第19話

僕の目の前に広がる景色。

それは、信じられない光景だった。


終わりのない白い空間。

足元がフワフワとした雲の様な場所。

そんな現実見のない場所に僕は立っている。


ただ、その全てはどうでもいい。


僕はただただ信じられなかった。

僕の恩人で……なによりも大切で、この手で殺してしまった人。


その人が僕の目の前にいる。



「久しぶりだな、フィス」



懐かしい声。

片手を上げて答える姿。

間違いない。

間違える訳がない!



「アィールさん!!」



僕がそう叫んだ時には、体が勝手に動いていた。

気が付けば全速で駆け出し、アィールさんに飛びついていた。


何で脅されている事を事前に話してくれなかったのか?

恩を仇で返すような事しか出来なくてごめんなさい。


そんなグチャグチャな感情が花火の様に爆発し、そして消えていく。


僕は気が付いてしまった。

今立っているこの場所は現実ではない。と



「僕は死んだのですね……」



アィールさんから離れ、僕は小さく呟く。


勝てなかった。

英雄と呼ばれた男。

その男と、痺れた手と足で必死に戦った。


動かない足を叱咤し、力の入らない腕を振って。


正直、最後がどうなったのかは分からない。

敵の斧が体に食い込む前に僕の意識は刈り取られていたから。



「よくやったさ、お前は」



アィールさんの言葉に、僕は首を横に振って答える。


目を瞑れば、ルーチェの泣いている姿。

それがありありと浮かんでくる。


本当は勝ちたかった。

どんな卑怯な手を使ってでも。

結果が欲しかった。


頑張った。

全力を尽くした。


そんな言葉には、何の意味も無い。



「守りたかった……人がいました……」



僕は絞り出すように言った。

拳を強く握りながら。


多分ルーチェはきっと……

自分の存在を呪い、全ての責任を感じてしまうと思う。

アィールさんを殺した時の、僕と同じ様に。


本当はそんな思い、絶対にさせたくなった……



「戻れるなら戻りたいか?この世界はお前にとって地獄だぞ?」



アィールさんの問いに、僕は首を縦に振り即答する。

考えるまでもない。

ルーチェにあんな思いをさせる位なら、僕は地獄でだって喜んで生きてやる。



「ははっ。それでこそ俺の息子だ」



突然、アィールさんの手が僕の頭をガシリと掴む。

そのまま、強い力でグワングワンと左右に振られてしまう。



「というか、俺の願いをまだ聞き届けてないだろ?」



アィールさんは嬉しそうに笑っていた。

理由なんてわからない。


妹を守ってくれ。


そんなアィールさんの願いすら叶えられず、僕は死んでしまったのに。



「ごめんなんさい……でも、僕にもう出来ることは……」

「なに、それなら心配はないさ。今ならまだ一度だけチャンスをやれる」

「え?」



何をいってるんだ?

何度も言うけど、僕は死んだんだよ?



「時間がないから詳しく説明出来ないが、フィスは呪術って知ってるか?」

「いえ……わかりません」

「そうだよな」



アィールさんは腕を組み、どう説明するか考えているみたい。

その表情と仕草だけで、何をしているのか全て分かる。


だって、僕がこの世界に来てから……

初めて奴隷になった時からずっとアィールさんと生活を共にしてきたんだから。



「フィス、俺を殺すとき俺の血を浴びた事は覚えているか?」

「はい」



忘れる訳がない。

思い出したくもない過去だけど。

確かに、僕はアィールさんの首を跳ねた。


噴水の様な血しぶきを上げ、その血を僕は一身に浴びた。



「呪術とは術者の鮮血を媒介とし、供物と魔力を共に捧げる事で発動させる魔法の事だ。当然捧げる物が貴重であればある程、効果が高まる」



その説明に、僕はただ首を傾げる。

突然、何を言ってるんだろう?というのが僕の本音だ。



「あ~、分からないか……まぁ、俺も死んでから分かった事の方が多いからな……」



アィールさんは困ったような表情を浮かべている。


それを見た僕は思わず笑ってしまった。

アィールさんは端的に説明するのが苦手だと思い出したから。


いつもいつも詳しく説明しようとして、話が脱線して肝心な事が僕に伝わらない。

そんなかつての日常が蘇ってくる。



「まぁいい。簡単に言えば、俺は自分の血と命を捧げフィスに呪術を使った。その結果、俺の魂はお前の体内に入り込んだ訳だ。だからこうやって会話が出来る」

「アィールさんの魂が僕の体内に?」

「まぁ、だからといって特別な事が出来る訳じゃない。せいぜい魔法による負担の一部を背負ってやる位だ」



俺は魔法使いでは無いからな。とアィールさんは付け加える。



「それに、呪術ってのは聞こえは悪いかもしれないが、結構貴重な魔法なんだぞ?対象を剣や鎧にすれば、特別な力を付与する事が出来る。それが、魔法の剣や鎧と呼ばれているんだ」

「魔法の……剣?」

「ああ……すまんな。話が本筋から逸れてしまったな」



アィールさんは頭をガシガシと掻きながら謝る

そうだ。

いつもこうやって話が脱線して、アィールさんの長くなるんだ。


何故だろう……

そんな懐かしい光景に僕の心の奥底が暖かくなる。



「まぁとにかくだ!フィス!俺を殺した後に使ったあの魔法を行使してみろ。あの魔法は神域の魔法だ。持続時間こそ短いが、お前はその時間だけ神と等しい力を行使出来る。そしてその負担は俺が背負ってやる」



話が脱線したせいかばつが悪いのか急かす様にアィールさんは僕に言う。

アィールさんの説明だと分からない事の方が多いけど。

言いたい事は分かった。


でも、問題がある。


確かに、アィールさんを殺した後、僕は異常な魔法を使ったらしい。

でも、その時の記憶なんてこれっぽっちも残ってない。


アィールさんの首を刎ねた後の記憶。

それは……最低な記憶だけど、その後は自室でルーチェの首を締めていた記憶しかない。


魔法を行使した際の記憶がすっぽり抜け落ちていた。



「ごめんなさい。無理です……どうやって使ったのかさえ覚えてません……」

「そうか?なら教えてやる。この場所には歓喜と憎悪が溢れてる。それを感じるか?」



アィールさんの言葉に従い、僕は集中する。

終わりのない白い空間。

なのに不思議と感じられる。

渦巻くような狂気にも似た歓喜、そして僕に対する憎悪。



「そうだ。その感情を取り込め。次にお前の大切な人の事を思い出せ。お前がこんな思いまでして守りたかった人の事を」



言われた通りルーチェの事を思い出す。

それだけで、胸の底がジリジリと焦げるような思いが溢れてくる。


分かった気がする。

全ての思いは感情によって表される。

そして、感情は魔力から生み出されるもの。


つまり、強烈な感情や思い。それは力なんだと。



「最後に俺との生活を思い出せ。俺たちの時間は決して長くなかったが……」



アィールさんとの思い出。

それはすぐに溢れてくる。


暖かい気持ちと共に。

今更ながら実感する。


あの瞬間、アィールさんと共に過ごした時間は

紛れもなく幸せだったと。



「そうだ。後は簡単だ。喜怒哀楽。人が持ちうるすべての感情の全てを力に変え強化魔法の要領で体に行き渡らせろ。お前なら出来るはずだ」

「……はい」



指示通り全ての感情を混ぜ合わせ、魔力へと変換していく。

そして、その魔力を元に強化魔法を発動させていく



「凄い……」



全然違う。


僕の普段使う強化魔法とは比べものにならない。

体そのものが違う何かに置き換わり、勝手に回復していくような錯覚さえ覚える。



「多用はするなよ。本来なら一度使えば命を落とす禁忌の魔法だ。魔法の威力に人間の体がついてこないからな」



僕は頷く。


体そのものを別の何かに作り替えるような魔法なんだ。

反動がない訳がない。

対価として命を落とすと言われても容易に納得出来る。



「でも、これってアィールさんに……」



これだけの魔法だ。

対価が無い訳がない。

その負担をアィールさんが背負うのであれば……それはきっと……



「ああ。使えば使うほど、俺の魂は薄れていく。もうこうして意識の中で会うことも出来ないだろうな」



やっぱり!

そんなの嫌だよ!

せっかくこうやってまた会えたのに。


また、僕はアィールさんを殺すのか?!



「お前には、守りたい人がいるんだろ?」



そんな僕の気持ちを静める様に。

アィールさんは、僕の頭にポンと手を乗せる。


凄く優しい表情をしながら。



「いいか。お前が理解したように思いは力だ。お前が大切な人を守りたい気持ち、大事な人が傷つけられて心の底から怒る気持ち。その全ては力なんだ。だからこそ自分の思いを大事にしろ。自分の感覚を信じ歩き続けろ」

「……でも!」



涙が溢れそうになる。

申し訳ないって気持ちが溢れてくる。


アィールさんを殺した僕のここまでしてくれる……

恨まれたっていいはずなのに。



「お前が俺を思ってくれる事は嬉しい。ただ、その思いは生きている者に繋いでやれ」



アィールさんは僕の頭をガシガシと乱暴に撫でる。



「俺はあの日、お前に殺されることを決めていた。それは同情からなんかじゃない。お前なら俺の願いを達成し、俺の国を……いや世界をもっと良く出来ると思ったからだ」



僕が知りたかった事。

その全てをアィールさんが語ってくれる。



「だから俺はお前に命を繋いだ。それは俺が生きてきた中で一番の功績だ。もしかしたら、これから先、お前も俺の様な選択をする時が来るかもしれない。その時は笑って次の世代にお前の意思を繋げてやれ」



俺と同じように。と、アィールさんは最後に付け加える。

それもすごく恥ずかしそうに。


それは、いつものアィールさんとは違う。

とても短い言葉だった。


アィールさんは、僕を心の底から愛してくれている。

本当の子供の様に、僕に色んなものを繋いでくれるのが分かる。


これだけ僕の事を思ってくれる人の意思を無視する訳にはいかない。

だから、僕はこの言葉を絶対に忘れない。



「はい!」



気持ちを振り切って、僕は答える。


もう我侭は言わない。

アィールさんの魂を食らい、僕は生きていきます。


大事な者を守るために。

そして、アィールさんの意思を繋いでいく為に。



「良い返事だ。さて、そろそろ行け!もう時間がないぞ!」



その瞬間、アィールさんが急に遠ざかっていく。



「あの!!」



待って!

最後に一言だけ、伝えたい事がある。



「僕はアィールさんと会えて幸せでした!そしてきっとこれからも!!」



僕は叫んでいた。

もっと言いたい事があった。


お礼を言いたい事、感謝したい事が山ほどあった。

でも、咄嗟に出たのはそんなありきたりの言葉だった。



「ああ、俺もだ。頑張れよ。俺の自慢の……」



息子。

そんな言葉が聞こえたと思う。


アィールさんは、右手を上げ拳を握って見せる。

その次の瞬間には、アィールさんは霧の様に白い空間に散っていった。






目の前に広がる青い空。

さっきまでの白い空間とは違う。


背中に感じられる固い地面。

周りから浴びせられる割れんばかりの歓声に、極限まで張り詰めた感情の渦。



(戻ってきたのか……)



僕はコロセウムの会場

その中心の固い地面に横たわっている。


もはや、体の痛みも痺れも無い。

万全。いや、それ以上の状態だ。


そんな事を考えていると、青い空から降り注ぐ光が何かに遮られた。


それは、ただただ大きい鉄の塊。

大斧だった。


大斧は、僕に向かって真っすぐ向かってくる。

ただ、焦る必要もなければ、避ける必要も無い。


僕はただ、大斧に手を伸ばす。


パシッという小気味のいい音。

少し掌がビリビリする。


僕は振り下ろされた大斧を素手で受け止めていた。



「……あったかい」



掌に感じるのは冷たい鉄の感触。

それじゃない。


心だ。

心の底が暖かいんだ。

大切な人がくれた最後の贈り物のせいだとおもう。



「邪魔だな」



僕は手に収まる冷たい鉄の塊を思いっきり握る。


バキン。

そんな鉄が砕けるような音と共に、僕の指が鉄の塊である斧の刃を易々と貫いていく。


僕はゆっくりと立ち上がる。

大斧の刃先を貫いたまま、ゆっくりと。



「!!」



僕の目の前には目を大きく見開き、信じられない物を目の当たりにしたような男がいる。


当然だと思う。

僕は、斧の刃を素手で受け止め。

そして、今までの事など何も無かったかのように立っているんだから。


逆の立場だったら、逃げ出しているかもしれない。



「返しますね」



僕は斧を英雄に向かって放り投げる。

それは尋常でない勢いで、英雄の脇をすり抜け観客席の石壁に突き刺さっていた。


その光景に、会場は静まり返る。


ゴクリ。

誰かが唾を飲み込む。

そんな音さえ聞こえてきそうな位だった。



「フィス!!無事なのかよ?!フィス!!」



背後で、僕を呼ぶ声がする。

必死で僕の名を何度も何度も叫ぶ声。

見なくても分かる。


英雄に背を向け、その声がする方向へと歩く。



「心配かけたね。ごめんね」



声の主はブンブンと首を振っていた。


また、泣いてる。

最近はずっと泣かせてばかりだと思う。



「ねぇ、ルーチェ。お願いがあるんだけど……また動けない僕の面倒を見てくれる?」

「うん!!約束……ずる!!」



涙を流し、鼻を啜りながら何度もルーチェは頷いていた。



「ありがとう。もう大丈夫だから、後は安心して見てて」



僕はそう言って笑って見せる。

安心させようと、強がりを言った訳じゃない。


確信があった。

たぶん、今の僕はもう相手が人なら負けることは無い。


ルーチェには、本当に心配をかけたと思う。

心の中で僕はもう一度ルーチェに謝る。

そして、踵を返し唖然としている英雄に相対する。



「……お前、本当に人か?」

「ええ、一人では大事な人すら守る事の出来ない弱い人間です」

「はっ!嘘をつけ!!」



なんか釈然としない。

僕は嘘なんか言って無いのに。



「まぁいい……相手に取って不足はねぇ!!!」



英雄は僕の言葉で正気に戻ったのか、だらりと下げていたもう一方の斧を構える。

そして、僕に向かって全速で駆けてくる。


大斧を抱えているとは思えない速度で距離を縮め、そのスピードを乗せた大斧を素早く振りぬく。

僕はその攻撃を避ける所か防御する事さえしなかった。


大斧は僕の首へと的確に命中していた。

首筋から一筋の血が流れる。



「なんだお前は!!!」



それは悲鳴にも似た叫びだった。

英雄の放った一撃は、僕の首にちゃんと命中した。


普通なら首が飛んでいると思う。


でも、今の僕には効果は殆どない。

首の皮を一枚裂く程度の攻撃でしかない。



「今度は、僕の番です」



僕はその声を無視し、力の籠った拳を英雄と呼ばれた男の腹へと埋め込む。


一撃だった。


その一撃で、英雄は壁まで吹き飛び、羽を抜かれた蝶の様に地面をのたうち回っている。

もう、暫くは立つことさえ出来ないと思う。


自分でもチートだと思う。

最早戦いですらない。


僕は、無残に転がった斧を拾い上げ、木の棒の様に振り回し時間をかけて英雄へと詰め寄っていく。


観客からは歓声は上がらない。

ただただ恐怖の様な感情と、一部からは崇拝にも似た尊敬の様な感情が沸き上がっていた。



「なんだお前は……勝てる気がしねぇ……」



英雄は地面に寝転がり、観念したようだった。

僕は斧を振り上げる。


さっきとは真逆の状況だ。


この人に恨みはない。

殺したい理由も無い。


でも、ここはコロセウム。

剣闘士として戦った以上は、どちらか死ぬしかここから出る方法は無い。



「……殺せ」



観客の一人がポツリと呟いたと思う。

その声は直ぐに広がり、思い出したかの様に大きな轟音となって鳴り響いていた。


”殺せ!”という合唱。

それはいつも変わらない。

他の剣闘士を殺した時も

アィールさんを殺した時も。

そして、今。この瞬間も。


観衆は皆、剣闘士の最後を楽しみにしているのだから。



「……早く殺せ。お前も剣闘士だろう?さっさとルールには従え」

「そうですね」



英雄が僕に告げる。

その通りだ。

ほんの少し前、僕も逆の立場だった。


同情する余地なんてないし

相手もそれを望んでない。


でも、なんでそれに従わなければいけない?

僕は力を得た。

血反吐を吐く努力と、大切な人の命と魂をも食らって。


なら、その力を剣闘士としてこのまま行使するのか?


それは違う。

僕の心がそう言っている。


アィールさんはそんな事する為に命を賭けてまで、僕に力をくれた訳じゃない。


誰が正しいのか、何が正しいのか。

そんなのどうでもいい。


アィールさんの意思の通り、僕は自分の思いと感情。そして、感覚に従い行動するだけだ。



「ここでは!!」



僕は声を張り上げる

強化した体で放つ全力の声。


それは、観客の歓声を再び黙らせるには十分すぎる物だった。



「強者が全てを決める!異論がある者は前へ!!僕と戦いどちらが正しいか証明すればいい!!」



静かになった会場で僕は宣言する。

そして持っていた斧を放り投げる。


観客の意には沿わない。

そう宣言するように。



「もう一度言う!!僕は逃げない!!文句がある人は僕の前に立ち戦え!僕はここにいる全員とだって戦う!!」



反論する声は上がらなかった。

殺すも殺さないも、すべては勝者が決める。



「誰でもいい!何人でもいい!!異論の声を上げるのならばこの場に出てこい!!!勝者こそ全てを決める権利がある!!!」



もう、2度とアィールさんの様な事起こさない為に。



結局、僕の目の前に立つ者はいなかった。

反論すら沸き上がる事は無い。

ただ、嫌悪の視線だけは僕に刺さるように注がれていた。



「……俺を馬鹿にしてるのか?!」



ヨロヨロと英雄と呼ばれた男は立ち上がる。

その顔は怒りに満ちていた。



「生きてもらいます。勝者は生死も含めた全ての権利を持つべきだとは思いませんか?」

「負けた人間は恥辱にまみれてでも従えというのか?!」



英雄は怒りに任せ、吠える様に叫ぶ。

何故そこまで怒るのかは、剣闘士としてのプライドなのかは分からない。



「ええ、潔く従ってください。例え敗者と罵られ、生きるのに困窮しようとも。それが勝者の権利です。そして貴方は敗者です。敗者は死に場所を選べるほど偉いのですか?」



僕は自分の思いをキッパリと告げる。

間違ってるというなら、力で示せと。


ここは、この世界はそういう場所なのだから。



「言うじゃねぇか。クク……ハハッ!!おぐっ……」



英雄は、痛みを思い出すかの様に腹を抑える。



「殺すより酷い仕打ちだな。まぁお前の言う通りだ。敗者に異論を唱える権利はねぇ」

「ええ、異論があるなら僕と戦えば良いことです。僕はそう宣言しました」



この世界は残酷だ。

ただ、それ故シンプルなんだ。


強い者。

力であれ知識であれ魔法であれなんでもいい。


自分の意思を押し通す強さを持つ者であれば、世界のすべては覆る。



「強者が全てか。シンプルだな。ま、その方が俺も納得できる。でもいいのか?後悔するかもしれねぇぞ?俺はまたお前に挑むからな」

「ええ、その時はまた僕が勝ちます」

「クソ可愛くねぇガキだな」



英雄と呼ばれた男は笑っていた。

そして僕の傍までやってくる。



「お前に一つ教えてやる。いいか?大衆ってのはな、楽しめれば味方になる。見てろ」



英雄は僕を掴みヒョイと肩へと乗せる。

そして、腕を振り上げ宣言する。


勝者こそすべてと。


すると今まで黙っていた観客は、一斉に盛り上がり始める。


奴隷王!!


一部の区画。

奴隷達が集まる場所から、そんな声が湧き上がる。


その声を”もっと出せ!”と英雄と呼ばれた男が煽る。

すると、会場全体にその声はドンドン波及していく。



「いいか?こうやって喜ばせる演出をすれば、皆がお前を支持するさ」



英雄の言葉通り、いつしか会場から僕の名と奴隷王と呼ぶ声が交互に上がり続けていた。



「演出ですか……」



僕はその言葉に素直に感心した。

会場全体が歓喜に沸いてるのだ。


ほんの少し前まで、僕に対して嫌悪の目を向けていた人までもだ。



「覚えておきます。色々と教えてくれてありがとうございます」

「お前変な奴だな……勝者が礼を言うのか?」

「僕はただ当たり前の事をしただけです」

「ああ、やっぱりお前は変な奴だな」



プッと吹き出すように、僕と英雄は笑い合った。

忘れていた。


剣闘士だって人なんだ。

僕が殺してきた人の中にも、こうやって打ち解けられた人がいたかもしれない。


そんな当たり前の事を僕は今日初めて思い出した。

この歓声渦巻くコロセウムの中心で。





小さな悲鳴が上がる。

特に何かあった訳じゃない。


僕は歓声が鳴りやまない会場を後にし廊下までやってきた。

ただ、そこまでだった。


緊張の糸が切れたのか、強化の魔法が切れルーチェに抱き着くようにもたれかかってしまったのだ。

もう、一歩も動けない。



「ごめん、もう力が入らないや」

「ううん。かっこよかったよ」



ルーチェは僕の背にそっと手を回す。

それを見かねて他の仲間が助けようとしてくれるが

ルーチェが”俺が運ぶ!”と譲らなかったのだ。


と言っても、ルーチェに僕を楽々運べる力なんてなく

ヨロヨロとした足取りで僕を引っ張っていく位しか出来なかった。


危なっかしい。

周りの仲間も、僕もそんな忠告をするけど、ルーチェは決して意思を曲げなかった。



「あっ……」


ベチャとルーチェは潰れる。

心配した通りの事が起きた。


ルーチェが僕を抱えたまま倒れたのだ。



「すまねぇ、すぐ起きるからよ」

「ねぇ」

「なんだ?」



ルーチェは僕を背負って懸命に立ち上がる。



「好きだよ。ルーチェ」



ルーチェの小さな背中。

僕はそこに背負われたまま言ってしまった。


恰好もつかない。

絶対に女の子に背負われていう事じゃない。

ありえないかもしれないけど、今この気持ちを伝えたかったんだ。



「なっ!!」



驚いたルーチェは再びベチャっと潰れてしまう。

顔の表情までは見えないけど、耳が真っ赤だ。



「はっきり分かったんだ。思いは力だって」

「な、なに言ってんだよ!!」

「だから絶対に守ってみせるよ」



ルーチェはそのまま蹲って”あー”とか”うー”と唸っている。

思わず吹き出しそうになってしまった。

でも、なんだか幸せだと思う。


僕はそのままルーチェに背負われたまま、ずっとその様子を一番近い場所で見続けていた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る