十三人の論客

 2XYZ年、科学技術の高度な発展により世界中の不平等が解消された世界で、非暴力の機運が世界中で高まった。そして最終的に国連の議決によりあらゆる暴力が根絶された。まったく安全な遺伝子操作技術により新生児はすべて非暴力主義として生まれる。しかし、ときに優劣を決めなければならない時が人にはある。その時、彼らは弁論の力で雌雄を決する。NO 暴力、YES 弁論。それが2X+1世紀のスローガンなのである。

 さて、人間の心から暴力が排除されても体は闘争を求める。その二律背反を解消するために生まれたのが弁論格闘技である。言葉の力で相手を打ちのめす強さを競う競技が全世界で熱狂的な人気を誇っている。前回大会でオリンピック競技に採用された際には前代未聞の大盛況となり、会場に入れなかった観客たちによる暴動すら起こった。

 弁論のトップ選手は試合の結果にかかわらず法外なファイトマネーをもらい、成績に応じたボーナスやスポンサー料などをもらい世界的な大富豪への道は約束される。弁論は才能次第で初期投資ゼロから成功できる夢のある競技であるため、スラム街ではアメリカンドリームを掴まんとする若者たちがストリート弁論に日夜励んでいる。

 もし読者諸兄のなかにデカ並みの洞察力を持った者がいたのなら、ストリート弁論を遠巻きに見守る観衆の中に異様な貫録のある人物が数名いることに気が付くだろう。彼らはプロのスカウトである。大学や高校のスター選手のほかにもこういったストリートの場にも才能の原石が存在していることを彼らは知っている。実際、現在の弁論世界ランク上位にストリート出身の選手は少なくない。


 毎年行われているU19弁論世界大会で事件が起きた。決勝戦で名門ハーヴァード大学代表の選手とストリート出身の無名選手が対戦したが、ハーヴァードの選手が試合後に死亡したのである。弁論は精神に非常に強力な負荷がかかるため試合後に鬱になるケースは多く報告されているが、死にまで至ることはなかった。司法解剖の結果は死因不明、一時は対戦相手に批判の声も上がったが結局は不運な事故として落ち着いた。

 決勝戦で戦ったストリートの選手の名はジョン・コンチネンタル。シカゴのスラム街でプロ弁論者ベンロニストの母と薬物のバイヤーの父の間に生まれた。五歳のころ母親が銃撃戦に巻き込まれ死亡、直後に父が失踪し彼は施設に預けられた。貧しいながらも幸せだった生活を理不尽に奪われた経験は彼をプロ弁論へ向かわせた。自分の幸福をだれにも奪わせないだけの豊かさを得ること、それが彼のプロ弁論者ベンロニストへの情熱の火種であった。

 ジョンの父は薬物に手を染める前は大学弁論のスター選手であった。大学卒業後はプロとして活躍を期待されていたがなぜかプロデビューすることはなかった。数年の空白期間の後に彼は麻薬のバイヤーとして頭角を現し、シカゴの麻薬王と呼ばれるようになったころにジョンを授かった。

 父は優しく賢い男だった。母が試合で家を空けることも多かったため、家事は父がすることも多かった。絵本もよく読んでくれた。お気に入りは『アミダのナン』。ナンを2度付けする卑しい心を反省した大泥棒の話だったっと思うが、よく覚えていない。というのも父の朗読は心地よい響きでジョンはすぐ眠りに落ちてしまっていたからだ。

 ジョンは自宅に訪ねてくる刑事たちを見事な弁論で追い返す父の姿を何度も見ていたため、自然と弁論に興味を持つようになったとともに父の大学時代の栄光を知った。しかしなぜプロにならなかったのか、大学卒業から数年の間に何があったのかを何度父に訊ねても父は『ジョンはまだ子供だからなぁ。そうだ、ジョンがパパに弁論で勝てるようになったら教えてあげよう。』としか答えてくれなかった。父が失踪してしまった今ではもはや父と弁論を交わすことすらできない。

 母の墓は無く、形見のボンサイが一つだけ残されている。心の消耗が激しいプロ弁論者にとって心を癒す趣味を持つことが選手生命を伸ばす秘訣である。ジョンの母にとってはそれがボンサイを愛でることであった。ボンサイの世話をしている間にだけいやなことをすべて忘れられる。特にお気に入りのボンサイは一つの鉢に植えられた松に竹と梅を接ぎ木した松竹梅キメラである。人間にはいいところもあれば悪いところもある、完全無欠を目指さなくてもよいという孔子の言葉を体現した論語ボンサイは常に激しい競争の中に身を置く彼女の心を癒した。このボンサイの世話をする度にジョンは母親を思い出してノスタルジーに浸るのだ。


 ジョンはU19 世界大会での一件に関しては一応無罪ということになったが、それでもまったくお咎めなしというわけにはいかなかった。一年間の公式大会出場資格停止。日々のファイトマネーで食いつないでいるストリートの選手にとって大会に出られないということは死活問題である。ジョンには両親が残してくれた財産があるとはいえ、プロを目指す選手が一年間も試合に出られないということは重大インシデントだ。一流の選手同士で弁論を交わしていく中で磨かれていく感性を腐らせるわけにはいかない。

 公式大会に出られないストリートの選手は必然的に地下闘技場へ集まる。ジョンも例外ではない。地下にはジョンのようにトラブルを起こしてしまい公式大会に出られない選手や、弁論自慢の無法者、諸事情により大金が必要になったものなど数多くのアウトサイダーが出場している。出場選手の多様性から、試合はほぼルールなしのバトルロワイヤルから世界戦顔負けの熱戦まで数多く開催されている。ジョンが出るのは二つのクラス。一つは一対多のリンチ戦、腕に自信のある若手選手数十名をジョン一人で相手する。これは彼にとっては軽いアップのようなものである。本番はもう一つのクラス、アンダーグラウンド順位戦。地下弁論最強を決めるために行われる一対一のリーグ戦である。毎月の成績に応じて上位数名が上のリーグの下位数名と入れ替えられ、一年に一度最上位リーグの選手が最強の座をかけトーナメントを行う。彼らは弁論最強の王、論理的神王ロジカルシンキングを目指す地下弁論ファイターなのだ。


 元々地上で活躍していたジョンは地下でもめきめきと頭角を現した。リンチ戦で熱狂的な人気を博していた彼は異例のA級リーグスタート、その年の論理的神王の称号を手にした。リンチ戦は正直ゴミのような相手しかいなかったが、リーグ戦は地上でも十分活躍できそうな骨太の猛者ばかりであった。謹慎期間中のジョンが研鑽を積むには十分すぎるほどの環境ではあったがそれでもすぐに頂点に立ててしまう環境への一抹の不満はぬぐえなかった。彼に足りないものはライバルであった。試合中にヒリヒリとしたスリルを感じさせてくれる相手が地上にも地下にもいなかった。生涯で彼の父だけが与えてくれたあの感覚を。

 優勝セレモニーの後に、帰路に着こうとしたジョンを呼び止めたのは地下闘技場の主催者のマフィア、エルヴィン・スタックハウスだった。スタックハウスの自宅に招かれたジョンはきっと個人的にねぎらいの言葉をかけてくれるか、あるいは食事でもふるまってくれるのだろうと踏んだが、スタックハウスの口からは全く予想外の言葉が出てきた。

「君のお父さんのことはよく知っているよ。彼とは大学時代からの友人で、ともに弁論部の二枚看板として活躍していたんだ。もちろん君のお父さんのほうがずっと才能のある選手だったがね。彼がこちら側の世界に来たときは望まぬ再開に複雑な気持ちになったよ。実は君がまだ赤ちゃんの頃に何度か会っているのだが、まあ覚えていないだろうね。さて、本題に入ろう。ジョン・コンチネンタル、いやジョナサン・コンチネンタル ジュニアくん。ジョナサン・コンチネンタル シニア、君のお父さんに会いたくはないかね。再び、君の父親とともに弁論を交わしてみたくないかね?」

「ええ、会いたいですよ。きっと今の僕なら父といい勝負になるかもしれないですね。小さいころに父とよく弁論をしたのが懐かしいですね。あなたは父の居場所を知っているのですか?」

「ああ、私だけではない。この世界の支配階級の人間すべてが知っている最高機密だ。君のお父さんはこの世界を破壊しようとしているんだ。君に彼を止めてもらいたい。」

「しかし急にそんなことを言われても…」

 ジョンは激しく動揺した。彼は暫く公式戦には出られないし、地下もリーグ戦は三か月ほどのオフシーズンに入る。本来ならば二つ返事で受ける案件だ。しかし、父が世界を滅ぼそうとしているとはどういうことなのか?支配階級の人間はすべて知っているのに自分たち庶民のところまで情報が何も下りてきていないのはどういうことなのか?あまりにも多くの情報がジョンの脳に流れ込んできた。

「いきなりのことで混乱しているのはよくわかる。しかしことは一刻を争っているのだ。先日、君のお父さんからこんなメッセージビデオが届いた。


『このカスみたいな世界を統治しているゴミカス諸君、ごきげんよう。突然だが、来る建国記念の日、私はこの世界をぶっ壊してしまおうと思う。メッカ、バチカン、東大寺。世界中の要所に私の部下を送り込み破壊の限りを尽くす。もし止めたければ私のアジトまで来るといい。住所は同封したお手紙に書いてあるぞ。まぁ、君たちのような腰抜けには無理だろうがね!ではさらばだ!  このビデオは再生終了より十秒後に爆発、消滅いたします。』


 何と!このビデオにそんな仕掛けがあったなんて…。こんなこともあろうかと一時停止しておいてよかったよ。さて、このビデオは世界中の首脳のところにも届いていたようだ。すぐに国連で極秘の緊急会議が開かれた。その会議の場で私が提案したのが『十三人の論客作戦』。この地球上に大規模な弁論リーグは全部で13ある、合法なものもここのように非合法なものも併せてね。それらのリーグで最も優れた論客たちを選抜し、コンチネンタル シニアのもとへ送り込む。君が我々のリーグの代表者だ。君は彼の息子だし、このリーグの中でも頭一つ抜けた論客だ。この作戦に最適の人材だと思うが、どうかね。もし飲んでくれるのなら、そこのスーツケースを持って庭に停めてあるヘリに乗り込みなさい。国連本部で12人の仲間たちが君を待っている。」

 ジョンは暫くうつむいて考え込んだ末に何も言わずおもむろにスーツケースをとり、ヘリに乗り込んだ。


 国連に着いたころにはすでに国連は爆破されていた。断末魔の叫びが響き渡り、瓦礫と炎に包まれた地獄のような国連跡には一人の男が立っていた。彼の名はトム・アンダーセン、ジョンと同じく十三人の論客作戦に選ばれたアメリカプロリーグ代表の選手であり、U19 世界大会決勝戦でジョンと戦った選手の兄だ。

 ジョンがヘリから縄梯子を下し、トムを回収しこのままジョン・コンチネンタル シニアのところへ向かうことにした。彼らにはとにかく時間がなかったのだ。


 移動中のヘリの中は恐ろしく気まずかった。U19世界大会は世界中に中継される。当然トムも弟の有志を見守るべく現地で観戦していた。必然的にジョンの顔も見ている。そしてトムにとってジョンは弟を殺した敵、本来ならば今すぐにでもこのヘリから突き落としてしまいたいほどに憎い相手であった。

「おい、スラム野郎。お前は俺のことを知らないかもしれないから教えてやる。お前がU19 世界大会で殺したヤツ覚えてるか?あいつは俺の弟なんだよ。この作戦が終わったらたっぷりお礼をしてやるから覚悟しとけよ。」

「あなたのことは知っていますよ。有名なプロの選手ですから。彼は兄の七光りを感じさせない優秀な選手でした。あんなことになって、本当に申し訳ないと思っています。私のせいで暫くストリートの選手にも迷惑をかけましたから、今回の作戦はせめてもの償いです。父は僕が責任を持って反省させます。」

「そうやって善人ぶってろよ。お前が何をしようが弟は帰ってこない。お前が殺した事実は消えないんだ。」

「ええもちろん。それでも償えない罪はないんです。これから一生かけてでも償いますよ。」

「いい筋を言ってるがお前はまだアマチュアだ。三段論法といったところだな。プロと戦うなら最低でも四段論法は欲しい。お前はこれから世界最強の論客と戦うんだぞ、自覚あるのか?」

 トムはジョンを露骨に過小評価をした。ジョンが三段論法に収まる男ではないことなどは明らかなのだ。過小評価はある種の威嚇行為である。相手を小さく認識しているのだと伝えることで自分を大きく見せるのだ。しかし、トムがジョンを威嚇したということは重要な事実である。ふつうはプロ選手がアマチュア選手を威嚇することなどはない。それだけジョンの実力を認めているということの裏返しなのだ。

 実際のところトムはジョンのことをそれほど恨んでいるわけでもない。プロとして真剣勝負の結果であり仕方ないことだと割り切れるだけの器を彼は持っている。一方で肉親を殺した相手を目の前にしてそれほど簡単に許せるほどの無味乾燥な心の持ち主でもない。トムには本来ジョンを許すだけの時間が必要なのだ。


 ヘリでの移動は作戦ブリーフィングには十分すぎるほどの時間を彼らに与えた。コンチネンタル シニアのアジトは富士山頂。世界の気脈のツボの一つ。かつて国際テロ組織『かぐや姫』が天皇を唆し、富士山頂で大規模な爆発を起こし意図的に富士山噴火を図ったことでも知られている(その時、富士山からの超自然的エネルギーを得た天皇が不老不死となりいまでも日本を統治しているのはよく知られた話だ。天皇が不死となった“ふし”山であること、そして天皇が不死となったその時にたくさんの武士が居合わせていた“富士”山であることが富士山の名の由来である)。コンチネンタル シニアはその富士山のエネルギーを使い、世界滅亡と自身を大統領とする新政府樹立を計画しているのだ。

 コンチネンタルシニアは十三人の論客作戦をいち早く察知し、国連本部に奇襲を仕掛けた。驚くべきことにコンチネンタルシニアは重火器を保持していたのである。暴力が根絶されてから早数十年、重火器はもはや超古代遺物である。それをなぜかコンチネンタルシニアは保持していたのである。

 コンチネンタルシニアの奇襲は成功、いまや十三人の論客計画の選抜者のうち国連襲撃から生き延びたのはトム・アンダーセンと遅れて国連にやってきたジョン・コンチネンタルの二人のみ。そして国連の十三人の論客作戦担当職員もほとんどが死亡、残っているのはジョンとともにヘリに搭乗していた二人のみ。この四人でコンチネンタルシニアに立ち向かわなければならない。この事実は四人の両肩に重くのしかかる。十三人でコンチネンタルシニアのもとに奇襲を仕掛けてようやく勝負になると計算して計画が立てられていた以上、二人で正面から勝負を挑んでも勝ち目があるはずがない。だからと言って何もせずに暴力が世界を支配するのを指をくわえてみているわけにはいかない。ジッと押し黙っているジョンの脳裏に浮かぶものは果たして父との感動的な再開なのか、あるいは辞世の句か。無謀とわかっていても挑まなければならない絶望感の中、機内にはヘリのモーター音だけが響いていた。


 十三人の論客一行を乗せたヘリは案外友好的に富士山頂に迎え入れられた。訓練され、息の合った空砲、『ようこそ富士山へ』の横断幕、そしてコンチネンタルシニア直々の出迎え。彼らは世界の命運を堂々と決闘で決着させるつもりなのだ。

「ようこそ国連諸君。そして我が息子よ、寂しい思いをさせてすまなかったな。この勝負が終わったらパパと一緒にご飯でも食べようか。お前さえよければまた一緒に住もう。」

「親子の感動的な再開はあとでやってくれ。さあ、勝負の内容を説明してくれ。」

 コンチネンタルシニアの一方的な歓迎に水を差すトムは一層イラついているように見えた。コンチネンタルシニアに向けられた感情はもはや殺意といえるほどであった。

「アンダーソン君、そうカッカしないで。長旅で疲れただろう?世界の命運を握る大切な勝負だ。君たちも万全な状態で試合を開催しようではないか。こちらに来たまえ。もてなしてやろう。」

 一行はコンチネンタルシニアに連れられ、大きなホールに集まった。ホールには豪華な食事が用意され、お誕生日席にはコンチネンタルシニアがおもむろに着席した。訝しみながらも国連一行も全員着席したところでコンチネンタルシニアが口を開いた。

「食事のお供に少し面白いスライドを見せてあげよう。君たちがとっても知りたいであろう我々一味がいかにして重火器を手にしたのか、その経緯をまとめたスライドだ。」


 ―――正直言って重火器相手に弁論が勝てるわけがない、このことは歴史が裏打ちしている。かつてこの世界は暴力が支配していた。科学技術の発展に伴い少しずつ暴力が根絶されていったというのが学校の歴史で学ぶ事実であるが、実際の歴史は少し違う。きっかけは宇宙より飛来した隕石に含まれていた未知の成分である。『ガンジニウム』と名付けられたその物質は人類の脳に作用し、暴力的衝動に強烈な制限をかける。ガンジニウムの培養に成功したドイツ軍は即座に政治的利用を企てた。交渉に際し、会場にガンジニウムを散布し、相手国の担当官を及び腰にさせる。ドイツ側はガンジニウム培養に際し副産物として得られた反ガンジニウム的物質レーニニウムを事前に服用しておき、強気の交渉に出ることで、ドイツに有利に交渉を進めるという寸法だ。

 しかし、ドイツは致命的なミスをする。計画の中心人物に平和主義者が紛れ込んでいたのだ。彼の陰謀により国際宇宙ステーションより世界中にガンジニウムがばらまかれ、世界の非暴力が急速に進んでいったのである。

 さて、平和主義者によるガンジニウムばらまきの裏でまた別の思惑が働いていた。地上の人間で唯一ガンジニウムが影響を及ぼさない人類が存在していた。そう、ドイツの実験によりレーニニウムを摂取していた人物である。彼らは来るべき時に備えて世界中の重火器を集めまわり、ある場所に隠した。そう、琵琶湖である。

 ひょんなことからこの事実を知った私は、断腸の思いで息子を施設に預け琵琶湖に向かいこの組織を立ち上げた。―――


 晩餐会の後、一同は闘技場まで案内された。東京ドーム0.8個分ほどの大きな闘技場は真ん中を大きな檻で区切られていた。試合は二回。トム・アンダーセンの試合とジョン・コンチネンタルの試合。ジョンの相手はきっとコンチネンタルシニアである。そしてトムの相手はコンチネンタルシニアの脇に控えているマントで顔を隠した男だろう。しかし、男は二人。どちらがトムの相手をするのだろうか?

「アンダーソン君、君の相手はこの二人、A.J.とスミス君だ。見覚えがあるね?君がプロライセンスを得るために蹴落としていったストリート出身の兄弟だ。彼らが負け組から脱する最後のチャンスだったプロクオリファイの試合の決勝で君が彼らを下したのち、彼らはスラムの片隅で兄弟仲良く肩を寄せ合い飢えと寒さをごまかしていたんだよ。ああ、かわいそうに、いくらでもチャンスのある恵まれたボンボンのせいで人生大逆転の最後の芽を摘まれた兄弟たちよ。私は彼らに復習のチャンスを与えようと思う。」

 コンチネンタルシニアがおもむろに取り出したのはクロスした黄色いハンマーとカマが刻印された赤い注射、バイオ・レーニニウムの注射である。A.J.とスミス兄弟に注射されたバイオ・レーニニウムは迅速に彼らの体内をめぐり、遺伝子レベルに刻まれた非暴力主義ガンジニウムの鎖を解き放っていく。

「彼らの暴力と君のペン《弁論》どちらが優れているのか決めようではないか!」

 コンチネンタルシニアの試合開始の合図とともに、闘技場を二つに区切っていた檻が取り払われた。それと同時にA.J.とスミスが同時にトムに襲い掛かる。トムは野生動物を彷彿とさせる瞬発力で二人の初撃を華麗に避ける(彼はこの瞬発力でもって国連襲撃を生き延びたのだ!)。トムが着地すると同時に罵詈雑言の嵐がスミス兄弟に襲い掛かる!まだ精神的に未熟な弟A.J.は一撃でダウン!そして兄スミスも辛うじて耐えるもかなりの精神力を削られ、すでに虫の息となる!圧巻!まさに永世名人論法である!

「やっちまえアンダーソン!やっぱりプロの選手はひと味違うな!」

 国連側のベンチはトムの圧倒的な試合運びに熱狂する。対照的にコンチネンタルシニアは静かに観戦していた。だが、彼に焦りの色は見えない。決してこの試合が自分対息子の前座であるからではない。スミスにはまだ奥の手が残っているからである。レーニニウムの効果はただ暴力性を高めるだけではない。レーニニウムの効能の肝は“独占の否定”にある。あらゆるものの共有、それがレーニニウム接種者レーニニストたちに与えられたもう一つの能力。そしてその効果の対象は精神的なものにすら及ぶ。

 トムが勝利を確信した瞬間、トムに電流が走る。突然の心理的抑圧!スミス兄弟はトムにより与えられた精神的ダメージを“三人で”共有したのである!A.J.は意識を取り戻し、スミスは息を整え始めた。そして再び兄弟の連携攻撃。トムは辛うじて回避、そして暴言。兄弟が受けたダメージを共有。トムは兄弟からの暴力、そして自分からの誹謗中傷その両方のダメージを受け続けなければならない。

「アンダーセン!死んでしまうぞ!降参しろ!今負けを認めればまだ命は助かるぞ!」

 ベンチからジョンの叫び声が聞こえたトムはジョンに辞世の句を返す。

「うるさい!俺はこれくらいじゃ死なない!長男だからだ!」

 数十分に渡る壮絶な試合の末、両者死亡の引き分けで決着がついた。A.Jとスミス兄弟は地に伏すも、トムは仁王立ちのまま息絶えていた。まさに長男である。


「さぁ、第二試合、メインディッシュだ。ジョンよ久しぶりにパパと勝負だ。」

「僕は子供のころとは比べ物にならないくらいに弁が立つようになった。」

「おいおい、冗談はよしてくれジョン、お前はこの期に及んでまだ弁論でパパと戦う気なのか?お前はこのジョン・コンチネンタルシニアの息子であり、レーニニウム接種者レーニニストの正統な後継者なんだぞ?ここはレーニニウム接種者レーニニストらしく暴力で決着をつけようではないか。」

「父さん、悪いけど僕は暴力は使えない。暴力を知らないんだ。」

「はぁ…まったくジョンがこれほどまでに子供だとは知らなかったよ。なあジョン、お前は言葉で人が死ぬと本気で思ってるのか?アンダーソン君の弟がお前の言葉だけで死んだと本気で思っているのか?お前にはできるんだよ、暴力が。お前はあの試合で無意識のうちに彼を殴った。だから彼は死んだんだ。君たち平和主義者ガンジニストたちにとって暴力は未知の概念。だからだれもお前が彼を殴ったことを認識できなかったんだよ。思い出せ、認めろ、そして受け入れるんだ。」

「そんなこと言われたってできないものはできないよ!」

「殴ることだけを考えろ。まずは殴ることだけを考えるんだ。」

「無理だよ父さん!僕は非暴力主義者ガンジニストなんだ!」

「何度言ったらわかるんだジョン!いくら理屈を論っても無駄だ。お前は私に口ではかなわない!ましてや、言葉はレーニニウム接種者レーニニスト同士の勝負の決着の基準ではないからだ!」

 父親からの強烈な拳を頬に受けたとき、不思議なことが起こった。ジョンに流れる暴力レーニンの血が覚醒し、ジョンの拳を父に向かわせた。ジョンの鋭い右ストレートがコンチネンタルシニアの顎を打ち抜く。見事なノックアウト、コンチネンタルシニアは一撃でダウンした。レーニニウム接種者レーニニストは暴力をふるえるだけで別に打たれ強いわけでも何でもないのだ。人生で初めて受けた暴力は人類の最も弱い部位の一つ、正中線上に並ぶ顎。その衝撃はコンチネンタルシニアを死に至らせるに十分であった。

「参ったよ。ジョン、立派になったなぁ。ジョンがパパに勝ったら、パパがプロにならなかった理由を話す約束、覚えているか?パパが大学を卒業するころ、ママの大学最後の試合があったんだ。その試合でママは初めて惨敗した。試合後のママは暫く廃人同然だった。それを見てパパはこの世界を疑問に思ったんだ。果たしてこんなにも人を傷つける弁論が世界を平和にするのだろうかと。そんなとき、あるインドのことわざを見つけたんだ。『体の傷は治るけど心の傷は治らない。だからできるだけ暴力で解決しよう』。パパはママのために世界を変えようと思ったんだ。ママの心が傷つかなくていい世界を。それからしばらくの間、パパは世界中を探検して回った。世界を変えるヒントがどこかにあるんじゃないかって思ってね。答えは富士山の山頂にあった。導かれるようにたどり着いた富士山頂の祠で、何も見つけられずにいたイライラをお地蔵様にぶつけたんだ。そうしたらね、お地蔵様の中から古文書が出てきた。古文書の中には世界非暴力化の本当の歴史、そしてレーニニウム接種者レーニニストたちの遺産のこと、そして私がレーニニストたちの子孫であるという予言が書き残されていた。パパはご先祖様に託された暴力革命を実行に移すために、麻薬王となり資金調達をした。十分資金が集まったころ、事故を偽装してママを富士山頂でコールドスリープにした。暴力が許された平和な世界になったらママを起こして、お前を迎えに行き、また三人で幸せに暮らすつもりだった。ママはこの奥の部屋にいる。パパはもうすぐ死ぬ。お前の指紋と虹彩認証でも開くようになっているから、ママを迎えに行って起こしてあげなさい。遺言書とかはたぶんあの辺に全部あるから探しなさい。地下リーグのおじさんによろしく言っといてくれ、あいつはパパの無二の親友だったが、ついぞ計画のことを話せなかったからな。パパの代わりにジョンが話して、一言すまなかったと謝ってくれ。それから…」

 コンチネンタルシニアは最後まで辞世の句を言い切ることないまま息絶えていった。ジョンはコンチネンタルシニアを抱きかかえたまま泣いた。数分か、あるいは数時間か。涙も枯れジョンの心が落ち着いたころ、彼は奥の部屋に向かい母をコールドスリープから解凍した。母はすでに息絶えていた。度重なる弁論の試合で精神が疲弊したジョンの母は長期間にわたるコールドスリープに耐えられなかったのだ。ジョンは自殺した。


 ジョンの自宅ではボンサイに三輪の小さな梅の花が仲良く寄り添って咲いていた。

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