第10話


「以上が報告となります」



皇帝の側近は頭を下げ畏まっていた。

彼は持てる全てを使って使命を果たしていた。

立場、人脈、金。

考えられる物を全て使って。


未だかつてこれほど本気になって職務に当たった事など無い。

ただ、これでしくじれば首が飛ぶかもしれないのだ。

全力を尽くさない訳がない。


ただ、その成果は上々であったと側近は考えている。

自分でも驚くような内容になったという自負もある。

だからこそ、期待を込め報告書を作り皇帝へ献上したのだ。


当然、何かしら良い反応が得られる。そう考えていた。


しかし、当の皇帝は報告書をペラペラと捲るだけ。

何の言葉も発しない。


となれば、頭をさげつつ皇帝の表情を盗み見てしまうのは仕方のない事であった。



「……如何でしょうか?」



無表情の皇帝に痺れを切らした側近は伺いを立てる。

緊張と心配で、心臓が口から迫り出す寸前なのだ。



「……よくやった。素晴らしい成果だ」

「ありがたきお言葉!」



バサッと報告書を投げ置き皇帝は告げる。

側近は頭を下げたまま肩を小さく揺らす。

込み上げた笑みが堪えきれず零れてしまうのだ。

必死に取り繕うが無理。

何より皇帝より初めて授かった賛辞。

間違いなく自分の首は繋がった。と確信したのだ。



「では、新しい使命を与える。この者達を戦わせよ」

「はっ?」



どんなに頑張っても抑えきれなかった笑みが一瞬で消えてしまう。


側近には理解出来なかった。

報告書にも一番の目玉として記載したが

あの”アィール”と呼ばれる男。

あれは特別なのだ。


本来なら明日の命も知れない奴隷などにしておくのはあり得ない存在。


つい最近まで領土を巡り争っていた隣国の王子なのだ。

先日の戦いで戦死したとされていた男。


これを旨く使えば労せずにこの国の領地を増やせるかもしれない。

増やせなくても、外交のカードになる事は間違いない。


それを剣闘士として使い捨てるなど、流石にこの愚鈍な男でも分かる。

あり得ない選択肢なのだ。



「し、失礼を。ですが、あの男は利用価値が……」

「安心せよ。より面白い試合とるように取り計らう」

「……承知しました」



皇帝の考える事など側近にはまるで分からない。

しかし、折角功を上げ許されたのに激昂されて取り消されては敵わない。

それにこの前の近衛騎士の戦いとは違う。

自分さえ黙っていれば、これは特に大きな問題には発展しない。



「試合はいつ頃開催出来る?大きく宣伝して祭りの様に仕上げたい」

「祭り……ですか?」

「そうだ、民衆への良い息抜きになるだろう?」

「でしたら、50日程頂ければ……」

「まぁ、いいだろう。直ぐに準備しろ」

「はっ、直ちに準備にかかります」



側近はすぐに下がろうとする。


これ以上ここに留まれば、また何を言われるか分からない。

もうこれ以上無理難題を引き受けたくはない。

そんな思いから出た行動であった。



「あぁ、待て」



ビクッと肩を震わせ、側近は振り返る。

自分の不安が的中していない事を祈りながら。



「近衛騎士達が全員無事だというのは本当か?」

「はい、現在療養中となりますが、全員職務に復帰出来る程でございます。もちろん、彼らは近衛騎士の任を解き、それ相応の罰を与えます」

「必要ない、余の近衛騎士として復帰させよ。それぞれに褒賞も与えてな」

「はっ?」

「近衛騎士としてのプライドを捨て、余の我儘を聞いたのだ。それ相応の評価をすべきだろう?」

「・・・・・・」



側近は絶句してしまう。

皇帝の言っている事が常軌を逸してるのだ。

近衛騎士は剣闘士に負け、命まで救われた。


それは、案に剣闘士の方が騎士よりも強い。

という事を証明したに他ならない。


騎士のというのは本来、様々な訓練や試練を乗り越え

初めて叙勲される名誉ある存在。


剣闘士などという奴隷に辱しめられていい存在ではないのだ。

その名誉を踏みにじった近衛騎士など、他の騎士からすれば笑いものにする程度では済ませられない。


本来であれば早々に首を飛ばし、沈静化を図るべきなのだ。


それなのに、褒賞を与えるなど……。

騎士からの不満は増大し、下手をすれば国を揺るがす火種にもなりかねない。



「お言葉ですが、彼らになんの罰も与えないというのは……既に様々な所から彼らに対する処罰の要求が……」

「お前の方で好きに処理しておけ」

「わ、私がですか……」



いったいどれだけの骨を折らなけいけないか見当もつかない。

考えただけでも寒気がする。

さらに、祭りの準備もしなければいけないのだ



「お前を信頼しているぞ、もちろん金が必要ならいくらでも言え。これを上手くこなせば希望を一つだけ何でも叶えてやろう」

「えっ……」



側近は、皇帝の言葉を理解するだけで数秒の間が掛かってしまった。

”信頼している”その言葉が、目の前の皇帝から自分にかけられるなど

側近の想像をはるかに超えた出来事であった。

それに、自分の希望を何でも叶えてくれるなど、滅多にあるチャンスではない。



「あ、ありがたき幸せ。私にお任せを!!」



側近は今までの自分の考えを忘れ皇帝に跪き忠義を示す。


直ぐに準備に取り掛かる旨を皇帝に伝え、その場を後にする。

その足取りは非常に軽やかなものであった。



「愚鈍な男には少し荷が重すぎるな。だが、これは確実に面白くなるぞ」



側近が退出し、誰もいなくなった豪華な部屋。

そこで皇帝はこれから起こる事を想像しゆっくりと口角を上げる。

ただ、その顔は笑っているのではなく、怒りに満ち溢れた怪物のようであった。







「あと、ついに1勝ですね!!」



僕が倒れたあの試合。

近衛騎士達との戦いからもう50日が経過した。


近衛騎士たちはあの後、セネクスさんの迅速な治療により全員無事回復した。


若い騎士は屈辱だ!殺せ!とも騒いでいたけど。

隊長らしき人が納めてくれた。らしい。


らしいというのは、僕は案の定あれから30日は動けなかった。

その間、またルーチェの世話になって、その後リハビリして……とにかく色々あった。


その後は、ルーチェに誘われて街へ出たり、折れた剣を短剣に打ち直したり。

楽しかったけど、凄く忙しかったのだ。


ただ、今日別だ。

何があったってこの日だけは、予定を開ける。


今日は記念日なんだ。

アィールさんがついに49勝を上げたお祝いが食堂で開かれている。

後1勝。

アィールさんが、明日の試合を勝てば奴隷の身分から解放される。


暫くアィールさんは試合すらさせてもらえなかったけど、明日試合が出来る事が決まった。


巷では祭りも開催されているらしく、僕らの所にも大量の酒が回ってきていた。


そのせいか。周りからはいつも以上に、先輩達のむさ苦しい怒号が湧き上がっていた。

酒臭いし、相変わらず煩いけど、でも、今日だけはその騒音も凄く心地いい。

ただ、お酒だけは絶対飲まないけど。



「ああ……」



なのに、アィールさんはあんまり嬉しそうではない。

さっきから身の入らない返事ばかりしている。

どうしたんだろう?



「アィールさん?元気ないですね」

「ん?あぁ、少し感慨深くてな」



そう言ってアィールさんは笑う。

……愛想笑いだ。

短い間だけど、僕はアィールさんとこの世界にきてから常に一緒にいるんだ

表情の違いなんてすぐに分かる。



「まだ、1戦あるんですからね、絶対に負けないでくださいね?」

「……そうだな」



気力のない返事だ。

本当に大丈夫なのかな?



「もし、体調悪いなら言ってくださいね?僕が直ぐに変わりますから!!」

「フィス……お前戦いたいのか?」

「いえ?でも、体調不良でアィールさんが本来の実力を出せないのなら、僕が代わります。それくらいしか僕は出来ませんから!」

「そうか……ありがとうな……」



もし、体調が悪いならすぐにでも言ってほしい。

例え相手があの近衛騎士の隊長だったとしても、喜んで代わる。

なにせ僕はアィールさんの相棒なんだから!



「本当に大丈夫……ですか?」

「なんでもない。奴隷から解放なんて実感がわかないんだろうな。少し風に当たってくる」



すまんな。という言葉を残してアィールさんは騒音響く食堂から出ていった。


やっぱり、後1勝で奴隷から解放されるとなると

流石のアィールさんでも緊張するのかな?


たぶん大丈夫だと思うけど、もし実力が出せずアィールさんが負けそうになったら

僕がどんな罰でも受けてもいい。

殺されたっていい。

試合に横槍を入れて僕が相手を殺してやる。



「でも、たぶん大丈夫かな」



僕の心配は杞憂に終わると思う。

だって、僕が心配しているのは、あのアィールさんなんだから。








雲ひとつない夜空には、沢山の星が瞬いている。

ただ、残念な事に壁で囲われた中庭から見える空は決して大きくは無い。



「今日は冷えるな」



その小さな夜空を見上げる男がポツリとつぶやく。

それは自身にかけられた言葉ではなく。

背後にいる人物にかけられたものであった。 



「良いのか?」

「ああ、話さない方がいい」



背後にいる人物は”そうか”と呟き、男の隣まで歩いてくる。

その人物は髭を蓄えた老人であった。



「おぬしが全てを捨てて逃げるというなら、ワシも力を貸すぞ?おぬしには借りがあるからな」

「爺さんにそこまで言ってもらえるとは……ありがたいな……」



一人の男がフッと息を吐く。

その目は物悲しそうに小さな夜空を見上げていた。



「でも、この国が俺を逃がすわけがない」

「おぬしの正体まで知られておるのか?」

「ああ、初戦で魔法を使ったのが不味かったみたいだ……」



男の言葉にキィキィと虫の声が答える。


魔法を使える人間。

それは決して多くは無い。

様々な訓練と資金的余裕。

これを満たしたものだけが習得できる


逆に言ってしまえば、魔法を使える人間というのは

ある程度の資金と教育を受けた人間という証明でもあるのだ。



「だから、フィスには確実にここから出てもらいたい。勝者になれば皇帝の恩赦で出られるからな……」

「難儀な性格じゃの」

「自分でもそう思う。俺が……いや、人が助けられる人間なんてこの両の手に納まる人間だけだ。俺は分不相応にもそれを広げ過ぎた。だから零れちまう」



男は自分の拳に視線を降ろし、ゆっくりと拳を握りそして開いていく。

当然、開いた拳には何も残されてはいなかった。



「……両の手に納まる人間だけか」



老人はその様子をただ隣で眺め”その通りじゃな”と呟いていた。



「爺さん勝手な願いですまないが、一つ頼まれてくれないか?」

「何じゃ?遠慮なく言ってみよ」

「フィスを頼む。あいつは俺に傾倒し過ぎている。だから、今後立ち直れるかすら分からない」

「……頼まれたぞ」



その言葉の意味を理解した老人に断れる訳が無かった。

老人は、ゆっくり目を閉じ胸の奥から湧き上がった溜飲を下げる為に大きく息を吐く。



「嫌な役を本当にすまない」



その言葉を残し、男は去っていく。



「……自分の無力さを痛感するのはこれで何度目じゃて」



老人は目を開け空を見上げる。

四角い壁に囲まれた小さな夜空。

そこには数える事すら許さない。星の海が広がっていた。





コロセウムという会場。


その中心は薄い砂と硬い地面に覆われた空間が広がり

その周りには上下に隆起する人の波が沸き起っていた。


人の流した血が風化し、硬い大地を覆う砂となり

その血を求めて集う人は、興奮のあまり叫び、そして地団駄を踏む。


その足踏みは小さな振動となり、それが集まって大きな地揺れとなって会場全体を震わす。


今日は半端な人数ではない。

観客席には立ち見の人間が溢れ、特別な区画以外は全て収容人数以上の人で溢れている。



「どう……して……?」



そんな言葉も振動も観客の数も、全てが消え去ってしまう。

ただただ、僕は目の前にある光景が信じられなかった。



「どうしてって言われてもな。俺は特殊な性癖をもっていてな。育てた者を殺す事に快感を覚えるんだ」



今日僕は体調が優れないというアィールさんの代わりに

この熱気が渦巻く会場に立ち敵を待っていたのだ。

アィールさんの代理として戦う為に。


ただ、目の前に敵として現われたのが他でもない。



アィールさんだった。



「……うそ……だ」

「嘘だと言われてもな……証明しようがない。こんな戦い俺から望まない限り実現しないだろ?」



アィールさんは手を上げる。

それを合図に会場は静まり返り、僕らの経歴が読み上げられる。


共に奴隷として落ち。

寝食を共にし、命を賭け助け合い剣闘士となった事。


剣闘士となった後も、お互いを信頼し本当の親子よりも深い絆を育んだ事。


そんな、経歴が流暢に読み上げられている。

経歴に嘘はない。

むしろ足りない位だ。


そして、経歴が読み上げられた後

”その父と子。この地に立てるのは片方のみ。”

そんな言葉で締められていた。


観客はこれ以上ない位に沸き、耳を劈く様な声が僕らに向かって降りてくる。



「どうだ?良い舞台だろ。喜んでくれたか?」

「……わかりません。アィールさんは何をしたいんですか?!」

「全力で向かってくるお前を正面から倒し、そして殺す。これだけだな」



僕の心の中に黒い霧の様な物が広がっていく。

ふざけるな。そんな感情が湧き上がってくる。



「それだけの為に、僕を助けてくれたんですか?」

「そうだ。その為に助けてきた」



ただ、その黒い霧は一瞬で晴れていく。

アィールさんがいなければ僕は剣闘士の試験。

いや、その前に間違いなく死んでいた。

恨むなんて筋違いだ。



「ははっ」



僕は思わず笑ってしまった。

一瞬でもアィールさんを恨んだ自分が馬鹿らしくなる。



「どうした気でも触れたか?」

「分かりました。僕は全力でアィールさんに向かっていきます!」



いいさ。

例え騙されていたとしても、それで全てが返せるなら。

今まで貰った恩を返せるならそれでいい。

初めてこの世界にきて、絶望して。

その時に助けてくれたのはアィールさんだ。


始めて貰った塩味のスープは今でも忘れない。

塩の入った水みたいだったけど……。


だけど、あれは命の味だった。



「そういうとこだ……俺は、お前のそういう所が嫌いで堪らなかったんだ!!」



そんなアィールさんの言葉を打ち消す様に

”ドーン”という銅鑼の音が響く。

開始の合図だけは、いつも変わらない。


その瞬間、僕とアィールさんは同時に駆けだしていた。


剣と剣がぶつかり火花が散る。

でも、僕はそれが現実とは思えなかった。


なんていうか……いつもの訓練みたいだった。


それほど、アィールさんの剣は爽やかでいつものそれと何も変わらない。


何度も見てきたアィールさんの剣筋。

僕はそれを薄皮一枚の差で躱す。


反撃とばかりに繰り出した僕の剣は、アィールさんの髪を数本切るだけ。

それが繰り返される度に、観客の歓声はドンドン大きくなっている。


見てる観客達は僕たちの試合を、達人同士の試合だと思うかもしれない。


でも、それは違う。

これは、何百回、何千回となぞった訓練の型だ。


それをかつて無いほどの速度で繰り返しているだけなんだから。


僕は強くなった。

そんな実感が溢れてくる。


この世界にきて剣さえまともに振れなかったのに。

今はこうして観客を魅了出来るだけの技術を得ている。


全てアィールさんのおかげだ。

僕の技術も魔法も命さえも全て。


なら、僕は自分自身の力を最大限使って

アィールさんの期待に応えて見せる。


それだけだ。


だから、僕は自分の出来る最大限を持って剣速を上げていく。

僕の技の全てをアィールは知っている。


だから、下手な技術も戦略も必要ない。

ただ、純粋に築き上げた物を見せればいい。


どれくらい打ち合ったか分からない。

何度も響く剣戟の音。


殺し合いをしているはずなのに、なぜか安堵してしまう。


ただ、ゆっくりとではあるが、僕の剣が段々アィールさんの速度に

着いていけなくなってきた。


地力の差が出始めたんだと思う。


その時、アィールさんの剣筋がいつもとは違う軌道を描いた。

フェイントだ。


追いつけなくなってきた僕に、止めを刺すつもりなんだろう。



(それなら!!)



僕はあえてその誘いに乗る事にした。


きっと僕の最後の一撃になる。


そう覚悟を決めて、アィールさんに誘われるまま剣を振りぬく。

この後の事など全て忘れて。


激しい金属音が鳴る。

不意をつけたのか、僕の剣はアィールさんの剣を少しだけ弾いていた。


ただ、態勢が崩れた訳ではない。

でも、僕はその小さな隙をつくように、体を投げ出して剣を振る。


当然、アィールさんも僕の体に剣を振り下ろす。


どちらの剣が先に届くかの勝負だった。



(これでいい)



僕は何故か笑っていた。

初めてアィールさんにちゃんとした一撃が当てられる。

それで満足だ。


僕は剣をアィールさんの体に当たるギリギリでとめる。

魔力で強化してない身体であれば、自分の剣位簡単に止められる。

それ位の訓練は積んできたのだ。



(ありがとう)



僕はアィールさんに感謝し、目を閉じる。

これでもう思い残す事はない。


後はアィールさんの剣で僕は死ぬ。


それでいいんだ。


僕の目からゆっくりと涙が零れていく。

意図しない事だったけど……こればっかりは耐えきれなかった。




アィールさんの剣の衝撃。


いくら目を閉じて待っても、その痛みがやってくることは無かった。

不思議に思いゆっくりと目を開けると、アィールさんの剣も僕の体の直前で止まっていた。



「フィス、お前……」



それは一枚の肖像画みたいだった。

英雄が敵に最後の一撃を浴びせる直前を描いた肖像画。


僕の剣はアィールさんの体の直前で止まり。

また、アィールさん剣も僕の首筋に触れるか、触れないかの所で止まっていた。

そしてその剣は、肖像画と同じで決して動かない。



その光景に観客は怒声が上がる。


殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!!!!


観客は地団太を踏み、喚く。

そんな声や振動が渦となり、僕たちに容赦なく襲ってくる。



「なんで……なんで!!僕を殺さないんです!!!」



僕は声の限りに叫んでいた。

涙が次から次へと溢れ、僕の頬をぐしゃぐしゃに濡らしていく。



「殺せる訳が……無いだろう……」



アィールさんの絞り出した声。

それだけで、僕は理解してしまった。

この戦いは、アィールさんの本位ではない。

そして、僕は安堵した。


やっぱり……アィールさんは優しい人なんだと。



「それなら!!」



僕は距離を取り、自らの剣を首にあてる

これを引けば全て終わる。

アィールさんはもうそんな辛い表情を浮かべなくて済む。



「フィス!!!」



アィールさんは叫び剣を捨て、僕に向かって来ていた。

ごめんなさい。

でも、嬉しいです。


剣を捨ててまで僕を心配してくれる事が。



「待て!!!」



観客の中で一人の男が立つ。

周りには近衛騎士を従え、意匠の凝らされた席に座っていた赤いトーガを纏った男。


その男が手を上げるだけで、観客は静まり返っていた。



「この戦い自害する事は許さん!」



男は宣言し、何か合図をする。


すると、剣闘士の控室へと繋がる石壁の廊下から兵士とそれに縄で縛られた人間が僕らのいる会場へ引っ張られてきた。



「みんな……セネクスさんまで……」



兵士に連れられてきたのは、北位の剣闘士達だった。

みんな見知った顔。お世話になった人。

なんで……背中に槍が押し当てられるの?



「勝負の決着は、どちらか一方の首を跳ねた場合のみ!それ以外は、ここにいる北位の剣闘士達全ての命で償わせる!!」



その男の声を聞いた観客の盛り上がり方は半端ではなかった。

凄まじい声の嵐が、僕の体や剣までもビリビリと揺らし始める。



「何言ってんだよ……」



僕は持っていた剣をだらりと下げてしまう。

僕が死ねば、セネクスさんやゾットさん、他のみんなも殺されてしまうの?

何で……そんな事になるんだよ……



「フィス!!!」



アィールさんが叫ぶ。

いつの間にか投げ捨てた剣を拾い、剣を構えていた。


そして、僕に駆け寄り素早い一撃を放ってくる。



「俺に合わせろ」



反射的にその剣を受け止めた僕にアィールさんが言う。



「アィールさん?」

「フィス、お前は……騙そうとした俺を信用出来るか?」



意味が分からない。

でも、質問の答えなら分かる。

いつも変わらないこの答えは。



「はい!!」



信じられるに決まっている。

何があったって、殺されたって信じて見せる。



「良い答えだ。俺はお前と出会えて本当に良かった」



アィールさんは笑う。

昨日みたいな愛想笑いじゃない。

本当の笑みだ。



「お前は魔力で体を限界まで強化し、全力で俺の首を狙った一撃を放て手加減はするなよ?」

「死ぬ気ですか?」



アィールさんは犠牲になるつもりなら、そんなの許さない。

僕が代わりに犠牲になる



「まさか、どうせ死ぬなら一か八か暴れてやるよ。だから、お前の力を貸してくれ」

「はい!!」



頼むぞ相棒。とアィールさんは短く言う。

ただ、その言葉が……何よりも嬉しい。



「俺はその攻撃を剣で受け止める。だから、お前は俺の体ごと爺さんの所まで力任せに吹き飛ばせ。そこから先は爺さんを助け協力を仰ぐ!なんとかやってみる!」

「分かりました!!」



ギィンと剣を打ち合う音を合図に、僕とアィールさんは距離を取る。

そして、アィールさんはセネクスさんの方へ目くばせする。


あそこにアィールさんを飛ばせばいいんだ。

不安はある。


でも、僕はアィールを信じる。

何があっても絶対に!


僕は剣に力を込め、剣を振るう。

速度よりも威力を重視した一撃を


鋭さも何もない。

アィールさんには取るに足らない酷い一撃かもしれない。

ただ、これは殺す為じゃない、生きる為の剣なんだ。

アィールさんの剣めがけて僕は最大の一撃を放つ。



「……すまんな、フィス」

「えっ?」



僕の剣が当たる直前、アィールは自身の剣をゆっくりと自分の首に当てる。

何やってるの?!

それじゃあ、剣を当てたら!!


(待って、止まれ!止まれ!!)


僕は必死で念じる。


ただ、遅すぎた

魔力で強化した体で放った本気の剣

それを急に止められるはずがなかった。


そんな僕を見て申し訳なさそうに笑うアィールさん。



「……の契……魂の……」



アィールさんの最後の呟き。

その言葉を金属が弾きあう甲高い音がかき消す。

空中には一つの影が飛び、そしてボトリと音を立てて転がる。



「……うそ……でしょ……」



アィールさんの体から噴水の様に湧き出る鮮血が、僕の顔や体を濡らしていく。



「アィールさん!アィールさん!!!!」



僕は足元に転がったアィールさんの首を持ち絶叫していた。



「嘘でしょ?冗談でしょ??!ねぇ!!ねぇ!!!!」



僕は、何度もアィールさんの首に問いかける。

両手で持ててしまう、アィールさんの首に。


その顔は穏やかで、恐怖なんて一切感じれなかった。



フィス!フィス!!フィス!!!



突然、僕の名を呼ぶ声が観客席から巻き上がり始める。

その声は時間と共に大きくなり、観客全体を包み始める。



「……黙れよ……黙れってんだよ!!!」



僕の名を呼ぶ歓声。

この声を聞くだけで、体中から赤黒い何かが際限なく湧き上がってくる。



「……はっ……はっ……はっ……」



呼吸をするだけで体が震える。

体中が熱い。

観客の声で呼び起こされる赤黒くベトッっとした何か。

それが、体の中を勝手に這いずり回る。



「……だれ……だ?」



言葉が上手く紡げない。


だれがアィールさんをこんな目にした?

あの優しいアィールさんにこんな仕打ちをした?

なんでアィールさんはこんな姿になった??



だ れ が ア ィ ー ル さ ん を 殺 し た ?!!!



答えは簡単だ。

ここにいる全員だ。

全員がアィールさんをこんな目に合わせた。

僕も、仲間も、観客も、皇帝も全て。


どうすればいい?

何をすれば彼らを罰せる?

そうだ、簡単だ。

今僕に注がれる感情。

この魔力を全て変換して、ここにいる人間全員殺せばいい。



「ジッ……ジッジッジッ……」



なんでだろう。

僕に注がれている感情と、内面から湧き上がるこの赤黒いベトッとした物。

その全て魔力に変換しようとする度に、口から勝手に声が漏れる……


まぁ、いいや……。

僕がやる事は一つだ……。


あぁ……気持ちいい。

体中に浴びたアィールさんの血が僕の力になっている様な錯覚さえ覚える。


魔力が力に変換されているのが分かる。

でも足りない。

もっとだ。もっと。


ここにいる全員を殺すには足りなイ。


もっと、力が欲しイ。

身体も命も全て犠牲にしていイ。

抵抗も謝罪もユルサナイ……。


だから、ちかラガ……ホシイ……


ここニ、いルぜんイんを……


ころス……タ……メ二

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