第9話



「悪いな呼び出して」

「いえ、珍しいですね」

「ワシは眠い。早く話をしてくれ」



僕と魔法使いの老人セネクスさんは、アィールさんに呼び出されていた。

今は毎晩酒盛りをしている先輩達の煩い声さえ聞こえなくなった夜中だ。



「率直に言う。力を貸してほしい」



アィールさんは頭を下げる。

突然すぎて何がなんだか分からない。

普通こういう物は色々と順序立てて説明してくれないと……

だから、僕は一言だけアィールさんに告げておく。



「わかりました!!」



即答だ。

細かい説明?知るか。

アィールさんからの願いだ!

考えるまでも無い!



「ワシは小僧とは違いおぬしに義理は無い。内容によるでな」



セネクスさんは、ふぁぁ~と大きなあくびをしている。

なんていうか、仕草が完全におじいちゃんだ。



「ああ、実は……」



アィールさんは説明を始める。

いつもの長い感じではなく要点だけを纏めた、シンプルな説明だった。


それは次の試合について。

その試合は3対3で行う珍しい戦いであるらしいのだが

注目すべきはそこではない。


その試合で戦う相手をコロセウムの出資者が指名してきたのだ。

普段ならその申し出はありえないものであり、断るべきものでもあるのだが

その人物が、常識とはかけ離れた人物だった。


常識外れの依頼をした人物。

それは皇帝だった。

この国のトップの人間である。


その人間からの依頼であれば、運営人が断れる訳がないのは想像に難しくない。


戦いに指名されたのはアィールさん。

そして、その相手。

それは皇帝の側近。近衛騎士だったのだ。

奴隷である剣闘士と近衛騎士の戦いなど過去の前例のない事らしい。


ただ、あと2名はアィールさんが選んで良いとの事らしく

アィールさんは僕らに声をかけたという訳だ。


セネクスさんはともかく、僕にも声がかかるなんて……

これは全力で頑張らないといけない。

アィールさんに恩を返せるチャンスなんだから!



「ほぅ、近衛騎士か……」



説明を一通り聞いたセネクスさんは髭をゆっくりと触り思案する。

きっとあの複雑な頭で色々と考えてるんだと思う。

僕の答えは既に出てるので、ただ待つだけだけど。



「ワシも参加しよう。但し条件がある」

「なんだ?」

「近衛騎士達は出来れば殺さんでほしい」



セネクスさんの出した条件。

それは意外な物であったが、なにより実現不可能に近い提案でもあった



「理由を聞いてもいいか?」

「すまんの。今は何も言えん」

「爺さん、アンタも剣闘士だ。コロセウムの掟は知っているだろ?俺たちに”殺さない”って選択肢はないぞ?」

「分かっておる」



沈黙が流れてしまう。

アィールさんが言う様に僕たち剣闘士には”殺さない”という選択肢は無い。

基本的に剣闘士はどちらかが死ぬまで殺し合う。

但し、一つだけ例外がある。

皇帝による恩赦。

それが、下された場合だけ剣闘士は敗者でも生き残ることが出来る。

ただ、今回はその可能性は低い。

なにしろ戦いを命じたのが他ならぬ皇帝なのだ。



「あの!アィールさん!」



でも、何とかしてセネクスの願いは叶えてあげたい。

僕はアィールさんだけでなく、セネクスさんからもかなりの恩がある。

というか、この北位に住む人全員に恩義の無い人なんていない。



「分かってる……」



アィールさんは短く答え、小さく息を吐く。

きっと迷っているんだと思う。

というのも、相手を意図的に殺さない。というは実はかなり難しい。

かなりの実力差がないと実現出来ない事なのだ。


実力が均衡している者が戦えば、一瞬の隙が勝負を分ける。

その一瞬の隙に、致命傷を与えないように手加減する。

それははっきり言って無理だ。


しかも、相手は近衛騎士。

今までの相手とはまるで違う。

そんな事は僕にでも分かる。


それに、コロセウムで敵を殺さない方法だって分からない。

命の取り合いで、迷い下手に加減をすれば殺されるのは僕らの方だ。



「出来る限りになってしまうが、殺さない方針で行く。それで構わないか?」

「ああ、構わん。恩に着るぞい」



悩んだ末にアィールさんは覚悟を決めたようだった。

その言葉を聞いて、つい僕も嬉しくなってしまう。

普通ならあり得ない決断だ。


やっぱりアィールさんは凄い人だと思う。



「セネクスさん!僕も出来る限り協力します」

「……二人とも本当にすまんな。この通りじゃ」



セネクスさんは、僕らに深く礼をしていた。

慌てて僕とアィールさんは顔を見合わせる。


それほど、ありえない事が目の前で起きたのだ。

驚く。なんて言葉じゃ足りない。足りなすぎる。


あっ、でも、驚くよりも先に一個確認しておかなきゃいけない事がある。



「あの!殺さなければ腕と足位は落としていいですよね?」



これだけは確認しておかないと。5体満足で殺さない様にするなんて

無理過ぎる。

腕か足を落とさないと戦意なんて早々喪失しない。



「おぬし、エグイ事を平気で言うようになったの……」



セネクスさんは、少し唖然としていたが、直ぐに”問題ない”との返事をしてくれた。

腕や足を切り落としても、セネクスさんがいれば治せるからね。

手足の結合は魔力の消費が半端じゃないらしいから、普段は嫌がってるけど

言い出しっぺはセネクスさんだから仕方ないよね。



「なら、早速作戦を練って準備を整えるぞ」



アィールさんが宣言する。

そこから、僕らは具体的な戦術について話始めた。

どうすれば殺さないで済むか。近衛騎士相手にどう立ち回るか。

様々な観点から話し合った。


結局、僕らが寝床についたのは空が朱色に色好き始めた夜明け前だった。






「いつもと雰囲気が違いますね」



蜜蜂の巣のように群れる観客。

そこから巻き上がる竜巻の様な歓声。


それはいつもと変わらない。


ただ、その観客の合間合間に甲冑を着た人や剣や槍等の武器を持った冒険者が

チラホラと混ざっているのだ。


人数こそ少ないが太陽の光を反射する甲冑やその反射に負けないギラギラとした視線はどうしたって目立ってしまう。



「それはそうじゃろ。近衛騎士が剣闘士と戦う。こんな事普通じゃありえんことじゃからな」

「みたいだな。あれを見てみろ」



アィールさんはクィっと顎でとある一点指す。

そこは剣闘士の控室へと繋がる廊下。


その狭い場所に、全ての方位の剣闘士達がこれでもかと集まっていた。



「注目されてますね」

「そうじゃな。気遅れするなよ?お前が作戦の鍵なんじゃからな」

「大丈夫です。やってみせます」

「フィス気負うな。上手くいけば儲けもの。そんな気持ちでいい。何かあれば俺がフォローする」



アィールさんはポンと僕の頭に手を置く

それだけで僕の心はフッと軽くなる。

そうだ。

僕はやるべき事をやるだけ。

それはいつも変わらない。



「僕の相手はあの軽装の騎士ですね」

「そうじゃな」



僕らと同じ場所。

コロセウムの中心にいる3人の騎士。

2人は鈍い光を放つ重層な鎧と剣を装備し、もう1人は皮の鎧に杖という恰好であった。


その3人は皇帝の方へ自分の得物を捧げ片膝をつき頭を下げている。

なんか神に祈りを捧げているみたいだ。


相手は同じ人間なのに。



「近衛騎士には魔法による暗殺を防ぐ為に、魔法に特化した人物がおる。あやつがそうじゃろ」



本来なら特定されんように偽装するのじゃがな。とセネクスさんは付け加える。

という事は、バレても問題ないって事なんだろう。

良い兆候だ。

相手が勝手に油断してくれるなら、これほどありがたい事は無い。



「さて、皆気を引き締めろよ……始まるぞ」



アィールさんの声のトーンが下がる。



「分かりました」

「うむ」



それに応じて僕もセネクスさんもスイッチを切り替える。

ここから先は、いつ殺されても可笑しくない戦場なのだから。



始まりはいつも変わらない。

ドーンという銅鑼の音に、それをかき消す観客の歓声。


ただ、いつもと一つだけ違う事がある。

それは魔法使いの老人。

セネクスさんの存在だ。



「ぬん!」



セネクスさんの掛け声と共に、敵の中心に砂煙が舞い上がる。

威力は無いが発動速度を重視したセネクスさんの魔法だ。


砂煙は敵一帯を包み、影すら見えなくなる。


それを確認した僕は一気に魔力を解放する。

他の魔法の習得には脇目も振らず、自己強化だけに特化した僕の魔法。





「行け小僧!準備は出来た」



セネクスさんの合図と同時に、僕は地面を蹴る。

強化された脚で空へジャンプしたのだ。



「っ!!」



通常より遥かに高く飛んだ僕の体。

その背中にドンッという衝撃が僕の背中に加えられる。

セネクスさんの風の魔法だ。

その衝撃を受け、僕はさらに上空へと舞っていく。


すると、敵を包んでいた砂煙が薄い衝撃と共に消え去る

敵の魔法が完成し砂煙を一掃したのだろう。


ここまでは予想通りだ。

敵は視界が悪くなればまず、それを取り払おうとする。

セネクスさんが予測した通りになった

ただ、一つ除いてだけど。



(……嘘つき!!着地地点が全然違うじゃないか!)



本来なら、軽装騎士の真上に落ちるはずだった。

任せろ。とも言ってたのに!


スタッ

音を殺して僕は着地する。


僕は敵を飛び越え、観客席の近くまで飛んでいた。

ただ、幸いな事に僕は気が付かれていない。

だけど、気が付かれるのは時間の問題だ。


だから、すぐに動く。

地面を蹴る僕の足からは一切の音が消えていた。


北位の剣闘士。

盗賊あがりディーンさんから教わった忍び足。


盗賊としては基本の技らしいけど使い方によっては化けると教えてくれた。

まさか、こんな所で使うとは思わなかったけど。

どんな技術であれ、身に着けた技術が無駄になる事はない。


それを証明するするかの様に、僕はそのまま敵の背後まで近寄り、軽装の騎士の腕を切り落とした。



「っ!!」



ヴン!

鈍い音が僕の頭を掠めていく。


流石だ。

近衛騎士は良く訓練されている。

腕を切り落とされて、叫び声を上げるのではない。

振りまきざまに反撃してきた。


ただ、突発的な精細を欠いた一撃が僕に当たる事は無い。

そして、無理な態勢から攻撃を繰り出せば体は隙だらけになる。


僕はその隙だらけの体に容赦なく剣を敵の腹に叩き込む。

刃では無く剣の根元である柄の部分で。


その一撃で軽装の騎士は地面に崩れ落ちていく。



「よし!」



セネクスさんが立てた作戦通りの展開。

一番厄介な魔法に特化した騎士は潰せた。


これで、第一目標は達成。

そう安堵した僕に、ゾクッとした寒気が襲う。

強い殺気だ。


慌てて僕は地面へ転がる。


そして、顔を上げた瞬間。

稲妻の様な一撃が僕へ真っすぐに伸びていた。



(なっ!)



考える暇すらなかった。

反応も許さない。本当に電撃の様な一撃。



ギィン!!

響く剣戟。

僕の前を大きな背中遮っていた。



「よくやったフィス、ここは俺に任せろ」



アィールさんだった。

僕の危機を察して飛び出してきてくれたのだ。



「すいません。油断しました」

「早く行け!ここは俺が引きうける!爺さんのフォローだ!」

「はい!!」



幸いにも敵の若い騎士は呆然と立ち尽くしていた。

この一連の動きについてこれなかったのかもしれない。

確かに砂煙が晴れて僅か十数秒の出来事だ。


案外この騎士はトロいのかも。

そんな事を考えつつ、僕はセネクスさんの護衛に回る。



「すまんの」

「はい。着地地点が全然違いましたからね!」



笑顔で僕はセネクスさんに文句を言う。

本当なら一撃加えて離脱の予定だったのに!



「ホホッ、若い者が細かい事気にするなて」



……笑顔で返されてしまった。

まぁいいか。

とりあえず、今は作戦通り。

まだ一名も殺してはいない。



「貴様!!よくもミロシュを!!」



状況をやっと把握したのか、若い騎士が僕とセネクスさんに駆けてくる。

剣と盾を構えながら。



「来ます!ちゃんと合図をお願いしますよ?」

「うむ、おぬしこそ抜かるなよ」



僕はセネクスさんの前に立ち剣を構える。

騎士は間合いを詰めると、素早い一撃を放ってきた。


激しい剣撃の音を上げ、火花を散らし剣が重なり合う。


流石だ。

さっきトロいかもしれないと言ったのは取り消しておく。


僕も大分強くなったと思うし、魔力で筋力も強化している。

でも、この若い騎士は力で僕を上回っている。

恐らく正面から戦えば分が悪い。


僕は手首を翻し素早く剣を振る。

敵の騎士は楯を短くそして正確に動かし防いでしまう。


そして、達人の様な鋭い動きで剣を振るい始める。


僕はそれを剣で受け流していたが、一撃一撃が想像より重い。



(このままじゃ)



そう思い、僕は敵の隙を見ては突きを放つが、騎士の楯は僕の突きに合わせて器用に動き、ことごとく僕の攻撃を受け止める。



(凄い……)



アィールさんと訓練した時だって、こんな完璧に完封された事は無い。

機会があれば是非訓練してもらいたい。そんな気持ちさえ芽生えてくる。



「悔い改めよ。貴様が殺したミロシュは隙さえつかれなければお前より遥かに強い」



激しい剣撃の合間を縫って、敵の騎士は僕に告げる。



「知ってます?ここでは生き残った方が強いんですよ?」

「死んだ者への侮辱は許さん!!」



その瞬間、敵の剣速と威力が跳ね上がる。

まるで強化魔法を使ったみたいだ。

ヤバい。

冷たい汗が僕の額や背中を伝っていく。

今まででもギリギリだったのに、これじゃあ殺されるのは時間の問題だ。



「小僧!離れよ!!」



セネクスさんからの合図。

いいタイミングだ!



「はい!!」



僕はその場所から全力で離脱する。

敵は僕の行動に戸惑っていたが、その理由をすぐに知る事になる。


ッパーーン!!!!


空気が破裂するような大きな音。

その音よりも早く辺り一帯にまばゆい光が一閃する。



「凄い……」



避けられる訳がない。

セネクスさんの魔法。


まるで雷だ。

まばたきすれば見逃してしまう程の一撃だった。


その電撃魔法をまともに浴びた若い騎士はドサッと地面に倒れ動かなくなる。


地面に倒れた騎士は、プスプスと煙を上げている。

黒く焼け焦げた肌に、ピクリとも動かない体。

生きているのか心配になる



「生きてるんです?」

「かろうじてじゃな」



ホホッと笑って見せるが、セネクスさんは肩で息をしていた。

それほど精神力を必要とする魔法だったのだろう。



「念のため腕落としときます?」



僕は動かなくなった騎士に向かって剣を構える。

万が一起き上がってもらっても僕じゃ対処に困るから。

腕位落しておいた方がいいのもしれない。



「本当におぬし変わったの……怖い位じゃわい……」



必要ない。とだけセネクスさんは答え僕にアィールの援護に向かう様に指示する。



「ワシは後の為に魔力の節約をしておく。後は任せたぞ?」

「はい!」



コクリと頷く。

まだアィールさんは、剣戟の最中にいた。





「アィールさん!!」

「フィスか!」



剣を押し出し弾かれるようにアィールさんは敵から距離をとる。

その横に僕はいつでも飛び出せるように並ぶ。



「敵は……強いんですね」



距離を取ったアィールさんは肩で息をしていた。

対して敵は息も切らしていたない。


こんな光景初めて見る。



「ああ、俺よりはるかに強いぞ」



アィールさんの横顔から汗が滝の様に流れ、雫となって地面へ落ちていく。



「アィールさん。僕もいきます」

「悪いが頼む……これは俺も相当きつそうだ」



僕がどこまで力になれるかは分からない。

でも迷っている暇は無さそうだ。


セネクスさんには、この後倒れている全員を魔法で治療してもらわなきゃいけない。

魔力に余力なんてないはずだ。

なら、ここは僕とアィールさんで何とかするしかない。



「部下達を殺してきたか……私のせいだな。だが、せめて仇は取らせてもらう」



初老を迎えつつある敵の騎士。

剣と盾を装備し、鎧も磨かれているがよく見れば小さな傷が無数にある使い古した物。

ただ、その小さな傷一つ一つが彼の血肉となっている。

それが嫌でも分かってしまう位、凄まじい殺気が放たれていた。



「いくぞ!」

「はい」



その言葉を合図に僕とアィールさんは敵の両端から切りかかる。

だが、何度剣を振ろうが致命的な一撃は与えられない。


僕らの攻撃の殆どは敵の剣と盾で防がれ

稀にその防護を潜り抜けた一撃は、鎧に阻まれ弾かれてしまう。


むしろ、避けるべき攻撃を読み切り、避ける必要のない攻撃は鎧に当てさせる。

そんな風に誘導されているとさえ思ってしまう。


決定打が打てない。

それは相手も同じだがこのままだと、敵を倒す前に

僕が先に潰れてしまう。

そうなれば、アィールさんが殺されてしまう。



「アィールさん!!」



そう叫び、僕は敵から距離をとる。

アィールさんも直ぐに僕の横までやってくる。



「このままだと勝てないです」

「だろうな、お前も限界が近いだろ?」



”お前も”という事はアィールさんもギリギリなのだろう。

アィールさんが根を上げるなんて初めてた。


今なら命を賭ける意味がある。

アィールさん一人では勝てない相手。


それを僕の力を加えて打ち破るのだ。


今まで散々貰った……貰い過ぎた恩を少しでも返せる。

そして、アィールさんの隣に立つ本当の相棒になれる。



「僕の命をアィールさんに預けます」

「……分かった」



少ない言葉で、全てアィールさんは全て理解してくれる。

僕を止める事は無い。


観客の声。

その声はこれ以上ない位に沸いている。


この場所。

剣闘士が殺し合いをする大地の上には、声と共に様々な感情が降りてきている。

僕はその感情を受け入れ、ゆっくりと力に変えていく。


本来ならやってはいけない禁忌の魔法。

一度この魔法をほんの少し使っただけで一ヶ月は動けなくなった。


使い過ぎれば、死ぬかもしれない。

心が壊れ廃人になるかもしれない。

そんな警告も受けている。


でも、今は……今だけはこの力を使いたい。

誰でもない。

アィールさんの為に。


凄い勢いで血が全身に巡っていく。

同時に、頭が透き通った空の様にクリアになり、筋力、体力、全てが桁違いに増加しているのが分かる。



「行きます!」



その言葉と共に、僕は敵の正面から突っ込む。

当然、その後ろにはアィールさんがいる。


剣闘士の試験を思い出す。

この戦い方で、僕とアィールさんは剣闘士になったんだ。



「……正気か?」

「当たり前です!」



敵が初めて驚いた声を上げた。

正面からの突撃。

確かにそれは、敵から見れば特攻みたいな物だろう。

数的有利を作っているのに、そんな賭けみたな事をするなんて

信じられないかもしれない。


だからこそ、意味がある。


一度だけ、相手の意表をつく一撃だからこそ意味がある。

正真正銘次は無い。

僕はこれ以上ない力で地面を蹴り、弾丸の様に空気を切り相手に迫る。



「ぬっ!!」



敵は腰を落とし盾を構える。

僕はその盾を弾く為に全力の一撃を加える。


ギィィィンィィィ

余韻を残した激しい金属音。


剣の刃先が宙を舞う。

僕の剣が根元からクッキリと折れたのだ。

魔力で強化した全力の一撃に、少し細身に作られた剣が耐えきれなかったのだ。


アィールさんから貰った僕の大事な剣。

最後にその役目だけはしっかり果たしてくれた。

僕は心の中で感謝する。


僕の大事な剣は、敵の楯を弾き無防備な体をさらけ出してくれた。



「運がないな」



敵はそう呟くと、僕に体に剣を振り下ろす。

剣は折れ僕に防ぐ手立てはない。



「まだ!!」



僕は肩に力を込め、敵の剣をめがけて飛び上がる。


剣の刃先を注視し、その刃が肩にかかる瞬間、その刃先に左の拳を置く。

敵の剣が心臓まで到達しないように。


肉と骨が裂かれる感触。

それが激しい痛みと共にやってくる。

敵の冷たい剣が僕の肩から心臓めがけて食い込んだせいだ。



「へへっ」



死ぬほど、いや、死ぬ以上に痛い。

でも、僕の目論見通り相手の剣は僕の肩と心臓の半分くらいの場所で止まっていた。



「アィールさぁぁぁぁん!!!!」



僕は肩に刺さった敵の剣を右手で掴み絶叫する。

これで、相手も剣は使えなくなったはずだ。


敵は僕の心臓を貫くのを諦め、剣を引き抜こうと力をこめる。

その度に、ガタガタと剣が揺れ肩や手からは止めどなく血が溢れる。

少しでも気持ちが折れれば意識が刈り取られそうな激痛だった。


だけど、僕の手が敵の剣から離れる事は無い。

死んだって離すもんか!

この手には僕の命だけじゃない。

アィールさんの命だって握られているんだ!


目をつぶり、僕は耐える。

アィールさんなら後はやってくれる。

そう信じて。


その時間は、数秒だったかもしれない。

僕にとって永遠とも思える時間。


観客の割れる様に歓声が、その時間の終了を告げてくれた。



「終ったぞ、フィス」



アィールさんの声がする。

目を開ければ笑顔を浮かべるアィールさんの姿があった。


敵は意識を失ったのか腹部に剣が刺さったまま地面に倒れている。



「流石に焦ったぞ。お前は俺を買いかぶり過ぎだ」

「でも、勝ちました……よね?」



僕は笑っていた。

愛想笑いではない。

本当に嬉しかったのだ。


アィールさんの力になれた事、少しでも恩を返せたこと。


これが叶うのであれば命なんて惜しくは無い。

元々、アィールさんがいなければ、繋ぐ事の出来なかった命なのだから。



「まぁ、でも今回ばかりは助かった。ありがとうな相棒」



そういってアィールさんは僕に手を差し伸べていた。



「相棒に礼はいらないですよ」



僕は地面へと倒れる。

刺し伸ばされた手を取ろうとしたつもりが、身体が動かなかった。

もう指の一本も動かせない。

魔法の効力が切れたのだ。



「すいません……これ動けない奴です……」

「……ああ、お前はまた無理したからな。セネクスの爺さんに一番に直してもらう」



ありがとう。

その言葉と共にアィールさんは笑う。


アィールさんの笑顔。

それが堪らなく嬉しい。


僕は本当の意味でアィールさんの相棒になれた気がする。

少しづつ努力してやっとたどり着いたんだ。


嬉しくない訳がない。


それを祝福するかのように周りの会場からは、僕とアィールさんの名を呼ぶ大合唱が開始されていた。





「申し訳ありません……まさか、近衛隊長までもが破れるとは……」



フィスとアィール。

この二つの名が叫ばれ続ける会場。


皆が皆、興奮で顔を赤くする中、ある一人の男の顔は青を通り越し暗褐色となっていた。

その男は皇帝の側近。


彼はこの戦い。

皇帝の提案により実現したこの戦いに異を唱えた最初の人物でもあったが

まさか本当に近衛騎士が負けるとは思っていなかったのだ。


いかに異を唱えようと、それに従った以上責任は発生する。

当然、この結果には誰かが責任を取らねばならない。


近衛騎士に取らせるか?そんな考えが彼の頭によぎるが、直ぐに消えてしまう。

責任を取るべき近衛騎士隊長は今まさに剣闘士と戦い命を落としたのだ。


であれば、次に責任を取るべき人物は皇帝、もしくは皇帝の側近である自分しかいない。

では、どちらが責任を取るか?

もはや考えるまでも無い愚問であった。



「ククッ。良い見世物にであった。余は気にしておらん」



皇帝はその側近を見て思わず吹き出していた。

小心者ですぐに考えが顔に出る愚鈍な男。

だからこそ、皇帝はこの側近を傍に仕えさせている。

ただ、その分かりやすい行動には呆れるを通り越して、笑いが出てしまう有様だが。



「さて、次はどうするか。もう騎士達をあてがった所で民衆は満足せんだろうな」



皇帝は2人の男に注目していた。

コロセウムの中心で、歓声を受け続ける2人の男。


人気だけでいえば、皇帝のそれをも凌ぐだろう。



「情報が欲しい。あの剣闘士達の事を調べさせよ。面白い情報を仕入れれば今回の件、不問にしよう」



その言葉を聞いた側近の顔にみるみる内に生気が戻っていく。

そして、勢いよく頭を下げると駆けださんばかりにその場を後にする。



「愚鈍な男の方が信頼に足るとはな」



皇帝は小さく溜息をつくとそのまま思案の海へと落ちていく。

彼の頭にはいかに民衆を喜ばせ支持を得るか。

その事だけしか考えられていなかった。



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