第5話 地層ポストと路地裏で説教
夕暮れ空に、カラスがねぐらに帰る鳴き声がする。
多分、輝国あたりの山の方におうちがあるんだろうと、その鳴き声を聞きながらおもった。意外にここは路地裏感満載で、前日の雨で路面がしっとりと濡れてて妖怪でも出てきそうな風情を醸し出している。
俗に言う、逢魔時だなぁ…などと考える。
一人で配る遅くなる時には、ここの坂道は怖いからやめよう。
建物自体が、古臭くって、楽しい場所じゃない。
集合ポストは、表に出ているもの裏に隠れているものと、いろいろあって効率が良い気もするけれど、慣れないと一苦労だ。
小さなコーポ何とかと書いてあるポストには受け取られてない郵便物で溢れかえっている。このポストに投函するのは更に一苦労だ。ぎゅうぎゅうに詰まっているチラシの隙間を見つけて折りたたんで入れなければならない。
「なにしてるんですか?」と、その姿を見て小夜さんが聞いてきたので、私は得意げに「こういうのが一番困るんですよねぇ。でも、見てください、丁寧に小さく折れば隙間に入るんです!」と答えた。
「ねぇ、おえかきさん。その地層みたくなったポストのチラシを、誰が見るんですか?ほら、みてくださいよ。はみだしてるやつ。おえかきさんが毎週配ってる百枚チラシ…いや、百五十枚チラシもバックナンバー揃ってますよ?投函口の蓋も閉まってないから、雨に濡れて溶け合って一体化してますよ。」
「ほんとだ…」と答えながら、なんで五十枚余計に印刷してるのがバレたんだろうと考えていた。
「よく見て、よく考えてポスティングもしてないからポンコツだと言われるんですよ。」
「入れなくてもいいですか?」
「むしろ入れるな!誰も幸せにならんポスティングはするなっ!迷惑でしかない!」急に、激昂した声が裏道の住宅街に響いた。
「でも、もしかしたら…!」
「もしかしたらに賭ける程、あなたには余裕があるんですか?!敵は大量の資金と、プロが作ったチラシを抱えて動いてるんですよ!資金力も、時間も、弾丸も負けてるんですよ!」
小夜さんは、そう捲し立てると大きく息を吸って「もしかしたらは!!ないっ!!それを思い知れ!!」と言い放ちながらも手を止めず、集合ポストの蓋を左手で開きながら右手では縦に二つ折りにしたチラシをマシンガンのような手捌きで放り込んでいく。
「大体、ポストが綺麗じゃない奴らが金を持ってると思うな!」
「あ、はい…。でも、そんな言い方…しちゃだめです。」と反論ともつかないことを口籠もりながら伝えた。怖くて声が震えていた。
「常識人だねぇ…。ビジネスの世界は、常識人では勝てないんだよ。常識なんぞ糞食らえ!ですよ」
その言葉を聞きながら、なぜこんなにこの人は急に怒り出すんだろうと、途方に暮れたような気持ちで考えた。
何もわからなかったけれど、この人の前に出ると、絶対に泣かされるということだけはわかっていた。昔、私のことをいじめてたいじめっ子と同じ匂いがしているから。
それを、感じたのは、中洲川端のベローチェというカフェにとぼとぼと入って行ったついさっき。中洲川端は長年続く地元の商店街のアーケード街だから高齢者のお客様が多い。その白髪の耳が遠くなった老人の怒鳴り合うような会話が響き渡る中、小夜さんを見つけるのは難しくなかった。
奥のソファーのテーブル席で、長い脚を組んで、すぐに入ってくる私を見つけて睨み付けるような顔をしていた。
「魔王がいる…」そう思った。
会社を出る時、小さな声で「お疲れ様でした」と席を離れる私を無視して、社内のみんなは、新しいチラシを手にしていて「さすが部長の指示ですね」という言葉や、「ポスティング業者をどこにする?」という話が飛び交っていた。
私に対しては、新しいチラシに対して、何の説明もなく私自身も問いかけ、聞くことができず、今日は結果、誰とも会話することができずに、黙々と誰も注目しないチラシを作っていた。
「いいなぁ。みんなに見てもらえて。褒めてもらえて。とか思ってましたよね。おえかきさん。」
コーヒーをテーブルに置いて向かい合って座った瞬間に小夜さんが、話しかけてきた。『大江さん』じゃなくて『おえかきさん』に呼び名が変わってる…と、ぼーっと考えていた。
「はい。学生時代は、結構デザイン褒められてたんで…。でも、プロのデザインは違いますね…こっそり見てました。」
「なんですか?貧乏くさいですね。なに姑息に盗み見てるんですか?堂々と奪い取ってくればいいじゃないですか。腐る程印刷されてますよ。」と小夜さんはそう言うと、目の前に筒状になった部長が指示したというチラシの100枚程の束を突きつけてきた。
「敵の弾丸です。性能はいかほどでしょう?」
「綺麗なチラシですね」ぼそりと呟いた。
「綺麗なチラシ」
「はい、写真も見栄えのするものが選んであります。」
「写真も良い」
「情報もきちんと入ってます…」
「めんどくさいですね…このチラシが成果が出るかどうかを聞いてるんですよ?」
「わかりません、私の作ってるスタイルではないので…。」
「ほう?では、あなたのスタイルで作ったチラシは成果が出ると?」
「出るかどうかは、わかりません…。でも…」
「でも?」
「三ヶ月間、ずっとポスティングしてきたんです。百枚のチラシを…。」
「 百 五 十 枚 の チ ラ シ を ! 」
「百五十枚のチラシを…。その中で、反応がよかったところをきちんと残しながら、作ってきたつもりです。」
「ほう?反応とは?」
「サイトのアクセス数とアクセスされたページを基準にしてます…もちろん、問い合わせも…。」
「サイト?サイトもおえかきさんが運営してるんですか?」
「はい、入社時に社長からアイディとパスをいただきました…部長たちには内緒だと言われました。」
「部長に内緒なことを私には内緒にしてなくていいんですか?」
「はい、部長たちには内緒だったので…。小夜さんには内緒にされてません…」
小夜さんは、それを聞くと、にやりと悪魔のような顔で笑った。「常識くそくらえな考え方ですね。面白いです。」
私には、何が面白いかわからなかったけれども、小夜さんがそれを気に入ったことだけは確かだった。
小夜さんは、にわかに機嫌がよくなり「ポスティングにいきます」と言った。そして、今こんな路地裏で怒られながら二人でポスティングをしている。
怒られるのは私はあまり好きではないけれど、誰かと一緒に仕事ができるのは、少し嬉しかった。仲間が見つかった気がした。
ポスティングが終わった後、小夜さんが笑顔で私に掌を差し出してきた。その手を握り締めようとした瞬間に差し出した手を払い退けられた。
「時給ですよ。あなたは社員です。私はパート。」
そう言う小夜さんにたじろぎながら、千円を手渡した。
その一瞬で中学生の頃に経験したカツアゲを思い出した。
「ねぇ、私たちさ財布落としちゃってさー。ちょっと久留米からきたんだけど電車賃無くってー。」と、馴れ馴れしく肩を組んでくる化粧の匂いのきつい子達に千円渡した。今度会ったら返すからねと言ったけれど、連絡先は教えてくれなかった。もちろん、それっきり。小夜さんみたいな、いきなり距離感を詰めてくる人を信頼してはいけないと、悟るべきだった。
その子たちに比べれば、正当な労力を払ってくれている分、カツアゲとは言えなかったけれど…。友情を感じ始めていただけにモヤモヤとした気持ちが残った。
小夜さんは、その千円をひらひらさせながら、じゃ、今日はこれで。と帰って行った。
今日配った枚数は二人で千枚。四万八千四百五十枚の兵隊さんが残っているイメージ…と考えながら、中国兵馬俑かよ!と、自分で想像したイメージを馬鹿らしく思いつつ、兵馬俑の兵隊さんの数はいくつだっけ?と携帯でぐぐりながら帰宅することにした。兵馬俑の兵隊の数は八千で、私が手にしているチラシの兵隊の数の方が遥かに多かった。
「もう!!全然減ってない!!」と腹立ち紛れに、空き缶を蹴り飛ばしてみたが、心は晴れなかった。
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