第64話 広がる蹂躙

第64話〜広がる蹂躙〜


 スタンピードをなんとか押しとどめているエジャノック伯爵領のあるハルバス聖王国であるが、何も湿地帯が繋がる場所は聖王国側だけではない。


 その反対側であるヘルメス王国のリーシャル辺境伯領は未曾有の事態に襲われていた。


 ここ最近湿地帯から出てくる魔物に少なくない被害を出してはいたが、切り立った山岳に阻まれ人里に現れる魔物は少なく、ハンターや街の兵士などで十分に賄えていたのだが、こと今回に限っては話が別。


 湿地帯から溢れ出る魔物に気づいた時にはすでに遅く、一番近い街にその連絡が届いた時には魔物はすぐそこまで迫っていた頃だったのだ。


 当然すぐに戦える者は武器を取り、そうでない者は避難を開始したのだが、魔物の群れはそれらを容赦無く飲み込んだ。


 エジャノック伯爵領と違い、リーシャル辺境伯領は今回の作戦においてそれほどの兵士やハンターを湿地帯の入り口に配置してはいなかった。


 もちろんエジャノック伯爵と今回の作戦を詰め、その上で辺境伯領側にも魔物が出現することを予測し何人かの人員は集めていたが、それでもスタンピードをどうにかできるほどの人ずんではない。


 本来ならもう少し人数を集めるべきだったのだが、それができなかったのは単純に財源の問題。中央から左遷され、領地の運営が逼迫していたリーシャル辺境伯では、多数の人員を集めるだけの財源を用意することはできない。


 もちろん他の貴族に頼み、金を都合してもらうことも考えはしたが、そんなことをすれば弱みを握られ今後相手がどのような態度に出るかなどわかったものではない。


 だからこそリーシャル辺境伯は、怪しげなシルクハットの男からどんなに胡散臭いと思おうとも湿地帯の異変を鎮めるという小瓶を買ったのだ。


 そしてその結果は全くの逆。自らの手で湿地帯に眠っていた龍を復活され、その余波でスタンピードを巻き起こしてしまった。


 最低限の人数しかいない防衛戦ではスタンピードを止めるどころか、近くに連絡することすらできず、リーシャル辺境伯領は瞬く間にスタンピードによる被害を広げていくこととなる。


 後にこのスタンピードはヘルメス王国の歴史の中でも最悪の事件の一つとして語られることとなるのだが、それも今は先の話。


 響き渡る悲鳴と逃げ惑う人々。


 この事件を知った者たちは、改めて魔物というものの恐ろしさを再認識することになったのだった。


 ◇


 湿地帯をかけるレインだったが、足元が沼地に変わったところで目の前に非常に強大な魔力を感じ、それまで相当の速さで走っていた足を止める。


「これは、まずいな」


 この状況は非常にまずい。この奥に何がいるのかは知らないが、大きな魔力が放つ瘴気により、魔物が無尽蔵に湧き出ている。しかも発生した魔物はその魔力に怯え、次々と湿地帯を飛び出していくのだからこのままではスタンピードは治るはずがない。


 いくら防衛線が懸命に戦おうとも、その先に勝利の二文字はありはしないのだ。


「昔を思い出す」


 沼地の中を再び歩き出したレインが思い出すのは、先日シャーロットとの夜の勉強会の最中、レインが語った第二次魔道大戦で起きた出来事の一つ。


 敵である帝国の補給地を潰すため、レックス傭兵団の面々で乗り込んだときのことだ。


「状況はまるで違うが、やってることはきっと同じだったんだろうな」


 あの時の戦いは酷かった。多少の罠があるとは思っていたのだが、傭兵団の向かった先にあったのは、完璧に待ち構えていた帝国の兵士たちだったのだ。


 これはのちにわかったことなのだが、どうやら味方に裏切り者がいたらしくこちらの動きは全て相手に筒抜け。レックス傭兵団がいつ補給地を潰しに現れるかなども全てが相手にはわかっていたのだ。


 もちろんその時点でレックス傭兵団に残された道は撤退しかなかったのだが、悲しいかな、傭兵という性質上与えられた任務を放り捨てて逃げ出すことはできなかった。


 もちろん命あっての物種ではあるのだが、もしそれで生き残ったとしても傭兵としての信頼は失墜。この先レックス傭兵団を雇うものは誰一人としていなくなることが目に見えていた。


 傭兵とは雇用主に雇われ、その上で任務をこなす者たちであり、雇用主にとっては金で買った道具に過ぎないのだ。だからこそ自らの兵たちの代わりに危険な任務に着かせることが多く、道具である以上それについて何かを感じることもない。


 傭兵たちにしてみても、危険な任務を行うが故に雇用主からは多額の金をもらっているのだ。そこには完全なギブアンドテイクの関係が生まれており、傭兵という存在がその一点に集約していると言ってもいいくらいなのだ。


 それなのに危険だからと言って傭兵が逃げ出しては、もはや雇用主との関係は崩れたのも同じ。危険を承知で任務を受け、それに対する対価を受け取っている以上は任務を完遂するか死ぬかしか選択肢はない。


「二手に分かれるぞ!!俺とザイルで補給地を潰す!他のものはここであいつらを抑えてくれ!!」


 補給地の様子を見たアーノルドの判断は早かった。撤退は無理だということは誰しもがわかっていたが、それでもこの先の行動には迷いが生じていたのは間違いない。だが、アーノルドはそんな様子を一切見せず、すぐさま全員に指示を飛ばすと誰よりも早く敵の真っ只中に向けて飛び出していったのだ。


「待ちなよバカ!!」


アーノルドの指示により、というよりも無謀な行動によって全員が一気に動き出した。その中でもシルフィはアーノルドの作戦も何もない動きに憤慨しながらも、自身のもっとも得意とする広域殲滅魔術をアーノルドが突撃していった敵に向けて放つ。


「炎熱地獄」


 吹き荒ぶ炎の嵐が帝国兵に向けて猛威を振るい、一気に隊列を組んでいた兵士を焼き払う。それにより開いた補給地への道をアーノルドが突き進み、その後ろからザイルが追うようにかけていく。


 しかし一度は開いたかに見えた道も、すでに完璧な布陣を敷いていた帝国側にとっては焼け石に水。すぐさまその道は埋められ、逆にレックス傭兵団はあっという間に取り囲まれる事態となってしまったのだ。


「私が道を開くから、みんなはなんとか生き抜くのよ!!」


 間髪入れずに襲いくる帝国兵に対し、シルフィが広域殲滅魔術を連発しながら仲間を鼓舞していった。


 すでにアーノルドたちの姿は見えなくなり、レックス傭兵団の勝利条件は二人が補給地を破壊し脱出したところで撤退することだ。


 もちろん二人にも相応の敵が待っているだろうが、補給地の敵の大部分はレックス傭兵団を潰すためにここに集められている。つまり、傭兵団が耐えれば耐えるだけアーノルドたちに向く目は少なくなるのだ。


 攻め入ったはずがいつの間にか防衛線に変わった傭兵団だったが、誰もが団長であるアーノルドの帰りを信じて疑うことはない。


「レイン!私のそばから離れないでくださいね!」


「わかってる!クラリスから離れないように敵を倒すさ!!」


 クラリスは手に持ったモーニングスターを振りかざしながら敵を撲殺する傍ら、傷ついた味方を治癒魔術により回復させながらレインに向かってそう叫ぶ。


 対するレインもまた、迫る帝国兵を拳と蹴りで粉砕しながらも、ここにくる条件として出されていたクラリスから離れないというものをきっちりと守りながら交戦していく。


 まさに絶望的な状況だが、レックス傭兵団はそう簡単に戦線を崩すことはない。


 レックス傭兵団はその当時、第二次魔道大戦の最前線、アンフェール島において最強を誇ると言われるほどの傭兵団だったのだ。だからこそ帝国側も情報が漏れていたとしても慢心せず、最高の布陣でもって迎撃に当たったのだが、結果はこの通り。


 戦力的には数十倍は違う人数さがありながら、レックス傭兵団を中々倒し切ることができないでいたのだ。


 しかしレックス傭兵団とて無敵というわけではなく、恐るべき強さで帝国兵を倒してはいたが、同時に仲間も次々と倒れていっていた。


「クラリス!負傷者の手当てはまだか!?」


「今やっています!しかし高数が多くては私だけでは手が足りません!!」


「シルフィ!魔力の方は大丈夫か!?」


「まだまだ余裕だよって言いたいところだけ、このままじゃ何枯渇しちゃうかな!!」


 奮戦している団員たちではあるが、このままでは押し切られるのが時間の問題だと言うことは誰しもがわかっていた。


 数は力。確かにレックス傭兵団の面々は一人一人が一騎当千の力を持っているが、それでも人である以上はいつかは体力にしても魔力にしても限界が来る。加えて相手側もこの最前線であるアンフェール島に送られてくるような魔術師たちなのだ。もしこれがレックス傭兵団でなければ、勝負はすでに決まっていたと断言していいほどにその戦力差は絶望的なものなのだ。


「大丈夫だ!きっとアーノルドたちならやってくれる!!」


 次第に諦めの雰囲気が漂う団員たち。それはシルフィやクラリスも例外ではなかったが、そんな中でレインだけは違った。


「もう少しだ!だからそれまで粘るんだ!!」


 戦災孤児としてレックス傭兵団に拾われたレインは、その境遇と幼さも相待ってアーノルドのことを非常に尊敬している。その強さに負けはなく、どんな任務であっても必ず成功を収める。これまで見てきたアーノルドの無双的な強さゆえ、レインのアーノルドに対する信頼はただならぬものになっているのだ。


 だからこそこの絶体絶命のピンチであってもレインはアーノルドたちが戻ってくることを信じて今も拳を奮い続けている。その姿はまさに鬼神の如く、わずか十二という年齢にしてこの戦場でとんでもない武功を上げている。その姿を見て他のものが奮起しないわけがない。


「しょうがないなぁレインは!よし!それじゃあ一発盛大なのを打っちゃうよ!!」


「いけませんね。私がアーノルドを信じずに誰が信じると言うのか。レインに教えられるとは私もまだまだです」


 レインの純粋な闘志にシルフィとクラリスの目に再び光が戻り、それを皮切りに他の団員たちの士気も上がり始める。一度は押されかけた戦線も息を吹き返し、その後数時間続いた戦いは、補給地の爆発とともに幕を迎えた。


 爆破された補給地から出てくる二人の男の影を確認した時が、レックス傭兵団の勝利が確定した瞬間だったのだ。

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