第11話


”フィス”という名を叫ぶ歓声がビリビリと会場全体を揺らす。


その全ては会場の中心にいる一人の少年へと向けられている。

首の切られた死体の脇で、血が滴る首を抱き、空を仰ぎ、涙を流す少年へと。



「もういいじゃろ?事は済んだ」



老人は長い息を吐く。

全ての中心にいる少年を見つめながら。


そして、自分の傍にいる騎士に手に巻かれたロープを掲げ、切るように催促する。



「本当に……申し訳ない……」



騎士は頭を下げ、老人に巻かれたロープを切る。

先の戦いでこの老人に助けられた若い近衛騎士だった。



皇帝の命により彼は剣闘士達に縄を打ち会場まで連れてきた。

にも関わらず、その若い騎士は目の前の惨劇を直視出来なかった。


いったい自分は何をしていたのか。

そう自身に問いかけずにはいられなかった。



「随分と殊勝なことを言うの。こんな事をしておいて!」

「本当に……なんとお詫びしたらいいか……」



騎士は再び頭を下げる。



「ふん、謝る相手が違うじゃろ」



老人は心底うんざりしていた。

目の前の騎士、悲劇を見て喜ぶ観客、そして何も出来なかった無力な自分自身に対して。



「はやく兵士達を下がらせんか。剣闘士どもがいつまでも黙っていると思った大間違いじゃ」



老人がその髭だらけの顎をクイッと上げと示す先。

そこには強い殺気に満ちた剣闘士達の姿があった。


若い騎士は兵士たちに剣闘士達の縄を切るように指示を出し、兵士たちはその指示に従い縄を切っていく。


全員分の縄を切り終えたあたりだろうか。


”ジッ……ジッジッジッ……”と、低い声静かに響く。

骨が軋み精神が削り取られる様な不快な音。

それは空気や壁を震わせる歓声の中でも消える事は無く、時間と共にその大きさを増していく。



「いかん!!!」



老人は叫ぶ。

その直後であった。



ヴオァァァァァァァァァァァァァ!!!!!



会場の歓声よりも遥かに大きい叫び声が少年から発せられる。

何千という人の声にも勝るその咆哮。

もはや人の声では無かった。

そのあり得ない声量に、会場は今まで熱気を忘れ静まり返る。



「ゾット!!小僧を止めろ!!腕や足を切ってもかまわん!!!」

「ジジイ!なんだ?フィスに何が起きた??」



老人は焦り、声を荒げる。

そこには、いつものような余裕など見れない。



「ありえん量の魔力が小僧から湧き出しとる!!」

「どういうことだ?」

「早くせよ!!あんな量の魔力をまき散らせば小僧は間違いなく死ぬぞ!!」

「とにかく気絶させればいいんだな……」


右目に傷のあるゾットと呼ばれた男。

その男は、無意識に喉を鳴らしていた。



(本当にこれがフィスか?)



ただ、無防備に立ちゆらゆらと揺れる少年。

本来なら警戒するにも値しない。


ただ、ゾットの本能が告げていた。

目の前の少年が何よりも危険な存在であると。



「おい!試合が終わったならさっさとそのゴミを持って控室へ戻れ!!」



ゾットが足を止めている間に、一人の兵士が少年へと近寄り怒鳴りつける。


ただ、少年はゆらゆらと揺れるだけ。

兵士の話などまるで聞いている様には見えなかった。



「おい!聞いているのか?」



そんな兵士の声を無視し

少年は控室とは逆側の観客席の方へ歩いていく。

兵士を馬鹿にしたような態度は、静まり返った観客席から嘲笑引き出していた。


兵士は顔を赤く染め激怒する。

剣闘士とはいえ、たかが奴隷。


その奴隷に無視され挙句、馬鹿にされたのだ。

奴隷であればそれだけで殺されても文句は言えない位の重罪である。



「この薄汚い奴隷風情が!!」



兵士は持っていた槍を脇に構え、観客席へと歩く少年の背中に向かって突きを放つ。

その一撃は、正確に少年の背中を捉えていた。


大人と呼ぶには、まだまだ小さい少年の背中。

その背中に、兵士の槍は穂先をほんの少し埋め込んだだけ。


兵士がどんなに力を込めても、その先へ槍が進むことは無かった。


その直後、少年の首だけグルリと反転し兵士を見つめる。

大きく見開かれ焦点の合わない目は、ただただ恐怖しか感じられない。



「ひっ……」



兵士から小さい悲鳴が漏れる。

ただ、次の瞬間にはその兵士の体は上下2つに分かれていた。


少年が振り返り、ゆっくりと振るった剣。

それが兵士の体を引き裂いていた。


それは、鋭さもない鈍い剣筋だった。



「あ、あの者を捕えよ!殺してもかまわん!!」



隊長格の男が叫び少年へと駆けていく。

兵士を殺された以上、黙っている訳にはいかない。


兵士たちは、良く訓練されていたのだろう。

直ぐに隊長に続くように、少年へと向かっていく


その光景に、観客達は一瞬前の光景を忘れ興奮の声を上げていた。



「やめろ!今のを見んかったのか!!」



老人が慌てて止めるが、それは意味を成さなかった。

兵士達は、少年へと駆け寄り全力で攻撃を放っていた。


一人の兵士は心臓を狙った突きを。

一人の兵士は首を切り落とす為に、両手で剣を持ち一閃させる。


兵士達各々が持てる最大の一撃。


その攻撃は、全て少年に当たっていた。

ただ、その全ては少年の皮膚を薄く切る程度。


少年は痛がる様子も見せず、剣が体に当たるのを気にすることも無く。

ただただ力任せに剣を振るっていく。


その鈍い剣が振られるたびに地面は赤く染まり、兵士達の体は子供が雑に扱う人形のごとく、胴や首がブツリと千切れ地面へと転がっていく。



少年は自身に向かってくる全てを切り倒し、また観客席へと歩を進めていく。



「……なんだよ……あれ……」

「剣で切られても死なない……化け物じゃないか!」

「それより、あいつなんでこっちに来るんだよ」



返り血で真っ赤に染まった少年が無表情で近寄ってくる。

そんな光景に、観客は興奮ではなく恐怖を感じていた。


感情などない異質な目。

それは生きる正常な人間の物では無かった。



「に、逃げろ!!」



観客の一人がそう声を上げ、逃げ始める。


すると、その行動は直ぐに伝播し会場全体へと感染する。

席を埋め尽くした観客達は、我先にと会場から競う様に逃れていく。


先ほどまで会場を震わせていた声援を悲鳴へと変えながら。



そんな観客の行動に呼応するかのように、少年は耳を劈くような雄たけびを上げ、逃げる人々の方へと駆けていく。



「フィス!止まれ!!」



ゾットと呼ばれた男は、殺された兵士の剣を拾い少年の前に立つ。

他の剣闘士もそれに従う様に剣や槍を拾い、少年を囲み声を上げる。



ヴアアアァァァ!!!

少年は奇声を発し、力任せに振りまわした剣をゾットへ振るう。



(やべぇ!!)



鈍い素人のような一撃。


ゾットはその剣を受け流す事は容易に出来た。

しかし、彼の本能が”躱せ!”と強く主張したのだ。

ゾットは本能に従い、その一撃を躱す。


少年の振るった剣は、ブンッ!という鈍い音を立て地面へ深々と突き刺さっていた。

地面を泡のように簡単に切り裂きながら。



「マジかよ……」



ゾットは自分の本能に感謝する。

硬い大地をいとも簡単に切り裂く剣。

それは剣が素晴らしい切れ味なのではない。


少年の力が強すぎるのだ。



「躱せ!!絶対に一撃を受けるな!!腕ごと持ってかれるぞ!!」



ゾットは叫ぶ。

周りの剣闘士達は指示に従い少年の攻撃を躱し反撃の一撃を放つ。


その攻撃いずれも少年に当たっていた。


本来なら行動不能になるはずの一撃。

それは少年の肌に薄く傷をつけるだけであった。


それでも、剣闘士達は縋るように、少年の剣を避け一撃をいれる。


そんな単純作業が繰り返される。

観客を逃がす。その為だけに。


それは観客を守るのではなく、少年が観客を殺さない様にする為の配慮であった。


ただ、それも長くは続かない。

時間の経過と共に少年の剣は何かを思い出すかのように徐々に早く、鋭くなっていく。

元々少年が持っていた技量に追いつくように。


ギィン!

剣が重なる鈍い音が響く。


その音と共に、一人の剣闘士の腕が千切れそのまま宙に舞っていた。

ついに少年の剣が剣闘士達を捕らえ始めたのだ。



「ジジイ!!なんとかしろ!これじゃ俺たちが持たない!!」



ゾットは叫ぶ。

少年の剣はいつものそれと変わらない位、素早く正確になってきていた。



「もう少し堪えろ!いつも鍛えておらんからそうなる!!」



老人はいつもの様に軽口を叩く。

しかし、実際には余裕などなく。

精神を集中させ、滝のような汗をかいていた。



「くそっ、酒ばかり飲んでるツケか……」



ゾットは自身の自堕落を悔やむ。

ここに来たばかりの少年は、はっきりいえばゾットの敵では無かった。

しかし、目の前にいる少年は毎日血反吐を吐く努力をし、剣の腕、魔法の力を磨いてきたのだ。


それが、今になってこういった形で現われる。

少年の剣は、もはやゾットとほぼ変わらない技量を見せていた。



「皆下がれ!俺が相手をする!!お前らはジジイの護衛につけ!!」



ゾットは叫ぶ。

ただ、周りの剣闘士達はその指示には従わず、少年に攻撃を加えていく。

無駄だと知りながら。

決して急所だけは狙わずに。


少年の剣と剣闘士達の剣がぶつかり合う。

その度に腕が飛び、鮮血が宙を舞う。

少年は仲間であった剣闘士に対しても容赦なく剣を振るっているのだ。



「やめろ!!フィス!!お願いだからやめてくれ!!!」



ゾットは、自分たちにも責任があるのは痛いほど理解していた。

前日に振る舞われた酒に薬が盛られている事も知らず、ただただ溺れ。

そして、人質として扱われた。

その結果がこの惨劇なのだ。


それはここにいる剣闘士の誰もが感じている事。

だからこそ、ゾットも他の皆も少年を止めようと必死になっている。


それでも同じ仲間の命を。

同じ仲間である少年が刈り取る姿だけは見たくない。

それはゾットの祈りにも似た願いであった。


そんな意図は知らない。

少年はそう宣言するように、地面に横たわる腕の千切れた剣闘士に迷いなく剣を振り下ろす。



「やめろ!!!」



ゾットは拳を握りしめ、目の前で起きる惨劇を覚悟する。

ただ、その惨劇の代わりやってきたのはガツッという激しい音だった。



「すまない。待たせた。」



少年の一撃を楯で受ける一人の男

それは、一人の若い騎士。

先の戦いで魔法使いの老人に助けられた若い近衛騎士だった。



「魔力で限界まで体を強化していた。君たちは下がって怪我人の救助を頼む」

「……すまねぇ」



ゾットは若い騎士の指示に従い、周りに倒れる仲間の救助に向かう。



「少年!早く元に戻るんだ!!仲間の命を絶てば君はさらに悲しみを背負う事になるぞ!!」



若い騎士は少年に呼びかける。


その返事の代わりに返ってきたのは強烈な突きであった。

風を裂きながら迫るその一撃は騎士の首へと伸びていく。


騎士はそれを首を捻る事で躱していた。



「もはや言葉すら通じないのか。なら悪いが動けない様にさせてもらう!」



ハアァァァァ!!と、騎士は気合の声を上げ、両手で剣を持ち少年へと突っ込む。

そして腕を狙った、全力の一撃を少年へと振り下ろしていた。


鈍い撃音と火花が散る。

少年は騎士の一撃を片手で受け止めていた。


騎士は力任せに剣を押すがビクともしない。

大きな岩に剣を押し当てているのでは?と錯覚する程であった。


それどころか、少年の押し返す力の方が断然強い。

騎士は慌てて距離を取る。


騎士の背中に冷たい物が流れていく。


魔力で強化した体。

両手での全力の一撃。


それをあの少年は片手で受け止めた。

それも、いとも簡単に。


有り得ない。

少年の力は人の範囲を軽く超えている。

神話に残る魔人と呼ばれる存在かと疑ってしまう程に。


本当に”化け物”という言葉がピッタリとくる。



騎士が少年の強さを再確認した瞬間であった。


少年は突然体を前に倒し、頭から地面へと倒れていく。

木の葉が落ちるような、自然でゆったりとした所作であった。


頭が地面へと接する位に近づいた時、少年はダンッ!と地面を踏み抜く。


その衝撃だけで地面は抉れ、土煙が舞う。


その土煙を切り裂く様に、少年は風のように駆けてくる。

まばたきをすれば見失っていまいそうな位の速さで。



(まずい!)



騎士は慌てて楯を前に出し、少年の一撃に備える。


考える前に体が動く。

訓練の賜物であった。


その直後、ガツン!!という音と共に、楯に強い衝撃が加わる。

騎士は、魔力で強化している自身の体がフワリと浮き上がった錯覚さえ覚えていた。

今だかつて経験した事のない強い一撃だった。


いったいこの少年の小さい身体の何処にこんな力が隠されていたのか。

それを疑わざる負えない信じられない一撃。


慌てて若い騎士は距離を取る。


が、少年は騎士よりも早く動いていた。

勢いを殺さず、鎧の上から騎士に蹴りを見舞っていた。


ベコッと鎧は凹み、若い騎士は観客席まで吹き飛んでしまう。

空席の観客席に叩きつけられた騎士は、ただ白目を剥き意識を失っていた。



「いまじゃ!!」



突如、老人の声が響く。

その瞬間、空より一筋の光の束が爆音と共に少年に降り注いでいた。

老人の最大魔法。

竜をも屠ると言われている雷による一撃であった。



「あっ……がっ……」



黒く焼け焦げた少年から漏れた声。

それは紛れもなく、人の声であった。


少年は膝から崩れ落ちていく。

それを見た老人も安堵したかのようのに、荒い息を吐き地面へと倒れてしまう。



「終った……のか?」



ゾットはポツリと呟く。

ただ、それに答える者はだれもいなかった。

この場所で5体満足で立っていられるのはゾットの他には誰もいないのだから。

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