第9話 遠く離れた組合員

携帯が鳴った。

着信ではなく、メッセージ。


届いたのは「ご参考まで 『ゲイセックス体位ガイド』です。ご活用ください。」というメッセージだった。


リンクを辿ってみたら『T定規』とか『いじめっこ』とか『はさみ』とかの表示があり、何だろうと18歳以上というボタンを押してみると、疑問や悩みが吹き飛ぶくらいの画像が携帯の中で、展開されてしまい、ひぃっ!と声が出る。


[ちょっと!]と返すと、[お口にあいませんでしたか?]という返事が返ってきた。遥か遠く海外に在籍している組合員だ。


俗に言う腐女子。


その呼び名も今では知らぬものもないくらいに馴染んでしまったが、それもLGBT、多様性、ダイバーシティという呼び名を錦の御旗としながら、正々堂々と世俗と戦えるようになったからだ。


そもそも、海外の風潮で、それが当たり前という前提の元、日本がそれに倣っただけで、お偉いさんが「これって世界的な流行らしいよ?」みたいな感覚で言い出した…そんな呼び名で市民権を得なければ、今も犯罪者のように、こそこそとしなければいけなかった…というコトに嫌気が差したのが、まこちゃんという彼女。


日本国内を脱出し、持ち前の業とも言えるセクシャリティに対する貪欲さと探究心で、みるみる海外でのオタクのカリスマになった。


彼女は言う。


そもそも、誰かから与えられた権利などは権利ではない。日本が同じ民族で、向こう三軒両隣間での足の引っ張り合いをしている間に、私は海外から日本を変える!とぶち上げていたが、そもそもその言葉もどこか、中二病の色を濃く落としていて、誰もが…同人オタク仲間でさえ、彼女の言動を嫉妬まじりに嘲笑っていたところもあった。


彼女は言う。


そもそも、人には業があり幼少期から目覚めた忌まわしい自分の性(サガ)に少なからず気づいているはずだ、それに知らんふりを決め込んで常識人のような顔をして何が人間だ。そんな奴は、一生窮屈な飼い慣らされた教科書の中で暮らしてろ。


そう汚い走り書きの文字で手紙を残して、彼女は日本から立ち去った。


そして、私には、時折、こうやってメッセージをくれる。


彼女のFacebookページには、流れ着いた海外で満面の笑顔のコスプレイベントの審査員をしている姿や、アニソンのクラブイベントなどの派手な場所ではしゃぐ姿が掲載されていた。


お母さんに、脳味噌を掻き回されるようなエロ画像をみられないように隠しながら、「まこちゃんから、連絡きた。」と報告した。Facebookの彼女の活躍をお母さんに伝えると、感心したように一つため息をついて言った。


「便利な世の中になったもんやねぇ。遥か遠くに住んでいる海外のお友達でも、一瞬でコミュニケーションがとれるようになったんやね。」と。


つづけてお母さんは言う。

「昔は、遠距離恋愛も大変だったんよね。電話代が月に1万円超えたりしておばあちゃんから怒られたわ。そのうち、テレホーダイだっけ…冗談みたいな名前のサービスをNTTがはじめてねー。十一時から、電話かけ放題の時間があったんよね。そのうち、PHSとか言う携帯の…。」


話が長くなりそうになったので「今はLINEとか、messengerとか、無料で通話や連絡する手段は山盛りだから、どんどん、距離感が無くなってくるね…」と、軽く定型文のような返事を返しながら、大きな背伸びと欠伸で眠いふりをして部屋へ戻るとお母さんに伝えた。


私は、押入れから布団を力なく引っ張り雪崩落として、小山になったその上に顔から倒れ込んで思った。「いいなぁ、ついていけば良かった…」


今の状態をメッセージをくれたまこちゃんに言えば「そんな思いして何でそこにいるの?」と言われるだろう。「まだおそくないよー。おいで。」と言ってくれるのはわかっている。


「おかあさん、ひとりになっちゃうからなぁ…。」


そう、頭の中で言い訳を考えながら[げんき?]と送ってみる。

[元気?と脈絡もなく唐突に問うてくる奴は、元気ではないな?どうした?]と返ってきた。


「うん。そのうち話す。」と返して、予測される会話を打ち切って、目を瞑り体から力を抜いたら、そのまま眠りに落ちた。


朝起きたら、布団の上にきちんと寝ていて、お母さんが風邪ひかないように布団を敷いてくれたんだなぁと理解した。眠ったら起きないといつも言われていたが、これほどかと可笑しくなった。パジャマに着替えまでさせられている。子どもみたいやなぁ…と、ニヤニヤしながら思った。


まだ、サンタクロースの匂いを百貨店の包み紙の匂いだと思っていた子供の頃の話。炬燵で眠ったふりをしていたら、誰かが抱えて布団まで連れて行ってくれるのが好きだった。そのためだけに、寝たふりをした。


お父さんについて覚えているのは、その幸せだった記憶だけ。


ふわふわした手足と心地よい揺れで、顔が緩んでしまっていつも寝たフリができなかった。そんな思い出だけ。


「ずるいなぁ。」


父親に対しての感情は、そんな、甘くて喉元が苦しくなるような、ずるいなぁ…って感じ方だけ。『ずるい』でもなく『ずるいよ!』でもなく…。笑い出したくなるような、泣きたくなるような。「ずるいなぁ…。」なのだ…。多分、誰にも分かってもらえない気持ち。


朝なのに暗い地下鉄の窓に押さえつけられ、人の多さに閉口しながら、リュックを前に抱えて自分の体を硬く守りつつ、自分では得られない解答『何がずるいのか』について考えていた。

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