読書と僕

 僕は正直なところ、読書が苦手だ。嫌いというわけではない。むしろ好きだ。小学生のときには図書室によく通っていたし、今でも自室には山ほど本がある。本屋さんや図書館は宝石店のようにキラキラと輝いて見える。特に古本屋さんなんかにはとんでもないお宝が眠っているような気がしてついつい何時間も居座ってしまうことも多い。

 本はとてもいい。小説は自分が生きている中では到底経験できないような人生を疑似体験できるし、論説は自分の思いもよらぬ考えが知れて世界が広かったような気分になる。当時の生活に想いを馳せながら、昔から読み継がれてきた名作小説を読んでいるとタイムスリップでもしたような気分になれる。

 本は大好きだし、読むのも好きだ。積むのはもっと好き。別に活字が苦手というわけでもない。漢字に弱くて読むのが大変というわけでもない。こう見えて高校のときは国語が得意だった。成績は良くなかったが試験問題は数学や理科よりも一等よくできていた時もある。手前味噌だが、人より多少は言葉はたくさん知っている自負もある。それでもやっぱり読書が苦手なのだ。

 読書が苦手というよりも、ここ数年で読書が急激に苦手になってきたというのが正確なところだ。別に老眼になったわけでも体力が落ちてきたわけでもない。むしろここ数年は人生で最高に体力はあるし頭も冴えている。実はそれが問題なのだ。というのも本を読んでいる間ジッとできなくなってきた。小説を読めば似たような題材で自分も何か書きたくなってくる。論説を読めば参考文献にあたってじっくりと筆者の意見を吟味したり、自分でもいろいろ考えたくなる。詩を読めばじっくり情景に想いを馳せて、近所の神社にでも風景を見に行きたくなる。

 昔は一度本を開けば本の世界に深く没入してしばらくは帰ってこなかったのだが、最近はすぐに本の世界から飛び出して自分の世界に中に引きこもってしまう。

 一体不思議なことなのだが、アニメや映画などではそんなことは起こらない。いや、きっと脳内では同じことが起きている。というのもやはり映画を見た後はとても頭が活性化している気分になる。映画を見終わったと同時にずっと解けなくて困っていた問題が頭の中ですっきり解けてしまったなんて言うことも何度かある。だからきっと映画を見ているときも本を読んでいるときと同じくらい脳ミソはいろんなことを考えているのだが、映画を見ている最中はそんなことが頭の中で起きていることに全く気付くことが無い。これはきっと本は自分の頭で読み進めていかなければならない分、勝手に進んでくれる映像メディアより自分の脳内の状況が強く意識されるからだろう。映像メディアは直接五感に情報が入ってくるが、本は文字情報に基づいて自らの脳内で情報を再構築しなければ情景が思い浮かんでくることは無い。


 さて、一体全体どうしてこんなことになったしまったのかを自分なりに色々考えてみたところきっとこれは数学の勉強をしすぎてしまったところが大きいのではないかと思う。正確に言うと数学の勉強をする際の本の読み方が癖になってしまって、数学の本でない本を読むときも同じにしてしまうのが問題なのだと思う。

 数学の教科書や論文を読むときには眼光紙背に徹するように読まないといけない。アブストラクトナンセンスが美徳とされているなかで、定理や定義の意味は教科書には通常あまり書かれない。すると当然読者である我々は自分の頭でそれらの意味を自分なりに考えないといけない。これは難しいのだが、そういうことを自分の頭でしていかないと数学の理論を理解するのは一層難しい。証明だってそうである。基本的には本に書いてある論理をそのまま追っかけていけば証明が理解できるように書かれているが、教科書なんかでは演習問題として簡単に証明が書ける部分は証明が省略されていたり、そもそも著者のうっかりで証明が間違っていたりする。結局正しく証明を理解するには教科書はあくまでもガイドとして、できるだけ自力で証明を考えていくしかないのだ。時には本を閉じて自分の考えを一旦紙に書いてまとめることもある。中には本を読んでいく中で思いついた問題や理論を教科書そっちのけで考え出す人もいる。

 以上のような事情があるので、数学の本を読むときにはうんと考えながら少しづつ読み進めていく。常に内容を批判しながら筆者の言わんとすることを読みつくすやり方で読んでいかなければ勉強にならない。そんな読み方が癖になってしまった結果、ただの小説や、論説でも同じようにうんと考え、思い立ったことを行動に移しながら読むようになってしまったのではないか。

 

 数学というのは僕の人生において欠かすことの出来ない重要なものである一方で、僕の人生最大の楽しみでもある読書の楽しみを奪っていってしまった憎いやつである。

 いまこうして筆をとっているのも実は、はやみねかおる先生の文章教室を読んでいる途中に無性に何か書きたくなったのである。ちなみにまだ最初の50ページも読めていない。

 実のところ僕は読むのと同じくらい書くことが好きなので、構わないと言えば構わないのだが、やっぱり読むつもりで買った本が半分も読めないままになってしまうのはなんだか釈然としない気分にもなる。もっと先まで読みたい気持ちが自分の中から湧いてくるアイデアに邪魔されるわけだ。

 最近はできるだけ気持ちを切り替えてから読書をして、できるだけ長い間本に集中できるように工夫をしているが、それでもやっぱり頭に染みついた癖はなかなか取れないものだ。

 読者諸君に何かいい考えがあれば教えていただきたいと思う。

 

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