第2話 懐かしき者からの手紙

第2話~懐かしき者からの手紙~


 レインの朝は早い。


 日の出と共に起床し、体を軽くほぐすと日課であるロードワークへと出かける。その距離五十キロ。


 レインが住む場所は人里からははるか遠くへ離れており、誰も近づくことのないようなさびれた森の中にあった。ゆえに物資の調達には一番近くの街、リーツにまで行かねばならず、その町までの距離がちょうど五十キロというわけなのだ。


 とはいえ一般の人から見れば頭が湧いているのではと疑われそうなその距離だが、レインにしてみれば大した距離ではない。鼻歌を歌いながらおよそ一時間という速さでリーツの街に到着すると、レインはそのまま街で朝食を済ませる。


「おうレイン!今日は魚定食が安いぞ!」


「レインちゃん!いい果物が手に入ったのよ!ぜひうちで食べて行ってちょうだい!」


 今朝はどこで朝食をとろうかと思案するレインに、これから一日を頑張ろうと店を開け始めた商店の人々から声がかかる。


 この街を拠点として活動し始めてからそろそろ三年が経つが、レインはその三年でこの街の人々から多大な信頼を得ていたのだ。


「レインじゃないか!どうやら昨日も大活躍だったらしいな。街の北の廃墟に出没したロックタートルを倒してくれたそうじゃないか。街の騎士団やハンターも手を焼いていたんだが、流石はレインと言ったところか」


「別にたまたま運が良かっただけだよ」


「謙遜するな。今じゃお前はこの街では知らぬ者はいない強者なのだからな。それにまだ若いんだから将来有望でもある。そのまま鍛錬を続ければ、いずれはあの五芒星の人たちのようになれるかもしれないぞ!」


 そう言ってレインの背中をたたくのは、レインと同じくこの街を拠点としている、ハンターのリライトだ。


 レインが金を稼ぐためにハンターとして登録したのだが、時同じくしてリライトもギルドに登録した。そのことを知ったリライトはレインのことを同期だと喜び、それ以降友人としてこうしてよく話しかけ来るのだ。


「今日も何か依頼をこなすのか?」


「ああ、もうそろそろここに来て三年だ。新しい家も欲しいところだし、何か手ごろな依頼を見つけてくるよ」


「いい心がけだ!それでは私は先に依頼へ行ってくることにしよう!」


 そう言って街を出て行くリライトの背中を見送り、俺は先ほど魚定職を進めてくれた大将の店で朝食をとると、ハンターギルドへと向かったのだった。


 ハンターギルドはそれほど大きな組織ではないが、それでも世界中で庶民から非常に重宝されている組織だ。


 雑用に始まり魔物の駆除依頼や盗賊の討伐をギルドに依頼する。登録されたハンターは自分に合った依頼を受注し、それをこなし報酬を得る。


 ギルドが依頼の仲介を行うため、依頼者は安心して頼みごとを出来るとあって、庶民から絶大な人気を集めている組織なのだ。


 加えてハンターギルドは、登録の際に一定の試験を合格すれば誰でも登録が認められている。それはレインにとっては非常に都合がよく、身元を示すものどころかそもそも家もない身としてはハンターとして生計を立てる以外の道はなかったのだ。


「あ、レインさん!ちょうどいいところにいらっしゃいました!!」


 ハンターとしてリーツの街の依頼を片付けて三年もすれば、当然顔見知りも増える。誠実に雑用でもなんでも依頼をこなすレインの姿に、リーツの街の人々はすっかりレインを信頼するにまでなっていたのだ。


 そんな人たちの筆頭ともいえるのが、レインがハンターギルドに足を踏みいれた途端に、受付から身を乗り出すようにして声をかけて来たアイシャだった。


 どういうわけか登録したての頃から、将来有望な新人です!と太鼓判を押され、いろんな依頼を流してくれたのがアイシャなのだが、未だにどうして俺にそこまでよくしてくれているのかはわからない。


 たまにリライトにその話をすると、お前ってやつはと呆れられるのだが、わからないものはわからないのだから仕方がないのだ。


「おはようアイシャ。俺に何か用?」


「そうなんです!つい今しがた、レインさんにお手紙が届いたんです!!この街に来てからレインさんに手紙なんて初めてのことですし、これはもう一刻も早く渡さなければと思った次第なんです!!」


 そう言って興奮した口調で捲し立てるアイシャから手紙を受け取った。そこまで興奮することでもないと思うが、確かに俺に手紙を出してくる人などあまりいないはずだ。


 というか俺のことを知る者など、レックス傭兵団の四人を除けばこの街の人以外はいないに等しい。一体誰からだろうと、便箋の裏を見れば、そこには懐かしい名前が書かれていた。


「シルフィ……」


 便箋の裏に書かれた懐かしい名前と丸っこい文字。小柄な栗色の髪の魔術師のいたずらっぽい笑顔が不意に思い出され、胸が少し苦しくなった気がした。


「あの、レインさん。その手紙の差出人って……」


「悪いアイシャ!今日は依頼はパスだ!これ、ありがとな!!」


 何かを聞きたそうにしているアイシャの言葉を遮り、レインは瞬く間に踵を返すとギルドから出て家を目指した。


 何も家に帰る必要はない。リーツの街の適当な場所、いや、なんならギルドで読めばよかったはずの手紙だったが、レインがどうしても一人でその手紙をゆっくりと読みたかったのだ。レインが今、世界中で唯一家族と呼べる人からの三年ぶりの手紙を。


 急く気持ちをなんとか抑え、それでも今のレインが出せる最高速で五十キロの道のりを家へと駆けていく。その日、レインが家に到着するまでの時間は三十分を切っていたらしいが、その事実を知る者は誰もいない。


 ◇


 レインが去ったギルドでは、今しがた出て行ってしまったレインの後姿を見つめるアイシャの姿があった。


 アイシャはまだ十八と若いが、それでもこのリーツの街のハンターギルドの看板受付嬢の地位に座っている者だ。幼い容姿をしており、初見のハンターからは緑かかった滑らかなストレートヘアと可愛らしさから舐められがちだが、これでもハンターを見る目は確かだった。


 リーツの街は、ハルバス神聖王国のという大国の中でも端に位置する辺境の都市だ。それでも辺境にしては大きな規模の都市ということもあり、それなりの実力のハンターが集まってくる。そうなればそれに応対するギルドの受付に求められる能力も相応のものになるのだが、その中でエースの席に座るアイシャの実力は言うまでもないだろう。


 そんなアイシャの受付を務めるリーツの街のハンターギルドに、レインがやってきたのは三年前のことだった。


『ハンターとして登録したい』


 そういう少年は、聞けば年齢はまだ十二だという。自分もまた十五という年齢でギルドの受付に座ることを考えれば、特段それが珍しいということはない。


 この世界ではもともと年齢が十にもなれば何かしらの仕事をすることがほとんどで、しかも先の第二次魔導大戦がはじまってからは、さらにその年齢が下がっていたのだ。


 だからレインのようなハンターを希望するまだ年端もいかない者は少なくない。だが、少なくないハンターを見て来たアイシャの目にはレインがまるで異質に映ったのだ。


 提示された年齢に似合わない落ち着いた物腰、戦闘行為については素人に近いアイシャにもわかるほどの洗練された身のこなし、そして何もしていないはずなのに迸る威圧感がアイシャにこの少年はただものではないということを感じさせたのだ。


 その直感に従い、アイシャはレインに様々な依頼を斡旋する。


 駆け出しのハンターにはあてがわれることない危険な討伐依頼から、リーツの街を拠点にするのであればコネを作っておいた方がいいと思われる人たちからの依頼。時にはあまりに贔屓にするとアイシャのみならずレインにいわれのない誹謗中傷が集まらないように、レインの実力にはまるで見合わない採取依頼なども回していた。


 その甲斐あってか、レインは一年もたつころにはリーツの街で知らない人はいないほどのハンターとなった。受注した依頼の達成率は百パーセント。年端のいかない年齢の割に礼儀正しく、時に愛想がないこともあるが仕事はきっちりとこなす。


 そんなレインの人気が出ないわけがない。リーツの街のハンターギルドにとって、レインは欠かせない存在になっていたのだ。


 一方でレインに対して不満がないものがいないわけでもなかった。圧倒的な依頼の達成率を不審に思ったものが、レインが何か不正を働いているのではないかという疑いをかけたのだ。


 優秀な者に対する嫉妬。そう言った者は必ず一定数現れるという世の中の摂理。もちろんレインがそんなことをしているはずもないのだが、間の悪いことにレインがいつも依頼をソロでこなしていることがその嫌疑に拍車をかけた。


 基本的にハンターというのは魔物と相対するなど危険な依頼を受けることも多く、ソロではなくパーティーでの行動が推奨されている。何かあった際、一人よりも生き残る確率が上がり、かつ万が一があったときにも誰かが生き残り情報を持ち帰ることが出来る。ゆえにある程度成熟したハンターは必ずと言っていいほどパーティーを組んでいた。


 だがレインはその実力から多数のパーティーに声をかけられていたのだが、その全てを頑なに断っていた。


 曰く『俺はすでにパーティーに所属しているから』


 そう言ってどのパーティーにも属することなく、かといってそのパーティーが一体どこの誰なのかを話すこともない。そんなレインの態度が、その時は裏目に出る形となってしまったのだ。


 アイシャは恐れていた。


 このままではレインという非常に優秀なハンターがリーツの街からいなくなってしまう可能性が高いということに。


 状況的にレインが不正をしている証拠はなく、街の官憲に捕縛をされることはないが、不信感が高まればレインがこの街を拠点にするには不自由がでる。そうなれば拠点を移す可能性は高い。


 そうなればハンターギルドは優秀なハンターを失うことになり、相当の痛手を負うことになる。それゆえにアイシャは奔走した。なんとかレインの嫌疑を晴らすこことはできないかと、仕事の合間や仕事の後など、昼夜奔走し続けたのだ。そこにギルドの事情とは別の、レインに対する個人的な感情が含まれていたことはその時のアイシャは気づいていなかったが、とにかくアイシャは奔走した。


 しかし何も打つ手がないまま時だけが経ち、レインへの疑念が最高潮に達しようとしていた時だった。


『ハンターレインに対してあらぬ疑いを吹聴したハンター三名を領主の名において死罪に処す』


 まさに青天の霹靂とでもいうかのように、突如として出されたリーツの街を収める領主から出された御触れとハンター三名の晒し首。その光景に誰もが戦慄し、レインへの言われない疑いを二度と口にすることはなかったのだ。


 なぜ領主がレインという一個人のために動き、しかも犯人までも特定できたのかは今になってもわからない。しかしレインのことをもともと疑うことすらしていなかった街の人々は、それ以降もレインとそれまで以上の交流をとっていた。


 そんな光景にアイシャは安堵し、アイシャもまたそれまで以上にレインへの気持ちを募らせていったのだが、今日、レインに当てられた一通の手紙で状況が変わった。


「シルフィ……」


 便箋の裏に書かれた差出人の名前を見たレインは、それまでに見たことのない笑顔をしたのだ。


 思わず言及しようとしたアイシャのことなどまるで眼中にないかのようにギルドを出て行ったレインに、アイシャは言い知れぬ感情に襲われていた。


 あの表情はまるで、大切な人へ向けられる表情。まさか差出人は。


 レインへの想いゆえ、あらぬ方向に思考を飛ばすアイシャには、その差出人の名前が三年前の大戦以降、世界に大きく知られることとなった五人の魔術師、五芒星の一人と名前が同一だということにその時は気付くことはなかったのだった。

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