女の影。
「お疲れ様」
「鈴華、迎えに来てくれたのか」
「うん。久しぶりに皆にも会いたかったし」
「……」
皆で飲み屋の外へ出ると、加藤の配偶者である女が愛する男を待っていた。
だが、言葉と態度に何か引っかかるものを感じたのは俺だけでは無い筈。
あぁ、隣にいる目の前にいる女に酔っている加藤と酔っ払いの奴等は別だが。
「こんばんは」
「皆さん、お久しぶりです。いつも健君がお世話になっています」
……何が健君だよ、このメギツネが。
加藤に変な虫が付いていないか、確認しに来ただけだろ。
本当に加藤に変な虫が付いていないか心配しているのか、ただ独占欲が強いだけなのか。
「鈴華のこういうところもまた可愛いんだよなぁ」
「加藤主任、またノロケですか~」
「本当に奥さんを愛しちゃってるんですね~」
「うふふ、そうなの。私、健君に愛されてるから」
「加藤主任、奥さんが可愛いから家に帰るのが楽しみで仕方ないですね」
「まぁね~。羨ましいだろ」
配偶者が現れてから、皆がやたらと加藤夫妻を持ち上げ始めた。
色々と言われていい気分になったらしく、迎えに来た筈なのになかなか帰ろうとしない。
早く空気読んで帰れって……。
もしかして、もっといい気分になりたいとか思っているんじゃないか?
はぁ……こんな見かけだけの女が社内で人気だったなんて信じられないな。
「あ、花岡先輩と木村先輩もいたんですね。お二人にも会いたかったんです。お元気でした?」
「あぁ、久しぶりだね」
「……」
さっきから俺等に気付いていたくせに、白々しい。
優しいし花岡は挨拶に応じたが、俺は無視を通した。
嫌な女が話し掛けてきただけで鳥肌が立つのに、気を使って会話なんて無理な話だ。
加藤がこの場にいなかったら間違いなく毒を吐く。
「鈴華、帰ろう」
「はい。では皆さんごきげんよう」
「お疲れ様でした。気を付けて」
花岡は二人をしっかり見送っていた。
加藤の配偶者は、挨拶をしつつ笑顔をキープしたまま俺の方に歩みを進めていた。
加藤がそれに気付き、呼び止めて帰っていった。
何を言おうとしたのか、知りたくもない。
だが、これだけはわかる。
あの女は、皆の前で何かするつもりだった……。
***
「巧、大変だ!加藤が……」
「加藤?飲み会であったばかりだろ。何かあったのか?」
「あぁ、説明は歩きながらする。とにかく、俺と一緒に総務部へ行くぞ」
「……わかった」
花岡が焦りながら俺を呼びに来るなんて初めてだった。
大抵のことではこんな行動をしない。
皆を動揺させない為何事もなかったように振る舞い、小声で告げてくるのが通常の行動。
周囲を気にしている場合ではないと、すぐに行動しなくてはいけない事案だからだと察し、花岡についていった。
今日は飲み会が終わって、週明けの月曜日だ。
まさか、こんなに早く来るとは思わなかった。
性格上、我慢が出来ずに来たのだろう。
俺が早めに危機を察知していたら、事を防げていたかもしれない……。
***
「加藤主任、会議中に奥様が受付に来たと連絡がありました。長くなると伝えたのですが、終わるまで待つと言われてしまって……」
「ありがとう。今は何処に?」
「それが見当たらなくて。でも、社内にはいると思うんです。すみません……」
「いや、鈴木のせいじゃないから。鈴華はじっとしているのが嫌いでね。多分、来たついでに元同僚と挨拶でもしてるのかもしれない。俺が捜してくるよ。もし、入れ違いでここに来たら連絡入れて」
「わかりました」
主任の加藤は総務部の事務所を出て、妻が所属していた職場へと向かっていった。
残されたのは、鈴木と新人の男性社員のみ。
他の総務部員は、業務で事務所を留守にしていた。
奴はそれを狙って攻撃を仕掛けた。
「あら、まだ戻ってないのね」
「先程会議は終わりました。主任は奥様を捜しに行ったところです。今、ここに来たと連絡をしますね」
「連絡しないで。私、あなたに用があって来たの。ね、あなたが木村先輩と親密な関係って聞いたんだけど、本当なの?」
「いいえ、違います。どちらかというと嫌われていると思います。以前、告白したけど玉砕しましたし」
「それは嘘ね。ラーメン屋で楽しそうにしている所を見た人がいるんだから」
「それは……否定しません。でも、花岡さんもいました」
「ほらね、やっぱり親密な関係って嘘じゃないでしょ」
加藤鈴華は、激怒していた。
それは、元同僚から聞いた噂のせいで。
その噂とは、あの冷酷な王子に女の影がある。
その女は皆の前でこっぴどくフラれたが、どうやらそれは表向きで実は付き合っているらしいと。
その噂の女を確かめに来たが、まさか好きだった木村先輩が自分より容姿の劣る女の誘惑に負けたなんて信じたくなかった。
自分のプライドがズタズタに切り裂かれた気分になった。
この間違いをたださなくては。
だって私は綺麗で魅力的な女なのだから。
「あなた、木村先輩が相手にしてくれているからって勘違いしているんでしょ。だから、付き合っているだなんて噂を流したのね」
「噂なんて流してませんし、何か誤解されてます」
「そうね、私より劣るあなたが木村先輩と付き合っているなんて誤解よね。だから、警告しておくわ。この会社を辞めなさい。そうしたら変な噂を流したこと、許してあげる」
鈴木は何度も違うと否定したのに、加藤鈴華はそれを全く聞くことをしなかった。
そして、何故か上から目線で精神的苦痛を与え続けていた。
同じ事務所にいる男は、鈴木が困っている姿を見てどうにかしたかったが、上司の配偶者が言っている事なのでそれを止める事が出来ず、オロオロしていたという。
全く、これだから昔からの良くないクセが残った縦社会は困ったものだな……。
「鈴華、今……何て言った?」
「健君!?な、何も言ってないわよ」
「俺の部下の鈴木に、辞めろと言ったように聞こえたが」
「健君、恐い。そんな事で大声出さないでよ」
「そんな事だと?俺の職場で勝手に暴れてるんだ、冷静ではいられないだろ」
「加藤主任、落ち着いてください。何も言われていませんから」
鈴華の横暴な行為を鈴木は何もなかったと言い切った。
だが、加藤はしっかり目撃してしまった。
自分の愛する女が、自分の神聖な職場で部下に対してあり得ない言動を発した事を。
「鈴木、鈴華を許してくれるのか?」
「ちょっと健君、なんでこんな女に優しくするの?騙されちゃダメよ、すごく嫌な女なんだから」
普段なら自分の妻がしている行動を可愛いなぁと言って許していた。
でも、今回は違う。
一部始終見ていた。
事務所に入っていく時から、自分が止めるまでずっと。
だから、どんな言い訳や嘘も通用しない。
俺が好きで結婚したと思っていたのに、他の男の事で揉め事を起こしていたんだ。
これは許せることではないだろう。
「鈴華、お前は俺と結婚したんだろ?それなのに、まだ木村に未練があるのか?」
「な、何を言ってるの?そんな訳無いじゃない。私は健君が大好きだからプロポーズを受けたんだよ?」
「でも、鈴華は木村が好きになった鈴木を責めていた。それに自分より鈴木の容姿が劣るのにと馬鹿にしていた。人として最低な事だと思わないのか?」
「健君……?」
「鈴華、本当に俺が良かったのか?木村が今でも……いや、木村以外は男として見られないなら離婚しよう」
「ちょっと、健君!」
加藤は怒りのあまり、周囲の目を気にすることを忘れていた。
事務所の外では、あの温厚な加藤主任が大声を出していると人々が噂し集まってきていた。
そこに花岡が通りかかったのだ。
暫く様子を見ていたが、やはり俺をつれてくるしか事が収集出来ないと判断し、今に至るというわけだ。
加藤の配偶者は、自分がしたことで離婚問題にまで発展するとは思わなかっただろうな。
自業自得とはいえ、離婚になってしまったら鈴木まで被害を受けそうだ。
鈴木のせいで上司が離婚してしまったという噂が社内を飛び交う事は間違いないだろう。
そしてその噂が加速し、加藤と鈴木が実はできていて、俺が二人の仲を邪魔しているなんて話にまで飛躍しないとは限らないし。
それだけは阻止してやる。
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