第22話
白で統一された街並み。
石が敷き詰められた街道。
その奥には、眩しい太陽の光をキラキラと反射させ、光る海が広がっている。
ここはクランという港町。
僕らのいた王都から少し離れた大きな港町だ。
「凄い活気だね!」
「俺もここに来たのは初めてだ!」
街道は人がこれ以上ない位に溢れている。
その脇を露店が固め、道行く人たちに大声で呼び込んでいる。
非日常的な光景だった。
その圧倒的な熱気に僕。いや、たぶんルーチェも興奮している。
太陽の光でより白く輝く建物に、キラキラ瞬く海。
こんなリゾート地みたいな場所が、活気で満ちている。
大きなお祭りみたいな光景だった。
こんなのこの世界に来て初めて見た!
「俺たちも散策するか!」
数歩先を歩いていたルーチェが、小さく跳ねながら振り返る。
同時に鎧がガチャガチャと音を立て上下する。
「そうだね!」
賛成だ。
僕もこの街をよく見て回りたい。
そう胸躍らせて、駆け出そうとした瞬間だった。
「まずは宿を決めてからだ」
僕の首が掴まれ、グィと引き戻される。
リュンヌさんだ。
「私はお前らの保護者になるつもりは無い。宿を決めたら好きにすればいい」
「「はい!」」
ルーチェと僕は勢いよく返事をする。
また旅を初めてほんの数日。
それでも、僕とルーチェはリュンヌさんに完全に従属している。
理由は簡単。
野営の仕方、食料、水の調達などリュンヌさんは本当に多芸だったのだ。
旅をすれば分かる。
水、食料、寝床。
これをいかに的確に、そして安全に調達できるかが旅には重要だと。
戦う力など旅のほんの僅かな要素でしかない。
戦っている時間など移動や休む時間に比べれば本当に微々たるものでしかないのだから。
だから、その全ての技能を持っているリュンヌさんに従うのは、もはや当然の事だった。
「早く宿を探しにいこうぜ!」
ルーチェは僕らを急かす様に呼びかける。
僕は直ぐに頷き、リュンヌさんはため息をつきながら僕らに従ってくれた。
今日は良い日になる。
太陽もまだ高いし、街を回れる時間もある。
この世界に来て初めてのちゃんとした休日になる。
そんな期待に僕は胸を躍らせていた。
◆
「うわー、久々の柔らかい寝床だ!」
ボフッとルーチェは盛大にベットへ沈んでいく。
凄く柔らかい毛布みたい。
もう、ルーチェの姿が見えない位に完全に埋まっている。
値段が高い宿なだけはある。
町全体が賑わっているせいで、こういう高い宿しか空いてなかった。
明日には出ていかないと不味い。ってリュンヌさんが頭を抱えてた位だからね。
「ルーチェ鎧くらい脱ぎなよ……」
ルーチェはベットにめり込んでる。
まぁ、いくら全身鎧
フルプレート
じゃないといっても鋼鉄製の鎧だもんね。
そんなの着ながら旅してたら、それだけで強くなりそうだよね。
「さて、私は用事があるからね。後は好きにしな」
ドサッと抱えていた荷物を下ろし、忙しそうにリュンヌさんは部屋から出ていく。
僕らの返事も待たずに出かけてしまった。
部屋に残されたのは僕とルーチェ。
……気まずい。
理由もないけど、ただ沈黙してしまった。
僕も無言のまま荷物を下ろし、皮鎧を脱ぐ。
ルーチェも居心地の悪さを感じたのか、ベットからむくりと起き上がり鋼鉄製の鎧を体から外していく。
「でも、広い部屋だね」
「だな。ベットも4つある。」
ぎこちない会話だった。
確かに部屋は広い。
大きめのベットが4つあってもまだ余裕がある。
それに、出入り口とは別に扉がもう一つ存在している。
うん?扉がもう一つ?
という事は、もうさらに一部屋あるって事か。
無駄に広すぎると思うんだけど……。
ルーチェはまだ鎧を脱いでいる最中だし、やることもないので僕はその扉に近づきゆっくりと開ける。
「ふぉぉぉ!!」
凄い!思わず声を上げてしまった。
想像もしてなかった物がそこにはあった。
「どうした?」
「これ、風呂がある!」
石で出来た湯船みたいな物が扉の先にはあった。
これ確実にお風呂だって。
こんな物がこの世界にあったなんて知らなかった!
「フロ?なんだそれ?」
ルーチェから疑問の声が返ってくる。
ああ、そうだ。
言葉が違う。
風呂なんて単語すら聞いたこと無いから分からなかったよ。
「お湯に浸かるところでしょ!ここ!」
「ああ、そうだな。高級な所にはあるぞ、王都には公衆浴場もあっただろ?」
え?何それ?知らないんだけど。
知ってたらあったら間違いなく通ってたのに。
ルーチェはすぐに視線を外し、鋼鉄製の脛あてを外していく。
どうやらこの世界では割と知られている物らしい。
僕は奴隷だったからこういった物とは無縁だったけど。
とにかくテンションが上がるのは間違いない。
久しぶりの風呂に入れる可能性があるんだから。
「ねぇ。これどうやってお湯いれるの」
勢いに任せて中を探索したけど、お湯を入れる蛇口みたい物は何処にもない。
まさか、井戸から水を沸かして持ってくるとかじゃないよね?
「これを使うんだよ」
鎧を外し終わり、若草色の普段着に着替えたルーチェが僕の隣までやってくる。
えっ?まさか僕の後ろで着替えたの?
そんな無駄な疑問を浮かべドキドキする僕の横で、ルーチェはヒョイと脇に置いてあった物を拾い上げる。
「珊瑚?と溶岩石?」
ルーチェが拾い上げたのは、黒く小さな溶岩石と白く固い珊瑚のかけら。
こんなもので何するんだろう?
「高いんだぞ?魔法の武具程じゃないけど、これは付与師しか作れない貴重品だからな」
「へ?」
「見てろよ」
ルーチェはニヤリと笑う。
そして、珊瑚を手で握るとそっと目を閉じる。
すると、珊瑚が徐々に淡い光を帯びていく。
その光は時間と共に濃くなり、パァっと破裂し大きく弾けていた。
「こうやって魔力を込めれば水が出てくるんだ」
ルーチェはその珊瑚を石作りの浴槽に置く。
珊瑚からは大量の水が湧き出していた。
「溶岩石に魔力を込めれば熱くなる。でも、これは危ないから後でだな」
「へえぇぇぇ!!凄いね!!」
初めて見る!
こんなファンタジーな物が転がっているなんて!
コロセウムにいた時にこんなもの見たことも聞いたことも無かったよ!!
「まぁ、制御出来るかは別だけどな。これは普通の人じゃ使いこなせない。俺も爺さんから魔法を教わってなきゃ使えてないからな」
「えっ……魔法使えないとダメなの?殆どの人が使えないよ?」
じゃあ、なんでこんな場所に置いてあるの?
ここ魔法使い専用の宿とかじゃ無かったよね?
「金持ちなら魔法を使える従者くらい傍に置いてるだろう?ここは高い宿だからな」
「あぁ~、なるほど」
納得がいった。
確かにそれじゃあ、コロセウムにも見当たらない訳だ。
魔法使いなんてセネクスさん位しかいなかったしね。
「とりあえず、腹減ったな。外で飯食うか?」
「そうだね!」
うん。
水も溜まるのに時間かかりそうだし、お風呂は夜の楽しみにしておこう。
お腹も空いたし、今日は色々と楽しみな事が多い日だ。
◆
「うーん!良いにおいだね!」
「だな!」
魚が焦げる香ばしい香りが辺り一面から漂い、いい感じに食欲を刺激してくる。
僕らは剣だけを腰に下げ、普段着という最低限武装で町を探索している。
なんだろう。
理由は分からないけど、世界が輝いている様に見えた。
前にもルーチェとコロセウムから出かけた事はあった。
けど、今はそれとはなんか根本的に違う。
その時には全く感じなかった達成感みたいな物が僕の心の底から溢れてくる。
思えば、僕はこの世界で生きる為に必死で努力し、沢山の犠牲を払ってきた。
だからこそ、なんでもない日常が堪らなく嬉しいのかもしれない。
どこにでもある日常。
でも、この世界ではそれを得ることがどれだけ難しいのか、はっきりと教えてくれた気がする。
なら、今をしっかりと楽しまなきゃダメだ。
目的はあるけど、それとは別に今目の前に広がる日常をしっかり楽しまないと!
「あれ、美味しそうだね!」
僕は魚の丸焼きを販売している露店を指さす。
とってもいい臭いがするし、油も滴り本当に美味しそうだ。
「ダメだ。高い。さっき見た店の方が僅かに安かった」
「えー……」
僕の意見はルーチェによって却下された。
財布はルーチェが持っているから、僕一人では何も買えない。
「じゃあ、あれ食べたい」
気を取り直して、僕は別の露店を指さす。
新鮮な野菜に挟まれた何かの肉が、パンに挟まっている。
塩焼きみたいな良い匂いはしないけど、あれはあれで美味しそうだ。
「あれは何処でも食べれる。ここで買う必要はない」
ルーチェは、再び僕の提案を却下しブツブツと一人考え始めていた。
ルーチェは苦しい毎日を送ってきたって聞いてたけど……
こんな形でそれを実感するとは思わなかった。
「あれは値段の割に量が少ない。しかし、あっちは何処でも手に入る素材だ。高すぎる。いっそ食堂にするか?」
「ねぇ、せめて、脇の路地に入ろう?」
街道の真ん中で立ち尽くし、不思議な呪文を唱え始めるルーチェ。
僕は半ば強引に横の路地へと連れていく。
混んでる中で立ち止まるのは、本当に邪魔だからね。
「あのー……まだですか?」
ルーチェは相変わらず思考の檻から出てこない。
もう結構待ってるんだけど。
お腹減った……
もう、お昼の時間はだいぶ過ぎてるよ。
しかも、何もない裏路地で考え込まなくても……
僕は周りを見回す。
そこは華やかな表通りと違い、ゴミで溢れる裏路地でしかない。
「はぁ……」
せめて綺麗な景色でもあれば気が晴れるんだけど。
溜息が漏れてしまう。
「うん?布?」
そんな僕の視線の先で、モゾモゾと何かが動いた。
黒い大きな塊。
今確かに動いた……気がする。
僕は、恐る恐るその動く何か近寄ってみる。
うん。やっぱりただの布の塊だ。
ただ、かなり匂う。
相当放置されているのは間違いない。
「気のせいか」
たぶん風だ。
風で布が動いたんだ。
そう僕が納得した途端、突然その汚い布が動いた。
「うわっ!」
布の塊。
その間から現れたのは人だった。
汚れて固まった髪に酷い臭い。
長髪からかろうじて女性だと推測するが確証はない。
「……だれか、いるのですか?」
その声は、女性のそれだった。
目は白色、頬はこけ、腕は黒く変色している。
普通の……正常な人の姿ではなかった。
「ル、ルーチェ」
慌てて僕はルーチェを呼ぶ。
その声に反応するように、女性は僕の方へズルズルと体を引きずってくる。
女性は、僕の足をガシッと握る。
「ちょっ!」
僕は慌てて剣に手を伸ばす。
殺気もなにも感じなかったから、行動が遅れてしまった。
「お願いです!!私の子供に母は無事で幸せな生活を送っていると伝えてください!!」
その女性は僕を見上げ懇願する。
息がくさい。というか、腐っている。
「フィス!」
慌ててルーチェもやってくるが、僕は手でそれを静止する。
気が付いてしまった。
この女性もう長くない。
やせ細り骨と皮だけになっているのは勿論だけど……
布の隙間から見える足。
壊死している。
もう手遅れだ。
灰色に染まり、凄い悪臭を放っている。
僕はこういった人間を見て来た。
奴隷として連れ去れたアィールさんと出会ったあの場所で。
劣悪な環境で病気となり、商品として落第した人の末路だ。
物としてすら扱えなくなった奴隷は、本当に動くゴミとして扱われる。
それでも、ここまで悪化しているのは見たことがない。
どうして生きているのかも不思議な位だ。
「お子さんの名前は?」
思わずそんな言葉が出てしまった。
でも、言ったしまった以上仕方ない。
約束なんて出来ないけど、今は嘘でもいいから話を合わせてあげるべきだと思う。
「ニトと言います。国境近くのタウという名の農村に住んでいます」
「分かりました。絶対に伝えます」
「……本当にありがとう」
安堵した様に女性は笑い、僕の足から手が離れた。
力の籠っていない弱い手だった。
もうその女性は動かない。
最後の力……だったみたい。
よく見れば周り布の塊が溢れている。
それは汚いボロ布に包まれた人。
その殆どは、死んでいる。
きっと人通りが少なくなれば鳥やネズミが齧りに来るだろう。
「……大丈夫か?」
「うん」
ルーチェは僕の隣までやってくると、小さく首を振り祈りを捧げる。
宗教なんて信じないけど、僕もルーチェの真似をする。
そんな僕らの少し後ろの街道は活気で溢れ、屋台などで新鮮で美味しそうな食料が売られている。
この世界は残酷だ。
僕はその現実に、引き戻されたような気分だった。
◆
「美味しい……ね」
「そう……だな」
新鮮な魚の塩焼きに、魚や貝とトマトみたいな野菜が入ったスープ。
どれもこの世界に来て初めて食べた。
味は本当に抜群だ。
でも、美味しくない。
きっとルーチェも同じだ。
僕もルーチェも、全然食が進んでない。
「あの人、最後に子供の心配をしてたんだね」
「……家族だからな」
僕らは外の屋台で食事する事を辞め、小さな食堂に入っている。
ただ、食と同じく会話も全然進まない。
さっき起きた出来事のせいだ。
あんな物を見せられた直後に、食事なんて進むわけがない。
「どうしたんだい?うちの飯が気にくわなかったかい?」
沈む僕の背中がバンと叩かれた。
恰幅の良いこの店の女将さんが不機嫌そうな表情を浮かべ立っていた。
「いや!美味しいです!」
僕は慌てて否定する。
食事は本当に美味しい。それは間違いない。
「お世辞なんていらないよ。ならなんで食べないのさ」
僕とルーチェは一度見つめあい、そしてどちらからともなく頷きあう。
「実は……」
僕は事の顛末を話した。
さっき裏路地で起きた出来事を。
「なるほどねぇ。嫌な所を見ちまったね」
女将さんは小さく溜息をついていた。
それなら仕方ない。と言わんばかりに。
「ほら、もうかなり前になっちまうが、オーランドとの戦争があっただろ?」
オーランド。
アィールさんの祖国であり、僕の目的地でもある場所だ。
その戦争最中、アィールさんは奴隷へと堕ちた。
ただ、その戦争は僕がここに来た時とほぼ同時に休戦状態に入ったらしいから、もう2年前の事になる。
「うちらは勝ったから良いけどね。負けたあっちの国は荒れる一方さ。特に国境近くの村や町は盗賊達は略奪は勿論、農村の子供や女性達も我先にと連れ去られる。そんな状況が続いているって聞くよ」
だからこそこの街は物で溢れこれ以上ない位に活気に満ちている。
と、女将さんは付け加える。
なるほど。
こんなお祭りみたいに人が集まり、物や活気に満ちている理由が理解出来た。
盗品が溢れ、それを求め人が集まる。
そして集まった人を目当てに、露店や物売りが集まってくる。
その結果が今の現状なんだろう。
「でもね、大量の人間や物を運ぶのには船が必要になるんだよ。ただ、船の上なんて碌な環境じゃない。しかも、時間をかけて色々な所を回って奴隷を集めてくるからね。高い確率で病気になるんだよ。そして、病気にかかった”価値のない”人間は捨てられる。たぶん、アンタ達が見たのはそれさ」
「そんなの……」
ルーチェは何か言おうとした口を閉じ、自身の言葉を飲み込んでしまう。
ルーチェだって身をもって知っているからだと思う。
この世界では、力が全てだ。
単純な力、知恵、地位、市民権。力であればなんだっていい。
ただ、自身すら守る力のない者は、理不尽に殴られ、攫われ、売られていく。
それは揺るぎのない事実だ。
「ホント捨てる場所位選んでほしいよ。まぁ、無理して食べなくても良いよ。理由が理由だからね」
その言葉を残し、女将さんは立ち去って行った。
何気ない言葉だった。
その言葉からは、他人が可哀想なのではなく自分が迷惑だからやめて欲しい。
そんな意図が伝わってくる。
でも、それはごく当たり前のこと。
この世界で他人の事が心配で憤るなど、よほど恵まれた人か、馬鹿か狂人位だろう。
例えさっきの女性がまだ助かる見込みがあったとしても、僕はきっと助けなかった。
正直、あの女性が僕に願った最後の約束も果たす気なんてさらさらない。
だからこそ、僕はアィールさんの願いを叶える為にオーランドへと向かっている。
誰もアィールさんの妹を助けない。
そう確信しているからこそ。
「ねぇ、ルーチェご飯食べたらもう一度外を回らない?」
「えっ?」
「ちゃんと見たいんだ。この世界を」
「……うん」
アィールさんの願いを叶える。
その為に、僕はもっとこの世界を知らなきゃいけない。
計らずとも僕はこの旅の理由を再確認する事になってしまった。
◆
「凄く色々な物があるね」
「ああ、そうだな」
街道には、本当に沢山の商品が並んでいる。
高そうな衣類に宝石。
槍や剣などの武具。
そして、”売れる”奴隷まで。
それを吟味するように周りには沢山の人が集まっている。
「ルーチェも何か買ってみる?」
「いや、いい。俺は人の物はいらない」
「そっか」
あんな話を聞かされた後だからね。
当然かもしれない。
恐らく、ここにある物の殆どが盗品なんだろう。
「気にするなよ?俺は気分が乗らないだけだ、フィスが欲しい物あれば買おう」
「うん。ありがとう」
慌ててルーチェは弁解する。
宝石とかは必要ないけど、僕は旅で使える物があれば買いたいと思ってる。
例え、それが盗品であっても。
僕は、大事な人を守るためなら盗賊だって人殺しだって喜んでやる。
「本とかも売ってるんだね」
「興味あるのか?」
「勉強用にね。ほら僕はこの世界の事知らなすぎるから」
「必要ないだろ?俺が教えてやるぞ?」
「……でも、文字も勉強もしたいからさ」
そうか。と、ルーチェは小さく呟く。
ルーチェが教えてくれるのもありがたいけど、本から学べる情報も出来る限り知っておきたい。
そこから学べる事はきっと無数にあるはずだから。
それに、僕は一応文字も読めるけど、あくまで基礎的な物しか読めない。
現に置いてある本の題名すら読めない物がある。
例えば、そこに置いてある本の題名は……
”塩の保存”でいいのかな?題名からは内容が想像出来ないけど
その隣の本は”ヌス教の……”えっと、うん。読めない文字だ
後は……”やせた土地の直し方”とかね。
「うん?!日本語!?」
変な声が出てしまった。
明らかに文字が違う。
というか本の質感からして他の物と一線を画している。
間違いない。これ僕の世界の本だ!
「どうした?」
「いや、あの!あれ!僕の世界の本」
「はぁ?」
忘れてた。
僕だけがこの世界に来た。と断定なんて出来ない。
他にもこの世界に来ている可能性だってある。
逸る心を抑え、軽く深呼吸し、僕は状況をルーチェに説明する。
「あれ、フィスの世界の本なんだな?」
「うん!あれ欲しい!」
「わかった。任せろ!」
興奮する僕の横で、ルーチェは早速店主と交渉を始める。
店主は深くフードを被り、表情すら見せない男だった。
「この本が欲しい。いくらだ?」
「金貨10枚だ」
「はぁ?ありえないだろ」
店主の答えにルーチェは呆れていた。
金貨10枚がどれくらいの価値なのかは分からないけど、ルーチェの態度を見る限り
ありえない金額なのは分かる。
「お前こそ節穴だ。見てみろこんな美しい絵など他にないぞ?」
店主は慣れた手つきで本を開き見せてくる。
懐かしい……。
そこには農作業している人の写真が印刷されていた。
服装もまるでこの世界とは違う。
「ちょっと貸してくれ」
「待て!!」
ルーチェは素早い動きで本を取り上げていた。
店主も本を取り返そうと動き、深く被っていたフードが外れ顔を晒す。
店主の顔には、額から頬まで切られたような跡があった。
恐らくこの人も盗賊なんだろう。
「これ血だな」
「……チッ」
「半分以上真っ赤に染まってるぞ?」
ルーチェはパラパラとページをめくり本を確認する。
本の後半は血で黒く染まりかなり汚れている。
見た感じ頑張れば読めない事も無いけど……確かに気分の良い物じゃない。
「金貨1枚だ」
「話になんねぇ。5枚」
「金貨2枚」
「はっ。馬鹿いえ」
今度は店主が呆れた様子でルーチェから本を取り上げる。
どうやら店主にとっても金貨2枚じゃ売れない品物みたいだ。
「なら3枚だ。これ以上は出さない。どうせ半分が血で染まって見えないんだ。ここらで売っておいた方がよくないか?」
そう言ってルーチェはお金の入ったから革袋3枚の金貨を取り出していた。
交渉が上手く行ったのか分からないけど、店主は確実にその金貨に目を奪われていた。
「……よし」
少し悩んだ後、店主は金貨を奪うようにもぎ取る。
交渉成立みたいだ。
「フィス。いくぞ」
ルーチェは本を受け取るとグイッと僕の手を引っ張り、その場から逃げる様に立ち去る。
なんか心なしか周りから注目されている気がする。
「凄いね!」
逃げる様に歩いていくルーチェに声をかける。
金貨10枚が3枚にまで値下げさせたんだ。
凄いとしか言い様がない!
「別に普通だろ?お前が世間知らずなだけだ」
「うっ……」
その通りだ。
言い返せない。
僕は戦闘以外では何の役にも立たない所か、何も出来ないんだから。
「もしかしたら……」
ルーチェは急いでいた足をピタッと止める。
「フィスの世界から来た人間もいるかもしれない。探してみるか?」
ルーチェは振り返り、僕を見つめていた。
薄い膜を張った薄茶色の瞳。
その瞳はなんだか凄く脆い様に見える。
僕の事を心配してくれているのかな?
「……ううん。いいや」
暫く間を開け、僕は言う。
この本があったって事は、確かに持ち主がいたはずだ。
という事は、この街に僕と同じ境遇の人間がいるかもしれない。
「僕が守れる人は両の手に収まる人だけだから」
でも、僕はその人を探そうとは思わない。
僕が守れる人なんて限られているから。
これはアィールさんから教わった言葉でもある。
「もう、僕の手の中には守りたい人がいるからね」
「……そっか」
ルーチェは下を向く。
今度はなんだか嬉しそうに笑っていた様に見えたけど……
気のせいかな?
「戻ってフロ?にでも入るか!」
「そうだね!」
僕はルーチェに手を引かれ街道を抜けていく。
真上にあった太陽はいつの間にか海に半分ほど浸かり、青い海を真っ赤に染め上げていた。
◆
「ほぁぁぁ~……」
僕の声が石で出来た壁に響く。
2年ぶりのお風呂だ。
凄く気持ち良い。
この世界は文明レベル低いと思っていたけど、なんていうか根幹から違う。
この水が出る珊瑚と、熱くなる溶岩石は元の世界に持ち帰れば確実に売れる。
最高のサバイバルキットになるよ!間違いない。
「フィス洗濯物持っていくぞ?」
コンコンとドアを叩く音と共に、ルーチェの声が響く。
ああ、僕の脱いだ服を持っていく。って意味だろう。
「僕洗うよ?」
「良いから、これは俺の仕事だ」
「今から乾くのかな?」
別に明日も同じ服でも大丈夫だ。
それにもう夜だし乾かないんじゃないかな?
「平気だ。魔法で洗って乾かしちまうからな」
おぅ……ルーチェハイスペックだな。
僕だったら洗濯物全てを消し炭にしか出来ないと思う。
「んじゃ、持っていくからな」
「うん、ありがとう!」
バタバタという足とが響いては消えていく。
なんかルーチェがどんどん母親みたいになっていく感じがする。
甘えすぎなのは分かるけど、凄くありがたい。
今は、この暖かく幸せな時間に少しでも長く浸かっていたいから。
「自分の身の回りの世話くらい自分でやれ。愚図が」
ドアが小さく開き、リュンヌさんの冷たい声が入ってくる。
「次がつかえてる。栓を抜いてさっさと上がれ」
「……はい」
相変わらず、リュンヌさんは僕には冷たい。
しかも、栓を抜けって事は、僕の後が汚いって事だよね……。
分かっているけど、結構心に来る物があるよね。
「あぁ……気持ちよかったのに……」
栓を抜けば当然、お湯が抜けていく。
名残惜しい……。
結局、僕はお湯が抜けきるまで石で出来た湯船に体育座りで座っていた。
◆
「良い街だったねー」
「そうだなー」
ゴトゴトと上下しながら、クランの港町が豆粒の様に小さくなっていく。
僕らは今馬車の荷台からクランの街を見つめている。
リュンヌさんが手配してくれた乗り合いの馬車だ。
僕らの他にも小さな子供とその母親。
商人風の男性にその従者。
縄でしっかり止められた荷物までも同席している。
「珊瑚と溶岩欲しいなぁ……」
「わかる。でもあれ高いからなー」
ルーチェも僕の後に風呂に入り、僕と同じ感想を抱いたみたい。
やっぱり気持ちいいよね。あれは。
「「はぁ~」」
僕とルーチェは同時に溜息をつく。
この世界にきて初めて欲しい物が出来た気がする。
あれの為なら、剣闘士として数試合出てもいいんじゃないかな?とさえ思えてくるもの。
「ヒヒィーン!!」
突然、ガタンと馬車が急停車し、馬が嘶く。
「ぐぇ……」
僕は突然止まった馬車せいで、ルーチェの鎧に鼻をしたたかぶつけてしまった。
凄く……痛い……。
「どうした?」
リュンヌさんが馬車の先頭から、御者に尋ねる。
「盗賊です!!馬車から出ないでください!!」
馬車の先頭からは、怯えた返事が返ってきた。
その言葉を聞いて、馬車の中の空気が一変する。
女性は子供を抱きしめ、商人は青ざめた顔で小さな宝石などを服の中へしまい込んでいた。
「ルーチェは皆を守ってあげて」
僕はルーチェに告げると、ヒョイと馬車の先頭から身を乗り出し顔を出す。
「やっぱり!この馬車にいやがった!!」
「あいつか?金貨で迷いも無く本を買ったのは」
「ええ、間違いないです!」
馬車は盗賊に囲まれていた。
数は10人くらいかな?
その先頭には見覚えのある顔があった。
「ああ、昨日の!」
昨日、本を買った店主だ。
盗賊ぽいと思っていたけど、やっぱり盗賊だった。
「知ってるのか?」
「あっ……ちょっとだけ」
リュンヌさんも馬車から乗り出し、僕の後ろに立つ。
「後で詳しく聞くぞ」
「……はい」
声だけで怒っているのが分かる。
絶対、後でまた何か言われるんだ。
「えっと、僕が相手しますね」
リュンヌさんから逃れる様に僕は馬車から飛び降り、盗賊の前に立つ。
「おい、女は生け捕りにしろあとは皆殺しでいい」
リュンヌさんを見た盗賊達からは歓声が上がっていた。
まぁ、お勧めはしないけどね。
リュンヌさん怖いし。
それに、僕も戦う前に一つ確認しておかなきゃいけない事がある。
「あの。命乞いしたら助けてくれますか?」
「無理だな。お前の不運を呪え」
「そうですか」
盗賊達は声を荒げ笑っていた。
臆病者と罵る声も聞こえてくる。
確認は終わった。
僕はゆっくりと剣を引き抜く。
魔力を帯びた剣は抜くだけで白い残像を描いていく。
「なんだその剣……?」
そんな盗賊の声が合図になった。
僕は一気に一番近くにいた盗賊に向かって駆ける。
そんな僕の動作に慌てた盗賊は短剣を引き抜き、ただ僕に振り下ろす。
緩慢で無駄の多い動きだった。
僕は上体を少し動す事でナイフを躱し、隙だらけの体に剣を振るう。
白い残像が盗賊を貫き、盗賊はうめき声を上げながら地面に崩れ落ちていく。
「なんだ!こいつ!?」
驚愕する盗賊達。
驚く暇があるなら、はやく短剣か剣を抜けばいいのに。
その隙に僕は、第二撃、三撃を盗賊達へ加えていく。
気が付けば、僕の周りにいた盗賊は全員地面に横たわっていた。
「い、いいからやっちまえ!!お前ら行け!」
盗賊の長と思われる人物が遅すぎる号令をかける。
遅すぎる指示だと思う。
それでも、3人の盗賊が怯むことなく短剣を手に僕へ駆けてくる。
動きは早い。でもそれだけだ。
剣闘士にはもっと早くて大斧を振り回す冗談みたいな存在だっているんだ。
3人の盗賊は、一斉に僕に飛びかかってくる。
真ん中、左、右の3方向から同時に。
僕はその攻撃を一歩下がる事で躱し、剣を真横に一閃させる。
その動作だけで、3人の体が裂かれ血が噴き出ていく。
「油断しすぎたかな」
完全に躱しきれてはいなかったみたい。
僕の肩の布が切れ、右肩が露出している。
盗賊は短剣に毒を塗っている事もあるのでかすり傷でも致命傷になる。
幸い傷を負っている訳ではないので、大丈夫だけど。
一応、念の為に強化魔法を発動しておく。
体の負担を最小限に考え、1種類の魔力だけを込めて。
「ち、近寄るな、弓で殺せば問題ねぇ!」
盗賊達から怯えたような声が聞こえてくる。
ただ、腐っても盗賊なのか直ぐに弓に持ち替え、矢を放ってくる。
でも、強化魔法を使えば弓など怖くは無い。
集中すれば何処へ飛んでくるか、予測と反応が容易に出来てしまう。
僕はその矢を掻い潜り、一人。また一人と剣を振るっていく。
白い残像が盗賊を貫くたび、血を噴き上げ地面にどうと倒れていく。
「ひっ……」
最後に残ったのは、僕から本を買った店主だった。
初めから攻撃する仕草すら見せずただ後ろで固まっていただけ。
だから、殺す優先度は一番低かった。
「腕に”19”の焼き印?いやでも……この強さ。まさか?!お前”奴隷王”なのか?!」
「えっ?」
奴隷王。
その言葉を聞くとは思いもしなかった。
剣闘士時代の僕の二つ名だ。
「意外ですね。僕の事知ってるんですか」
「なっ……本物か」
盗賊は、驚き腰から地面へと落ちていく。
戦意や殺意なんて微塵も感じられなかった。
「悪い!本当に俺が悪かった!つい知らずに手を出しちまった。金でも女でもなんでも用意する。頼むから助けてくれ!」
盗賊は、五体投地で僕に懇願する。
「無理ですね。ご自分の不運を呪ってください」
その願いを聞き入れる事は無い。
初めに確認したはずだ。
命乞いをしたら助けてくれますか?って。
だから、僕も同じ返答をする。
自分が殺される覚悟も無いのに、人の命を奪いに来る人間が僕は一番嫌いだ。
「たのっ」
盗賊の最後の言葉を待たず、僕は盗賊の胸に剣を突き立てた。
魔力を帯びた剣に盗賊と血と肉油がべったりとついている。
「……手入れをして、綺麗にしておかないと」
綺麗な布と油で磨いておかないと。
魔法の剣が錆びるのかは知らないけど、やらない訳にはいかない。
「アンタ!」
一部始終を見ていた御者が、慌てて近寄ってくる。
「本当にあの”奴隷王”なのかい?!」
「ええ。そうですけど……」
「なんてこった!噂では悪魔の様な存在だって聞いてたけど全然違うじゃないか!!」
えっ?
悪魔って……どういう事なのさ。
ただ、その声に釣られる様に、馬車の中から商人や子供も飛び出してくる。
その後、握手を求められたり体を触られたり本当に大変だった。
「剣闘士ってこんなに有名なの?」
「フィスはもっと自分の事知るべきだと思うぞ?」
腰に手を当てルーチェは呆れていた。
でも、どこか誇らしげに見えるのはなんでだろう。
「さて」
そんな僕の後ろから、短く冷たい声がする。
「……お前たち何をしたんだ?あいつらが金貨がどうのこうの言ってた理由を、ゆっくり教えてくれ。次の街までは沢山時間があるからな」
僕とルーチェは、ギギギッと振り返る。
そこには、笑顔を浮かべるリュンヌさんがいた。
ナイフを手に持ち、目はまるで笑ってないけど。
そのあと、他の皆がいる馬車の中で僕とルーチェは滅茶苦茶怒られた。
盗品が売られる場所で金貨を見せるなど自殺行為だと。
結局、この道中の間、途中から商人も交えて僕等の認識の甘さを説く説教大会となってしまった。
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