第4話 つまはじき おえかきさん
月曜日は、早めの出社。
日曜日に溜まった問い合わせの回答やら、会議やらで時間が消えていく。
「おえかきさん、今日から会議出なくていいから」と言ったのは、チラシのデザインで怒られた時に全部私のせいにした課長…。
「営業会議だから、出ても出なくても一緒でしょ?忙しいみたいだし、作業してていいよ」という声かけ。
はい、と戸惑いながら返事をしたものの、どんどん会社の一員でなくなっているようで、ぎゅっと胸が苦しくなった。
電話番でパートの小夜さんと、バタバタと大切なアポイントが入ってる営業が、電話をしていて、静かな営業所の中には、三人ほど。
この風景だけ見ていたら、本当に平和なワンシーンでしかないだろうし、むしろ、朝日の光の帯が差し込むこの事務所の異世界感はお気に入りのシーンになったと思う。
「チラシ、配りに行ってもいいかなぁ…でも、この人数だったら、電話番してたほうがいいよね…。」と考えながらポスティングプランを練る。
イベントの開催は、12月20日の日曜日。
今日は、11月の始め。一ヶ月半ほどある。単純計算で、50日間。
それを一日で分けておやすみを入れないとして…。
約1000枚毎日配ることになるんだなぁ…。
ゼンリンの地図をごそごそと開いて、どこらへんに入れようかなぁと眺めていた。
福岡市の人口は、大体150万人だから…。100万人には配れないなぁ…。できるだけ、きてくれそうなところに配りたいな。お金持ちがいっぱいいるところだったら、天神とかかな?土地が高そうだからな。
「とか、考えてるんですよね…。」と、背後から声がかかった。
小夜さんだった。
弾けるように立ち上がって思いっきりローラーの付いている椅子を後ろに蹴倒した。
挨拶を先にするべきか、椅子を起こすのを先にするべきか、一秒だけ迷って、挨拶をしながら椅子を起こした。
「この前はありがとうございました!」と自分で出した声の大きさに驚きながら、クリーニングに出したタイトスカートと、焼き菓子の入った箱を慌てて机の下から取り出して差し出した。
彼女は地図を眺めながら、それを、無言で受け取り「150万人全てに渡すつもりですか?」と走り書きしてあるノートを指差し、「あと、情報が若干古いようですけど福岡の人口は約160万になってますよ。」
「え?そうなんですね…。」
「全然足りないとか考えてますよね。人口ではなくて、戸数で見るんですよ。戸数で…。つまり、8万2千世帯。」
「枚数は自分で決めたんでしょ?本能で決めてたんですか?」
「えっと…、多いほうがいいかなぁって…。」
「そうですか…これ、全域にたった一人の人力で配るつもりですか?」
「え?は、はい…。ポスティングの業者さん使えないので…。」
「そんな考えだと思ってました…。さて、そんなポンコツな考え方をしている大江さんに、あと10分後くらいにショッキングな出来事がやってきます。」
「?」
「なぜ、あなたが会議に呼ばれなかったのか。今朝、台車で運び込まれた段ボールが何なのか。役員の渡辺部長のご機嫌な顔。総合して考えてみて、わかりませんか?」
「え?」
「チラシを作り直したんですよ。まったく鈍い人ですね…。あの人たち、業者使ってチラシばら撒きますよ。業者に作らせたチラシを…。大江さんが、もたもたと、地図と睨めっこしてる間に…。」
「えー…。そうなんだー…。」
「しょうがないって思ってますね。」
「え?はい…。」
「まぁ、いろいろあります。この仕事好きですか?」
「はい。」
「あれだけ、馬鹿にされてても?」
「はい、おえかきって名前も結構気に入ってます。」
「そうなんですね。その仕事、奪われちゃいますよ。そのうち。」
「おっしゃっている意味がわからないです。」とは言ったものの、なぜか、その言葉の後の沈黙の中で、高音の耳鳴りが頭の中でしていて、胸が苦しくなった。それが私にとって、確かであることを理解できたということだった。自分の本能がそう言っているのだから間違いないんだ。
そして、理解できた瞬間に、ボロボロと涙が出てきた。
「おっしゃってる意味がわからないです!」と、歯を食いしばりながら、もう一度言った。これまで、何を言われても耐えられると思っていたのは、デザインができることが約束されていたからで、それが無くなったら、自分には何もできることがないと、本気で思っていたから。
両手の拳を爪が食い込むほどに握りしめて、歯を食いしばりながら声を出さないように泣かないようにしたが、ボロボロと涙と鼻水が落ちた。
「感情が絡むと、めんどくさいです。泣くならトイレで泣いてきてください。終業後に中洲川端のベローチェで待っててください。」
小夜さんは、そう言うと盛大なため息を吐きながら、自分の席に戻って行って、私は、ティッシュボックスを片手に掴むとトイレに駆け込んだ。
個室に入ってロールのトイレットペーパーがあることに気がついて、ティッシュのボックスを床に叩きつけた。
自分のポンコツ具合をはじめ、何もかもが腹立たしかった。
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