第12話


「目は覚ましてる……でも食事も取らずブツブツと訳の分からない言葉を呟くだけだ」



髪を短く切りそろえた少年のような恰好をした少女。

ルーチェは肩を落とし首を横に振っていた。



「何とかならねぇのか?!」



そんな声が上がり、ザワザワと騒がしくなる。

ここは食堂。

剣闘士達が一同に集まりルーチェからフィスの状況を聞いていた。


フィスはあの試合。

自らの手でアィールを殺した試合からずっと塞ぎ込み、会話すらな成り立たない状況に陥っている。


それをなんとかする為に剣闘士達はここへ集まり、フィスをどうにか出来ないか?と無い知恵を絞っていた。


当然、良い案など出る訳がなく。

最後の希望を託すように、皆の視線は一人の老人へと向けられていた。



「……ワシにも分からんよ。フィスが使った魔法はワシでさえ皆目見当がつかん。これでは原因の特定どころか当たりもつけられん」



魔法使いの老人。

セネクスの知識を持ってしても今のフィスの状況はまるで分からないものであった。



「ジジイでも分かんねぇのかよ……」

「あれだけの魔法じゃ。何かしら反動はある。もしかするとフィスはあのまま2度と戻らんかもしれん」



その言葉に落胆が広がり、重い沈黙が走る。



「……そんなの……可哀想過ぎるだろ」



絞り出すような声でルーチェは言う。



「あいつ自分の命だって投げ出そうとしたじゃないか」



その言葉に反論出来る人物など、ここには一人もいない。


事実。


フィスは自らの命さえ投げ出しアィールを救おうとした、だがそれすら叶う事は無かった。

ここにいる剣闘士達のせいで。


だからこそ、ここにいる剣闘士達は一丸となりフィスを助けようとする。

受けたの恩を少しでも返す為に。



「心配するなて。ワシも考えられる全ての手をつくすからの」



セネクスは力の無く笑い、食堂から出ていく。

カツカツと杖が床を突く音が反響するが、その音もすぐに遠くへ消え去っていく。


食堂には再び重い沈黙が鎮座し、誰も会話すらしようとしない。

その沈黙に耐えられないのか、一人、また一人と席を立ち部屋へ戻っていく。


その日、珍しく食堂では酒樽の栓が抜かれることは無かった。





本が堆く積まれゴチャゴチャとした小物が乱雑に散らかった部屋。

その中央に置かれた机で、セネクスは一人の熟年女性と向かい合っていた。



「へぇー、雷神自らご指名とはね、こりゃ長生きしてみるもんさね」



熟年の女性は、目を細めセネクスを見つめていた。

女性の縦に大きく開いた服からは豊かな谷間が覗いている。



「……ワシだってババアの相手はしたくないわい」



セネクスは口を尖らせ熟年の女性から目を逸らす。

ババアの乳などなんの価値もない。と、小さな暴言を吐きながら。



「あ?!死にぞこないのジジイが!?今すぐに向こう側へ送ってやろうか?!」

「フン、お前如きに出来るのか?」



熟年の女性はダンと机を叩いていた。

その衝撃で部屋を照らすランプの光はゆらゆらと揺れ、脇に積まれていた本が雪崩を起こす。



「あぁ!!なにをするんじゃ!片付けが大変なんじゃぞ?!」

「掃除くらいマメにしとくんだね!」



やっぱり呼ぶんじゃ無かったわい。

そんな文句を小さく漏らしながら、セネクスは床に散らばった本を適当に積み重ねていく。



「で、話って何だい?」



その様子を呆れた様に見つめながら熟年の女性は言う。

適当に本を積むから、簡単に崩れる。

そんな言葉が喉まで出かかったが話が進まないので、女性はその言葉を飲み込んでいた。



「男を一人立ち直らせたい」

「はぁ?」



熟年の女性は間の抜けた声を上げてしまった。

目の前の老人がこんな事を依頼してくるとは夢にも思わなかったのだ。


元々、この老人は人に関心が薄い。

ここまで興味を示したのは、自分の……いや、前の弟子以来じゃないかと思う。



「知っておるじゃろ?先日戦った子供の剣闘士じゃよ」

「ああ、知ってるよ。今話題の子だね。槍で刺されても死なないどころか、傷すら負わないらしいじゃないか。人外の化物だってみんな噂してるよ」

「……そうじゃ」



セネクスは拳を強く握る。

観衆がいったいフィスの何を知っているのか。

セネクスは声を荒げ問い正したい位であった。



「で、その子がどうかしたのかい?」

「それが分からんのじゃ。魔法の影響なのか心が壊れたかのようにただ寝床から動こうとせん」

「でも、ちゃんと意識はあるんだろ?」

「ある」

「なら簡単さね」



熟年の女性は胸の谷間からパイプを取り出し口に当てる。

そのパイプの先に手を当てるだけで、パイプには小さな火が灯っていた。



「どういう事じゃ?」



女性がパイプを吸う度に吐き出される煙。

それを嫌そうに見つめながらセネクスは尋ねる。



「心の痛みが大きすぎてこれ以上痛みを感じない様に心が閉じちまってるのさ。男は偉そうにする癖に変な所で女よりも繊細だからね」

「どうすれば治る?」

「男なんて腰振って気持ちよくなれば大抵の悩みなんて飛んじまうさ。単純な生き物だからね」

「……相談したワシが馬鹿じゃった」



セネクスは”はぁ~~”とこれ以上ない大きく溜息をつく。

自身の選択を悔やむが如く。



「ふん、何とでも言いな。何にせよ若い雄の感情を一番刺激する方法なんて他にないさね」

「……たしかにの。どちらにせよ他に方法も見当たらん」



セネクスは納得する。

心の傷であれ、魔法による反動であれ、感情を大きく揺さぶる方法が有効なのは間違いない。



「わかってるじゃないか。アンタの願いだ。金は後でいい。成功したらちゃんと報酬を払うんだね」

「お前こそ珍しいな。金が後とは」

「ケツの穴まで毟り取ってやるさね。あと、そのガキ風呂くらい入れておきなよ?ただでさえ化物と恐れられてる子なんだから、臭いがキツいと女が逃げ出しかねないからね」



分かった。と、セネクスは頷く。



「なら、話は纏まったね。3日後にまた来るよ。極上の女を連れてね」



話は終わり。と女性は席を立つ。

その衝撃で豊かな胸が上下に躍動的に動いていた。



「一つ聞いていいかの?」



セネクスはその姿を見て、一つの疑問を抱いていた。

フィスに関わる重要な懸念を。



「なんだい?」

「フィスの相手するのはお前さんではないんじゃろうな?それだとフィスがあまりにも不憫じゃて……ワシなら目覚めた瞬間自死するでの……」



女性の額に青筋が浮かぶ。

手に持っているパイプがパキリと音を立てて折れていた。



「今すぐ冥途へ送ってやるよ!!糞ジジイ!!」

「やめるんじゃ!!ここには貴重な本が!!」



その瞬間、ズズン!という地響きが、コロセウムの会場を揺らす。

その直後には、男性の物と思われる悲鳴が木霊していた。





「そんなの認めらんねぇ!!」



ルーチェは乱暴に席を立ち叫んでいた。

小さなグラスが跳ね、カランと音を立てて倒れてしまう。


無茶苦茶な理屈だった。

いきなり、セネクスからフィスを風呂に入れろ。と言われ

理由を問いだした結果が、この惨状だ。



「フィスの事何も知らない連中が?!フィスと……その……」



ルーチェは顔を赤らめる。

その先は、年頃の少女が簡単に言える物ではない。



「仕方がない。今は可能性のある物を全てを試す時なのじゃ!」



セネクスは精悍な顔つきで宣言する。

一部が黒く焦げ縮れた髭と髪がその言葉の価値を下げているとは気づかずに。



「でも!」



ルーチェは反論しようとするが、それは周りから湧き上がる声に押し殺されてしまう。


分かる。確かに効果がありそうだ。羨ましい。

周りからはそんな声が上がっていた。

それは、セネクスの意見に賛同こそすれ反対する物ではない。


ルーチェに反論の余地はなかった。



「でもよ!そいつらフィスの事、化物って言ってるんだろ?」

「そうじゃ。だが他に手は無い」

「……なら、俺がやる!」



ルーチェの言葉に、食堂全体が凍り付く。

今まで上がっていたどこか冷やかすような声すら凍り付き、そして四散していた。



「俺がフィスの相手をするって言ってんだ!!」



顔を真っ赤に染め、ルーチェはもう一度宣言する。

周りは言葉を思い出したかのように、ざわつき始める。 



「おぬし、フィスの事が好きなのか?」

「わかんねぇよ……でも……」



言葉が決まらないのか

ルーチェは首を横に2,3回ブンブンと振っていた。



「ただよ……もしフィスが元に戻ったとしても、自分の事を化物みたいな目で見てる奴が目の前にいたらフィスはどう感じる……?」



そのルーチェの問いに答えられる者はいなかった。

それも当然である。

誰もフィスが治った時の事までは考えていなかったのだから。



「そうじゃな、おぬしに任せるのが一番かもしれん。上手くいけば用意した金は全部お前にやるわい」

「後で返せってもしらねぇからな」



ルーチェは少し恥ずかしそうに鼻の下指でなぞる。

少年のような出で立ちの少女から、紡ぎだされたその可愛らしい仕草。

いつもとのギャップも相まって、相当な破壊力になっていた。



「なんか、酒が飲みてぇ。なんか背中がむず痒いんだよ」

「奇遇だな。俺もだ」

「熱いよな……青春だよな……」



ルーチェの仕草のせいで、周りの剣闘士達はドンドン腐っていく。

もはやからかう気力も無い。

なんでフィスを救う必要があるんだ?などと言い出す者も現われる始末だ。



「ち、ちげえぞ?!俺は金の為にやるんだからな!!」



周りから湧き上がる言葉に、ルーチェはハッとして反論する。

慌てて取り繕うが、後の祭りだった。



「飲むか……」

「くっそ……フィスの野郎!治ったら全力で殴ってやる!」



その日、久しぶりに食堂での酒盛りが再開された。

ただ、その様子はいつもとは違う。


羨望と憎しみを合わせたような悲哀の籠った声が夜の食堂に響いていた。





「なんでこんなん持ってんだあの爺……」



ルーチェは自分の体を見ては顔を赤くしていた。

絹で織られた薄い肌着。

衣類としての機能をまるで果たしていない。

目を凝らせば、体の全てが透けて見える。


流石に恥ずかしいのか、ルーチェは厚手のマントを上からしっかりと羽織り直す。



「……よし」



小さな決意と共に、ルーチェは部屋に入る。

木のいい香りが鼻先を掠める。

フィスの部屋。

月明りに照らされた一人の少年がベットから半身を起こしブツブツと何かを呟いている。



「こ、こっちを見んなよ!」



ルーチェは羽織ったマントを脱ぎ棄てる。

パサリと音を立ててマントは床で小さくなる。


ただフィスは何の反応も示さない。

ちょっと複雑な気持ちを抱え、ルーチェは月明りだけの部屋をゆっくりと進んでいく。

そして、フィスのいるベットへ入り込む。



「フィス」



ルーチェはフィスの背中に寄り添い声をかける。



「……アィー……ル」



わけのわからない言葉を紡ぐフィスの口から零れた唯一理解できる言葉。

それは、フィスが殺した大切な人の名前だった。



「もう、アィールの旦那は死んだんだ……お前は悪くない」

「……死……んだ?」



ルーチェはフィスの背中から優しく声をかける。

すると、フィスは肩をピクッ揺らしゆっくりと振り返る。

フィスの憔悴した顔がルーチェの方を向く。


フィスの目。

その目は焦点も定まらず虚ろで、生ける人のそれとは思えない物であった。



「ああ。もうアィールの旦那はこの世には」



いない。

そう言葉を紡ごうとしたルーチェは、ドンという衝撃と共に床へ弾き飛ばされる。



「きゃ!」



ルーチェは小さな悲鳴と共に地面に打ち付けられる。

その途端、ルーチェに黒い影が襲いかかっていた。


フィスであった。


怒声を上げ焦点の定まらない目で、訳のわからない言葉を繰り返し叫ぶ。



「ひっ!」



正常な人の行動ではないフィスに、ルーチェは恐怖を感じゆっくりと逃げようとする。

それを察知したフィスは

”逃がさない。”

そんな意思を示す様にルーチェに馬乗りになり、首を締め付け始める。



「っぐ……」



あまりにも強い力。

ルーチェの意識が急激に遠のいていく。


ルーチェも必死に抵抗するが、フィスは剣闘士。

力の差は歴然だった。


ポタリ。


必死に抵抗するルーチェの頬に水滴が落ちる。

フィスの涙であった。



(フィス……お前……)



薄れゆく意識の中で、ルーチェは手を伸ばしフィスの頬へ手を当てる。

そして掌でゆっくりとフィスの涙を拭き取っていた。


すると、ルーチェの首を絞めていたフィスの力は徐々に弱まり首から離れていく。

ルーチェはケホケホと小さく咳き込んでいた。



「……つらいよな……痛いよな」



ルーチェは逃げる事もせず、掠れた声で言葉を紡ぐ。



「俺も目の前で両親が殺されたから分かる……あれは痛いってもんじゃないよな……」



その間もルーチェはフィスの涙をグイグイと涙を拭いていた、

ただ、いくら拭いてもその涙は次々と溢れてくる。



「しかも、お前は自分の手で大事な人を殺したんだもんな……やりきれないよ。当然だよ」



ルーチェは涙を拭くことを諦め、両手をフィスの頬に添える。



「だから、いいぜ……。全ての理不尽を俺にぶつけろよ。お前の気が済むまで」



ルーチェは自由になった首を上げフィスに唇を重ねていた。

それは小さく震える冷たい唇だった。


自身が恐怖の余り震えているのか、それともフィスが震えているか、ルーチェには分からない。

ただ、その味はとても辛い血の味だった。



「ルー……チェ……?」



フィスがポツリと呟く。

ルーチェはハッとした様子でフィスの顔を見る。


その目。

先ほどまで虚ろだったフィス目には人らしい光が灯っていた。



「そうだ!俺だよ!」

「ルーチェ……?」

「ああ!おかえり、フィス!」



ルーチェはパァっと明るい表情を見せる。



「……うっ……うっ……」



ただ、そのルーチェの笑顔に返ってきたのは、堪え切れず溢れた嗚咽だった。



「……声を出して泣けよ……誰もお前を責めちゃいない。お前はもう十分すぎる位罰は受けた」



ルーチェはそっとフィスを胸に抱く。

衣類としての機能をまるで果たしていない。

絹で織られた薄い肌着しか身に着けていない胸へと。


フィスは子供の様に泣き、その肌着をグシャグシャに濡らしていく。



「……ごめんなさい……ごめんなさい」



何度も何度も、謝りながら。



「そっか……おまえずっと……」



謝っていたんだな。と、ルーチェは思う。

ずっと何かを呟いていたのも、全て大切な人への謝罪だったのだ。


それを理解したルーチェは、言葉を紡ぐ為の唇をそっとフィスの頭に当てる。


酷い血の匂いがルーチェの鼻をつつく。

誰もが思わず顔を背けたくなるような匂い。


ただ、ルーチェは優しく微笑みフィスを抱いていた。

月明りだけが部屋を灯す。

そんな幻想的な部屋の片隅で。

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