第55話 企みの芽が芽吹く

第55話~企みの芽が芽吹く~


 湿地帯の中層に入ってからというもの、あれだけ多かった魔物がまるで現れなくなった事実にクノッフェンは逆に薄気味悪いものを感じていた。


 クノッフェンがやろうとしてることを考えれば、できるだけ湿地帯の深部である方が都合がいいのは事実。だが、外周部での様子を見るにそれは無理だろうと思ったからこそ、中層で断念しようと思っていたのだ。


「リーシャル様、どうされますか?」


 魔剣師の男がクノッフェンに尋ねた意図は進むか、ここで戻るかということだろう。この状況であるなら、確かに深層に進むことも可能だ。だが突如として魔物がいなくなるなど、罠か、そうでなくても何かしらの理由があると考えるのが自然。


 行きはよくとも帰りはどうか。自身の命を最優先に考えるのであれば、ここで目的を果たして撤退を選ぶのが一番賢いのだろう。


「進むぞ。あの男の言うことが正しいのであれば、これを最大限に生かすにはなるべく深層である方がいいらしいからな」


 短くそう言ったクノッフェンは、二人をさらに奥へと促す。魔剣士と魔戦術師の二人はその決断に何かを言いかけたが、互いに目配せをし合うとそれ以上は何も言わず、再び湿地帯を進み始めた。


 自分にはもったいない部下だ。きっと自分についてこなければ、今頃王都で王宮騎士団なり、宮廷魔術師に召し上げられてもおかしくはない二人。それなのに二人はそうせずに、王都を追われる自分に着いてきてくれたのだ。


 もしこれが無事に終わったら、なんとかして二人を王都に戻そう。下げたくない昔の同僚に頭を下げることになったとしても、この二人のためならそれくらいは厭わない。


そう思い、クノッフェンは湿地帯を進んでいく。


 だが、その責任感がこの先の悲劇を生むことになるのをクノッフェンはまだ知らない。領地を思うがゆえ、なんとか湿地帯の問題を解決しようと奔走し、湿地帯の中に足を踏み入れたことが最大の間違いであるということを。


 全てはクノッフェンの責任感を最大限に悪用した、シルクハットの男の手のひらの上であるということを。


 ◇


 同刻、アーリヒは少ない近衛と共に討伐隊とは別ルートで湿地帯の奥を目指していた。


 父であるアリンツに許しを得て、アーリヒはとある目的を持って湿地帯を進んでいたのだ。


『今の湿地帯は少しばかり瘴気が多いようなのですよ』


 先日アーリヒを訪ねて来た旅の行商人を名乗るシルクハットの男が言葉を思い出す。


『原因を取り除けば魔物の異常発生は収束するはずです。もしそれをあなたが成し得たとすれば、一体全体その後の情勢はどうなるでしょうね?』


 男の言葉はアーリヒにとって甘い媚薬のようだった。


 今のアーリヒの状況は決していいものではないことは自分でも十分にわかっている。成人し、伯爵位を継ぐものとばかり思っていたアーリヒは、貴族としての立ち振る舞いをしっかりと学んだ。


 容姿があまりよくないことはわかっていたので、少しでもよく見られようと思い清潔感にだけは人一倍気を配っていた。そのおかげかどうかはわからないが、隣国であるヘルメス王国の侯爵家の令嬢と縁談がまとまることとなる。


 隣国の貴族の令嬢との結婚となれば、それは国同士の友好を示すことに他ならず、アーリヒには並々ならぬ期待が寄せられたことは言うまでもない。


 将来は侯爵の地位も夢ではない。それまで容姿のせいもあり、あまりいい扱いをお世辞にも受けたことのないアーリヒにとってはそれはまるでシンデレラストーリーと言えるだろう。


 正直な話、浮かれていなかったと言えばウソになるが、だからと言って決して領地の運営や他の仕事に貴族との付き合い、そして妻への気遣いなど全てに一生懸命だった。


 この幸せが続きますように。


 そう願ったアーリヒはこれまで以上に仕事に奔走し、妻を幸せにしようと寝る間も惜しんだ。しかしその願いは数か月という短い期間で崩れ去ることになる。


『あなたにはついていけません』


 突如として切り出された妻からの別れの言葉。あまりに脈絡のなかったその言葉に、アーリヒは妻に理由を尋ねるがその問いかけすらも精神を追い込むものだと言われ、その日のうちに実家へと帰ってしまうことになる。


 事情を聞いた妻の実家は当然アーリヒに対し怒鳴りこんでくるが、アーリヒ自身も理由がわからないのだから答えようがない。そうこうしているうちに、屋敷の者への聞き取りが行われ、その理由が判明することとなった。


『アーリヒ様は毎晩奥様に怒鳴り散らし、口汚くののしっておられました』


 その証言にアーリヒは目の前が真っ暗になったことは今でもよく覚えている。


 結局その証言が決定打となり夫婦は離婚。ヘルメス王国はその責任をハルバス聖王国へ追及。聖王国はやむを得ず、エジャノック家を王都から追放することでその件は決着となった。


 後にアーリヒが独自に調べたところによると、使用人は妻に買収されていたことが判明。多額の金を受け取ることで証言を強要されていたそうなのだ。


 しかしそのことが分かったところですでに決定したことが覆ることはない。


 しかも元妻に理由を何度問い合わせても、答えをもらえるどころか会ってもらうことすらその後一度も出来なかったのだ。


 結局、アーリヒはその件が原因でエジャノック家での居場所を完全に失うことになる。地位も信用も、何もかも失ったエジャノックは当然伯爵家の後継者の権利を剥奪。それまで積み重ねて来た貴族の地位を何もかも失ったのだった。


 だがそれでもアーリヒは諦めなかった。


 誰からも嫌われ、そして信用も失ったにも関わらず、数年をかけてアーリヒは少なくない貴族とのコネクションを作ることに成功したのだ。


 しかしそれでも父親であるエジャノック伯爵はアーリヒを見ようともせず、頑なに伯爵位を譲ることを拒んだ。その理由を何度聞こうとも伯爵は答えようとせず、その状況は元妻の状況とも酷似しているようにアーリヒは感じていた。


 しかしこのままでは埒が明かない。父にどのような思惑があるのかは知らないが、今と同じことをしていても父が考えをかえるとは思えない。


 だからこそアーリヒは決意したのだ。


「これを使えば親父もきっと俺を見直すはずだ」


 懐の中から取り出した小瓶を見て、アーリヒは湿地帯のさらに奥を目指していく。それこそが、最後の引き金を引くことになることなどと知ることもなく。

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