アイツの名前。

「……ん」


 俺はいつの間にか寝ていたようだ。


 何か違和感がある。


 寝起きは視界がボヤけていてよく見えないが、やはり何かいつもと景色が違っている。



 ソファで寝たからではない。


 疲れて帰ってきた時は、ソファにダイブしたまま寝てしまう事もあるので、その感じは知っている。



 これは……なんだ。


 フニフニとしたあたたかいものを触っている。



「……あ、あの……やめてください」


「!?」



 俺はビックリして飛び起きた。


 あの女が真っ赤な顔で胸を隠している。


 まさか、さっきの感触は女の胸……。


 寝ぼけていたとはいえ、なんてことをしたんだ。


 手を伸ばした所にあったようだが、無意識に触るなんてこんな事は初めてだ。



「私、着替えてきます」


「今のは意図的ではないんだ。許して欲しい」


「気にしないで下さい、ただビックリしただけですから……」


「本当に、ごめん……」



パタン……。



 女が着替える為に寝室へと駆け込んでいった。


 それにしても、さっきのは何だったんだ。


 俺がこの部屋で寝ていたのはわかるが、女も一緒に寝ていたのか?


 確か……スープを入れてやった後、アイツはソファで暫く映画鑑賞をしていた。


 俺は一緒に座るには密着してしまうと思い、床にクッションを置いてソファに寄り掛かって観ていた筈。


 それがいつの間にかアイツの側で寝ていた。



 俺が誘ったとは思えない。


 まさか、無意識に女を求めてしまったのか……!?


 いやいや、暫くご無沙汰とはいえそれは無いだろ。



 全く、訳がわからない。


 混乱してどうにかなりそうだ……。



 アイツは俺に挨拶すると、そそくさと帰っていった。


 俺は未だに動揺している。


 何故あんな事をしてしまったのかと。



「気にしないでください」



 そう言われたが、そう出来るだろうか。


 もし社内で会ってしまったら、いつもの様に対応出来るだろうか……。

 



「巧く~ん、おはよう。で、どうだった?」


「何がだ」


「何がって、決まってるだろ」


「…………朝から煩い、自分の席へ行け」



 月曜の朝、早々に花岡が楽しそうに近付いてきた。


 これは想定していたので、いつもの様に軽く流した。



「巧、何かあったな。そうだろ?」


「…………」



 ……花岡は鋭かった。


 俺は動揺せず話していたつもりだったのだが、何かを感じ取られてしまったみたいだ。



「俺を誰だと思っているんだ?名探偵の優真様だぞ」


「そんなの初耳だ」


「ほほぉ、なるほどね……」


「何がなるほどね……だよ」


「そうやって、話をすり替えようとしても無駄だって。巧が話さないなら、彼女に聞いてくるまでさ」



 アイツに聞いてくるだと!?


 ただの好奇心で聞いてこれる話題じゃないんだぞ。


 名探偵なら、黙ってここで大人しく推理してろよ。



 ……どうする俺。


 アイツが話す事はあり得ないと思うが、万が一口を滑らせたら、花岡にその話題で一生弄られるに違いない。



「止めておけ」


「何故?そう言われると、余計に知りたいんだけどなぁ」


「アイツを……困らせるな」


「アイツ?」


「アイツはアイツだよ」



 花岡は、俺が困っているのを見て楽しんでいる。


 いつまでもこの話題で遊んでいる暇はないんだ。


 いい加減、俺を解放してくれ。



「同じ屋根の下で一晩過ごした仲なのに、名前も言えないのか?」


「わかったよ、言えばいいんだろ。アイツ……鈴木綾だ」


「正解。ようやく覚えたんだ」


「……あぁ」



 あんな事をしてしまったんだ、忘れられる筈がない。


 それが、アイツの名前を覚えるきっかけになってしまったんだからな。

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