんね」
アリシア隊長はそう言って、笑った。
最後になったけど、初めて打ち解けた気がする。
「はい、僕の自慢の名前です」
僕は笑った。
久しぶりに心の底から笑った気がする。
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