第13話 《紅蓮虎》の過去

「15年前のことだ。 あたしたち──《紅蓮虎》が住んでた村は魔物の群れに襲われて滅びた」

 そう語り始めたディナの顔は話の内容と裏腹に重々しさはなかった。 過去のことと、それはすでに割り切っている。

「農作物や家畜の被害が増えてな、国に調査依頼をお願いして冒険者が調査にきた。 付近の森で魔物が異常繁殖してるのが確認されて、討伐依頼が出された矢先に森から大量の魔物が現れてな。 冒険者もまだきてなかったし大人たちは少しでも食い止めようと武器になる物を持って立ち向かって、子供だったあたしたちは逃がされた。 だけどな、必死に村から走って逃げて、その途中にもさらに魔物が現れたんだ」

 その光景を思い出したか、ディナの目に沈鬱な色が浮かぶ。 孝志でなくとも分かるくらいにはっきりと。

「20人くらいはいたんだけどな。 優しかったダニー、意地悪だったスヴェン、お調子者のホーク……怖くて逃げたやつもあたしたちを守ろうと魔物に立ち向かったやつも、注意を引いて誘き寄せてみんなを逃がそうとしたやつもいた。 魔物は動くやつに先に反応していってな。 全員魔物に殺されて……怖くて動けなかったあたしたちが最後に残った」

 それがどんな地獄絵図だったか、どれほどの恐怖だったか──殺された、と言っているが魔物に人間が殺されたとなればどうなったかは想像に難くない。 幼い少女が目の前で、親しかった人間が殺され喰われる有り様を見せられたのだとすれば気が狂ってもおかしくない。 だと言うのにそんな素振りをまるで見せない彼女らの強さに、孝志は尊敬の念すら抱いた。

「あたしもな、もうダメだと思ったよ。 でもそこに討伐依頼を受けた冒険者たちが現れた。 魔物の異常繁殖で周囲にも被害が出ることを懸念したらしくて、有名だった冒険者クランが駆け付けてくれてな。 あたしたちはギリギリで助かった。 あたしたちだけ……冒険者が村に着いた時には大人たちもみんな殺されていた」

 クランに保護されたディナたちはその光景は見ていない。 助けられなかった、すまないとクランのリーダーから謝罪の言葉とともに聞かされた。

「領主が兵士を派遣してきてみんなが埋葬されて、あたしたちの処遇をどうするか話された。 とは言えそんな話を聞かされるわけでもない。 それでも身寄りのなくなった子供に対してそんな手厚い待遇なんか望めないことくらいは分かっていた。 孤児院だって限られているし、町に連れていかれたところで乞食になるか娼館にでも売られるか、それくらいしか道はない。 だけどあたしは一番年上だったからな。 みんなを守りたくてクランのリーダーに頼んだ。 冒険者になりたい、何でもするからクランに置いてくれって」

 リーダーが困った顔をしていたのを今でも思い出す。 何の役にも立たない子供だ。 篤志家でもあるまいに簡単に頷ける話ではない。

「リーダーはA級でもかなり高位の冒険者でね、奥さんも冒険者で二人とも40近いのに最前線でバリバリに戦う人だった。 その奥さんが、子供がいないんだしうちの子にするつもりで引き取ればいい、ただしビシバシ鍛えるから覚悟するんだよ、ってあたしたちみんなを引き取ってくれたんだ。 厳しい人だったけど優しくて……本当のお母さんみたいに思ってたよ」

 過去形での話──そこに何があったのか気にはなるが孝志は黙って聞いている。

「あたしとフェミアはクランの雑用をしっかりやって、合間にクランのメンバーに鍛えられた。 フェミアは魔法の才能があったからかなり期待されてたな。 最初は本当に役立たずだったけど三年もするとあたしもフェミアもFランクになって、クランで一番弱いなりに少しは役に立てるようになった。 まだ小さかった三人の食い扶持くらいは何とか稼げる程度にね。 そしてあいつらも10才になったらあたしたちと同じで冒険者として鍛えられることになった。 そうやって今のあたしたちがあるんだ。 リーダーにも奥さんにも感謝しかないな」

 日本ではあり得ない、彼女たちの人生に孝志はこの世界の現実を見た気がして重い気持ちになる。

「四年前のことだ。 Sランクの屍竜ドラゴンゾンビが出現してな、その討伐依頼が指名でうちのクランにきた。 年は50になったけど数少ないSランクになっていたリーダーとAランクが何人もいるうちのクランぐらいしか対応できなくてな。 奥さんも含めたAランク六人、クランの主力を連れて向かったんだ」

 その結果がどうだったか──聞かなくても分かった。 分からざるを得なかった。

「屍竜は倒せた。 だけどね、屍竜だけじゃなかったんだ。 Sランクってのは結局あるラインより上の魔物のことだからね。 Sランクがソロで倒せたりAランクが集まって倒せるのもいればSランクだけでパーティを組まなきゃ倒せないような化け物もいる。 屍竜だったら二体でも何とかなった。 だけどな、そいつはリーダーたちが万全の状況で倒せるかどうかって化物──呪竜カースドラゴンだったんだ」

 屍竜は呪竜の眷族だった。 呪詛をかけた相手を死に至らしめ生ける屍として眷族と化す、下位ではあるものの亜竜とは別物の歴とした竜種だ。

「斥候が一人、リーダーの命令で逃げ帰って教えてくれた。 みんなやられちまったってね。 そいつも呪竜の呪詛を受けてて、屍人ゾンビになった彼を倒すのに残っていたBランクもほとんどやられちまったんだ」

 そうしてクランは瓦解した。 残ったメンバーでは名高かったクランを維持することはとてもできなかった。

「その頃、あたしはCランクになりたてだったけど、あたしがリーダーになって五人で《紅蓮虎》を結成した。」

 それが《紅蓮虎》の成り立ち──ディナの過去──そして彼女がなぜこうしたことをしてるのか、悲しそうな目をしていたのか、その理由に繋がってくる。

「冒険者を長くやってるけどさ、あたしらは恵まれてたよ。 ベテランのみんなに鍛えられて、冒険者の心得を叩き込まれて──おかげで死ぬことなくこうやって続けられている。 だけどさ、今のあたしたちと比べたって遥かに強くて、生き残るための心得の重要さが骨身に沁みていたはずのリーダーたちだって死んじまった。 それが冒険者って仕事だとすると──ちょっと田舎で腕が立つからって冒険者になったひよっこなんかさ、どうなると思う?」

 答えは簡単だ。 ギルドの戦闘ランクは冒険者のステータスのみ──それ以外の要素を省いた最低限のラインで設定されている。 それをさらに遂行ランクで細分化し安全マージンを取れるようにしている。 それでなお、なりたての冒険者──特に少年の死亡率は高い。 狭い世界での自己評価を絶対のものと思い、過信し、油断し──無理をする。 絶対に無理はするなと、ディナが最も強く叩き込まれたそれに反して、命を落とす。

「色々とあったからな……なるべくなら命を落とすやつは少ない方がいい。 とは言え全員の面倒を見てやるなんてできやしないから、新人にはああして声をかけて、一杯奢ってでも先輩から学ぼうってやつには話して聞かせてやってるのさ。 特に気に入ったやつにはこうして──肌を合わせて少しでも特別な相手になれば聞き入れやすいだろ? もちろんあたしが楽しみたいってのもあるけどよ」

 暗くなったと思ったか、おどけたように言って笑うディナ。 それでもその目には悲しみが映っているのを孝志は見ていた。

「死んでほしくない……でも死ぬかも知れないんだからせめて女くらい経験させといてやりたい。 それに生きてりゃまたこういうことができるんだ、つらくなったら甘えにきていいんだって、だから無理するなって……そういうことを教えてやってるつもりなんだけどな──みんな一度っきりになっちまったよ。」


「それって……」

 思わず呟いてしまい後悔した。 最後の言葉の意味は聞かなくても分かる。 ここまで語らせただけでもつらかっただろう。 なのに自分は彼女の一番新しい傷を言葉に出させようとしてしまった。 そんな思いに自責の念に駆られる孝志に、ディナは軽く笑みを浮かべ、

「あたしが搾り取り過ぎて女はこりごりってなったみたいでな」

 がっくり肩を落とす孝志に、ディナは豪快に笑いながらバシバシ背中を叩く。

「おいおい、しけた面すんなって。 過ぎたことだし気にしちゃいねぇよ。 お前もあたしと二回目はないだろうなって思って残念な気持ちになっただけだ」

 豪快に笑うディナを恨みがましく見返し──孝志は言葉を失った。 昼間から何度も見てる笑顔そのまま、だけど目には変わらず悲しみが見えた。 ディナが冗談めかして言ったのが自分を気遣ってのことだと、悲しみを表に出さずにそうするディナの強さと優しさに感動すらした。 でもその悲しみは自分には見えてしまっている

 どうしていいのか、女性経験もない孝志には分からなかった。 だけど何もせずにはいられず、衝動に駆られるまま立ち上がるとディナの頭を抱き締めていた。

「おいおい、これじゃ逆だろ? あたしがお前を──」

「……無理しないでください」

 上手いことは言えない。 だけど言わずにはいられなかった。 思ったまま、口に出してしまう。

「何もないわけないじゃないですか……死なないでほしい……そう思って心を砕いた相手がそんなことになって……ディナさんみたいな優しい人が何とも思わないなんて……」

「……お前も爺さんに負けてないんじゃないか?」

「未熟な俺だって分かりますよ……無理しないでください。 大事な人……親しい人……死なないでほしいと思った相手が死んで……何もないわけないです」

 孝志の胸の中でため息をつくとディナは孝志の背中を撫でる。

「考えすぎだ。 お前がそんなこと気にすることはない。 実際、あたしは多くの死を見てきたからな。 慣れてるし少し気に入ったとは言えたかが一回寝ただけの相手が死んだって──」

「慣れたりなんかしませんよ」

「………………」

「じいちゃんが言ってました。 人を殺すのに慣れることはない、壊れるんだって。 大切な人を失うのもきっと同じです。 慣れてると思い込もうとして無理をしてたら……壊れちゃうんですよ」

 ディナは孝志の絞り出すような言葉に黙り込む。

「無理をしないで……悲しかったら泣けばいいじゃないですか。 一番年上だからって……みんなの前じゃ恥ずかしくて泣けないんだったら俺が受け止めますよ」

「お前さ……そういうことあんま気軽に言うもんじゃないぞ」

 ──ディナの手が孝志の背中に回される。

「俺、まだ子供です。 ディナさんの悲しみやつらさを全部受け止めるなんてできません。 でも泣きたい時にすがり付く相手くらいならなれます」

「ガキのくせに生意気言うなって……」

 ──微かに震える手で孝志の体を強く抱き締める。

「子供じゃダメですか? 傷付いてる女性ひとの力になりたいって……小さなことでもできることをしたいって……ダメですか?」

 孝志の胸にディナが顔を押し付ける。 そのまましばし無言──だけど言葉はなくともディナの体の震えが語っていた。

「つらいのを押し殺さないでください。 ディナさんみたいな優しい人が傷付きっぱなしなんて……そんなの俺は嫌です。 少しでも吐き出してください」

 ディナは無言のまま──軽く鼻をすする。

「悪ぃ……しばらく……この……まま……」

「いくらでもいいですよ。 一晩中だって──」

「ばっか……それじゃ……ひっ……楽しめ……」

 嗚咽を噛み殺すディナにこれ以上どう言葉をかければいいのか分からず、孝志は無言でディナの頭を撫でていた。 子供をあやすような優しい手──限界だった。 必死に堪えていたディナの心の糸がプツリと切れる。

「ぐっ……うっ……うぅっ……あぁぁぁぁぁぁっ……!」

 切れてしまった堰から溢れる感情の奔流は止まりようがなかった。 恥ずかしいなんて思いも押し流され、孝志にしがみついたままディナは子供のように泣きじゃくる。 失う度に押し留め、溜まっていた心の澱が流されていく。

 ディナの悲しみに当てられてつられるように涙を流しながら、孝志はずっとディナの頭を撫で続けていた。

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