寝れない夜の話

 どうもうまく寝付けない。決して目が冴えているわけではない。実際こうして筆を進めている今まさにとても眠たい。なのになぜかどういうわけか布団に入ると手持無沙汰な感じがして、起きて何か読書でもしてようかという気分になる。当然、起きて枕元に積んである本を適当に見繕って読もうとしても全く瞼が重くて仕方がないし何より頭にモヤがかかったようで一向に内容が入ってこない。きっと眠たいからなんだろうと再び布団に入ってもやっぱりどうして目が冴えてくる感じがする。

 明日には友達と遊ぶ約束もあるので出来れば早く眠りにつきたい。約束があるとはいえ昼からではあるので多少の夜更かしは問題なかろうと思うが、やっぱり寝坊したらと思うと普段より一時間か二時間くらい遅く寝るくらいが夜更かしの限度であるように思う。この友人との待ち合わせが例えばカラオケのような体を動かすものだったらもう少し攻められるのだが、如何せん映画を見ることになっているのであんまり夜更かしして上映中に居眠りなんてしてしまったら友達にも面目が立たないし何より映画賃がもったいない。だからこそできればあと十分もすればお休みしていたいのだがどうも筆の進みが良い気がする。

 もっと重大なのは数日後に試験が控えているということだ。試験勉強というのは不思議なもので残り一か月ほどになると焦る感じがするのだが、一週間を切った辺りから今更何をやっても同じだろうといった諦めの気持ちが先行してなんとも勉強に身が入らなくなる。今日だって、今日こそはしっかり勉強するぞという意気込みで昼過ぎに布団から出たのが結局勉強机についたのは夕方の辺りで、もうすぐ夕飯だから夕飯を食べてから頑張ろうと心に決めたはいいものの、人間腹が満たされると頑張ろうという気持ちが薄れるので結局夜中に眠れないなと不平不満を垂れているこの瞬間まで大した勉強ができていない。勉強が進まないのはまだいいが、もし夜更かしが癖になってしまったら肝心の試験当日に寝坊するなんてこともありうる。そうなれば先週までの苦労が水の泡だし、何より推薦状を書いてくださった先生に試験に寝坊して不合格になりましたなんて言えたものではない。

 さて、僕ができればもうすぐ寝たい理由を書きつらねているうちにきっと眠くなるだろうと思ってここまで書いてきたがどうも眠くならない。むしろ目が冴えてきたまである。ここで誘惑に負けて『YouTubeでも見て徹夜するか』などと決め込もうものなら中途半端に寝てしまい、眠たい割に寝坊するなどという最悪な結末を迎えるわけであるので、なんとかここはこらえて今すぐ寝なければならない。しかしこの文章は書き始めてしまった以上は終わりまで面倒を見てやらないといけない。どうせ今のこの眠たい瞬間にしか書く気が起きないんだし。何より遅筆な僕が珍しく次から次へと筆が軽やかに進んでいるのだ。せっかくだから書けるところまで書いてしまいたい。

 人間の頭というのは実に欠陥を多く抱えていると思う。人間の欲望や本能というものは例えば火がコワイとか脂がウマイとか、自分の生物学的に最適な行動をとれるように設計されている名残のはずなのだが、この巨大科学文明社会において欲望に素直に生きていてはずいぶんと不便な目に合う。例えば、欲望の赴くままに布団に引きこもり、日中に英気を養っているだけでこうして夜中に寝付けなくなってしまってどうすればよいのか路頭に迷ってしまう。

 では一体、人間は本能とどのようにして付き合っていけばよいのだろうか。そもそも眠る必要のない時に眠たいのは脳のバグとしか考えられない。さっきまでぐっすり眠っていたのに目が醒めてすぐまた眠たいなんて言うことは本能では説明が付かない。一方で空腹や疲労といったものは抗うだけ無駄である。栄養を補給しなければならないのだから腹が減るのだし、休養を取らなければならないのだから疲れるのだ。

 従わなければならない本能と、従ってはいけない本能をどのようにして見分けていけばよいのだろうか。いかなる宗教も、いかなる哲学者もその答えを教えてくれない。一体どこの誰が私に昼間寝てたら夜寝れなくなるよと教えてくれただろうか。そして夜寝れなくなった私をどこの誰が寝かしつけてくれるのだろうか。間違いというものは往々にして起こるものである。人間はいつだって間違える生き物だから何度だって戦争を起こし、何度だって政権は崩壊し、何度だってお昼寝のし過ぎで夜寝れなくなる。大切なのは過ちを起こさないことではなく、過ちを起こしてしまったときにどのようにして落とし前を付けるかではないのだろうか。過ちてこれを改めず、これを過ちというと古事記にも書いてあるではないか。ではどうしてだれもお昼寝をしすぎた夜の過ごし方を後世に残さなかったのか。

 もしかしたらお昼寝のし過ぎで夜に眠れなくなった人類は私が初めてなのか?そうだとしたら私は後世のためにいまからどのようにして眠りにつくのかを事細かに記さなければならない。だが私にそのようなことができるわけがない。なぜならば私は今寝付けないからこうして徒然に書き散らしているのだから。どのようにして寝付けない夜に寝付けるのかをここに書いている間にもうとっくに寝ているはずなのである。

 一つの仮説として、あくまでも仮説として、これは何かの陰謀なのではないかと私は思う。人類は故事という形で多くの失敗を記録し、後世に伝えてきた。その多くは中学や高校の授業で取り扱う。しかし、私は「お昼寝をしすぎて夜に眠れなくなった男の話」を一度も聞いたことが無い。過去1200年の間に私よりも怠惰で昼日中からゴロゴロダラダラ過ごし、夜に寝付けなくなった男など星の数ほどいるはずなのになぜその教訓は一つも残っていないのか。人の本能に最も寄り添う失敗の一つであるお昼寝のし過ぎがなぜこんなにも秘匿されなければならないのか。

 聡明な私は諸君では到底思いつけないような大胆な仮説にたどり着いた。すべては人類創生に関わる陰謀なのではないのだろうか。人間の本能によって引き起こされる失敗の中にこのような不条理があることをひた隠しにしたい何者かがこの世界には存在しているということである。

 諸君らはシエスタを知っているだろうか。シエスタはスペインの風習で、いわゆる昼寝である。そう、今まさに私を苦しめているすべての元凶である昼寝である。私は昼寝をしすぎたせいでいまこうして重度の不眠症に悩まされているのであった。さて、このシエスタはスペイン全土に浸透している文化であるが、果たしてスペイン人は不眠症に悩まされているのだろうか。答えはきっとノーである。スペイン人は積極的に昼寝をしているにもかかわらず、誰一人として不眠症に悩まされていないのである。

 ではなぜ私は不眠症に悩まされているのか。その答えこそが私が行きついた恐ろしい陰謀の答えなのである。

 この世界、もとい人類を作った存在はスペイン人だったのである。そもそも光あれなんていうふんわりした発注で世界を作る人種なんてスペイン人くらいしかあるまい。スペイン人は彼らに似せて人類を設計した。そのためにどう考えても眠る必要のない寝起きや昼間に眠たくなってしまうのだ。

 しかし、彼らには誤算があったのだ。勤勉な日本人は昼寝をしないのである。その日本人特有の性質とスペイン人に寄せた初期設定が起こした不具合こそが今私を悩ませている不眠症の正体なのだ。この事実はまさに衝撃的なことであろう。

 諸君らの中にはどうして創造者クリエイター=スペイン人説がお昼寝のし過ぎで不眠になった男の教訓が残っていないことを説明するのか訝しんでいるボブもいることだろう。それは簡単な話である。創造者クリエイターともあろう存在がミスなど犯してはならないのである。全知全能のイメージ化壊れてしまってはとてもかっこ悪い。ゆえに彼らの失敗を象徴する昼寝のし過ぎによる不眠症に関する逸話はすべて検閲の名の下に削除されてしまうのだ。きっと明治期にも多くの若人たちが心血を注いでスペイン人から不眠症の処方箋を守ろうとしたに違いない。しかしながらその結果は今私が眠れていないことからも分かる通りすべて失敗に終わっている。

 さて、もうこんな時間である。毛根タイム。どうしたものか、全く寝付けなかったではないか。もし私が明日の映画に遅れてしまったら読者諸君にはそれなりの責任を取っていただきたいものだ。では私はこのくらいでお布団に向かいたいと思う。

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