第16話

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静まり返った暗い街。

月も沈み月明りに隠された星たちが好き勝手に瞬く時間である。 


その星の海を心配そうにルーチェは見つめていた。



「無事だよな……みんな」



さっき一杯泣いたはずなのに、油断をすれば直ぐに涙が零れそうになる。

ルーチェは自身に文句を言い、頬を乱暴に拭う。



「よう、腹減ったろ?」



ルーチェはビクッと肩を揺らし振り返る。

足音すらさせず突然後ろから声をかけられたのだ。



「セネクスの爺から持ってくるように言われたんだ」

「あぁ、ディーンさんか」



そこには湯気が昇る暖かそうな食事を持った男がいた。

黒い外套に、顔の半分を隠した姿。

盗賊上がりの剣闘士。ディーンであった。


ディーンは近くの机に食事を置き、椅子へ座る。



「ちょっと匂うけど、いいか?」



葉巻を取り出し、ディーンは掲げて見せる。



「ああ、俺の部屋じゃないし好きにしてくれ」



ルーチェは視線を窓の外へ戻す。

食事など喉を通る訳がなかった。


ルーチェの家族を助けに、フィス達があの暗い闇へと消えていったのだから。



「食べないのか?」



一向に動く気配のなルーチェ。

長いこと外を見つめていたせいか、食事から昇る湯気は消えていた。



「ああ、悪いけど喉を通りそうもない……」



申し訳なさそうにルーチェは答える。

ただ、その視線は窓の外の闇に向けられたままだった。



「だろうな。話は聞いてる。脅されたみたいだな」

「ああ……でも、どうかしてた」

「盗みに入った事か?」



ルーチェは息を吐き、首を小さく横に振る。



「違う。まずフィスに相談すればよかったんだ。あいつは凄いからな」

「……というと?」

「アイツは全てを変えちまう。こないだまで俺は、いや俺たち家族は地面に這いつくばって生きるしかないと思ってた。けど、あいつを見てると俺たちにも色んな未来があるって思えてくるんだ」



ルーチェは笑っていた。

まだ少し赤い目を細めながら。


自分でも意図していない。

勝手に沸き出た笑みであった。



「たしかにな。あいつが来てからこの北位は完全に変わっちまったよ」



ディーンは昔を懐かしむ様に目を細める。

そこに現状への不満が含まれている事に、ルーチェは気が付く訳も無かった。



「だろ?アイツはやっぱり凄いんだよ」



ルーチェは、ディーンの言葉をそのまま受け取り自分の事の様に喜んで見せる。



「随分と買ってるじゃないか、フィスに惚れたか?」

「かもしれない。いや、ずっと前から好きだった……のかもしれない」

「フィスもお前の事が好きだろうよ」

「そう……なのか?それだと嬉しい。でも、俺はあいつにふさわしくない」



ルーチェは不思議に思う。

いつもは言えない事。

心の奥底に隠していた事が今はすんなりと口から出て行ってしまう。



「なぁ、フィスはお前になんて言った?」

「俺の事を大切だって。勿体ない言葉だよ。フィスを裏切った俺になんて……」

「そんなことないさ。剣闘士の中に裏切者がいた。だから頼れなかったし、裏切るしかなかったんだろ?」



ルーチェの頭がフラフラと揺れる。

意識が朦朧とするような違和感がルーチェを襲っていた。



「……ん?なんで剣闘士の中に裏切者がいるって知ってんだ?おれ爺さんに伝え忘れたんだぞ?ここに裏切者がいるとしか言ってねぇ」

「……あー、しまったな。ちゃんと話してなかったのか」

「何を言ってるんだ?」



頭が回らない。とルーチェは思う。

自身の体の異変にまだ気が付いていなかったのだ。



「これは、幻惑の香って奴でな。この香を嗅ぎすぎると嘘がつけなくなる。尋問にも使われる貴重な物さ」



ディーンは部屋に入ってきた時に火をつけた葉巻をルーチェの方へ投げる。

その葉巻はルーチェの体に当たり、コロコロと地面を転がっていた。



「それに体が痺れる効果も追加してある。安心していい。暫くすれば動けるようになるさ」



ディーンは外套の中から縄を取り出していた。

その時になって、はじめてルーチェは理解した。


剣闘士の中の裏切者。


それがこの目の前にいる人物だと。



「やはり間違いは無かったよ。お前は価値がある。フィスへの切り札になる存在だ」

「……だ…れか」



ルーチェは助けを呼ぶために叫び、部屋から走って逃げる。

……はずだった。

ルーチェの体はもはや言うことを聞かず、床へと転がる。

喉が痺れているせいか囁くような声しか出ない。



「安心しろ殺しはしない。フィスが片付けば晴れてガキ共々奴隷市にでるだけさ。お前は器量はいい。綺麗にすれば高値で売れるさ」



それでも、ルーチェは必死に抵抗する。

立ち上がろうと腕を床につけば、力が入らず再び床に叩きつけられる。

声を上げようとすれば、掠れた言葉にもならない音が漏れるだけ。



「一つだけ教えてやる。フィスは”明日の試合に負けろ。”と脅される。勝てばお前を殺すと条件をつけられてな」



ディーンはルーチェがあがく姿をただじっと見つめていた。

人ではない。何か物を見るような冷徹な視線であった。


ルーチェは薄れゆく意識の中必死に手を伸ばす。

ただ、その手は何も掴む事なくドンと床に落ちて動かなくなった。




「どういう……事ですか?ゼノンさん!!」



声を抑えたつもりだったけど、無理だ。

こんな真似して一体どういうつもりなんだ!!



「フィス君、少しでいい私を信じて時間をくれ」

「はぁ?!何の真似だ騎士様よ!血迷ったか?」

「それはこちらが聞きたい。これでも私は元近衛騎士だぞ?」



ゼノンさんが何を言ってるのか、まるで分からない。



「その短剣を置け、フィス君に手を出せば首を切り落とす」



ゼノンさんは言う。

いつの間に抜いたのかディーンさんの手には短剣が握られていた。

でも、それはここの敵から身を守る為じゃないのか?

僕に手を出す?何を言ってるんだ?



「初めから怪しいと思ってた。短剣の鞘に沢山の油がついていたからな」



ゼノンさんの言った通り、ディーンさんの短剣からは粘度の高い液体が零れ落ちている。



「短剣を抜くときに音がしないように沢山の油を鞘に詰める。それは暗殺者が好んで使う手法だ。おまえの話では急いで我々を探しにきたという。であれば、いつ短剣に油を差す暇があった?」

「待てよ!誤解だ!俺はこいつを初めから持っていただけだ。ただの昔の癖だって!」



ディーンさんは必死になって否定する。



「盗賊は短剣に油を差さない。零れて手が滑ったら困るからな」



その反論を、ゼノンさんは一蹴する。



「……良く知ってやがる。まったくフィスだけなら楽な仕事なのによ」



小さく舌打ちする。

その瞬間、ディーンさんの顔つきが変わっていた。



「私は元近衛騎士だ。暗殺者の手法については、詳しく叩きこまれている」

「厄介な奴らだ。おい!出てこい!!」



ディーンさんは叫ぶ。

この声に応える様に、甲高い風切り音降りてくる。


ゼノンさんは小さく唸り、剣を引き楯を構える。


カン。

小さな金属音と共に、何かがゼノンさんの楯に当たり、地面へと転がる。


矢だった。

その穂先には、油とは違う。

色のついた液体が塗られていた。


その一瞬の隙をついてディーンさんは暗闇の中へと姿を消していた。



「これは、大した歓迎ぶりじゃな」



ディーンさんが姿を消した直後。

辺り一面に明かりがつき、建物の中を明るく照らしていく。


そして、死角となっていた木箱の影からはゾロゾロと人影が出てくる。


槍、弓、剣。

50人位はいるだろうか、全員が思い思いの獲物を手にしている。



「喜べ!!ガキを殺した奴は、金貨100枚の追加報酬が出るぞ!!」



いつの間にか、ディーンさんはその人影の中心にまで移動していた。

そんなディーンさんの声に、周りからは歓声を上げる。



「ディーンさん?嘘でしょ?」

「はっ、いつまでもお人よしだな。フィス」



頭ではわかってる。

ここまでされれば誰だってわかる。

ディーンさんが裏切者だって。


でも、信じる事が出来ない。

だって、ディーンさんは僕に盗賊の技術や知恵を……色々教えてくれて

一緒に楽しい時間を過ごしてきた仲間なんだから。



「呆れて果てる……お前のせいでルーチェは今頃、大勢の慰み者になっているんだぞ?」



その言葉に、僕の心臓がドクンと跳ねた。



「……待てよ……今なんて言った?」



僕の心の奥底から湧き出てくる。

アィールさんを殺した時に湧き出たあの……

黒くドロッとした嫌な感情だ。



「聞こえなかったか?お前のせいでルーチェは明日にでも奴隷として売られる。だから、その前に楽しんでおこうと思うのは普通だろ?」

「お前ぇぇぇ!!!」



僕は絶叫する。

即座に魔力で体を強化し、全速で飛び出していた。


一瞬でも早く、あの裏切者。

ディーンの首を落とすために。



「いかん!!フィス!!挑発に乗るな」



僕の前に沢山のならず者達が立ちはだかる。

僕の行動を予期していたのか、全員がそれぞれの獲物を僕へと突き出しながら。



「くそっ!どけよっ!!」



僕は速度を緩め、差し出された敵の剣や槍を躱し、自分の剣を振る。


流石に全速では突っ込む事が出来ない。

そんなの自殺行為だ。


僕の剣は、振るたびに敵の体や首を引き裂いていく。

だけど、これだけ人数が多いと……


 

「さて、俺は逃げるとするかな。せいぜい楽しんでくれ」

「待て!!ディーン!!!」



僕は叫ぶ。

叫ぶことしかできなかった。


目の前にはまだ沢山の敵がいる。

このままじゃ……追いかける事すら。



「がっ」



突如、僕の背中が熱くなった。

その熱さは、槍で突かれたような激痛に変わっていく。

たぶん、矢だ。


木箱の上から狙撃しているのが見える。

だけど、今はそんなの関係ない。

ここであいつを逃がすわけには!!


僕は小さく吠え、地面を蹴る。

敵がいるなら蹴散らすだけだ!!


 

「ええい、ゼノン!左の木箱にいる弓兵を落とせ。ワシは右側の敵を受け持つ」

「わかりました」



セネクスさんの声が聞こえる。

でも、僕振り返ることなく、何度も剣を振るった。


目の前の邪魔者を消す為に。

ただ、目の前の敵を半分以上殺した時には、もうディーンの姿は見えなくなっていた。



「化物……」



敵の一人がそんな言葉をつぶやいたと思う。

その言葉をきっかけに、敵は皆武器を捨て、両手を掲げ命乞いを始める。



「何だよ……」



僕は小さく呟く。

なんだんだ?

人の大事な物を奪っておいて、邪魔しておいて……命乞いをすれば許されるとでも思っているのか?


僕は武器を捨て両手を上に掲げた敵の首を切り落とす。

殺し合いをしておいて、負けそうだから降参する?


そんな程度の考えなら、武器を持って僕の前に立つなよ!!

剣闘士だったら、そんな覚悟じゃ一日だって生きていられない!


ルーチェの事。

ディーンに逃げられた事。


そのやり場のない怒りと恨みを晴らすように僕は剣を振っていく。


僕の剣が降られるたびに、床に転がる死体がドンドン増えていく。

その僕の行為に、悲鳴が上がり敵は我先にと逃げ始める。


逃がさない。

逃がしてたまるか。


僕は逃げる敵の後ろから容赦なく剣を突き立て、一人一人殺していく。



「フィス!!落ち着け!!もう、こいつらに戦意はない!!」



何人目だろうか、敵を殺そうとした僕の剣が止まる。

僕の剣を止めたのは、ゼノンさんの楯だった。



「全員殺せば、情報を引き出せない!落ちつくんだ!!!」

「こいつらに生きてる価値なんてない」

「その通りだが、あの少女を助けたいのであれば我慢しろ!!」



ルーチェを助ける。

その言葉が、僕の体をピタリと止める。



「……わかりました」



僕は息を吐き、意識の集中を解く。

その瞬間、僕は床へ座り込んでしまった。


体に物凄い負担がのしかかってきたのだ。

荒い息が胸の底から湧き出てくる。


意識が朦朧とする。

言葉すら今は発することが出来ない。



周りの生き残った敵も、僕の様子を見て安堵したのか地面へ座り込んでいた。

もう、動く気力すらないらしい。



「……嵌められたの」



死体の山を見つめながら、セネクスさんが呟く。



「ディーンの狙いは、フィスの消耗じゃな。ここのゴロツキ共はただの餌じゃて」



セネクスさんは、僕の背中に手を当て刺さっていた矢を引き抜く。

体がビクリと動くが、今は疲れのせいか声すら出せなかった。



「丁寧に毒まで塗られておるの。治療が必要じゃ。応急処置をして一旦コロセウムに戻るぞ」

「……僕なら、大丈夫です。直ぐにでも」



僕は荒い息を飲み込み、告げる。

今はそんな悠長に構えてる場合じゃない。


こうしている間にもルーチェは……



「闇雲に動いても成果は得られん。相手はディーンじゃ。お前がどう動くかなど全て計算づくじゃろう」



悔しいけど……確かにその通りだ。

ディーン……あいつは、ここまで全部計算していたんだ。

ゼノンさんとセネクスさんがいなければ、僕は確実に死んでいた。


そんな人間が僕の次の行動など読めない訳がない。



「ワシもお主と気持ちは同じじゃ。腸が煮えくり返りそうじゃ。だからこそ今は気持ちを静めろ」



僕は力なくうなだれる。

どうしてこんなに無力なのか。


人を簡単に殺せる位の力はあるのに。

大事な人、一人助けられない。


そんな自分の無力さを恨まずにはいられなかった。



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「離せ!!だれがお前なんかと!!」



鉄の囲いに石の天井。

麻布を敷いただけの粗末な床。


牢獄の様な檻の中。

そこでは、言い争う声が響いていた。


その声を上げたのは、貧相な服を着た少女。

ルーチェであった。


そのルーチェの脇では、小さな影が二つ。

抱き合いながら震えている。



「黙れ!!」



一人の男は容赦なくルーチェを殴る。

整えられていない髭に、だらしない腹。

そして、鼻をつくきつい臭い。


この場所の監視役である男。



「自分の立場をわきまえろよ、奴隷風情が」



地面に倒れこんだルーチェに、監視役の男は唾を吐きかける。

ルーチェは痛みのあまり、反論する事さえ出来なかった。



「分かったらさっさと来い」



男はルーチェの髪を無理やり引っ張るとそのまま引きずっていく



「いたっ!やめて、やめっ……」



ルーチェの目から涙がこぼれる。

それは髪を引っ張られた痛みのせいではない。



「いってえ!!!」



突然、男は絶叫する。

ルーチェの脇で震えていた小さな影が、その汚い手に噛みついたのだ。



「ルーチェ姉さんに近寄るな!!」



小さな影が叫ぶ。

ルーチェと同じ、貧相な服を着た少年。



「この野郎ッ!!」




男はその少年を思いっきり蹴り飛ばす。

体格差が大きすぎるせいか、少年は吹き飛び壁に激しく激突する。

すると、少年は壁から床へと力なく倒れこみ、ピクリとも動かなくなってしまった。



「ルベル!!」

「殺してやろうか?このガキ」



床に倒れこむ少年に、男は容赦なく足を振り上げては、容赦なく振り下ろす。



「やめろ!!やめてくれ!!」



ルーチェは男の腰に縋り男を止めようとする。

ただ、その行為は何の意味もなさなかった。


あまりにも非力だったのだ。


それでも、ルーチェは腰に縋り懇願する。

何度も何度も。


ただ、ゴロツキはその声に耳を貸すことはない。



「分かったから!お前と一緒に行くから。お願いだから辞めてくれ!!」



そのルーチェの言葉に、ゴロツキはその足を止める。



「手間取らせやがって、ならまずお前が謝れよ」

「わるかった、この通りだ」



ルーチェは頭を下げる。

それを見たゴロツキは、ルーチェの髪を掴むと床へ無理やり押し付ける。



「ちげえだろ、もっとこう頭をさげるんだろ?」

「……すいませんでした」



ルーチェは床に頭を押し付けられながらも、ただただ謝る。

その床を大量の涙が濡らしていく。



「聞こえねぇ!!!」

「す、すいませんでしたっ!!」


男の声に押される様に、ルーチェは叫ぶ。

そのルーチェの声は、恐怖に震え、小さな嗚咽が含まれている。



「ふん、分かればいい。さっさと来い」



ゴロツキは、その行為に飽きたのかルーチェの髪から手を放し

鉄の檻で囲まれた部屋から出ていく。



「……ネル。ルベルを頼む」



ルーチェもその後を追う為に立ち上がる。

隅で震えるネルと呼ばれた少女に言葉を残しながら。



「ルーチェ姉ちゃん……」

「大丈夫だ。すぐ戻ってくる」



ルーチェは力なく笑う。

涙で濡れた顔で。

隅で震える少女ですら、それが嘘だと見抜ける程の弱い笑みであった。



「……ごめんなさい。ルーチェ姉ちゃん」



残された少女は呟く。


その言葉に返ってきたのは、ガチャリという鉄が擦れる音。

それ以外には何もなく、辺りには重い静寂が訪れていた。

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