第18話
「あそこが目的の倉庫さね」
「随分と警備が厳重じゃな」
街道の脇にある暗い小さな路地。
そこに4つの人影がある。
薄汚い灰色のローブに杖を持ったセネクス。
ピッチリとした服に身を包み、鞭を腰から下げた唯一の女性ベリス。
楯と鎧、そして鞘に至る全てが白く染まった装備を身に着けたゼノン。
そして、使い込んだ皮鎧に曲刀を下げたゾット。
全員が武器を持ち、特に二人の剣士は戦いに行く直前の様な恰好をしている。
「では、いくかの」
「何を言ってんだい。こっちから手を出せばそれこそ終わりさね。策があるといったのはアンタだよ?」
呆れたようにベリスは言う。
「ふん、策などないわい」
「はぁ?」
セネクスが発した予想もしない言葉。
べリスは気の抜けた声をあげ、周りの人間も理解が追い付かない様子であった。
「アンタ、なにしてるんだい……?」
べリスは唖然とする。
その視線の先では、セネクスが行き慣れた馴染みの店へ向かう様にふらりと歩き出していた。
「お待ちくださいセネクス様!!今から私が兵士に掛け合います!!」
元近衛騎士であるゼノンはいち早く動いていた。
セネクスの行動の意図を感じ取り、慌ててセネクスの前に立ち道を塞いでいた。
「それでは間に合わんよ」
「しかし、それでは!!」
「すまんの。これは約束じゃからな」
セネクスはゼノンの肩をポンと叩き、場所を開ける様に促す。
「はっ!似合わねぇよジジイ」
その声が響いた瞬間。
セネクスは、思いっきり地面へと引きずり倒されていた。
剣闘士の長であるゾットは、セネクスの服を後ろから掴み力任せに引っ張ったのだ。
セネクスは魔法の心得はあれど、身体能力的には年相応の体である。
剣闘士であるゾットの力に簡単に屈し、地面へと倒れてしまう。
「何をする!!」
当然、セネクスは怒りの声を上げる。
ただ、ゾットは謝るどころか足を振り上げ、セネクスの足首を踏み抜いていた。
「心の底から気持ちわりぃんだよ。なんだ?その聖人みたいな態度は。ジジイは笑顔で人を陥れる悪魔みたいな奴だろうが」
ゾットはうめき声を上げ痛がるセネクスに吐き捨てる様に言い放つ。
「それに、残された者の痛みは計り知れないんだろ?テメェで言った事だろうが。耄碌してんじゃねぇぞ。ジジイ」
ゾットはそう告げると、そのまま街道へと歩き出していた。
元近衛騎士であるゼノンに”ジジイを頼む”と、小さく耳打ちをして。
「待たんか!!」
セネクスは声を荒げゾットを止めようとするが、踏み抜かれた足首の痛みのせいで立つことすら出来ない。
「ルーチェがここへ来たら先にコロセウムへ戻ってろ。俺も夕方には帰る」
「分かっているのか!!その行動の意味が!!」
「おう」
ゾット短く答え、手の甲をフラフラと手を振り太陽の光が降り注ぐ街道へと歩いていく。
「待て!全然分かっとらん!!お主処刑されるぞ!!」
セネクスは叫ぶ。
それでも、ゾットの足は止まることは無かった。
べリスもゼノンも、その光の中に消えていく背中を止める事は出来なかった。
◆
「随分と遅いね……途中でやられたかね?」
「大丈夫じゃ。あやつは馬鹿じゃが、そんなヘマを犯す奴ではないわい」
セネクスの足は貧乏ゆすりでカタカタと揺れていた。
ゾットに踏みつけられた足は、魔法を使うまでも無く回復していた。
「いいか?騒ぎが起きたら手筈通り動くのじゃ。あのバカを恰好つけたまま殺させてたまるものか」
「アンタも変わったね。少し前なら他人の事など石ころと変わらない扱い位にしか思ってなかっただろうに」
「知らん。ワシはただ足を踏まれた仕返しをするだけじゃて」
「誰の影響だろうね……っと、無駄口はここまでみたいだね」
その言葉にセネクスは目を細める
視線の先。
ルーチェが捕えられている倉庫から、黒い煙が立ち上り始めたのだ。
それに呼応するように倉庫から怒号が響き、中には断末魔のような叫び声まで聞こえてくる。
そして、その声や黒煙に釣られるように、倉庫の前の街道には沢山の人が集まり。
セネクス達もその人だかりの中に紛れ込む。
「おい!人が出てくるぞ?!」
集まった群衆の中から声が上げる。
倉庫からは煙に追われる様に、沢山の人が倉庫から逃げ出すように飛び出していた。
身なりの整った立ちの者から、麻布を被っただけの奴隷の様な人間まで。
この倉庫の何処にいたのか?と思える程、沢山の人間が溢れてくる。
その時、倉庫から逃げ出した人々の中から悲鳴があがった。
何処から現れたのか、手に剣や斧を持ったならず者達が倉庫から逃げた人々を追いかけ、背中から容赦なく切り捨ていたのだ。
その行動に倉庫から逃げ出した人々は錯乱し、前に走っていた者を押しのけ我先にと逃げようとする。
「いたぞ!!ルーチェじゃ!!」
その倉庫から逃げる人々の中にルーチェはいた。
ネルとルベル。
二人の子供の手を引き、必死に走っている。
ただ、子供達の走る速度は遅い。
直ぐに他の人間に弾かれ、地面へと投げ出されてしまう。
それをルーチェが見捨てられる訳も無く、ただ、人の足に踏まれないように子供達を抱き盾となっていた。
当然、地面で蹲るルーチェ達は追手の一番の標的になってしまい、既に何人かの男たちがルーチェめがけて声を荒げ、武器を振り上げながら、走り寄っていた。
その時、一筋の白い光がそのルーチェと追手の間に割り込む。
「子供達に武器を向けるとは何事だ!!」
太陽の光を反射し、白く輝く鎧と楯。
元近衛騎士のゼノンであった。
「どけ!こいつらは奴隷だ。勝手に逃げ出しやがったんだ!」
「奴隷?ここにいる皆がそうなのか?」
ゼノンはワザと大声で告げる。
その声に、倉庫から逃げた人々や周りにいた野次馬の視線の全てがゼノンへと注がれていた。
「例え奴隷であっても、こんな無法に扱われていいものではない!」
ゼノンは白い鞘に入った剣を抜き放ち、頭上高く掲げて見せる。
それは太陽の光を一身に浴び、ギラリと輝いてた。
「違います!私は奴隷ではありません!無理やり捉えられて!」
「私も!!」
騎士の様な出で立ちのゼノンの周りには、人々は縋るように集まってくる。
騎士とは秩序を表す象徴的な存在である。
それを表す光の下で輝く白い鎧と楯。
ゼノンの恰好はまさに騎士のそれであった。
それも当然。
本物の騎士の鎧と楯なのだから。
それ故、一目で信頼を勝ち取り、庇護を受けようと沢山の人間がゼノンへと縋ってくる。
ただ、それを妨害するように、武器を構えた男達も集まってくる。
「どういうつもりだ?この者達は奴隷ではないと言っているぞ?」
「余計な事に首を突っ込むんじゃねぇよ」
ゼノンと武器を持った男達。
その間に険悪な空気が流れ始める。
武器を持った男たちは一つに集まり、ゼノンとの距離をジリジリと詰めていく。
「こっちじゃ。ルーチェ」
その隙をついて、セネクスはルーチェと子供達を連れ裏路地へ隠れる様に逃げていく。
「大丈夫じゃったか?」
人だかりを抜け裏路地まで移動したセネクスは声をかける。
すると、ルーチェは薄汚れたセネクスのローブに飛び込み小さく震えていた。
「辛かったの……よく子供達を守ったの……」
まだ成長しきっていない小さな体をセネクスは抱きしめ、頭を撫でてやる。
それから、暫くして鼻をズッと吸う音が響き、ルーチェはセネクスから離れる。
「……フィス……フィスは?どうなった?!!」
「安心せい。まだ戦いの合図は……」
思い出したようにルーチェは尋ねる。
その瞬間であった。
オォォーー!!という声の塊が、遠くから響いてくる。
コロセウムとはかなりの距離があるこの場所まで響く歓声。
それは、フィスの試合が始まった合図でもあった。
「間に合わんかったか……」
セネクスは、唇を強く噛みながら声がする方向を見つめていた。
本来なら試合が始まるまでにルーチェをコロセウムまで送り届けたかった。
しかし、それは叶わなかった。
そして、ルベルとネル。
ネルが連れた二人の子供達は明らかに憔悴している。
特に少年であるルベルは平気そうにしているものの服の間から見える黒く変色した体の痣や、体の一部を庇った変な歩き方など、間違いなく怪我をしている。
これでは、無理をさせて走る事も出来ない。
かといって魔法で回復させている時間など最早ない。
後手後手に回る自分の要領の悪さをセネクスは呪っていた。
「爺さん……子供たちを……ネルとルベルを任せていいか?」
「……まさか、お主一人で?」
ルーチェはコクリと頷いていた。
目の下には黒いクマが広がり、どう見たって万全な状態ではない。
追手の可能性もある。
普通の状況であれば、許可など出来るはずがない。
セネクスは目をつぶり考える。
どうすべきか。
何が一番良い結果につながるのか。
老獪な頭をフル回転させる。
「わかった。思うようにせい」
ふっきれた感じでセネクスは答える。
考えても何が一番いい結果をもたらすかなど、分からなかった。
ならば、本人のしたいようにさせるのが一番だと判断したのだ。
「本当に迷惑ばっかりかけてごめん!!」
「子供たちの事は任せるんじゃな」
「うん。ありがとう!」
ルーチェはセネクスに一礼し、ネルとルベルを軽く抱きしめると、全力で駆けだしていく。
靴も履いていない。
裸足のまま。
「良い娘じゃないか」
「じゃろ?フィスにはもったいなかったかの」
駆けだしてく少女を見ながらセネクスは言う。
そして、すぐに厳しい顔に戻り、街道へ戻っていく。
「悪いが子供たちを安全な場所へ頼むぞ。お主の力なら造作もないじゃろ?」
「アンタはどうすんだい?」
「この子を回復させた後、少し運動をしてくる。ワシとて腹に据えかねる思いがあるからの」
街道では、ゼノンが逃げて来た人々を守るために、奮戦している最中であった。
◆
(……これ以上は)
息をする度に肩が大きく上下する。
僕の体力の限界が近づいているのだ。
力が入らないのは手だけじゃない、足も同じだ。
歩く位は出来るけど、本来のそれとはまるで違う。
行動のテンポが、一つか二つ。
いつもと比べて遅れてしまう。
それでも、普通の剣闘士相手ならまだやりようがあった。
ただ、流石というべきか……
目の前の相手。
英雄と呼ばれたこの相手は、大斧を二つ抱えているにも関わらず
その辺の剣闘士なんかよりもはるかに早い。
攻撃の威力はけた違いな癖に……だ。
一撃でも食らえばそれで終わり。
それが余計に僕の精神を摩耗させ、体力を根こそぎ奪っていったのだ。
「流石にねぇな。弱すぎる。お前薬でも盛られたな?」
英雄は大斧を木の棒の様にヒョイと肩へ掲げて見せる。
その動作だけで、筋力が半端な物ではない事が容易に分かる。
ただ、どこかつまらなさそうにみえるのは、たぶん気のせい……ではないと思う。
戦って分かったけど、この人は純粋に戦いを楽しむ人みたいだ。
戦いを本懐とする剣闘士としてなら、本当に天才といえるかもしれない。
英雄と呼ばれるのも納得できる。
なら、ここは正直に話した方が得かも知れない。
「ええ……実は剣も握れない。って言ったら信じますか?」
「なるほどな……あいつら余計なことを……」
侮蔑した感じで英雄と呼ばれた男は吐き捨てる。
あいつら?
その言葉が気になるけど、今はそれどころじゃない。
「時間が経てば回復します。せめて明日……明日また戦いませんか?決して無様な戦いはしませんから」
「……何言ってんだ?」
僕の提案に、英雄は呆れた表情を浮かべていた。
「お前、剣闘士のルール位は分かるだろ」
「……ええ」
「なら、それは無理だっーことくらい知ってるだろ」
その通りだ。
剣闘士にとってこの場所。
コロセウムの会場は墓場なんだ。
ここはどちらか一方が死ぬまで出る事は出来ない。
それこそ、皇帝の許し(恩赦)が無い限りは。
「分かってるなら大人しく死ね。せめてもの情けだ、痛くないように殺してやる」
英雄は大斧をブンと振り斧先を僕へと向ける。
もう、覚悟を決めるしかないみたいだ。
体力的に逃げるのも限界だから。
僕はゆっくりと息を吐き、剣を引き抜く。
「ほぅ、諦めずにまだ足掻くか」
残念だけど……まだ、手が痺れてる。
これじゃあまともに剣は振れない。
「いいだろう。見せてみろ。お前の悪あがきを」
英雄は初めて楽しそうな表情を浮かべていた。
その表情が、僕の心に”恐怖”という感情を呼び起こす。
これじゃあ、狩られる前のただの獲物だ。
心を落ち着かせる為に、ゆっくりと深呼吸をする。
剣も握れない。
足だってまともに動かない。
しかも、人質を取られ勝つことすら許されない。
そんな状況で戦う方が異常だ。
諦める方が自然なのかもしれない。
でも、諦めようと目を瞑れば、そこに泣いている一人の少女の姿が映ってしまう。
泣き虫で優しい少女の姿が。
だからこそ、彼女の為にも僕は今死ぬわけにはいかない。
その思いを叶える為に、僕は剣を構える。
ただ、その剣は僕が初めて剣を持った時よりも重く鈍い物だった。
◆
「おい何処見て!!」
「ごめん!!!急いでるんだ!!」
ルーチェは、ぶつかった相手に首だけを後ろに軽く向け謝る。
ただ、走る事はやめない。
ルーチェは胸が張り裂けそうだった。
原因は二つ。
全速力で走り続けているせいでもあり、そして不安に押しつぶされそうな心のせいでもある。
足の裏には小さな石が刺さり、地面を踏む度に痛みが走る。
ただ、今のルーチェにはそんな事は些末な問題であった。
もし、間に合わなかったら。
そんな気持ちがルーチェの心を黒く塗りつぶし、涙となって溢れ地面に零れていく
だから、ルーチェは足を止めない。
裏切った自分を助けてくれた恩人に報いる為に。
そして、その中でルーチェは自分の気持ちにもはっきりと気が付いてた。
もし、フィスを失ったら。
そう考えるだけで、こんなにも心が壊れそうになるのだから。
「止まれ!!ここは剣闘士の居住区だ!!」
「俺です!ルーチェです!」
「ああ、早く行け!もうとっくに試合は始まってるぞ」
何も知らないコロセウムの兵士は、ルーチェを検査も無しに門を通過させる。
観客席ではなく、剣闘士達が生活する居住区域へと。
ルーチェは1秒でも早くたどり着くために、悲鳴を上げる足を叱咤し、階段を下り、石造り廊下を全速で駆けていく。
そして、石造りの廊下の先に光が見えた。
大きな歓声が沸き上がる会場へと繋がる唯一の入口。
「フィス!!!!」
格子状の柵に阻まれた入口にぶつかる様に、ルーチェは飛びつく。
「俺は無事だ!!もう、我慢する必要はない!!」
そして、声の限り叫ぶ。
ルーチェは確信していた。
フィスが本気を出せばどんな相手だって勝てると。
ただ、それに答える返事は無かった。
フィスは強い風に流される布の様に宙を舞っていたのだ。
その体は空中でクルクルと回転し、地面へと落ちていく。
ドサリ。
地面に落ちたフィスの体はピクリとも動かなかった。
「……嘘……だろ?」
ルーチェは格子状の柵の隙間から必死に手を伸ばす。
ただ、その手はフィスの体に届くことは無い。
「フィス!!返事をしろよ!!おい!!」
どんなに呼びかけても、フィスは反応しない。
よく見ればフィスは白目を剥いて意識を手放している。
その傍らには、無残に砕け散ったフィスの剣が転がっていた。
会場の中心に唯一立っている男。
その男は観客の嵐の様な歓声を一身に浴びている。
大斧を振りかざし、観客にこれ以上ない程に自身の力をアピールしながら。
そのパフォーマンスに観客は酔いしれ。
大きな喝采が、男に降り注いでいた。
「待てよ……待ってくれよ……」
ルーチェは膝から崩れ落ちる。
間に合わなかった。
頭の片隅。
冷静な部分が、自身にそう告げているのだ。
「こんな所で俺を残していかないでくれよ……助けてくれるって約束しただろ……」
ルーチェは呪っていた。
自身の力の無さを。そして、意思の弱さを。
全ては自分がフィスを裏切ったことから始まったのだと。
「お願い……目を開けてよ……」
ルーチェは両手を合わせ祈るように呟く。
ただ、その願いは観客の歓声によってかき消されてしまう。
会場の中心にいる男は大斧を頭上でグルグルと振り回し、観客を煽りに煽る。
それに応える様に、観客も声の限りに叫び、全身を震わせる。
全てが異常なまでの熱気へと変わり、それが最高潮へと達した時。
大斧がフィスへと振り下ろされた。
ルーチェはその光景に絶望し、ただ目を逸らす事しかできなかった。
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