第8話 見て見ぬふりは出来なかった

第8話~見て見ぬふりは出来なかった~


 学院生活が始まってから最初の一週間は、授業というよりはオリエンテーションに近かった。学院の主要施設の案内や今後のカリキュラムの詳細など、そういったものを生徒に伝達する期間となっていたのだが、一週間の最後の今日だけは少しだけその状況が変わる。


「いよいよ魔術の講義がはじまるのか。なんだかわくわくするな」


 隣の席に着席しているリカルドが、どこかテンションの上がった様子でレインにそう語り掛ける。言われたレインもいつになくテンションが上がっていたのだがそれも仕方がないだろう。なにせ今日からは、いよいよこの学校での肝ともいえる魔術の講義が始まるのだ。いつも悲愴感に包まれている教室も今日ばかりはどこか浮かれているようにも感じられた。


 その悲愴感の原因でもある進級できないというリカルドの発言は、シルフィに聞いてみようと思っているのだが、いかにかつての仲間とはいえシルフィはこの学院の教授という立場だ。そう簡単に一学生が会える立場ではない。ゆえにレインはチャンスをうかがっているのだが、一週間が経過した今日までそのチャンスは未だに来ていないような状況だった。


 レインがそんなことを考えて居た時だった、ふいにそれまで騒がしかった教室が静寂に包まれる。


「ふむ、F組とはいえ教壇に教師が立てば口をつぐむのは大変よろしい。それでは講義を始めるとしよう」


 教室の最前の教壇に静かに現れた、初老の教師がそう告げ、黒板に綺麗な字で自身の名を記し始めた。


「リチャード・ファウスト。君たち一年生に魔術基礎論を教える者だ。長い付き合いになることを祈っているよ」


 そういうと整えられた白髪を少しだけ撫でつけ、ファウスト教諭はまた綺麗な字で黒板に文字を記していく。


「まずは魔術というものについて君たちに知ってもらう必要がある。そこの、魔術というものがなんなのか、具体的に説明してみなさい」


 ファウスト教諭がそう言って指名したのは、教室の最前列に座る少年であった。


 ドナルド・ジップ。最底辺のF組にして最優秀。それが本人にとってどのような評価となっているのかは知らないが、少なくともいい評価だとは思っていないのだろう。それを体現するかのようにドナルドは挑むような口調でもってファウスト教諭の質問に答える。


「魔術とは自身の内にある魔力に意味を持たせ、外へと発現するものです。発現の詳細は多岐に渡りますが、根幹を成す属性は7つ。火、水、風、雷、土、闇、光です。そしてどの属性にも属さない無属性があります」


 どうだと言わんばかりのドナルドであたったが、ファウスト教諭の表情はさして動くことはない。


「簡潔にまとめたつもりだろうが、肝心なところが抜けている。三十点だ」


 なんの感情もこもらないその評価に対し、当のドナルドは顔を真っ赤にして俯いていた。あれほど自信満々で答えての結果なので仕方がないとも思うが、少しだけ気の毒に思いながらもレインは黒板へと視線を戻す。


「並の魔術師というのは属性に気を取られ、その前の段階を疎かにしてしまう。その前段階こそが魔術の神髄であり基礎ということに気付かず、結果のみを追い求めるから大成をすることはない」


 静かで、しかし威厳のある声が教室に響いた。


 ファウスト教諭の記す板書によれば魔術とは言ってしまえば、人体を箱とした演算機のようなものだそうだ。


 構成されるのは魔術の大本たる魔力炉と呼ばれる魔力の炉心。人体の中心である心臓のある部分に位置し、魔術を行使する者の魔力を生成する役割を行っている場所だ。魔力炉の大きさや質によりその者の魔力量は決定され、自ずと使用できる魔術の規模や量に影響を持ってくる。歴代の高位の魔術師がこの魔力炉が大きかったと言われるのはここに起因することなのである。


 だがそれよりも魔術を行使する上で大事なものがある。それが魔術回路と呼ばれる人体に張り巡らされた、魔力を通す回路網だ。魔力炉が魔力の源泉なら魔術回路はまさに川。体の隅々に魔力をいきわたらせ、速やかな魔術の行使を行うために必要不可欠な回路なのである。


「魔術回路は人により本数は様々であり、数本しかいないものからその数が数百に上るものまでいる。もちろん数が多い方が優秀であるのは言わずとも知れた事実だな」


 魔術回路は演算機でいえば処理回路。魔力炉によるエネルギーを受け、魔術を処理する場所なのだ。ゆえに本数が多ければ並列演算が可能となり、その処理速度はあがっていく。多量の水をホース一本で流すよりも、同じ太さなら多数のホースで流した方が圧倒的に効率がいいのと同じ原理というわけだ。


 そしてそれこそが魔術師として差が表れるもう一つの理由。魔術の回路の所持量の差は、明確に魔術師の実力に直結するのだ。物事を直列で演算する者と並列で演算する者がいたとするならば、圧倒的に並列で演算する者の方が効率がいい、いってしまえばそういうことなのだ。


「回路を流れた魔力は発現する前に、意味を持たせることにより魔術へと昇華する。火の意味を持たせれば炎となり、水の意味を持たせれば液体となり流れ落ちる。それが魔術の基本であり、神髄。それを理解することなくして魔術は語れないのだ。わかったかな?」


 手のひらにこぶし大の炎を発現させ、ファウスト教諭はドナルドにやはり静かにそう問い掛けた。しかし返答に大した興味がなかったのか、答えを待つことなく次の説明へと移っていく。


 最初こそクラスの視線はドナルドを気遣うようなものであったが、次第にその興味はファウスト教諭の板書へと移っていき、誰もがノートへとそれを一言一句のがさないようにと書きなぐっていった。


 その光景は終業のベルが鳴り終わるまで続いたが、そんな中ただ一人だけとくにノートをとることなくその授業を終えることになったのであった。


 ◇


 最初の一週間を終えたレインたちを含む新入生たちは、どこか軽い足取りで寮への道を歩いていく。緊張をし過ごした一週間が終わったのだから、束の間の週末を楽しむために新しくできた友人達と話に花を咲かせているようだったが、リカルド以外に友人のできなかったレインにとってはそれが少し羨ましく映っていた。


「なぁ、レイン。なんでさっきの授業でノートをとらなかったんだ?」


 そんな生徒たちを眺めるレインに、隣を歩くリカルドがそう聞いてきた。そう、レインは先の授業でノートを一文字もとらなかったのだ。それは別に、ファウスト教諭に対して反抗をしていたとかそういうわけではない。ただ単純に知っていたから取らなかったのだ。


「さっきの話は全部知ってるからな。だからとる必要がないと判断しただけだ」


 ある意味レインはさっきの話を誰よりも理解しているといってもいいかもしれない。そう言えるだけの理由がレインにはあるのだが、レインがそれを話すかどうかを思案し始めた時、寮への道からすこし外れたところでくぐもった悲鳴のようなものが聞こえてくる。


「聞こえたか?」


「あぁ、ありゃ誰かが殴られたかなんかしたときの声だ」


 レインの主語のない問いにリカルドが正確に返す。見た目からして荒事に慣れていると思ったが、どうやら間違いではなかったらしい。無言でアイコンタクトをかわしたレインとリカルドは、声のした方へと足早に走る。


「別に難しいことを言ってるわけじゃないだろ?ちょぉっと一緒に出掛けないかって言ってるだけじゃねぇか。なぁお前ら」


「ひっ……!?わた、私……」


「まさかとは思うが、伯爵家の跡継ぎであるこのドリント・マッケロイのお願いが聞けないってわけじゃぁ、ないよな?」


「そ、それは……」


 一人の女生徒に対し、三人で囲むその様子はまさにチンピラそのもの。あまりの呆れた行為を目にしたレインは、すぐさま助けに入ろうと思ったが、リカルドが非常に渋い表情でそれを静止した。


「まさかとは思うが、止めるわけじゃないよな」


「そのまさかだ。相手は伯爵家のボンボン。いくらなんでも分が悪すぎる」


「この学院は実力が優先されるんだろう?なら家は関係ないはずだ」


「聞け、レイン。伯爵家ともなれば魔術の腕はお前の想像を超える。幼少からの英才教育を施されたあいつらは、すでに入学の段階でそこらへんの魔術師よりもはるかに高いレベルにいるんだよ」


 そう言うリカルドの表情は、その不条理にこれまで何度も屈したからこその表情だったのだろう。何とかしたいが何もできない。そんな歯がゆさを何度も堪え、今もまたその感情を押し殺そうとしている。


「ならそこで見ててくれ。心配するなリカルドに迷惑はかけないさ」


 しかしレインにとってはそれは関係なかった。リカルドが制止しようと慌てるが、それよりも先にレインは今まさに少女に手を出そうとしていたドリントの前に躍り出る。


「それで?」


 レインが放った言葉はそれだけだった。だがその言葉だけで少女を囲んでいた三人は後退を余儀なくされる。それもそのはずで、レインは間に割って入ってすぐに思考を戦闘用のそれに切り替えていたのだ。


 かつて第二次魔導大戦という、しかもその最前線で戦っていたレインだ。思考を切り替えただけで溢れる威圧感に、ドリントたちのそれまでの威勢は跡形もなく霧散してしまったのだ。


「お、お前はい、いったい……!?」


「お前のような奴に名乗る名前の持ち合わせはない」


「お、俺が誰だか、わかって……!?」


「親の威光を振りかざしたしょうもない馬鹿野郎だろう?今のうちに消えるなら許してやるからすぐに消えろ」


 それはレインにとってははっきり言って、相当緩い恩赦だったと言えるだろう。傭兵というのはその規律を重んじる故、それを破った者への制裁は苛烈を極める。


 レインの所属していたレックス傭兵団の中には、鉄の掟というものがあり、その中の一つに女性への暴行を禁ずるというものがあった。もちろんそれは戦場では適用されない平時に女性への性的な暴行を加えるなというもので、男の多い傭兵にとっては自分たちの行動を戒める大事な掟だった。


 一度だけそれを破った新人がいたのだが、それを知ったアーノルドに弁解の間もなく一刀のもとに処断されていたのは記憶に新しい。ゆえにそこで生きて来たレインにとっても、その行いは酷く許されざる行為であり、それを行おうとしていた者に対する制裁としては非常に緩いものであったのだ。


 しかし相手にとってはそんな事情は知るところではない。今まさに手籠めにしようとしていた女性の前で、貴族ともあろう自分が恥をかかされたのだ。はい、そうですかという事態には当然ながらなるはずがない。


「貴様っ!後悔させてやるぞっ!!」


「くどい。消えるか相応の罰を受けるか、お前にあるのはその二択だ」


「き、貴様っ!!!」


 ドリントはついに堪忍袋の緒が切れたのか、その手に魔力を収束させ始めた。少なくない量の魔力が手に集まり、ドリントがそれに意味を持たせることにより現象が発現する。


「今更後悔しても遅いぞ!!俺に盾ついたことを後悔するがいい!!」


 与えられた意味は“火”。オーソドックスな魔術ではあるが、それゆえに多彩な技や威力を出しやすい火の属性の魔術を行使したドリントの手には、軽くレインの頭を超える大きさの火球が出現していた。


 その熱量にレインの背後にいた少女が息を呑むが、レインはそれを一瞥しただけで、最後の警告を発する。


「覚悟はできているんだろうな?」


「覚悟をするのはお前だっ!!俺の火球に焼かれて死ね!!!」


 放たれた火球はレイン目掛けて飛び、その威力は人ひとりを死に至らしめるには十分。頭に血が上っているドリントが魔術を解除するとは思えない。リカルドと少女がこの後起こるであろう事態に目を逸らし、ドリントとその取り巻きが怒りをあらわにしている時にそれは起こった。


「命がいらないんだな」


 聞こえた言葉はそれだけだった。突如として掻き消えた火球にドリントをはじめ、リカルド達も困惑する。確かに放たれたはずの火球が、レインにあたる直前に消えてしまったのだ。


「な、何が……」


 困惑するドリントだったが、眼前に迫っていたレインに思考が引き戻されるがすでに遅い。


「死ね」


 無慈悲なその言葉と共に、ドリントは確かに感じていた。自らの身に迫る明確な死というものを。だがそれはさらに現れた第三者によって防がれ、ドリントはまさに窮地に一生を得ることになる。


「入学早々殺しはまずいと思うよー。私は」


 耳を覆いたくなるような音がした後に、軽やかな女性の声がその場に響いた。


「はい、双方それまでってね!」


 そこにいたのはルミエール魔術学院、西の教授であり、かつてのレインの仲間でもある、シルフィ・ファスタリルその人がレインの拳を魔術による障壁で受け止めていた姿であった。

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