第62話 奥へ駆けろ

第62話〜奥へ駆けろ〜


 湿地帯を一直線に駆け抜けながら、レインは砦においてきたセリアとパメラの表情を思い出していた。


 パメラはこれまでレインがある程度は普通じゃないと知っていたにも関わらずあの反応だったのだから、セリアに関しては胸中でどう思っているかは定かではない。


 本意ではないにしろ、レインは世界中の魔術師が羨望の眼差しで見るような魔術師の一人であることに間違いはなく、そんな魔術師に直接指導を受けていたセリアからすれば内心は非常に複雑なところだろう。


「後で謝るか」


 黙っていたことに関してはこちらにも理由があるにしろ、バレてしまった以上は謝罪が必要だろう。もちろんあの場にはいなかったリカルドにもまた、しっかりとレインは詳細を話すつもりだった。


 レインにとってリカルドは、ルミエールで初めてできた友人だ。これまではバレない以上は自身の出自を秘密にしていたが、すでにパーティーメンバーの大半に知れ渡ってしまった今、特段隠しておく理由もない。


 何よりリカルドに内緒にしておくことがレインとしては絶対に嫌だったのだ。それほどまでレインはすでにパーティーメンバーを信頼しているし、レックス傭兵団を除いて一番信頼している人たちでもあったのだ。


 だからこそレインは急いで湿地帯をかけていた。


 後で謝るにしても何にしても、そのためにはスタンピードを止めなければ話にならない。もしあのまま魔物の増援を続いてしまえば、あそこで戦っている者たちはその大半が犠牲になることは間違いない。


 シャーロットをはじめとした友人たちも力量が高くとも助かる確実な保証はどこにもないのだ。


 湿地帯には霧が立ち込め、侵入者の行手を阻むかのように視界を奪い、そこから現れる魔物、特にアンデットは音もなくレインに忍び寄りその命を狩ろうとどこからともなく現れる。


 しかしレインにそんな不意打ちまがいの小細工などは通用しない。


 レインが発動している身体強化の魔術は、肉体のポテンシャルを高めるだけでなく、熟練の使用者に至っては感覚までをも敏感に研ぎ澄ます効果があるのだ。


 故にレインは魔物の気配を視覚ではなく、感覚によって帯なっており、その感知範囲は全方位。感覚で全てを読み取るレインにとって、死角というものは存在しないのだ。


「悪いが今の俺にお前たちに構う余裕はないぞ」


 群がる魔物やアンデットをレインなら無視しようと思えば俺も出来た。本来なら無駄な戦いを好まないレインの性格上、時間があるなら魔物の攻撃を避けつつ湿地帯の奥を目指したことだろう。


 だが今は一分一秒が惜しい状況故、レインは最短距離を走る以外の選択肢を取る気はない。


 振るわれた拳は前方から掴みかかるアンデットを粉砕し、後ろも見ずに放った後ろげりは沼地から顔を覗かせたかば型の魔物を粉微塵に変えていく。


 もはやこの湿地帯にレインの相手になるものはおらず、その足を止められるものもこの湿地帯には存在しない。


 もしそんな存在がいるとすれば、今も湿地帯の奥で蠢く巨大な気配だけだろう。


「久々に手加減はいらない相手かもしれないな」


 群がる魔物を走る速度を落とすことなく全て蹴散らしながら、レインは湿地帯の中層を突破し、ついに深層へと突入したのだった。その奥に待つ、何かと対峙するために。


 ◇


 目の前で起こった現象に、アーリヒは言葉を発することができなかった。


 自分が木の根か何かだと思っていたものは、よもや想像の遥か上をいくものであり、今も小瓶により集められている沼地の瘴気を吸い取りどんどんその形を変えていっている。


「アーリヒ様!早く撤退を!」


 連れてきた近衛がそう叫んでいるのが聞こえるが、アーリヒはそんなことは無駄だということを本能で悟っていた。


 目の前のこれは次元の違う生き物であり、矮小である自分たちに抗う術などはない。瘴気を吸い、自分の体よりも太い骨が形作られていく様子を見ていたアーリヒは、もはやそこから逃げる気すら湧いてはこなかったのだ。


 どこで間違えたのかと自信に問うが、そんなものは最初からだったのだろう。


 冷静になって考えてみれば、あんな胡散臭い商人の言葉の何を信じる気になったのだろうか。


 湿地帯の異変を取り除ける?それさえ成功すれば、また後継者争いに返り咲くことも可能?


 そんな耳に甘い悪魔の囁きが、あの時のアーリヒには見破ることができなかったのだ。自分の一番弱いところに入り込み、そこを抉るかのような言葉をかけてくるシルクハットの商人。


 こんな小瓶一つにバカみたいな金額を払い、その対価が湿地帯で死んでいた龍を復活させる手伝いをしてしまったのだ。ここで自分は死ぬのだろうが、自分の犯した罪はこの命ひとつでは到底購えるものではない。


 おそらく龍によりたくさんの人が犠牲になるのは必死。父であるエジャノック伯爵は仮に生き残ったとしてもその責を問われ、よくてお家取り潰しとなるのが容易に予測できた。


 ただアーリヒは認めてもらいたかっただけだ。これまでの人生で自分が努力してきたことを認めてもらいたい。その過程でなぜか妻にも逃げられ、そして誰からも見放された過去を帳消しにしたかっただけだ。


 だからこそ危険を承知で湿地帯に踏み込み、領地を困らせる謎の魔物の発生を止めようとしてみればなんのことはない。むしろ領地を潰す原因となるものを蘇らせてしまっただけの愚か者に成り下がってしまったのだ。


 結局、自分ができたことは何もなかった。ただ悪戯に事態を悪化させ、そして自分のせいで落ち目になってしまったエジャノック家に最後の止めを今、刺そうとしている。


 すでに目の前の龍は受肉がほぼ完了しており、これまでの長い時間をこの湿地帯の深層で過ごさなければならなかった長い時間に貯めた怒りゆえだろうか、真っ赤に染まった目でアーリヒを見つめていた。


『何か言い残すことはあるか?』


「俺はただ、少しでも認められたかっただけなのに……」


『ならばその思い叶えてやろう。貴殿は私の復活のために尽力した一人として、私が未来永劫覚えておいてやる。この伝説の龍である、ファフニールがな』


 それがアーリヒが聞いたこの世での最後の言葉だった。


 完全に受肉を終えた龍、ファフニールはその巨大な顎門を開き、すでに心の折れたアーリヒに向かい来る。


 アーリヒもまた、それを認識しながらも無抵抗に受け入れた。


 何をやっても上手くいかないこんな世の中は間違っている。意識が暗闇に落ちる前にアーリヒが思ったのは、そんなこの世への恨みだった。


 そんな様子の全てを観察していた男がいた。湿地帯の深層上空。そこに佇むのは一人の男。シルクハットを目深に被り、アーリヒがファフニールに喰らわれる様子を見ていた男は薄く笑う。


「計画は極めて順調です」


 そう言ってますます笑みを深めるシルクハットの男、いや、今回の湿地帯での事件の黒幕は全てを俯瞰できる位置で己の計画の素晴らしさを称賛した。


 この先にまさかこの計画を根底から覆すものがやってくるなど思いもせず、今はただ、自分に酔いしれているのだった。

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