第68話 絶望の縁で
第68話〜絶望の縁で〜
拡充し強度を増す砦を崩すことは、歴戦の魔術師であっても至難。今のセリアの構築する砦であれば、第二次魔道大戦でも通用するレベルにまで到達しているであろう強度はある。
もちろん最前線のアンフェール島では流石に通用しないが、通常の戦争レベルでこの砦が出てくれば、敵はこれを攻略するのに相当の労力を必要とする。それほどに屈強な砦に仕上がっているのだ。
それゆえいかにスタンピードであるとはいえ、高々魔物ごときにこの砦を崩すことは絶対にできない。もちろん放っておけばいずれは崩されるであろうが、この砦は現在進行形でセリアが維持に全力を尽くしているのだ。
壊されれば再構築もするし、補強もする。時には反撃をしてくることのある砦を崩し切ることなど並の魔物になどできるはずがない。
防衛線を突破されるに従い砦に殺到する魔物が増え、一時戦場にいた生徒や教師は慌てたが、決して崩れることなく魔物を受け止める砦の様子を見て安堵をするとともに作戦を変えることを選択した。
防衛線を維持する人数が段々と減って来ている現状、今までの戦い方ではいずれこちらが力尽きる。しかし後方の砦が崩れないのであれば、無理して戦わずに魔物を砦に向かわせることで、その背後から魔物を叩くことが可能となる。
もちろんそれは砦が絶対に崩れないことが前提の作戦ではあるが、疲弊して来た現状ではもはや取れる作戦はこれしかなかったのだ。
そしてその作戦は見事にうまくいくこととなる。
それまで砦に行く前になんとかしようとしていた魔物を、あえて砦にぶつけることで前衛の負担は減り、さらには比較的安全に魔物を狩れるようにもなった。
追いつかなかった怪我人の治療も、新たに怪我をする者が減ったおかげで持ち直しつつあり、戦場の雰囲気は先ほどのどん底から少しずつ立ち直りつつあった。
湿地帯から現れる魔物の速度に変化はないが、それでも戦況が好転すれば士気も上がる。誰もがまだいけると勢いづき、再び戦う意志を持ち始めたその時だった。
「なんだあれは……」
掠れた声でそう絞り出したのは、防衛線のさらに後方。教師たちの待機場所となっていた巨大な天幕のそばで祈るようにことの成り行きを見ていたエジャノック伯爵だった。
スタンピードの知らせを受けて以降、エジャノック伯爵はここまでその情報の伝達に追われていた。
不幸中の幸いにも、ルミエール魔術学院の生徒と教師が防衛線を展開しスタンピードを抑えているが、いつ突破されるかは誰にもわからない。だからこそエジャノック伯爵は速やかに近隣の住民への避難勧告と王都への早馬を飛ばすなどの対応を行なったのだ。
魔物を間引きし、湿地帯の異変を抑えようとした側からのスタンピード。きっとこれが収まったとしても自身が突き上げを喰らうのは必死。そう言った問題も心をかき乱す原因ではあったが、何よりも気がかりなのは息子のアーリヒのことだった。
湿地帯をどうにかする秘策があると言ったアーリヒ、エジャノック伯爵は近衛を数人貸し出したが、内心で息子ができることは何もないと思っていたのだ。
アーリヒはヘルメス王国の貴族との縁談の破棄以降、なんとかそれを挽回しようと必死にいろいろしているのは知っていた。次第に周囲の信頼を取り戻し、かつての栄光を取り戻そうとしていることも知っていた。
それでも跡目にアーリヒを据えないエジャノック伯爵に業を煮やし今回の行動に出たと思ったからこそ、期待はしていないものの近衛を貸し出したのだ。
何も期待をしていないのはアーリヒの能力の問題ではなく、あくまで湿地帯の異変故だ。止めようとも思ったが、一向に引く気はないアーリヒに許可は出したが、それでも心配はしていたからこそ近衛を引き連れさせたのだが、スタンピードが発生してからもいまだに息子が湿地帯から帰って来た様子はない。
こんなことなら早々にアーリヒに伯爵の爵位を譲ればとも考えるが、縁談が破談になった際の国王の怒りは凄まじく、今のアーリヒでは早々に目をつけられることがわかっていたから出来なかったのだ。
なんとか家督を継がせるためにはアーリヒに功績を挙げさせるほか無い。そう思い、厳しい言葉をかけ続けたのだが、今回それが完全に裏目に出ることとなってしまった。
「どこで狂ってしまったんだ……」
呟いた言葉に返事をする者など当然いるはずもない。すでにエジャノック伯爵のそばにいた近衛兵たちは防衛線へ出ているか、民衆の避難のために全員出払っている。
そしてそんな絶望の淵に立つエジャノックの伯爵の目に映るのは、何とか防衛線としての機能を立て直しつつあったところに、湿地帯から巨大な大蛇が現れた光景だった。
「終わりだ、何もかも」
いかにルミエール魔術学院の生徒や教師の実力が高くとも、疲弊した状態であの大蛇と戦うなど無謀以外の何物でもない。
エジャノック伯爵とて魔術師であり、大蛇の力がどれほどのものかはある程度想像はつく。あれは一介の魔術師が手を出していいものではない。あんなものは王都の軍やそれこそ金級以上のハンター達が総出で倒すべき魔物だ。
これでエジャノック伯爵は爵位を失うことが確定した。なぜか破談となった息子の縁談に始まり辺境への左遷、そして再起をかけたこの湿地帯の異変への対処での失態。もはや呪われていると言ってもおかしくないくらいの不運。
そして最後には息子まで失ってしまったエジャノック伯爵には、もはや立ち上がる気力もない。
これで全てが終わるなら、いっそ自分も死んでしまえばいい。
絶望に冷静な思考すらできなくなってしまったエジャノック伯爵の足は、無意識に防衛線へと進んでいってしまうのだった。
◇
湿地帯の上空、シルクハットの男は一度深層付近からエジャノックの領側の湿地帯の出口まで出てきていたのだが、その様子を見てわずかに鼻を鳴らした。
「これはこれは、どうやら私が思っていたよりも魔術学院とは優秀だったようですね」
男の見立てでは、今回のスタンピードの規模を考えれば、すでに防衛線は崩壊し、人家のある街々に魔物が押し寄せる頃合いだと思っていたのだ。
それは以前に接触したランデルを生徒の強さの指標にし、その上で計算した予測。それほどの誤差が出るはずがないのだが、それを覆すものがあるとすればその要因はいくつかに絞られる。
「優秀な指揮官が何人か、それに要はあの砦ですか」
もし男の計算した戦力でこのスタンピードを防げるのであれば、それは優秀な指揮官による統率以外にあり得ない。並みのものであれば、十ある戦力を十としてでしか扱うことができないが、優秀な指揮官は違う。
例え劣悪な戦力しか有していなかったとしても、その戦力を倍どころか十倍、あるいは百倍にもしてしまう。それが優秀な指揮官の力なのだ。
防衛線を見るに、崩壊しつつもなんとか踏みとどまっているような状況から、男は小隊を統率できるようなそんな指揮官が数人はいるのだろうと予測したのだ。
そしてそれはまさにその通りであり、複数の教師やシャーロットそしてギュンターなどの一部の者が奮闘しているからこその今の結果につながっているのだ。
だが何よりも男が注目したのは、今もその大きさを増し続けている鉄の砦だ。
確かに以前に見た魔闘祭の予選で魔建師はいたが、それでもあの時はここまでの砦を打ち立てる力はなかったはず。あれから一月ほどの時間しか経っていないというのに、この成長ぶりは一体どういうことなのか。
「あのときに芽を摘んでおくべきでしたか?」
そうひとりごちてみるが、どう考えてもあの時の実力でこの成長を予期することなどできるはずがない。実力を隠していた?あるいは最上の指導者がいるのか?
推測はできるがいずれもそれは憶測の域を出ず、男はその考えを全て放棄し再び防衛線の観察を始める。
「私が少し手を下してもいいのですが、流石にそれは美学に反しますね」
そう言うと男は肩を竦め、少しだけ口惜しそうに小さくため息を吐いた。
ここで自分が動けばすぐに片はつくが、それではこれまで裏で動いていたことが全て意味がなくなってしまう。裏で暗躍をするものは、最後まで裏方に徹してこその裏方なのだ。自分が動いてしまっては、もはやそんなものは三流以下。だったら策を弄することなく最初から自身で動くべきなのだ。
だからこそ男は湿地帯の上空から動くことなく防衛線を眺めることのみをする。
そんな折、湿地帯から現れたのは巨大な大蛇。これまでの魔物とは一線を画するその魔物は、一直線に防衛線に向かっていき、途中にいる生徒達を蹂躙していく。
「さて、これは防げますかね?」
小さく笑みを浮かべた男は楽しげに大蛇の様子を眺めながら、懐から何かの液体を取り出し嚥下する。どうやら観戦を決め込んだようだった。
全てを俯瞰し、この湿地帯で起こる全てを把握しているシルクハットの男。それゆえに男は思っていなかった。まさか完全な安全地帯にいるはずの自分に危害が及ぶことになることを。
この世界には、決して敵に回してはいけない者がいると言うことを男が知るまで、後少し。
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