第一話 ハロー・ブライド!? 情熱の淑女アクアレーナ(1)

 俺には女にウエディングドレスを着て迫って来られるような、そんな事をされる覚えは無いっ!


 つい少し前、恋人だった女にプロポーズをして断られたばかりなのだからっ!


 それなのにっ、見ず知らずの女にっ!?


「私のっ!」


 とても良く通る声で、迷いの無い感じで、目の前の彼女が言葉を発する。


 間違い無い、真っ直ぐに俺の顔を見て言ってるぞ。


 なんでそんな如何にも動き辛そうな格好で、一心不乱に走れるんだ! 必死なのかよっ!?


「ちょっ!?」


 なんかこの女……ニホンで俺に突っ込んで来たあの暴走トラックよりも、怖いっ!


 ひやりとさえしてきたんだ。こんなのは、今までに――


「花婿様ぁ!」


 ――頭の中に浮かび掛けた過去の映像が、一瞬で消し飛んだ。


 それは花嫁衣装のこの女が、両手を広げて、俺に飛び掛かってきたからで。


「くっ!?」


 反射的に右手がぴくりとしたけど、きっとすぐに女に向けて突き出せたんだろうけど。


 俺は寸での所でそれを踏み留まってしまった。


 彼女の表情が、心底俺を信じ切っているみたいだったから……。


 彼女はその顔を俺の胸に埋めるように激突してきた。


 その勢いで俺は彼女ごと倒れ込む。


 リアルな人の重量感――ほんの少しだけ重いけど、でも決して嫌には感じなかった。


 それはきっとウエディングドレス越しに伝わる彼女の柔らかい体の感触が、本能的に、無条件で、男の俺には心地良かったからだろう。


 この重さと感触は、俺の傷付いていた心にはゾッとする程効き過ぎていた。


「ちょ……やば、い……」


 鼓動が高鳴ってきた。


 心と身体の両方が彼女に反応してしまってる。だからここまで心臓の音が激しい!


 なんでこんな事が起きてるんだよ!?


 こんな事が、こんなにも直ぐに起こって良い筈無いっての……!


 そんな俺の思考までもを、薄いヴェールが被さる彼女の髪の甘い匂いが蕩かしてくる。


 紫を微かに混ぜたみたいな暗さの、でも凄く品の有る青いストレート・ロングヘア。


 その髪の流れを、俺の眼は無意識に追っていた。


 背徳的な無意識と言って良いかもしれない……。


 ……理性が『お前はこの状況に流されてはいけない』って、そう言ってる……。


 そうだ、思考を止めるなよ俺。まだ心には、踏ん張る力が残ってる筈さ!


 落ち着けよ、レン。お前は今、誰とも知れない女に轢かれてしまっているんだぞ。


 それも、こんな何処とも知れない異世界で。


 なんでこんな状況になってしまってるのか、それを探らなきゃいけないだろっ!


「この世界、ゼルトユニアにようこそ。貴方の事を、お待ちしていました……」


 彼女は、先手を打つ形で俺に世界の名を教えてきてくれた。


 俺の考えてる事が分かったなんて、そんな事は思わない。


 けど彼女の声がさっきまでとは違って、緊張に震えたものになっていたのは、気になった。


 両手を地面に突いて上体を浮かせた彼女と、下から上から目が合って。


 彼女は顔を赤らめているようで、それでいてぎこちなくも精一杯の微笑みの表情をしてて。


 その真っ直ぐな不器用さの所為で、俺には彼女の綺麗さが一層際立って見えている。


 長い睫毛まつげの下の、薄い緑色の瞳が潤んでる。


 思わず息を飲む。これだけ近い距離だ、間違い無くその音も聞かれただろう。


 ええと……。


「俺が、違う世界から来たのを、分かってるって事だよね?」


 俺も探る目線で、自分の問い掛けを彼女に向けていく。


 彼女は直ぐには言葉が出ないといった感じで、ただこくりと頷き返してきた。


 俺に向かって走って来ていた時とはまるで違うしおらしい態度。


 もしかしたらそれは、一心不乱だった事の反動なのかもしれない。


 彼女がそっと口を開く。


「ア……」


「ア……?」


「……アクアレーナ・ユナ・フレイラと申します」


 俺との出逢いが感慨深い――みたいな表情で、彼女は自分の名を名乗ってくれた。


 彼女のその視線を、俺は逆に受け切れなくなってつい目を逸らしてしまう。


 その時彼女の左手の甲に、変な模様のような痣があるのが見えた。


 この形……。


 なんで、俺のと同じ形してるんだよ……。


 直感的に、彼女に対して逃げるような事をするのは許されない――って理解が走った。


 そっと、彼女の顔へと視線を戻す。


 運命の赤い糸とか、そういうのはやめてくれよ。


 だってそんなの、今のこのタイミングで来て良いようなものじゃあ無い。


 少なくとも、俺にとっては。


 そう思ったけど。けど……。


「……カガミ・レンです」


 それでも、名前はちゃんと名乗ってみせた。


 そりゃあ彼女が名乗ってくれたんだから、礼儀としてそうするさ。


 そんなのは人としての基本じゃないか。


 例え住んでた世界が違ったとしてもさ。


 ――2へ続く――

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