第15話
「知らねぇよ!!俺がフィスを殺すわけないだろ!!」
ルーチェが叫ぶ。
椅子に縛られ身動き一つ取れない状態で。
当然の処置……なんだと思う。
あんな事件があった直後。
僕の食事に毒が入れられ、そのすぐ後にセネクスさんの部屋を漁っていたんだから。
疑うな。という方が無理だ。
「では、お主は何をしてたんじゃ?」
「それは……」
ルーチェは沈黙する。
さっきからセネクスさんの肝心な質問には一切答えようとしない。
これじゃ自分が犯人だと言っているようなものじゃないか。
「なら、ワシが答えてやろう。フィスを殺しにきたんじゃろ?」
「フィスを殺そうなんて思ってねぇ!!本当だよ!!」
ルーチェは縛られた事を忘れ、食いつくような勢いで否定する。
当然、縛られているルーチェは動ける訳がなく椅子がガタッと小さく動くだけだった。
「でも、当然だよな……何を疑われて仕方ねぇ……」
「ふん、口だけでは何とでも言えるの」
ルーチェは穴の開いた風船のように直ぐに萎み、肩を落とす。
その姿をセネクスさんは腕を組みルーチェを見下ろしている。
驚くほど冷たい目だった。
……もういやだ。
なんでこんな事に。
僕の大切な人で恩人でもある二人。
傍から見れば仲の良い爺さんと孫。
二人はそんな微笑ましい関係だったはずだ。
それが……それなのに……
目の前でこんな風になるなんて。
もう、いいよ。
これ以上、こんな姿見たくもないよ。
僕はゆっくりと椅子から立ち、ナイフを引き抜く。
ナイフは部屋の鈍い明かりをギラリと反射させていた。
「ひっ!」
ルーチェは小さく悲鳴を上げていた。
でも、しょうがない。
怖いかもしれないけど、少しだけ我慢してね。
決して痛くはしないから。
僕はそのまま。
ナイフを持ったまま歩きルーチェの胸元へとナイフを近づける。
その様子を見たルーチェは顔を背け、固く目を瞑る。
「動かないでね」
僕はルーチェを縛っていた縄をナイフで切り落とす。
縄で縛られていたルーチェの手首は赤紫に染まっていた。
「痛かったよね……ごめんね」
僕は膝を地面につき、痛々しく変色したルーチェの手を摩る。
細く小さい手。
日頃の家事のせいだろうか。
ザラザラと荒れた感じの感触がする。
お世辞にも綺麗な手とは言えないけれど、必死に生きる人の手だ。
「何で……お前が謝るんだよ……」
絞り出すようにルーチェは言う。
「ううん。この騒動にルーチェを巻き込んだのは僕だよ。僕が原因なんだ」
僕は椅子に座るルーチェの前に跪いて謝る。
お世辞でも、気休めの嘘でもない。
本当のことだ。
冷静に考えれば分かる。
今日僕の食事だけに毒が入り。
その直後に、ルーチェがセネクスさんの部屋を漁り。
明日には僕は英雄と呼ばれた過去に50勝を挙げた英雄と呼ばれた剣闘士と戦う。
タイミングが良すぎる。
誰かの意図があると考えた方が自然だ。
ただ、その原因だけは分かる。
この僕だ。
皇帝へ反逆し、この国へ喧嘩を売った僕のせい。
犯人なんてわからないし、誰が考えたのかも知らないけど。
本当に的確に人の嫌なところを突いてくる。
町も、物も全てが僕の元の世界とは比べられない位遅れてるくせに。
人の嫌がる事、一番痛い急所を突く事。
それだけは、僕の世界と同等。いや、それ以上に優れている。
「何言ってんだ。お前は悪くない!悪いのは俺だ!!」
ルーチェは大声で宣言する。
その姿に僕は思わず笑ってしまった。
「いいの?そんな言い回ししたらルーチェが全部悪いことになっちゃうよ?」
「あっ、それは……違う」
ルーチェは慌てて否定する。
ルーチェは優しい。
普通に考えれば、なんてことなはい。
こんな子が僕を殺せる訳がないじゃないか。
「ねぇ、ルーチェ」
僕はルーチェの冷たい手を両手でそっと包む。
「僕はルーチェを信じるよ。何があったって絶対に」
僕はルーチェの目を見つめていた。
髪と同じ。栗色の綺麗な瞳を。
その目が少し潤んでるように見えるのは気のせいだろうか。
この娘は、動けなくなった僕を助けてくれて
アィールさんを殺した罪悪感から、身を挺して救ってくれた恩人だ。
その恩は大きすぎる。
どうやった返したらいいかすら僕にはわからない。
だから、僕の出来る事。
その全てを賭けて返していくしかない。
「ねぇ、ルーチェ。一つだけお願があるんだ」
「……なに?」
「僕を頼って欲しんだ。助けさせて欲しいんだ」
僕なんて、ただの奴隷でしかない。
頼りがいなんて無いかもしれない。
それに、もし頼られても……出来る事なんて何も無いかもしれない。
「もう僕のせいで大事な人が不幸になるのは……嫌なんだ」
心の底から思う。
僕の前から大事な人が不幸になったり、いなくなったりするのは御免だ。
例えそれが僕を救う為だとしても。
「アィールさんは僕と関わったせいでああなってしまったから……」
アィールさんは、きっと……。
僕と出会わなければ、簡単に剣闘士になり50勝してここから出て行っていたはずだ。
それがあんな結果になったのは、他でもない。
僕のせいだ。
「だから、お願いだから僕を頼ってよ……僕に助けさせてよ……もう……あんな思いはしたくないよ」
椅子に座るルーチェと、地面に膝をつき懇願する僕。
外聞もなくただ人に縋ってお願いする。
それは本当は、恥ずかしい事なのかもしれない。
でも、そんなのどうでもいい。
ただただ、心の底から思う。
ルーチェには僕を頼ってほしい。と。
「……ごめんな」
ルーチェは俯いたまま小さく言った。
ただ、その手。
僕が握っているルーチェの手も、肩も小さく震え始めていた。
「……こんな事を言う資格も無いのも分かってる。最低なのも自覚してる」
どんどん震えていくルーチェの声。
その声は小さく、とても弱弱しい。
「子供たちが……俺の家族が攫われて、フィスとセネクスの爺さんから金を奪ってこないと……殺すって……」
ポタリ。
僕の手に雫が零れる。ルーチェの涙だ。
「ごめん……本当にごめんなさい……でも、誰かに言えばここに仲間がいるからすぐ分かるって……」
ルーチェは嗚咽を漏らし最後まで言葉を紡げなかった。
でも、もう十分だ。
「本当にありがとう。ルーチェ」
僕は短く答え、ルーチェの頭を数回撫でる。
全ては分かった。
ルーチェを脅しこんな真似をさせ。
僕らの疑いがルーチェに向くように仕向けたのだ。
どれだけルーチェは辛かっただろうか。
大事な家族を人質に取られ。
やりたくもない事を強いられ。
こうやって僕らにまで疑われて……。
それを考えるだけで、全身の血が沸騰し毛が逆立ったような錯覚すら覚える。
僕はゆっくりとルーチェから離れ、部屋の片隅にある剣を手に取る。
「フィス。ダメじゃ」
セネクスさんは首を振り、僕を止める。
「これも罠かもしれんて、お主を呼び出す為のな」
僕はその言葉を無視し剣を腰に装着していく。
「今からのこのこ出て行って戦いになれば子供たちは救えても明日の試合でお主は死ぬぞ?相手は体力や魔力を消費した状態で勝てる敵じゃないぞ?」
「嫌です」
聞ける訳がない。
今、この瞬間も怒りでどうにかなりそうなのに。
「素直に言うことを聞かんかっ!!」
セネクスさんは怒鳴る。
頭ではわかってる。
セネクスさんの言ってる事が正しいって
でも、従える訳がない!
「もし!」
僕は叫んでいた。
叫ぶつもりは無かったけど、怒りの余りつい声が大きくなってしまった。
「ルーチェの家族が殺されればルーチェは自分を一生責めます!」
「ダメじゃ!これはおぬしの選択の結果じゃ!!何のためにここまで」
理屈ではわかってる。
全部僕の我儘だ。
迷惑かけているのも知ってる。
「分かってます」
「わかっとらん!!」
「でも僕は!!」
また、叫んでしまった。
あまりの大声にシンと静まり返る部屋。
僕は今の非礼を詫びる為に、小さく頭を下げセネクスさんに謝る。
「僕はこの手で一番大切なアィールさんを殺しました。それは、僕がアィールさんと関わってしまったから起きた事なんです」
声量を戻し、僕は告げる。
「僕と関わったせいで大事な人が不幸になる。そんなのはもう耐えられません」
僕は目を瞑る。
ただ、それだけで、あの時の事が鮮明に蘇ってくる。
僕がアィールさんの首を跳ねた瞬間が。
「だからお願いします!!僕に行かせて下さい!!」
我侭なのは分かってます。
これは僕が、皇帝へと反逆した結果なのも全部わかってます。
思慮が足りなかった。といえば、その通りです。
でも、それでも。
「ルーチェを!ルーチェだけは不幸にさせたくないんです!」
僕は土下座していた。
自分でも貧弱だと思うけど、それが今の僕に出来る最大限の表現だった。
「……卑怯じゃの。そう言われたら断れんわい」
セネクスさんは、大きな溜息をついていた。
本当にごめんなさい……
「ワシも行くしかないじゃろ。今は少しでも人手が欲しい。だが、ここにいる者以外は信用せんほうがいいからの」
「ありがとうございます!絶対この恩は返します!」
僕はセネクスさんに誓う。
今後、何かお礼出来る機会があれば絶対に恩を返してみせる。
「ルーチェはここで待ってて。僕の命をかけて子供たちを連れ帰るから」
「……うん……子供達を、家族を……だすげてくれよ……」
ルーチェの目は真っ赤に染まり、声に濁音が混じっている。
それだけ辛かったんだと思う。
「約束する。絶対に助けるよ」
僕が言った次の瞬間、僕の胸にルーチェが飛び込んできた。
涙と鼻水交じりの顔を僕の胸へと押しつけ、声を殺して泣いている。
鼻水を啜り、喉の奥から抑えきれない声を漏らしながら。
僕の手は初めて剣を握ったときの様に震えていた。
理由は知らない。わからない。
女の子に飛びつかれるなんて初めての事だ。
こういう時、どうしたらいいのか分からない
声をかけるべきなのかな?
助けを求める為にセネクスさんを見れば。
「腑抜けが」
と、一言だけ帰ってきた。
僕は目でセネクスさんに文句を言い。
ただ、棒立ちでルーチェを受け止めていた。
それから、かなり長い時間。
ルーチェは僕の胸で泣き続けた。
僕はその間、何もしてあげられなかったけど。
結局、金を受け渡す場所や、ルーチェの家族を攫った人間の事を聞き出すのは
暫く後になってしまった。
■
「こいつらは金で雇われたただのゴロツキじゃて。何も知らんじゃろうな」
地面に倒れ気絶している若者達。
セネクスさんは、それを杖で執拗に突く。
ルーチェが僕たちから奪った金を受け渡すはずだった場所。
僕たちはそこへ行き、ルーチェの家族である子供達を助け出す。
……はずだった
実際に、その場所に来てみれば子供たちの姿は無く。
金で雇われたならず者達がいただけ。
それだけだった。
「しかし、これでは子供達は......」
「見つけ出しますよ。何としても」
僕は拳をギュときつく握る。
ゼノンさんが口にした不安。
それは分かってる。
僕だってどこか心の中で同じ事を思っている。
でも、今はそんな事言ってられない。
この広い王都を一軒ずつ回ってでも見つけ出すしかない。
「ふむ、闇雲に動いても無駄じゃな……」
セネクスさんは、腕を組み何か考えているようだった。
どんな考えてもだっていい。
1秒でも早く行動に移したい。
僕はそんな気持ちを抑えるので精一杯だった。
「お~い!!」
その時、僕らの後ろから響く声があった。
「……ディーンさん?!」
声の主。
それは僕たちの仲間。
盗賊上がりの剣闘士、ディーンさんだった。
「やっと見つかった。探したぜ。お前達いきなりコロセウムからいなくなるからよ」
ディーンさんは上体を前に倒し、手を膝につく。
息は荒く、肩を大きく上下させて呼吸していた。
それほど、必死に僕たちを探してきた。という事なんだろう。
「どうしたんですか?」
「いいか、落ち着いて聞けよ」
荒い息を飲み込み、ディーンさんは呼吸を整える。
「ルーチェがさらわれた」
ディーンさんの言葉。
僕はそれが理解できなかった。
ただその言葉は、乾いた地面に撒いた水のように確実に僕の中に入ってくる。
「何でコロセウムにルーチェいたのかは知らねぇ。ただ、コロセウムから運ばれていくのを俺は見たんだ。あれは間違いなくルーチェだった」
信じられなかった。
だって、ルーチェはセネクスさんの部屋。
コロセウムの一室にいるはずだ。
「……コロセウム内に裏切者がおるとルーチェは言っていた。確かにその者ならルーチェを攫うことが出来るな」
セネクスさんは冷静に告げる。
眩暈がする。
僕は思わず片膝を地面についてしまった。
なんでこんな事ばかり起きるのか。
僕はついさっきルーチェを助けるって約束したばかりじゃないか!
それなのに……
「どうしてこんな事に!!」
僕は拳を硬い地面へと振り下ろす。
手加減を忘れた僕の拳。
手の皮が剥ける感触とジンとした激しい痛みが伝わってくる。
だけど、今はそんな物はどうでもいい。
どうして気が付かなかった。
裏切者がいるってルーチェは言ってたじゃないか……。
何でここにルーチェを連れてこなかった……
例え危険だって、僕達の傍から離すべきじゃなかった。
「おいおい、俺の前の職業を忘れてないか?」
ディーンさんは少しおどけて自慢げに言う。
何で今そんな態度を取れるんだ。
そんな怒りが僕の心に沸き起こったが、それはすぐに真逆の感情。
希望へと変わってしまう。
「もしかして……」
「ああ、ちゃんとルーチェが何処に運んだかまで調べてきたさ」
「あ……あぁ……ありがとうございます!!」
やっぱり!
流石ディーンさんだ!
盗賊の技術は戦場以外の方が役に立つ。
前にそう教えてくれたけど、その通りだと心から実感する。
「お前、俺の技術を疑ってただろ?」
「いえ、凄い技術だと改めて再確認しました!本当にありがとうございます!」
僕は頭を下げお礼を言う。
本当にディーンさんがいてくれてよかった。
「まぁ、いいけどよ。直ぐに案内してやる。爺も来るか?」
「勿論じゃ」
「そうだろうな。で、そっちの旦那は?」
「……同行させてもらう」
ゼノンさんの言い方はどこか冷たかった。
なんていうか、愛想の欠片もない。
僕やセネクスさん以外の 仲間にも、もう少し愛想良くすればいいのに。
まぁ、今はそんなのどうでもいい。
一秒でも惜しいんだから。
「あの、早速……いきませんか?」
「焦るなって。焦れば上手くいくものもいかなくなるぜ?」
焦る僕の肩にポンとディーンさんの手が置かれる。
「俺に任せておけば大丈夫だ」
そう言って、ディーンさんは僕に笑って見せる。
その笑顔が今は凄く頼もしかった。
◆
「あの倉庫ですか?」
「ああ、あの中だ」
暗闇の中にひっそりと佇む味気のない建物。
窓もなく、飾り気のない無機質な石の壁だけで作られている。
どう考えても人が住むような場所ではない。
ここに、ルーチェが捉えられている。
そう言ってディーンさんに案内された場所だ。
「いいか。ここからは明かりもつけるな。喋るな。足音でさえ気を付けろ」
ディーンさんが抑えた声で警告する。
僕はそれに首を縦に振ることで答える。
「忍び足が使える俺とフィスだけで先行する」
ディーンさんが僕の肩を軽く叩き、先行する様に促す。
確かに足音で気づかれる心配もある。
ここは元盗賊であるディーンさんに従った方が確実だ。
「待ってくれ。私は訓練されていたから夜目が効く。私も行こう」
「悪いが、足音を立てて気づかれでもしたら……」
「大丈夫だ。あれだけ厚い石壁に窓もない。そうそう足音で気づかれることはないさ」
「ん……まぁ、それもそうか」
ゼノンさんは反論し、ついてくると主張する。
僕はどっちでもいいから、はやくあの建物に押し入りルーチェとその子供達を救いたい。
「まぁ、全員でいけばいいじゃろ」
そのセネクスさんの言葉を合図に、僕らは無機質な建物へと向かっていく。
小さな足音はするが、大して気にならない。
建物の入口である扉。
そこまでやってくると、ディーンさんは針金のような物を取り出し鍵を弄る。
カチリ
小さな音がした。
ディーンさんは僕らを一瞥すると、ゆっくりと扉を押す。
ギィィィと軋む音が夜の闇に響く。
その音と共に、ゆっくりと扉が開いていく。
僕らは慎重にその建物へと入る。
忍び足が使える僕が先頭。
その後ろにディーンさんが続く。
部屋は小さな明かりが所々についてはいるが、足元などは暗くおぼつかない。
それでも、顔位は判断できる位には明るかった。
建物の中には大きな木箱が沢山並べられいて、外観よりも随分と小さく感じる。
僕は足音一つ立てずゆっくりと部屋の中に進んでいく。
「動くな!」
僕の体がビクリと跳ねる。
突然、後ろから大きな声が響いたからだ。
「ゼノン……さん?」
慌てて振り返れば、元近衛騎士のゼノンさんがディーンさんの首に剣を突きつけていた。
もしかして……コロセウムにいる裏切者って……。
ゼノンさん。
貴方だったんですか?
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