第7話



「あれ?ここは……」



木のいい匂いがする。

太陽の光が僕の顔を照らしているのか、眩しくて目も開けられない。



「ん?起きたかフィス」

「アィールさん?」



声で分かる。

アィールさんが近くにいる。

それを確認する為に、僕は顔にかかる光を手で遮る。

が、全然効果がない。



「あれ?」



効果がないんじゃない。

体がまるで動かない。

それを察したのか、パタンという音と共に眩しさが消えていく。

アィールさんかな?

たぶん窓を閉めてくれたんだと思う。



「ま、あれだけの無茶したんだ。体は当分動かないぞ?」

「ああ、僕は試合で……」



思い出した。

僕はあの試合で敵と戦って、魔法を使って

それで腹に槍を……



「槍!!!ああ!お腹は?!!」



僕は、慌てて腹に手を当て……られない。

いくら命令してもやっぱり体は動かなかった。



「安心しろ。セネクスの爺さんが治してくれた」

「えぇ!!!あの人、回復魔法もイケるんですか!!」



魔法使いのイメージが壊れていく。

攻撃も回復も出来るなんて賢者じゃないか!


でも、あの人は賢者っていうより……



「まぁ、何を考えているかは分かるぞ。ただそれ以上は言わんほうがいい。この部屋も爺さんが用意してくれたんだからな」



アィールさんは苦笑していた。

そういえば、部屋も変わっている。

石壁に囲まれた牢獄じゃなくて、木の良い匂いがする部屋に変わっている。

背中に感じるベットの感触もフワフワだ。


なるほど。

助けてくれたのも事実みたいだし。

素直に感謝しておくことにする。


すると、お腹からグギュルルルゥ~という音が鳴る。

どうやらお腹も僕の意見に賛同してくれてるみたい。



「……お腹減りました……試合からどれくらい経ったんですか?」



音で気が付いたけど、僕は凄くお腹が減ってる。

とにかくなんでもいいから食べたい。そんなレベルで。



「そうだな、今日で6日目だな」

「6日!?」



え?そんなに寝ていたの?

トイレとか水とかはその間どうしたの?

人って確か水が無いと4日位で死ぬんだよね?



「まってろ、今食事を用意させる」

「え?あの!」



僕がその疑問を投げかける前に、アィールさんは席を立つ。

ギリギリだけど顔の向き位は変える事が出来た。



「詳しい事はその子に聞け。お前の世話をしてくれている」

「……えっ?!」



顔の向きを変えた先。

そこには一人の男の子がいた。

小学校の高学年位だろうか?

顔は中世的で、元の世界に行けばこの子はきっとモテる。

そう確信出来る顔立ちだった。



「え?あの!!」



自己紹介位はしておけよ。とアィールさんは出て行ってしまう。



「あの……よろしくね」

「……よろしく」



残された僕はその少年に挨拶をする。

ただ、少年は軽く頭を下げるだけであった。



「僕はフィスって言うんだ」

「俺はルーチェだ」

「良い名前だね」

「……別に」



どうしよう。

会話が止まってしまった。



(気まずい……)



それ以降沈黙が流れる部屋で、僕はそんな感想を心の中でボヤいていた。








「待って!それ以上はダメ!!」



僕は少年にご飯を食べさせて貰っていた。

もちろん、水も。

体を起こしてもらって、それはもう丁寧に。


初めは抵抗したけど、そこは受け入れたよ。

うん。

アィールさん?がお金も払ってるみたいだし。


たけど、これは別!

これだけは譲れない!!



「今更何言ってんだ?もう6日も処理してもらってるぞ?」

「違うの!これは、これだけは!自分でやるから!!」



そう、トイレ……

僕はトイレに行きたいのだ。

生理現象だもの。

だから、トイレに行きたいってお願いしたら。

あの男の子が、尿瓶や布を持ってくるんだもん。


お願いだから、トイレだけは自分でやらせて。

自分より年下の子に処理……つまり介護されるなんて

屈辱以外の何物でもない。



「一人で出来ないだろ。何言ってんだ?」

「なんとかします!それこそ、魔法を使ってでも!!」

「それじゃ、いつまでたっても治らんだろうが」



アィールさんは、苦笑する。

分かってる。僕に道理が無いのも!

でも、それとこれとは話が別なの!!



「君も嫌でしょ?なんとかアィールさんに」

「俺の仕事だからな。すでに前金も貰ってる。つべこべいうな」



少年ははっきり自分の仕事だと宣言する。

なんでこの子、こんなに男前なの。

逆だったら僕は絶対やらないからね!



「いやだ!!絶対いやだー!!」

「ホホッ、楽しそうじゃの」


駄々をこねる僕の声を聞いたのか、魔法使いの老人。

セネクスさんがヒョッコリ顔を出す。


良いところに来た。

この際、少年じゃなくてセネクスさんでいい。

自分より年下の子より、僕の親より年上ならなんとか我慢できる。



「セネクスさんお願いが!!」

「いやじゃ!」



即答?!

まだ、何もいってないじゃん!



「そうそう、小僧!おぬしに耳よりな情報を持ってきたぞ」

「え?」



嫌な予感しかしない。

セネクスさんの顔。

確実になんか悪だくみしてる時の顔だもん。

あの顔の時に僕は糞不味い液体を死ぬほど飲まされたんだ!!



「その子供、女人じゃよ?ワシが直々に選んできたのじゃ。訳あって男のフリをしとるでな。ホホッ」



ホホッ!じゃないよ!!

なんでよりにもよって今言ってくるのさ。

何だよ、年下の女の子に介護されるとか、どんな罰ゲームだよ!



「フィス。諦めろ。俺もお前の下の世話はしたくない」

「アィールさん……」



そりゃそうだ。

だれが好き好んで人の下の世話なんてするもんか……



「せめてもの情けだ。外には出ておいてやる」



諦めるしかないのか……

あは……死んだ方が楽だったんじゃないかな……


そう思う僕の横で、少年。いや、少女が僕のズボンに手をかける。

ああ、これが処刑される人の気持ちなんだ。

体は動かない。もはや何も抵抗が出来ない。

全てを諦める。

そんな気持ちが理解出来てしまった。



「ごめんね……」

「仕事だ。俺はもう慣れた。お前も早く慣れろ」



慣れたって事は、初めは嫌だったんだ……。

僕は排泄が終わるまで、ただ無心で少女に謝り続けた。

あと、何日でこの地獄は終わるのだろうか。

願うならば、明日にでも動けるようになってほしい。

と、心の底から願う位しか僕には出来なかった。






「うぅ……なんでこんな目に……」



あれから……僕が目を覚ましてから20日が経過した。

ただ、僕はまだ地獄の最中にいた。



「お、俺は気にしてないからな」



少しづつだけど、腕とか首なら動かせるようにはなってきた。

動く事はおろか、立つと事も出来ないけど。


でも、体の調子は大分戻ってきた事は確かだった。


ただ、そのせいで僕はまた一つ地獄を見る事になってしまった。

そう、僕はこないだまで健全な中学生だったのだ。

うん。だからその……

身体は回復してるみたいで、トイレをお願いした時に。

だから、その……生理現象特有のアレが”立ってた”みたいで……


それをバッチリ見られてしまったのだ。



「ごめんね……」

「言ったろ、俺は気にしてないって!」



僕は何度も謝る。

少女はその都度”気にしてない”って言って顔を背けるけどさ

顔が真っ赤なんだよね……

絶対気にしてるよね……

前の世界なら、確実に事案だもの……

せっかく仲良くなったのにさ。

これじゃ台無しだよ!!


もう、こうなったら話を無理やり変えるしかないじゃないか。



「ねぇ」

「何だ?」



顔を背けたまま少女は答える。

やっぱり怒っているのかな?



「なんで男の子のフリをしてるの?」

「簡単だ。その方が生きやすいからだ」

「生きやすい?」

「女だと危ないんだ。特に俺の住んでる所ではな」



ちょっと、何処に住んでるのさ?

女だと危ないって、それって思いっきりスラムじゃないか。

セネクスさんは何処で彼女を見つけてきたんだよ。



「だから、俺はアンタが羨ましいぜ?曲がりなりにも剣闘士な訳だろ?大事な物を守る位の力はある訳だからな」



羨ましい?剣闘士が?

冗談はよしてほしい。



「そんな力ないよ……」

「いや、ある」



少女は断言する。



「お前は力を持ってるから分からないんだ。理不尽な暴力の前に文句すら言えず、這いつくばる人間の事なんて分かるわけがない」

「でも、君だって剣闘士の辛さは分からないじゃないか」



流石にムッとくる。

僕がなんの努力も無しにここまでこれたわけじゃない。

家畜以下の扱いを受けて、泥水よりももっと不味い物を飲んで、弱い人間を見捨て、何人もの人間を殺し、僕はここにいるんだ。



「毎日死の恐怖に怯えて、死ぬほど辛い訓練をして、それでも敵の方が強かった時の絶望なんて分かる訳がない」

「なら、辞めちまえよ」

「辞められるならそうしてるよ!!」



つい語気が荒くなってしまった。

僕だって辞められるなら、辞めたいよ……



「ごめん……でも、君には分からないよ……少しづつ自分の感覚がおかしくなっていく……人殺しをしても何にも思わなくなる恐怖なんて分かるわけがない」

「おかしくなる?」



剣闘士なんて、やるべきじゃない。

僕は常々そう思っている。

僕を助けてくれているアィールさんの前では絶対に言わないけど。



「そうだよ。段々おかしくなっていく。僕はこの前の試合で笑ってたんだよ……殺し合いの最中、自分が殺されそうなのにも関わらずね。でも、それがおかしいとも思わなくなってるんだ」



もう、人を殺す事にも慣れてしまった。

前の世界なら、例え身を守る為に人を殺したとしても、ずっと……下手したら一生悩んでたはずだ。

でも、今は何とも思わない自分がいる。



「何いってんた?そんなの普通だろ」



きょとんとした表情で少女は答える。



「殺し合いなんて普通の精神で出来る訳ねぇだろ。それに感情がどうこうって、それはお前が勝者だから悩めるんだろ?何言ってんだ?」

「勝者だから……」



少女の言葉は僕の心に鋭く切り込んでくるようだった。

そうだ、何言ってんだ僕は。

この世界は、元の世界とも、僕の想像していた世界ともまるで違うんだ。



「お前は生きる為に肉を食うだろ?それと同じで生きる為に人を殺した、それだけじゃないのか?」



ああ。そうだ。

この世界では、人なんて家畜以下。

動物と変わらないじゃないか。

腕に押された”19”という番号がそれを何よりも証明している。


それに、この世界に連れてこられた時は悩むなんて贅沢な事出来なかった。

毎日を生きる事で必死だった。

その状況は変わっていない。今も、昔も僕は奴隷なのだ。

だから、今悩むだけ無駄。

奴隷から解放された時に好きなだけ悩めばいい。



「お前やっぱり変わってるな」



少女は僕の顔を不思議そうに覗き込む。

茶色い瞳の中に僕がしっかりと映っていた。



「うん?やっぱり?ってどういう事?」

「あ、やべ……」



セネクスさんだな。

何を吹き込んだか知らないけど。

いつか……動けるようになったら、何か仕返しをしてやろう。



「でもいいや、なんかすっきりしたよ。ありがとうね」

「おう、お前はバカだからな、あんまり悩むな!」



少女はニカッと笑う。


不思議だった。

馬鹿にされているはずのに、嫌な気分にはならない。


これはこの少女の特性なのかもしれない。

ふと、僕は少女の笑顔を見つめながら思った。


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