Chimaira

 キョートシティとビワコ県の境に位置する日本有数のスラム街マウンテンチャイナに住む貧困層のケンタはあるヤクザのことを考えていた。ケンタがよく利用していた日雇いのドウモトであるトミサブロウさんのことである。物心ついたころから毎日ヤクザの斡旋で搾取されてきたケンタは親の顔すら知らない。クローン技術が発達した昨今ではそもそも親なんて最初からいなかったなんてことも珍しくない。明日を迎えられることすら幸運であるこのマウンテンチャイナの貧困層では自然と人間関係は希薄になる。そんなケンタの人生で唯一名前を憶えている人がトミサブロウさんだ。決して長い付き合いがあったわけではない。それでもケンタの人生をその日暮らしの低級労働者から、不労所得に頼って浮浪するヒッピーまで押し上げてくれた恩をケンタは忘れられないのだ。トミサブロウさんからすればケンタとの一件は無数にこなしてきたシノギのうちの一つに過ぎないのかもしれないが、ケンタはどうしてもトミサブロウさんと顔を合わせて一言お礼を言いたかった。

 トミサブロウさんとの再会は決して簡単ではない。マウンテンチャイナを牛耳る一大ヤクザ組織の高級幹部であるトミサブロウさんのセキュリティは極めて厳重である。実はケンタの不労所得は、トミサブロウさんとの一件を一切口外しないとの契約の下で、書面上はヤクザ年金として受け取っている、ある種の口止め料なのだ。口外すれば年金が打ち切られるだけでなく、トミサブロウさんの地位すら危うくなる。そうなれば本末転倒、恩を仇で返すことになってしまう。したがって、ケンタはあくまでも一介の低級貧困層の一人として何とかトミサブロウさんに会う手段を見つけ出さなくてはならなかった。それはナマズを瓢箪で捕まえるに等しい難問である。

 この恐ろしく難しい禅問答に対して、ケンタが出せるまともな案はなかった。何しろ生まれてこのかた肉体労働しかしてこなかった男である。運を味方につけて何とか強行突破するくらいしか思いつく案はない。今日も今日とてスラム街を徘徊しながら思案を巡らせ続けたものの何も思いつかなかったケンタは今日も今日とてトミサブロウさんとの一件を思い出しながら床に就く。この暖かい布団もトミサブロウさんのおかげで買えた布団である。モコモコのフワフワである。


 ケンタがトミサブロウさんと初めて出会ったのはほんの一か月ほど前のことである。ケンタはヤクザの斡旋でその日暮らしを細々と続けていたいわゆるヒヤトイ労働者だった。来る日も来る日も早朝から深夜まで労働者ロボットが嫌がってやらないようなみっともない作業ばかりやらされていた。安価で休みなく働く労働者ロボットの登場によりヒヤトイ労働者はお払い箱かと思われたが、ロボットの権利は手厚く守られているのである。

 一日の仕事が終わるとその場で下っ端ドウモトヤクザからその日の賃金が手渡される。毎日よく頑張っていればドウモトに顔を覚えられて、発展途上国の子供位の給料がもらえる。給料をもらったら、なぜか現場のすぐ近くで発展途上国の子供を買い集めている人がいるのでそこで現金に換えてくる。手数料やらなにやら諸々が差し引かれてヒヤトイの手元に残るのはその日の晩飯と酒代くらい。節約すれば翌日の朝も慎ましいものが食べられるかもしれないが、中途半端に食べたら返ってひもじさが増すだけなので誰も宵越しの金なんて残さない。現場では賄いの弁当が出るので、無一文のヒヤトイたちは空腹を満たすために搾取労働に赴く。そして週末にはヤクザの経営する脱法五感販売所に五感を売りに行き、小銭を稼いで日曜は安息日にする。五感は明後日からの労働に支障をきたさない程度のギリギリを採収する。するとちょうど一週間ほどで元の感覚まで回復するので、また週末に献五感ができる。鈍った五感では労働の辛さも飯の不味さも和らぎ、相対的に幸福度が上昇する。一方でヤクザは安くヒヤトイたちから五感を買いたたける。ヒヤトイたちには五感の買取り相場なんてものは分かるはずもないのだ。まさに二者両得のうまいシステムである。

 ケンタもそんなヤクザと持ちつ持たれつの関係にあるヒヤトイの一員であった。マウンテンチャイナの片隅のゴミ箱で目が覚めた10歳ごろの記憶がケンタにとって最初の記憶である。それから毎日、誰に教わったわけでもなく体が自然とヤクザのヒヤトイ斡旋事務所に向かっていった。自分が何者なのか、なぜこんな生活をしているのか、家族は、そんなことを考えることすらなかった。無気力にただひたすら昨日と同じ今日を過ごし、今日と同じ明日がくることを祈って生きていた。今日も生きられるという幸せをありがたく噛み締めるのがマウンテンチャイナに生きるニヒルな労働者の美徳なのだ。

 ある週末、いつものように献五感をしに狭小ビルの地下に向かうと、いつもなら開け放しになっている献五感事務所の扉が閉まっていた。鍵もかけられているようである。献五感ができなければ、来週まで現実のつらさをはっきりくっきり感じられる感性で生きていかなければならない。しかもいつもなら休みの日曜にも働かなければならなくなる。かといって、ほかのヤクザのシマにまで出向いて献五感するのはご法度、ドウモトにバレてしまえばムラハチを食らって路頭に迷ってしまう。どうしたものかと考えあぐねていると、事務所の入り口に見慣れない張り紙がしてあるのに気が付いた。ケンタは義務教育などという高等教育は当然うけていない。したがって文字も読めない。辛うじて自分の名前を読み書きできる程度である(これができなければその日の労働の参加や、給料の授受に支障をきたす)。普段なら気にも留めないで立ち去ってしまうところだが、今は事情が事情である。きっとこの張り紙に事務所が閉まっている事情が書いてあるに違いない。なんなればここが閉まっている間の臨時の仮設献五感所の案内もあるに違いないとケンタは確信した。しかし、いかんせんケンタには文字が読めない。いつも献五感の待合室で顔を合わせる面子にも文字が読めそうなやつは当然いない。そもそも今の時間帯で鉢合わせていない時点で彼らに会える見込みは薄い。きっと彼らはどこかで今日の閉室の情報を仕入れていたのだ。

 人生で初めて早急に何か手を打たなければという焦りがこみあげてきた。腹の底から不快な感覚がどんどんとせりあがってくるような感じがする。義務や責任とは無縁のヒヤトイ人生でこれほどまでに焦りを覚えたことはない。何かをなさねばならない一方で自分にできることなど存在しない。献五感直前で十全に回復した五感がより克明にケンタの焦りをせっついた。読めるはずもない張り紙をじっと見つめながら無為な思案が堂々巡りする。急激なストレスで完全に頭が真っ白になりながらも、張り紙からはどうしても目が離せない。数分か、あるいは数十分ほど経ったころ、地上から誰かが階段を下りてくる音でケンタは正気に戻った。この狭小ビルの地下にはこの献五感所しかテナントがない。したがって、階段を下りてくる時点でここに用があるのは確定している。しかも足音は数名分が聞こえてくる。きっとヤクザの運営にかかわる人たちが来たのだろう。そうなるともうしめたものである。

 派手なスーツを着た大柄で貫禄のある初老のヤクザを先頭に数名のサンシタヤクザが付き従う形でヤクザたちは階段を下りてきた。先頭を歩く初老のヤクザには見覚えは無いが、スーツに着けてあるダイモンピンバッジは普段利用しているヒヤトイ斡旋事務所のドウモトヤクザと同じものである。そうなるともう完全にここの関係者だし、この張り紙の事情も知っているに違いないと確信したケンタはさっそくヤクザたちに声をかけた。

「あの、あの張り紙のことなんですけど」

「お、ボウズ、やってくれるか?ありがたいわ、まさかほんまに志願者が出てくるとは。おい、このボウズの生体データあるか?」

 存外気さくに応じてくれた初老ヤクザは従えたサンシタヤクザから受け取ったタブレットとケンタ本人を見比べつつ何やらぼそぼそとつぶやいていた。

「あの、」

「まぁ、そう慌てんなって。まだ競合相手はどこにもおらんから。自分で決まりやと思っといてくれてええわ。」

 どうも相手は勘違いをしているらしいということはすぐに分かった。しかしヤクザたちがかなり喜んでいたのと、初老ヤクザ、トミサブロウさんの貫禄に圧倒されたケンタの口からはうまく言葉が出なかった。結局、自分はただあの張り紙が何なのか聞きたかっただけだと言い出せないまま、ケンタはヤクザに連れていかれることになった。ビルの前には見たこともない長さの高級リムジンが停まっていた。

 

 リムジンの中は今まで経験したことがないくらいに快適であった。アメリカ製のキャデラックという車らしい。座り心地の好いシート、これが革張りのイスかと最初は思ったが、どうもビニールのシートらしい。革は見かけだけで夏は暑いしよく滑るわすぐひび割れるわでろくなことがないそうだ。天井もたっぷりある。長身のトミサブロウさんもゆったりとくつろいでいる。エンジン音も心地のいい音がした。ヒヤトイの現場でバカみたいに駆動しているモーターとは大違い、余裕の音だ。ちなみにトミサブロウさんの一番のお気に入りの点は値段らしい。

 リムジンの中ではトミサブロウさんの注文に応じて様々な品物が次々とサーブされてくる。まずはアツアツのおしぼり。トミサブロウさんは気持ちよさそうに顔を拭き上げる。次に何かメニュー表のようなものが届けられた。

「ボウズ、なんかいるか?遠慮せんでええからな、好きなもんたのみな。」

 ケンタのもとにもメニュー表がサーブされたが、文盲のケンタには無用の長物である。だが、ここで断るときっとトミサブロウさんの気分を損ねてしまうだろうから何かは頼まないといけない。指差しで注文するか?いや、それだと品名以外のところを指してしまうリスクがある。人生二度目の焦りである。メニューを睨みつけながら、思案を巡らせる。

「そうか、ボウズおまえこういうのよくわからんか。すまんな、せやたら俺が適当に選んだるわ。」

 メニューを見つめて困惑しているケンタを見てトミサブロウさんはまた何か一人で合点したようだ。しかし結果として危機を脱することができたケンタはふかふかのシートに身をゆだねて安堵した。トミサブロウさんが何やら呪文のような注文をいくらかして数分経つと無数のごちそうが運ばれてきた。ヒヤトイの人生では到底味わえないようなこの世の贅がそこに集められていた。

「好きなだけ食うてええからな。これは俺からのお礼の気持ちも入っとる。今まで何人もボランティア募ってきたけどみんなあの張り紙に書いてあったことの説明したら逃げ出しよった。そんな中で君や。君は張り紙を読みながらも自分から率先して立候補してくれた。こんな肝の据わった男はうちのクランにもなかなかおらんで。感動した!」

 数杯の酒を呷ったのであろうトミサブロウさんはもうすでに仕上がっている様子だった。ケンタは酔っ払いに適当に相槌を打ちつつ目の前のごちそうを堪能した。人生で初めての満腹感の中でふんわりと自分の身体を包み込んでくれるシートの中でケンタは幸福のうちに眠りについた。もうこのまま死んでもいいかと思うほどにケンタは幸福に包まれていた。この時はもう張り紙の内容なんてどうでもよかった。


 ケンタは父親のような優しさで眠りから揺り起こしてくれたトミサブロウさんの手を今でも覚えている。指が四本しかないのはオヤブンへの忠誠の証である。

「ボウズ、悪いけどちょっと急いでな、オヤブンが中で待っとるし。ほら、いくで。」

 トミサブロウさんはすっかり酔いがさめていたようだった。ケンタは存外すばやくトミサブロウさんの後をついていった。寝起きではあったものの、質の良いシーツでの質の良い睡眠はすっきりと目覚められた。ケンタたちの目の前にはヤクザの施設というよりかどこかの研究施設のような佇まいの大きな建物がそびえていた。

 中に入り、白衣を着たヤクザ数名とトミサブロウさんがすこし言葉を交わした後、また別の白衣ヤクザについていくように指示された。奥に向かっていくにつれてだんだんと異様な雰囲気が増していった。何度も何度も厳重なセキュリティーチェックを受けさせられ、うんざりし始めたころにようやく目的の部屋まで着いたようだった。トミサブロウさんも少し緊張しているようだった。ヤクザのオヤブンというのはそれほどまでに恐ろしい人なのだろう。

 部屋の中に入ると、そこでは車いすに乗ったおじいさんが二人を待っていた。このおじいさんがどうやらヤクザのオヤブンらしい。トミサブロウさんはこの部屋にいる間ずっとこのおじいさんに深々とドゲザをして敬意を表していた。オヤブンの話は長くてよくわからなかったが、どうもオヤブンの野望のために必要な人体実験の被験者にケンタは立候補していたらしい。

 実験にまつわる諸々の記憶はどういう訳かほとんど思い出せない。オヤブンから実験についての説明を受けたあたりから意識があいまいになって、気が付いたらいつものドヤで目が覚めた。実験は失敗したらしい。奇跡的に命に別状はないが、ケジメとして毎月ヤクザ年金が支払われること、この一件は口外しないこと、あとは年金の受け取り方についてのこまごまとした形式的なことが書いてあるトミサブロウさんからの手紙がポケットの中に入っていた。退役ヤクザの身分証も同封されていた。これが今日からケンタの身分証になるらしい。ヤクザ年金は思っていたよりも数段高額なものだった。アパートを契約し、家具を一式そろえ、しこたま酒を買い込んでもなお桁が減らないほどの額が毎月支払われている。

 

 例の一件以降、ケンタは奇妙な夢をよく見るようになった。この世界が全く継ぎ接ぎになっている夢である。あるところまではよく見知った汚いマウンテンチャイナだが、ある所からはとても発展した都会のヤマシナという街になり、またある所からは荒廃した山支那という街になる。夢のわりに異様に確かな質感を持っていた。あたかも過去の経験かのようにはっきりと思い出せる夢である。

 日に日に夢の質感が現実に近づいてくる。起きた後に残る夢の記憶もだんだんとはっきりしてきた。普段は夢の中では独りぼっちであったが、ある日、夢の中である人に出会った。トミサブロウさんである。より正確には多元宇宙のすべてのトミサブロウさんの可能性が融合したキメラトミサブロウさんである。

「やっと見つけたぞ、ボウズ、元気にしてたか?」

 意外にもトミサブロウさんはケンタのことを覚えていた。

「ボウズ、お前は俺のことを現実世界でずっと探してたみたいやけどな、俺はお前の実験が終わってすぐに、こっちの世界に逃げ込んだ。お前の実験結果をきっかけに†真実†に気が付いた。組の奴らには気づかれんように実験は失敗ということにしてデータを改ざんした。実験前後の記憶がないのも俺が細工したからや。ホンマは成功どころか人類の叡智を根本からひっくり返しかねんとんでもないことがお前の中では起っとる。ここにお前がいるのが何よりの証拠や。この世界はお前の夢の世界やない、この世のどこかに存在する†真実†の世界、アストラル界や。もし信じられんのならこのメモにある場所にに行ってみろ、そこに証拠がある。」

 トミサブロウさんがそう言い終わるや否や、ケンタは夢から覚めた。いつにもまして奇妙な夢だと思ったが、自分の手に握られていたメモ紙に気づいたとき、全身から血の気が引いていくのがわかった。これは確かに夢の中でトミサブロウさんから渡されたメモである。簡素で汚い地図だが、指さんとする場所はよくわかる。マウンテンチャイナ郊外にあるボルケーノテンプルのとある蔵だ。

 まだ太陽も昇っていない早朝、ケンタは地図の指す蔵の前に立っていた。当然、鍵がかかっている。しかし、幸運なことに現代的なディジタルセキュリティーではなく、前時代的なアナログ南京ロックである。南京ロックは扉の開閉をフィジカルに阻止するシステムであるため、ロックそのものを破壊してしまえばよい。寺の境内にはちょうどいい具合の石がしこたま落ちている。近所迷惑にならない程度の慎ましやかなカラテシャウトとともに繰り出したヤマシナ投石パンチは見事にロックを破壊し、ケンタは蔵に入ることができた。

 蔵の中はなぜか明るかった。ケンタがくることを誰かが予測していたのか、すでに蔵の電灯がついていたのである。古文書やら骨董品やらがあふれかえっている蔵の中を進むと、最深部にトミサブロウさんが椅子に座っているのが見えた。きっとここでトミサブロウさんがすべてを説明してくれるのだと思い、トミサブロウさんに近づくと、ケンタは思わず絶叫してしまった。トミサブロウさん目や耳が潰されていたのである。恐怖のあまり、ケンタは一目散に蔵から飛び出し、自宅まで駆けていった。きっとトミサブロウさんは実験データを改ざんしたことを組に咎められたのだ、そうであれば自分も口封じに殺されるに違いない。布団を頭から被り恐怖に震えていると、いつの間にか夢の世界、トミサブロウさんの言う真実の世界にいた。目の前にはキメラトミサブロウさん。

「ボウズ、見てきたっぽいな。怖がらんでもええ、あれは自分でやったんや。ああやって五感をつぶして形而下とのつながりを断つことでこの真実の世界を感じることができる。ボウズが夢の中でここに来れるのも同じ理由や。目をつむり、耳をふさぐことで、真実は見えてくる。さて、ここが何なのか、実験で何があったのか、これからどうしていくべきか、全部説明せなあかんな。」

 トミサブロウさんの話はずいぶんと長かったので要約すると例の実験はオヤブンの若返りを最終的な目標としたもので、ケンタの受けた実験は五感の能力向上実験だったそうだ。少しずつ五感向上剤が投与され、3時間ほど様子を見る。ケンタは驚くほど優秀な数値を叩き出した。一方で、実験終了間際に異常なまでのエネルギーがケンタの体内に観測された。薬剤の副作用によるものとして一旦処理されたが、トミサブロウさんの見解は違った。ケンタはその場に居合わせた研究員たちの感情を吸い取っていたのだ。ケンタの五感が極限まで引き上げられた結果、アストラル界とのつながりが生まれた。アストラル界に生きる人間のエネルギー源は下位世界の人間たちの感情なのである。人間の感情を摂取することにより得られるエネルギーは人間を不老不死にするだけでなく、神に等しい超能力の燃料ともなる。実際、いくつかの神話で語られる神とは何らかの理由でこのアストラル界に行きついた人間たちのことなのだそうだ。

 この魅力的なエネルギーの存在に気が付いたトミサブロウさんは自ら五感向上剤を投薬し、アストラル界とつながった。そして自らの五感を放棄することで、完全にこの†真実†の世界の住人となることを選んだのだ。

「ボウズ、俺がこの世界に気づけたのはお前のおかげや。お礼と言っちゃなんやが、お前もこの世界に住まんか?この世界はお前の今住んでる世界よりもよっぽど住みよい世界や。ここに住んでる人たちはみんな優しい。一週間でええから、ここで暮らしてみて、ヒヤトイに戻るんかここに暮らすんか決めてみんか?」


 トミサブロウさんの言うとおり、一週間ほどこの世界に暮らしてみることにした。この世界は†真実†の世界であり、いわば下部世界のイデア界のようなものらしい。マルチバース宇宙のあらゆる可能性がここから生まれる。そしてこの世界に住む人々はこの世界が影を落としている様々な下部世界の人々の感情を食べて生きている。自然に生み出される感情を食べることもあれば時には下部世界に干渉して望む感情を生み出すこともある。

 ケンタは、かつて自分が生きたマウンテンチャイナに渦巻く醜い感情が大好きになった。他にも禁忌と愛の板挟みにあう兄弟が大好きな人もいれば、死ぬまで不幸にあえぎ続ける恋人たちが大好きな人もいる。様々な感情を吸い上げて彼らは生きている。彼らは人間の感情が豊かであり続ける限り、人間の感情を吸い上げ続けるのだ。

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