まだ連載中なので感想を書いて良いのか迷いますが、山手線が中心部をぐるぐる回るように、語り手も何らかの核心の周縁を回り続けるように見えました。なぜその中心、核心に迫らないのか、というのは言うだけならば容易いですが、そこには理由があるのだと感じました。なんらかの真実というのはストレートに直視できないし、率直な言葉で語るには持て余してしまうものなのかもしれません。目を逸らし、話も脱線し、言葉もふわふわ踊り、思考は飛び飛びになる。その過程がすべて当人にとっての本当であるが故に、他者はその混沌を理解も出来ず信じようとしない。意味がわからないという印象は極めて正しい。語り手も他者のために話に整合性を持たせる作り話はしない。その真摯さ、深刻さ、余裕のなさが置かれた状況の世界との距離感を物語るようでした。極度に抽象的であるのにどこか生々しいこの小説が執着するものは一体何なのだろう。生と死、存在と本質、言葉と世界、その奇妙な結びつきとその結びつきの不可能性を体現するかのような語り手。まさに死にながら生き続け、自らが纏う皮を一枚一枚剥ぎ取りながら消滅へと向かう殉教者のように、ひたすら祈り続けるのでしょうか。