第23話
ゴォウン!
響く轟音。
その音に弾かれるように僕は地面を蹴っていた。
直後だった。
僕がほんの一瞬前まで立っていた場所を、大木の様な何かが通り過ぎた。
目の前を掠める巨大な影に、遅れてやってくる突風。
ごっそり抉り取られた地面。
背中に冷たい汗が流れる。
あんなのまともに食らえば、命がいくつあっても足りない。
今、僕らが戦っているのは人では無い。
巨大な魔物。
それも、物凄くデカい芋虫みたいな奴だ。
僕らは港町クランを出てから順調にオーランド王都へ向かっている。
ただ、オーランドに近づくにつれ馬車の数が大幅に減り、自分達で歩くしか方法が無くなり、山を越えるため森に入った途端こんな化け物みたいな魔物に襲われた。
トンネルみたいな大きな口。
その口からダラダラと垂れる刺激臭を伴った液体。
口内は小さい無数の牙で埋まっている。
そして、僕の体なんて一口で収まってしまう位の巨体。
正直、気持ち悪い。
見ているだけで、嫌悪感だけがひたすらに沸き上がってくる。
「下がってろ」
僕の後ろから小さな影が飛び出す。
その影は、魔物から遠ざかった僕と入れ替わるように前進し、魔物の正面に立つ。
太陽の光を反射する短い金髪。
リュンヌさんだ。
当然、魔物は正面に立ったリュンヌさんに目標を変える。
魔物とリュンヌさん。
ふたりはしばらくの間そのまま石像の様に止まっていた。
先に動いたのは魔物だった。
巨大な体をギュと縮めバネように弾く。
その直後リュンヌさんの立っていた地面から土煙が上がる。
常識離れの力だった。
バネの様な飛びつきからの、噛みつき。
たった、それだけの行為で、地面に大穴が開いていた。
「リュンヌさん……?!」
土煙の中に、リュンヌさんの影は無い。
ただ、魔物に砕かれた地面がパラパラと雨に様に振ってくる。
ダン!
突然、魔物の頭が地面に叩きつけれらた。
宙に舞い上がった小石に紛れてリュンヌさんが、魔物の頭に襲いかかったのだ。
リュンヌさんは腰に差した短剣を抜き、魔物の頭へと叩きつける。
ただ、短剣は魔物の硬い皮膚に阻まれ、まるでダメージを与えていない。
グギギ。
魔物は不快な声を上げ、ブンブンと頭を振る。
頭に乗ったリュンヌさんを振り落とすように。
たったそれだけの動作でも、物凄い風切り音がする。
リュンヌさんはそんな魔物の勢いを上手く殺し、フワリと宙に舞い地面に着地していた。
「凄い……」
僕は目の前の光景に見とれてしまった。
怒った魔物は、リュンヌさんに向かって様々な攻撃を繰り出してた。
その全てをリュンヌさんは躱していく。
空高く跳ね上がり、時には魔物の体を足蹴にし、さらに高く様々な方向へ跳躍していく。
鎧や重い武器を身に着けていては到底出来ない動き。
地上よりも空中に重きを置いた軽業師みたいな芸当だ。
あんな戦い方見た事ない。
剣闘士の戦いとは根本から異なる動きだ。
防御という選択肢がほぼ意味を成さない魔物には必要な動きだと思う。
ただ、見ていれば分かる。
それは致命的な弱点も孕んでいた。
軽さを重視するリュンヌさんの武器は腰に下げた短剣だけで、堅い皮膚を纏った魔物には致命的なダメージを与えられていない。
お互い決定機が無い。そんな戦いが続いていた。
「ギギッ……」
攻撃が当たらない事に不満を覚えたのか、魔物は動きをピタリと止めリュンヌさんと対峙する。
そして、ゆっくりと尾を地面へと潜らせ、ズブズブと地中へと消えていく。
(逃げるつもりなのか?)
そんな疑問が沸き上がった瞬間だった。
ゴバッ!という音と共に、リュンヌさんを土の壁が襲っていた。
あの魔物は、逃げる為に地面へと体を潜らせていた訳じゃない。
自身の体をシャベルの様に地面に潜り込ませ、力任せに地中の土や小岩をリュンヌさんに掻き出していた。
僕が目くらましに砂を蹴るような感覚なのかもしれなけど、その威力は比べるまでもない。
掻き出された土や小岩は、カーテンの様に広がりリュンヌさんに迫っていく。
広がった土がリュンヌさんの視界を奪い。
飛ばされた石や岩が、リュンヌさんの顔や腕を霞め、腹には拳よりも大きい小岩がめり込んでいた。
「ぶぐぅ……」
リュンヌさんは、堪らずその場で膝をつく。
逃げる場所の無い、範囲攻撃。
いくらリュンヌさんでも避けられるものでは無かった。
ただ、その隙をあの魔物は逃さなかった。
体を再びバネの様に縮め、リュンヌさんに飛びついたのだ。
常識離れの力を持った魔物だ。
食いつかれれば、人の上半身なんて簡単に持っていかれる!
「不味い!」
僕は慌てて魔物に向かって駆け出す。
ただ、先に動いたのもリュンヌさんとの距離が近いのも魔物の方だ。
間に合う訳がなかった。
僕はただ歯を食いしばる。
それが僕の出来る全てだった。
「どけぇぇぇぇ!!!」
雄たけびが上がった。
盾を全面に構え、魔物に突っ込んでいく姿。
ルーチェだ。
バクン!!
巨大な魔物の口が閉じる奇怪な音。
魔物の巨大な口からは、砕かれた地面が大量にこぼれていた。
魔物の口がリュンヌさんを捕らえる事は無かった。
ルーチェの体当たりでわずかに目標が逸れたのだ。
「ふー!ふー!」
荒い息を吐き、ルーチェは肩を大きく上下させる。
その足は震えていた。
訓練では素晴らしい腕前だったルーチェ。
だけど、ルーチェには致命的な欠点があった。
実戦の経験値が足りてないなかったのだ。
人や自分の命を賭けた上での殺し合い。
それは訓練とは違う。
慣れていなければ自分の実力を半分。
いや、何分の一にでも落としてしまう。
命を賭けた戦いで震えない人間なんていない。
だから、ルーチェは戦わず木の影に隠れているはずだったのに!
「ルーチェ!リュンヌさんと下がって!!」
僕は叫ぶ。
魔物は何事も無かったかの様にルーチェを見下していた。
ルーチェの体当たりは、魔物にとって食事を邪魔されただけダメージなんて負ってない。
魔物は巨大な口をもう一度開ける。
そして、今度はルーチェに標的を変えその大きく開いた口を振り下ろす。
「やめろ……」
僕の脳裏に、アィールさんの最後が思い浮かぶ。
最愛の人を目の前で殺したあの光景が。
「やめろぉぉぉぉ!!!」
僕は沸き上がる激情を抑える事無く叫んでいた。
その激情を魔力に変え、一気に体に張り巡らす。
体が嘘のように軽くなり、地面を抉るように蹴る。
あとは、どちらが早いかの勝負だった。
魔物の口がリュンヌさんとルーチェに届くのが先か。
僕の剣が魔物へと届くのが先か。
(間に合わない)
僕は咄嗟に判断し、持っていた魔法の剣を全力で投げつける。
剣は確かに魔物に刺さり、ビクリと一瞬だけ動きを止める。
でも、その一瞬で十分だった。
直後、僕の全力の蹴りが魔物へと届いていた。
魔物はそのまま吹き飛ばされ、近くの木へと叩きつけられる。
「大丈夫?」
ルーチェはコクリと頷き、腰から崩れ落ちる。
本当に怖かったんだと思う。
そんな状態でよく魔物に体当たりしたと思う。
「ギュアァァァァァー!!」
耳を突き刺すようなとんでもない声量。
僕は咄嗟に耳を塞いでしまった。
魔物が空に向かって吼えたのだ。
気がつけば巨大な魔物は僕達に怒りの視線を向けていた。
ただ、魔物は僕らに近寄ること無い。
ブルブルと体を揺らすだけだった。
「ルーチェ。今のうちにリュンヌさんを連れて下がって!」
「わ、わかった」
ルーチェは座りながら、1歩、2歩とゆっくり僕の隣から離れていく。
その間も魔物は僕を見つめながら、ただ体を揺らしていた。
魔物は僕との間隔を詰める訳でもない。
ただ、揺れる間隔を徐々に短く、そして小さくしてくだけだ。
(動かないのか……)
何がしたいのか分からない。
不気味ではあるけど、今はこちらから仕掛ける必要も無い。
僕は魔物から視線を外し、ルーチェとリュンヌさんを確認する。
まだ、ルーチェは腰が抜けていてまともに動けていない。
リュンヌさんも、荒い息を整えている所だった。
(まだ、時間がかかる)
せめてリュンヌさんが動ける位まで回復してくれれば。
このまま動かない魔物を置いて、逃げる選択肢だって取れる。
「フィス!!前!!」
「えっ?」
ルーチェの声。
僕は慌てて視線を戻す。
そこには、大きな炎の塊が迫っていた。
予測も出来ない一撃。
魔物がいきなり炎の塊を吐き出したのだ。
あまりにも突然の出来事に、僕は一歩も動くことが出来なかった。
「……ルーチェ?」
僕に放たれた炎。
それは僕の直前で止まっていた。
ルーチェが僕を庇い、正面から炎を受けとめていた。
ほんの一瞬前まで腰を抜かしていたルーチェ。
それがなんで僕の目の前にいるのか理解できなかった。
「嘘でしょ……?」
ただ、ルーチェは炎の中で動かない。
「魔物を……」
その代わり返ってきたのは、小さな声だった。
目の前の惨状を僕は理解出来なかった。
ただ、炎の中で揺れる影は、ゆっくりと地面へと崩れて落ちていく。
その様子を見れば、嫌でも現実が理解出来てしまう。
「何……でだよ……」
魔物への憎しみが沸き上がる。
憎しみは、魔力となり体中に行き渡る。
その直後、体が勝手に動いていた。
僕は怒りに任せ、巨大な芋虫に突っ込んでいた。
魔物は僕の方へ向きなおすと、大木の様な体を素早く曲げ、周りの土や木、小岩などその全てを巻き込んで薙ぎ払う。
さっきリュンヌさんに放った攻撃とほぼ変わらない。
土の壁が僕に迫ってくる。
それは、一度見た技。
もう驚かない。
僕は飛び交う石や木の枝、その全てを無視し駆けるスピードを上げていく。
当然、いくつかの石が顔や腕に当たり青痣を作り、鋭利な木の枝は腕や足に刺さる。
だから何だ。
こんな痛み、奴隷時代に数えきれないほど経験してる。
「どけぇぇぇ!!!」
自身を鼓舞させるように僕は叫び、土と石のカーテンを抜ける。
そんな僕の行動が予想外だったのか、魔物の反応が遅れていた。
その隙を逃さず僕は魔物に飛びつき、魔物の腹に刺さった魔法の剣を握る。
僕がさっき投げた剣だ。
「おおぉぉぉぉ!!!」
僕は剣を思いっきり引き抜く。
それだけで、魔物は苦しそうな声を上げる。
「……この程度で」
ルーチェを炎で焼いた癖に。
剣で貫かれた位で喚き散らして……。
魔物の声が僕の憎しみを増大させる。
僕は魔物から引き抜いた剣を、手首を返し全力で振るう。
何度も何度も全力で。
あれだけ堅かった魔物の皮膚も、魔力を帯びた剣はいとも簡単に切り裂いていく。
腹から緑色の液体を大量に吐き出しながら。
魔物は地面に倒れのたうち回る。
そのたびに、僕の体に緑色のドロッとした液体が張り付く。
僕はその液体を避ける事無く、何度も剣を打ち付ける。
いったい何回魔物を切り裂いたか分からない。
気が付けば魔物は動かなくなっていた。
その姿を確認し、僕は腰から地面へと崩れ落ちる。
魔力の供給を切ったせいか、肉体的な疲れがドッと押し寄せていた。
「……ルーチェ」
僕はポツリと呟く。
クランの港町を出て60日以上が経過している。
その旅の中でも、沢山の戦いがあった。
食料としての動物狩りや、旅人を襲う夜盗との闘い。
はっきり言ってしまえば、それらの敵は敵じゃなかった。
今まで培ってきた経験でなんとかなったのだ。
ただ、魔物は違う。
剣闘士としての培ってきた今までの経験さえも一蹴する。
圧倒的な力と計り知れない能力だった。
ルーチェがいなければ……僕もきっと……
「人を死んだみたいに言うなよ」
僕はハッと顔を上げる。
その視線の先には、はにかんで笑うルーチェの姿があった。
ただ、服の端は黒く焦げて、露出していた肌の一部も火傷を負ったのか火ぶくれを起こしている。
「俺は無事だぞ?もちろん、リュンヌさんもな」
へへっ。と笑うルーチェ。
僕は肉体的な疲れも忘れ、駆け出し、ルーチェに飛びついていた。
ルーチェは僕の勢いに耐え切れず地面に倒れてしまう。
「何すんだよっ!」
「よかった……本当に無事でよかった……」
「ちょ!あの芋虫の体液まみれじゃねぇか!離れろよ!!」
僕は倒れたルーチェにグイグイと額を押し付ける。
堅くて痛い感触。
当然だ。ルーチェが着ているのは鋼鉄の鎧だもん。
だけど、今はそんなのどうでもいい。
「いいから離せよっ!汚れるだろ!!」
ルーチェは僕を引きはがそうとするけど、僕は一切聞く耳を持たなかった。
ただ力を込め、ルーチェを抱きしめていた。
そのうちにルーチェも諦めたのか、抵抗を辞め僕の頭にポンと手を置いていた。
「この盾のおかげだ。こいつが炎の殆どを吸収してくれた。じゃなきゃこんな軽傷ではいられなかった」
「盾……?」
「ああ、俺もよくわかんないんだけどな。フィスの前に出るときに、強化魔法を使ったんだ。その時に、慌てちまって魔力の配分が上手くいかなかった。そしたらこいつがいきなり反応したんだ」
ルーチェは腕に装着している盾を少しだけ上げて見せる。
竜の様な意匠が凝らされた盾。
ゾットさんと、セネクスさんが贈ってくれた魔法の盾だ。
「よかった。本当によかった」
セネクスさんが、魔法の武具にはそれぞれ不思議な力が込められてる。って言ってた。
たぶん、それがこの盾の力なんだろけど。
今はそんな些末な事どうでもいい。
コン。
僕は盾に額を軽くぶつけ目を閉じる。
「ありがとう……」
僕の心の底からの気持ちだ。
この盾は、大事な人を助けてくれた。
今はその事実だけで十分だ。
そして、もっと、もっと魔法の武具にも頼らない位強くなる。と僕は密かに誓う。
「……何してんだ?気持ち悪いぞ?」
ルーチェは眉間に皺を寄せ、怪訝な表情で僕を見つめていた。
「いや、あのお礼を」
「……誰にだ?」
ルーチェの表情は変わらない。
むしろ険しくなったと言った方がいいかもしれない。
「あの……盾に……」
「はぁ?!礼は俺に言うのが先じゃねぇのか?」
「あ、それもそうなんだけど!ごめんなさい!」
僕はただただ謝る。
ルーチェはちょっと怒っているようにも見えたからだ。
「たくっ、私への配慮は無しか?」
僕とルーチェの後ろから不機嫌な声が聞こえる。
あっ……すっかり忘れてた……。
「いや、あの……」
慌てて僕は立ち上がる。
弁解してもリュンヌさんには基本効果は望めない。
むしろ悪化した経験しかない。
「ふん……いいからさっさと傷口の手当てをしろ。こんな近くにこれほどの魔物が出るんだ。この国は予想以上に荒れているぞ」
「荒れてる……?」
リュンヌさんの言葉がちょっと引っかかった。
僕らはアィールさんの国。
オーランド領内に入ってる。
ただ、このオーランド領内に入ってからは夜盗などには一切襲われていない。
むしろ、治安が良いのかと思っていたくらいだ。
「ああ、魔物っていうのは……」
思い出したようにルーチェが会話に割って入る。
その間に僕の体に刺さった木の枝などを抜いて、簡単な応急処置を始めながら。
ルーチェの話を纏めると、魔物とは人間の天敵。
最も恐れられている生き物らしい。
治安の良い国では魔物狩りが積極的に行われ、その結果、夜盗などが増えるのだそうだ。
だから、この国に入って僕らは夜盗などに出会わなかったらしい。
理屈は簡単だ。
魔物がいるような場所では、夜盗や山賊なども魔物に襲われる。
夜盗などは常日頃から人目につかない場所に潜伏するのだから、魔物と出会う確率も段違いで高いという事らしい。
「基本的に動物と魔物の違いは単純だ。同じ種で生殖を行えるのが動物。魔物は同じ種で生殖は出来ないからな。だから、違う種を襲い、取り入れ独特の生態を築いていく」
「なるほど。じゃあ、人は動物なの?」
「考えたことも無いけど、そうだと思うぞ?」
人は動物に分類されるらしい。
いちおう学問として、こういった区分けが成立している所をみると……
結構、この世界はしっかりしていると思う。
今までこの世界の事を知る機会が無かったけど、旅をすればするほど、この世界は発達しているように思える。
「だから、魔物は優先的に排除される。人にも家畜にも直接的な被害が出るからな。魔物退治は本来の騎士の役目で、手が回らないときや弱い魔物の時は、村の自警団で対処したりするんだ」
なるほど。
つまり、ここで魔物が出たという事は、ここら辺は騎士団や、近隣の村の自警団の力が及んでいない範囲という事だ。
「へぇ~、ルーチェは凄いね。博識だよ」
「別に、ただ爺さんから叩き込まれただけだ」
ルーチェは、プイッと顔を背ける。
でも、その背けた顔からは隠しきれない笑みがこぼれていた。
なんか、その様子を見るだけでホッコリする。
僕はセネクスさんから文字や言葉を教わるので精一杯だったから、こういう事は一切教わる時間が無かった。
「早くしろ。移動は喋りながらでも出来るだろ。もう、目的地は見えている」
「……目的地は見えてる?」
僕の言葉に、リュンヌさんは再度ため息を突く。
そして、ある一点を指差す。
その指が差している先。
そこには、リュンヌさんの指先よりも小さな城が見えた。
「まさか……」
「そうだ。だから早くしろと言っている。あんまり悠長に構えていたら日が暮れてしまうぞ」
「あれが……アィールさんの育った場所」
この旅の目的地。
オーランド王国の王城が、そこにあった。
◆
「寂れてますね……」
オーランド王国の首都。
街の名はファガレーというらしい。
正直に言って凄く綺麗な街だと思う。
水路の脇にある建物の壁は水面の光を反射しユラユラと波模様を描き、僕らの歩いている街道の先にはいくつかの水路を挟み、白と青のコントラストが映える荘厳な城がそびえ立っている。
王城への道は水路で遮られてるので、まっすぐ歩いていけない。
いくつか迂回して橋を渡らなければいけないけれど。
なんていうか、夢の国のテーマパークが実現した。
現実離れした町並みだと思う。
僕らはその一番の大通りを歩いてる……はずだ。
はずだ。と言うのは、あまりにも人がいないのだ。
なんていうか、クランの港町で感じたような活気や熱気などは微塵も感じられない。
通り沿いの店は、その殆どが木板で扉を覆い。
申し訳程度に開いている店にも、ほとんど客などいない。
たまにすれ違う人も、虚ろな目をしていて、どこか街全体が死んでいるような印象さえ受ける。
街並みこそ素晴らしいけど、そこで生活する人には皆一様に暗く沈んでいた。
「敗戦国なんて何処もこんなものさ。財産は勿論。明日への希望なんかも根こそぎ奪われてしまう」
リュンヌさんは言う。
確かにオーランド領に入ってから尋ねて来た村や町も活気は無かった。
でも、それは田舎町だったからだと思っていた。
「さて、私の案内はここまでだ」
「えっ?」
「ここから先は私は同行出来ない。私の職業は知っているだろう?」
いきなりすぎて、理解が追い付かない。
リュンヌさんの職業は盗賊だと思うけど。
それと同行できない理由って
「盗賊は城に入れない。バレたら衛兵に捕まるだろ?」
ルーチェは僕に耳打ちする。
そこまで言われてやっと気が付いた。
盗みをすれば警察に捕まる。
それはこの世界でも同じだ。
この世界に警察はいないけど、同じような役割をしているのは兵士達だ。
その兵士達が大勢詰めている城なんて、盗賊であるリュンヌさんが入れる訳ないよね。
「そうなんですか……」
ついてきてもらいたい。
正直に言えば、それが僕の本音だ。
いっぱい助けてもらったし、色んなことを教えてもらった。
でも、まだ教わりたいことは沢山ある。
ただ、それは我侭だと思う。
リュンヌさんを危険に晒す最低な行為でしかない。
それに、僕はリュンヌさんに報酬を払えていない。
ついてきて貰う理由すら見つからなかった。
「クレセント王子から貰った手紙は持っているな」
「はい」
忘れる訳がない。
アィールさんから貰った最後の手紙は僕の宝物と言っていい。
ただ、アィールさんの本当の名である”クレセント”という名にはやっぱり違和感しかないけど。
「なら、その手紙とコレを持って王城にいるローゼルという老人を訪ねろ。話は大体通ってるはずだ」
リュンヌさんは、腰に下げた短剣をポイッと投げる。
僕は慌ててそれを受け取る。
重い。
短剣とは思えないズシリとした感触が伝わってくる。
「……なんて言ったらいいか」
どれだけ感謝しても足りない。
ただ、僕は頭を下げる位しか出来なかった。
ここまで無事に来れたのは間違いなくリュンヌさんのおかげなんだから。
ルーチェも隣で僕に倣うように頭を下げていた。
リュンヌさんは気にするな。と、ルーチェの肩を優しく叩く。
そして、僕には一切触れない。
というか、旅の間も僕の体に触れたことは一度も無い。
「それに、旅を抜ける訳じゃない。城には入れないが、私は宿屋に待機している。なにかあれば来ればいい」
「へっ?」
間の抜けた声が漏れてしまう。
「何だ嫌なのか?」
「いえ!!嬉しいです!!」
僕は体の前で手をブンブンと振り、慌てて答える。
ただ、そんな僕の様子をみたリュンヌさんは、うっすらとだけど笑っている様にも見えた。
なんだか、ほんの少しだけかもしれないけど、この旅で僕たちとの距離が縮まった。
そんな気がした。
「ああ、言い忘れてたが報酬は後でいい。私は安くないからな。払えないならその剣でいい」
僕の剣を指さしリュンヌさんは薄く笑ってる……。
いや、違う。あれはカモを逃さない悪人の顔だ。
嘘だ。
やっぱ僕とリュンヌさんの距離なんて縮まって無いや。
僕は改めてリュンヌさんとの距離感を再確認するのだった。
◆
「今陛下は臣民の陳情を受けておられます。それが終わり次第ご案内致しますので、どうかお待ちください」
目の前にいる老人は頭を下げる。
白髪で正装した姿。
話の柔らかさなど、すごくいい人な感じがする。
名前はローゼル。
リュンヌさんに尋ねてみろと言われた人だ。
僕らは今、王城の一室に通されていた。
なんでこんな場所にいきなり通されたかなんてわからない。
城の衛兵に、ローゼルという人に会いたいと告げ、リュンヌさんから貰った短剣を渡したらいきなりここに通されたのだ。
僕がここにきた目的。
それはこの国の王。
アィールさんの父親に会う事だけど、まさかこんなにスムーズに行くとは思わなかった。
普通もっと警戒してもいいと思うんだけど……
「疑問は当然でございます。ですが、”奴隷王”の名はこの国にも届いておりますから」
そんな僕の疑問を見透かす様に、ローゼルという老人は告げる。
ほんとよく分からない。
港町クランを出た時に言われたけど、正直僕はそんな有名ではないと思う。
それに、万が一有名だとしてもだよ?
本人かどうかなんてわからないじゃないか。
同意を求めるようにルーチェを見れば……
隣で腕を組んで満足そうに頷いていた。
もう、よくわからない。
なんで自慢げなのさ。
深く考えるのは辞めた方がいい。
「でも、流石にこの恰好だと不味いような……」
僕は自分の恰好を見直す。
お世辞にも綺麗とはいえない。
戦闘でついた傷や、魔物との闘いで拭ききれなかった体液もそのままだ。
ルーチェの方は鋼鉄の鎧を着ているから、一見まともに見えるけど近くで見れば僕よりひどい。
戦いの汚れが目立つ。
特に、炎で焼かれた跡が。
僕とルーチェはお互い見て、頷き合う。
そして、服装を直していく。
僕は服を払い目立つ汚れを落とす位しか出来ない。
だけど、ルーチェは鋼鉄の鎧はまだ何とかなる。
僕とルーチェは手入れ油を布に染み込ませ必死に鎧を拭き始めた。
無駄かもしれないけど、やらないよりはマシなはずだ。
「これは大変失礼しました。お召し物も用意しましょう。それに湯浴びの準備も」
ローゼルという老人は傍にいた従者に命令する。
その従者は頷くと、えっ?と声を上げ、戸惑うルーチェを別室へと連れて行った。
「ルーチェ様の湯浴びが終わりましたらフィス様もご案内します」
「あ、えっと……ありがとうございます」
なんか悪い気もするけど、たしかにこのまま国王に会うのもどうかと思う。
念入りに拭いたつもりけど、魔物の体液とかかかったままだし……
試しに、自分の腕の臭いを嗅げば……うん。
少し臭い気がする。
「不思議な物です」
「何がですか?」
「貴方を見ていると、どこかクレセント王子を思い出します」
老人は懐かしむような視線を僕に向けていた
その光景を見た途端、僕の胸が跳ねた。
理由なんて分からない。
なんだろう、さっき会ったばかりなのに、懐かしくて暖かい気持ちがドンドン溢れてくる。
「もしかして、……貴方は、クレセント王子のお知り合いとかですか?」
「ええ、僭越ながら王子の幼い頃から教育係を務めさせていただいておりました」
分かった……気がする。
きっとこれはアィールさんの気持ちだ。
「あの……これ、クレセント王子が僕に宛てた最後の手紙です」
「私ごときが見ていい物ではございませんので」
「違うんです。貴方に見て欲しいんです!!」
僕は、半ば強引に手紙をローゼルさんに差し出す。
アィールさんが僕に残した最後の手紙だ。
ローゼルと名乗った老人は、最初こそ受け取る意思を見せなかったが
僕の強引なやり方に折れる様に、渋々受け取り中身を読み始める。
「王子は貴方に姫様の事を託されたのですね」
「はい」
「その為にわざわざ……本当に申し訳ありません……」
ローゼルさんは手紙を読み終え、僕に頭を下げる。
ただ、その姿は僕ではない。
どこか見えない相手に謝っている様にも見えてしまった。
「約束だからな」
気が付けば、そんな言葉が僕の口から零れていた。
「えっ?」
僕は慌てて口を抑える。
それで気が付いたけど。
涙が。
僕の頬を涙が勝手に伝っていた。
何であんな事を言ったのか。
どうして涙が流れているのか。
訳が分からない。
ローゼルさんも、僕の顔を見て驚いているじゃないか。
「すいません。ちょっと訳がわからなくて」
涙を止めようと、僕は色々試してみたけど全く効果が無かった。
むしろ、感情の波が一気に押し寄せ、どんどん溢れてくる。
「あの、信じられないかもしれませんが……」
「構いません。話して頂けますか?」
僕の言葉に、ローゼルさんは真剣な眼差しを向けていた。
「アィールさんの魂は僕の中にあるんです」
「アィールとは、クレセント王子の事ですね?」
「ああ、そうです!」
アィールさんの本当の名前。
言い慣れない。
でも、今はそんな事どうでもいい。
「僕の体を通じて心の底から、言葉に出来ないくらい懐かしくて、感謝しているような気持ちが沸き上がって、溢れてくるんです。それはたぶん、アィールさんが貴方に伝えたい事じゃないのかなって!」
自分でも分かる。
言ってることが唐突で支離滅裂だ。
いきなりこんな事言って信じてもらえる訳がない。
説明にもなってない。
それでも、感情が抑えられなかった。
今まで堪えていた物がワッと溢れたような気さえする。
「ごめんなさい、変ですよね」
涙を乱暴に拭い、落ち着く為に深い呼吸をする。
こんなんじゃ、ただの不審者だ。
始めて会った人に、いきなりこんな事言うんだから。
「いいえ……その言葉を聞けた事。本当に身に余る光栄でございます」
ただ、ローゼルさんは黙って聞いてくれた。
疑いの表情を浮かべる事も無く、ただ優しい笑みを浮かべながら。
僕はそれ以上何も言えなかった。
ただ、お互い沈黙するだけ。
でも、不思議と居心地が良かった。
何十年も一緒にいたような錯覚さえ覚えてしまう。
どれくらい沈黙が続いていたのか分からない。
その沈黙を破ったきったけ。
それは、ローゼルさんからだったと思う。
アィールさんとの出会いから今に至るまでのすべてを聞かせて欲しい。
そんな言葉からだった。
あとは、僕とローゼルさんは時を忘れて話していた。
僕らはアィールさんの話が長い。という悪口で盛り上がり、そして、最後にはどれだけ感謝しているかの言い合いになった。
僕も引かなかったけけど、ローゼルさんも一歩も引かなかった。
そして、コンコンと扉を叩く音で、僕らは初めてかなりの時間が経っている事に気が付き笑い合った。
そんな和やかな雰囲気の中、ゆっくりと扉が開く。
「んぶっ?!」
僕は思わず吹き出してしまった。
「……なんだよ」
扉から入ってきたのは腕を組んで目線を逸らすルーチェだった。
ただ、その恰好。
それが、いつもの姿と全然違う。
鎧を着た優男風のイケメンじゃない。
髪を後ろで結って纏め、体の線が強調されるようなドレスを着ている。
ちゃんとした女性がそこにいた。
「俺だって予想外だよ!!用意された服がこれだったんだよ……」
ルーチェの声が次第に小さくなっていく。
自信がないのか、恥ずかしいのかわからないけど、声が小さくなればなるほど、顔は赤く染まっていく。
「……なんか言えよ」
消え入りそうな声でルーチェは言う。
「えっと……その……」
なんて言ったらいいか分からない……。
さっきまでは、こんな話してなかったし。
ただ、目の前にはいつもと違う姿のルーチェ。
見てるだけのドキドキする。
もう、さっきから感情がコロコロ変わって、おかしくなりそうだ。
「綺麗だと思う……」
僕は思った事を口にする。
それしか出来なかった。
そして、たぶんそれは失敗だった。
ルーチェは怒ってるのか、反対側を向いて一度も顔を合わせてくれなかった。
「ささ、次はフィス様の番ですよ」
フォローしてくれる様に、ローゼルさんは僕を促す。
「フォローありがとうございます。怒られる所でした」
僕はローゼルさんに小声でお礼を言う。
フォローしてくれなかったら、きっと僕はルーチェに怒られていた。
そんな僕の言葉に、ローゼルさんは目を丸くして驚く。
「そっくりですね。貴方は本当に」
そういったローゼルさんは楽しそうに笑っていた。
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