第17話

「お前は人質を連れ出して何をしてるんだ?」

「いや、これは……こいつが生意気だったんで、立場を分からせようと……」



冷たく殺意の籠った声。

それが一人の男に向けれられている。

先ほどまでルーチェの髪を掴み乱暴に扱っていた男へと。



「立場をわきまえるのはお前の方だ」



その男を叱責しているのは、盗賊あがりの剣闘士であるディーン。

顔の半分をマスクで隠し、黒くぴっちりとした服を身けている。



「お前は大事な商品に怪我をさせ、手を出そうとした。商品の価値が分からない人間は必要ない」



ディーンは、腰に下げた短剣を引き抜く。

ただ、その短剣からは音が一切しない。



「待って……」



男がその言葉を言い終える前に、ディーンは動いていた。

迷いのない素早い動き。


男が言葉を言い終える前に、短剣が喉へと埋め込まれていた。

ヒューという空気が漏れる音と共に男は床へ倒れこむ。



「ひっ……」



ルーチェは小さい悲鳴を上げる。

石の床に倒れた男は既に絶命していた。



「ルーチェ、お前は牢屋に戻ってろ。大人しくしてれば明日までは安全だ」



ディーンは冷たく言い放つと、ルーチェに背を向ける。



「なぁ……!アンタも好きでこんな事やってるんじゃないんだろ?脅されてるんだろ?」



ルーチェは怯むことなく問いかけていた。

結果だけを見れば、ルーチェは助けられた。


だからこそ思う。

ディーンもまた、本当はこんな事したくないのでは?と。

どうしようもない状況下で大事な人を裏切ったルーチェだからこそ。



「お前も随分と甘いな。もう少し賢いかと思っていたが……」



ディーンは呆れたように小さく息を吐く。



「俺は自分の意思でここにいる。誰の指図でもない。分かったらさっさと戻れ」

「嘘だ!なら、どうして……」

「勘違いするなよ。お前はまだ価値があるから生かしているだけだ。余計な事をすれば家族もろとも殺すぞ?」



殺気の籠った低い声。

おびえる様にルーチェは紡ごうとした言葉を飲み込む。



「……わかったよ」



闇に消えていくディーンの姿。

足音はおろか服の擦れる僅かな音すら発しない。


ルーチェはその背中をただただを見続ける事しかできなかった。





「まったく、こんな夜中に呼び出して、情報を寄越せとはね」

「高い金を払うんじゃ。それくらい別にええじゃろ」



セネクスさんは文句を言う。

ただ、いつもに比べればその声は異常に小さい。



「その金も値切る癖によく言うさね」



僕達の目の前には、セネクスさんの知人の女性がいる。

セネクスさん曰く、この人物はこの街の暗部に非常に詳しい人物らしい。


僕の背中の怪我。

その治療と情報整理の為に、またこの場所。

僕たちはコロセウムにある一室。セネクスさんの部屋に戻っていた。


本が山の様に積まれたこの部屋に、僕とセネクスさんと元近衛騎士のゼノンさん。

それに、セネクスさんの知り合いの女性と、北位の長であるゾットさんが呼ばれていた。


同じ仲間のディーンが裏切者だと分かった以上、北位の長であるゾットさんも他人事ではないとセネクスさんが呼んだのだ。



「本当にすいません。お金なら僕の持っている全てを差し上げます。だから、力を貸してください」



僕はその女性に頭を深く下げる。

今はほんの少しでもいい。

力になってくれるのなら、お金だけじゃない。

僕の持っているもの全てを喜んで差し出す。



「へぇ!ジジイの弟子にしてはわかってるじゃないか!」

「フィス。そんな事を言ったらこの強欲ババアに尻の毛までむしり取られるぞ?」

「あぁ?!ジジイ!また燃やされたいのかい?」



その言葉にセネクスさんは、目線を反らし黙り込んでしまう。

珍しい。

セネクスさんがこんな態度を取るなんてそうそう見られる事じゃない。



「しかし、巷で化け物と呼ばれているからどんなやつかと思えば、惚れた女を取り戻すために全てを差し出し全力を尽くす、中々出来た男じゃないか」



女性は小さく頷き僕に微笑んで見せる。



「私はべリスさ。坊やとは長い付き合いになりそうだね」

「フィス・クレセントです」



べリスと名乗った女性は僕に手を差し伸べてくる。

正直、どうでもいい。

早く動いてくれないか。というのが僕の本音だけど。

ここはその気持ちを抑えて、その手をきちんと握り返しておく。



「男は焦った時ほど余裕を見せな。焦りが顔に出るようじゃまだまだだよ」

「……はい」



べリスさんは僕に顔を寄せ小さく呟く。

僕の心の中が読まれてる。

でも、仕方ないと思う。

今は本当に時間がないんだ。



「まぁいいさ、それで、剣闘士の中に他に裏切者はいそうかい?」

「それはねぇな。全員確認したが、皆馬鹿みたいにイビキかいて呑気に寝てやがる」

「そうかい。まぁ、もう必要ないだろうしね」



ゾットさんは皮鎧を着込み、試合に出る直前のような恰好をしている。



「必要ない……?もしかして、何か分かったんですか?」

「ああ。そのルーチェって子とその子供達が捕らわれてる場所は分かってるよ」

「本当ですか?!!」



セネクスさんの知り合いの女性。

べリスさんはさらっと答える。

早すぎる。

あまりにも仕事が速い。

だって、僕たちがここに戻ってきてからまだ少しの時間しか足ってないじゃないか。


その異常なまでの仕事の速さは、僕の心に暗い影を落とす。

こんなに都合のいい話なんてない……。


同じような事を僕はついさっき経験したばかりだから。



「こやつは信頼できる。安心せい」



セネクスさんは言う。

また僕の心が読まれた。


僕は思っている事が顔に出やすいのか

それとも自分でも分からない位焦っているのか……



「分かってもどうしようもないさ。実は他の依頼で拉致された子供を探してほしいと依頼を受けていてね。監視をしていた所にアンタ達の探している子も連れ込まれたみたいさね」

「なら、どこに?!

「ディパン商会の倉庫。やっかいな場所さね」

「ディパン商会?」

「ああ、表向きは日用品から食料、果ては武器まで取り扱う大店さ。ただ、裏では人や非合法の薬なんてのも売買している」



よくわからない。

そのディパン商会というのは、有名な大店なのかもしれないけど

僕はこの街を散策した事なんて数えるほどしかないんだから。



「でも、ルーチェはそこの倉庫にいるんですよね?助けに行けばいいだけじゃ?」

「あんたが……かい?」

「はい。僕は頼りなく見えるかもしれませんが戦えます」

「無駄さね。強い弱いの問題じゃない」



僕の意見は直ぐに否定される。

どうしてか分からない。

場所が分かっているのなら、そのまま突っ込めばいいじゃないか。



「いいかい、表向きはそこは大店の倉庫だ。証拠もなくいきなり倉庫に行ったところで門前払いされるのがオチさ。この件には間違いなくこの国の上層部が絡んでいるからね」

「なら、無理やりにでも押し入れいいんじゃないですか?」



警備が厳しいのかもしれないけど、正面から突破出来ないとは思えない。

僕にセネクスさん、そして、ゼノンさん。

これだけの戦力があれば、そうそう困る事なんて無いと思うんだけど。



「それこそ愚策さ。いいかい、これは戦いじゃない。政治なんだ。例え助け出せたとしても、裁かれるのはあんた達さ。あんたは奴隷。あっちはこの国で上層部とコネを持つ大店だよ?盗みに入ったとか言われ、翌日に街の真ん中で首が晒されるのがオチさね」

「それでもいいいです。場所を教えてください」



そんな事なら問題じゃない。

僕一人で行けばいいじゃないか。


見つかって裁かれるというのなら。

見つからないように、その建物にいる人物を全員殺せば良いだけなんだから。



「フィス。ダメじゃ」



僕の言葉を否定したのは、セネクスさんだった。



「おぬしはここに残れ。今から行けば試合に間に合わなくなる。試合に出ない剣闘士は逃げたとされ殺される。それでは意味をなさん」

「なら、このままルーチェを見捨てろとでもいうんですか?」



僕は怒りを抑え静かに告げる。

僕の生死なんかよりも、今はルーチェとその家族を救うことが何よりも優先だ。



「気持ちは分かる。だが、例えルーチェを助けたとして、試合に出ないお主は確実に処刑される。その時、ルーチェはどう思うかの?」

「……何が言いたいんです?」

「お主が死ねばルーチェは自分の存在を呪うかもしれん。アィールを殺したお主が自分の存在を呪っているようにな」

「……」



その言葉は僕の心臓に深く突き刺さった。

反論する言葉。

それすら見つからない。



「例え善意であっても残された者の痛み計り知れん、それはワシが言うまでもないじゃろ?」



その通りだった。

……僕がやろうとしている事はアィールさんと同じだ。


その結果、残された者がどれだけ苦しい思いをするか。

それを僕は知っている。



「驚く程抜け目のない策じゃて。ディーンはおそらくそこまで見越しておるのじゃろ。お主がルーチェをそのままにしておけない事も全て含めてな」



ディーン。確かにあの人は頭が回る。

たぶん、ここまで全てを計算に入れて動いているのだろう。


どうあがいても僕が死ぬように。



「だから、この件はワシを信用して任せてくれんかの?この通りじゃて」



セネクスさんは、僕に深く頭を下げていた。

僕はその光景に絶句してしまう。


セネクスさんは自分から頭を下げることは絶対にしない。

自身でも頭を下げるのは何よりも嫌だと言っている位だ。


でも、そんなセネクスさんが、頭を下げている。


前にも見たことはある。

でも、それは自分のワガママを叶える為に頭を下げていたはずだ。


でも、今回は……違う。

僕を……

僕を死なせない為に頭を下げている。



「安心せい。もし、ルーチェを助けられんかったら、ワシもお主の前で腹を裂いて死んでやる。ワシも命を賭けてお主とルーチェを守るからの」



ズルいよ……

そんな風に言われたら、僕は……



「俺も力を貸すぞ。お前には命を助けてもらった借りがあるからな。それにあのバカの事は北位の問題でもある。剣闘士が仲間を裏切るなんざあってはならねぇ事なんだ」



ゾットさんも僕に言う。


僕ら剣闘士は、稀に仲間として共に戦うことがある。

それは命を預け合うという意味でもある。


もし、仲間が裏切るかも?なんて思ったら実力の半分も出せなくなる。

だからこそ、剣闘士は仲間を家族の様に信頼する。


命を預ける仲間だからこそ。



「俺も北位の長としてあのバカを殺さなきゃならねぇ。そのついでにルーチェも助けてきてやるよ」



ゾットさんは僕の目をまっすぐ見つめてくる。

決意にも似た何かが伝わってくる視線だった。



「わかりました」



なら、僕も覚悟を決める。

大事な物を人に託す覚悟。


仲間であった盗賊上がりのディーンさんには裏切られたけど……


僕は目の前の二人。

大切な仲間を信じてみる。


その決断は、間違いかもしれない。

もしかしたら、また裏切られるかもしれない。


それでも。だ



「絶対にルーチェを助けてあげてください。この通りです」



自分の命を託すつもりで。

僕は二人に深く深く頭を下げる。



「任せておけ」



セネクスさんは、笑いながら言った。

何故だろう。

その顔は穏やかで、凄く嬉しそうに見える。



「さて。おぬしはすぐに休んで体と魔力を回復させておくのじゃ。毒のせいで手が痺れまともに剣すら振れん状況だとワシが気づいてないとでも思っておるのか?」

「……すみません」



多分、背中を矢で撃たれた時だ。

その時に僕の体に毒が入ったんだと思う。


歩く事には支障がないけど、力がまるで入らない。

限界まで握力を消費した後みたいな感じだ。



「恐らくその毒は……」



それから、セネクスさんは毒の詳細について教えてくれた。


それは命を蝕む劇毒ではなく、体を長時間僅かに痺れさせる麻痺毒。

即効性も無く、時間が経てば自然に解毒される為、わざわざ高い解毒剤を作る必要すらないとの事だった。


ただ、それ故に解毒薬も流通していないらしい。

歩く位は出来るし、自然に放置していて治るのだから当然だ。


ただ、今の状況でこれほど厄介な毒は無い。


こんな状態では、例えルーチェを救いに行っても足でまといにしかならないじゃないか。


僕はこの状況を恨む様に窓の外を睨みつける。

その視線の先では、薄く明るい青色が遠くの空に広がり始めていた。





蜜蜂の様に蠢く観衆。

その群れから浴びせられる嵐の様な罵声。

今日のそれは、いつもにも比べてはるかに強い。



「間に合わなかった……か」



僕は罵声の嵐の中心で、ポツリと呟く。

でも不思議だ。心配はない。



「絶対に来るさ」



僕の仲間。

セネクスさん達は絶対に、ルーチェを救って戻って来てくれる。

そんな確信があった。


であれば、僕に出来ることは一つ。

いかに試合を引き延ばすか。だ。

皆がルーチェを救って戻ってくるその時まで。


だから、いつ終わるかも分からないこの試合では、魔力の消費が激しすぎる強化魔法は使えない。

それに、部分的な強化魔法はまだ習得出来ていない。


だから、僕の力。

訓練で積み上げてきた純粋な僕の力だけで戦わないといけない。

英雄と呼ばれた剣闘士相手に。


すると、耳を劈くような歓声がコロセウム全体から発せられた。

剣闘士として、50勝を上げ、英雄となった人物がゲートを潜りやってきたのだ。


筋肉隆々で裸の上半身、そして両手に持った大きな斧。

二刀流の大斧なんて見たこともない。


対して僕は、ただの片手剣一つ。

楯を持ってこようとしたけど……手の痺れがまだ取れなくて

力が入らず持ってこれなかった。



(厳しい戦いになる)



僕の心が警鐘を鳴らす。

剣を持つのが精一杯。

楯すら持てない。


力を込めた一撃を放てば、おそらく剣がすっぽりと手から抜けてしまう。



(……どうする)



逃げ回る。

それしか出来る事は無い。

そう僕が覚悟した、直後だった。


ドーンという銅鑼の音が響き、コロセウムを揺らす程の声の塊が沸き上がる。

いつも変わらない。

試合開始の合図だ。


ただ、いつもと違うのは僕だ。

試合開始の合図があっても全く動かない。



「なんだ?挑戦者らしく向かってこないのか?」



英雄は、首を左右に振る。

その動作だけで、ゴキゴキと骨が鳴る音が聞こえてくる。


対して僕は、腰に下げた剣すら抜いていない。



「ええ、少し寝不足なので、待ってくれると助かりますが」

「はっ!それはお前のミスだな。悪いが待ってやれん!」



英雄は斧を構え腰を落とす。

対して僕は、いまだ剣すら抜いていない。



「こちらから行くぞ?一撃では死ぬなよ。面白くないからな」



英雄と呼ばれた男。

その男は、僕に一直線に駆け寄ってくる。

斧を二つ抱えているとは思えないスピードで。


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