第8話 心臓の止まる光景
紅倉の霊視を以てしても藤山啓吾の居場所は分からなかった。
そこで「恐怖の現場」を再現することで、藤山の生き霊及び藤山に取り憑いている死霊を呼び寄せることにした。
再び元工場の空き建物にやってきた紅倉は皆に説明した。
「生き霊を飛ばすことは肉体に著しい負担をかけます。行方不明になってから丸一週間になろうとして藤山君の状態が心配されますが、一方、発見は急を要します。これは一回きりのチャンスになるでしょう」
香川は中に入るのに激しい抵抗を見せた。今になって拒否しているわけではなく、自分の意思としては納得しているのだが、いざとなると恐怖の感覚が全身に甦ってきて、どうしようもなく足がすくんでしまうのだった。
紅倉は無理はさせなかった。裏口から芙蓉と一緒に先に入って、ドアを開けたまま、香川が自発的に入ってくるのを待った。
「藤山君を仮死状態にして、あなたの友だち二人をすっかりおかしくしてしまったほどの恐怖です。わたしは霊そのものは防御しますが、恐怖からは守ってやれません。あなたも完全に安全とは言えません」
香川は自分を待って開かれた入り口を前に、動かない足に苦悶して、自分を納得させる為に疑問をぶつけた。
「ここにもう藤山の生き霊はいないんだろう? 恐怖を再現するったって、俺は目を閉じて、耳を塞いで、その恐怖を見ないように、聞かないようにして、おかしくなるのから逃れたんだ。その俺がここに来ても、その恐怖は再現できないんじゃないか?」
「確かにね。他の二人を霊視すれば確実なんだけど……、霊体にアクセスすれば当時のことを鮮明に思い出すでしょうから、今の状態でそうなったら、今度こそ完全に精神が壊れちゃって修復が効かなくなるでしょう。
あなたは直接見ていなくても、恐怖は如実に感じていた。他の二人の恐怖もね。その恐怖の波動からわたしが再現してみます。完全とは行かなくても……、ま、そこそこの物は出来ると思うわ」
トイレ前ではスタッフによってカメラが設置され撮影の準備がしゅくしゅくとされていたが、
「今回カメラで撮影するのは難しいなあ。映像で見えるのはわたしと彼だけになるでしょうから」
廊下を出た先で見守っている三津木に言うと、
「やむを得ませんね」
三津木は残念そうにうなずいた。
「それでは後ほど、先生の詳しい解説で、よろしくお願いしますよ」
自分には見えると言われて香川はますます怯えたが、テレビのプレッシャーにも圧されて、さんざん苦悶したあげくにようやく足を踏み入れた。
「よし、偉い。情状酌量を加えてあげるから頑張んなさい」
紅倉に上機嫌に褒められて、香川は青い顔で情けなく笑った。ニヤッと笑い返した紅倉は、
「死ぬほど怖い物って、何かしらねえ? トイレの蓋が開いて中からばっちいゾンビがはい出してきたら……、ギャグよねえ?」
とからかい、
「やめてくれよお」
と、香川は嫌あな顔をした。紅倉は気分をほぐそうとしたのかもしれないが、香川は既に自宅トイレで似たような物を見ていて、とても笑えなかった。
トイレのドアは閉められていた。
玄関までやって来た香川は、三メートルほど先に薄い緑色のドアを眺めると、そこにもやもやと黒い渦が巻くような気がして思わず目をつぶって顔を逸らした。
「いいわよ。そのままあの日の事を思い出しなさい。あなたは草刈君がドアを開く前に『嫌な予感』がして警戒した。どんな感じがしたの? 思い出しなさい」
紅倉は芙蓉と共に背景と化すように、トイレとは斜め向かいの「事務室」のドアの前に立っている。カメラはトイレ正面の壁に設置され、他、スタッフたちが手持ちでシーン全体とそれぞれの表情を撮っている。
香川は全身にザワザワと鳥肌が立ち、ドクドクと心臓の鼓動が大きくなり、あの時とそっくりの体調になった。胸の内に、自然と、あの時感じた感覚が甦ってきた。息が苦しくなり、ぎゅっと目をつぶった。
カチャッ。
金属音に、ヒッ、と思わず目を開けた。
紅倉がドアノブを回し、ゆっくり、ドアを押し開けていった。
「ひいっ・・・・」
香川は怯えた悲鳴を上げてのけぞった。
周りで撮影しているスタッフたちには彼が単に臆病から怯えているのだとしか思えなかったが、
彼と、紅倉は、
開かれていくトイレの中に異次元の光景を見ていた。
香川の位置からトイレの中は見えない。にも関わらず、彼には分かってしまった。紅倉が彼の「感覚」を利用している為、紅倉の「視ている」物がダイレクトに脳内に再現されてしまうのだ。
「映像」は、ひどく薄暗く、色彩が抜けたようで、昔のアナログテレビの放送終了後の「砂嵐」のようなノイズが走っていた。
「な、なんだよ、これ……、ひいっ!……」
ザーッというノイズがいっそうひどくなり、その中から、物の形が浮き上がってきた。
「ひいっ!・・・・」
香川が息をのんで卒倒しそうになったのは、ノイズでもやもやした輪郭ながら、浮き上がった大きな体が、藤山の物だと分かったからだ。
藤山は学校でよくやっているようにうつむいて、トイレに座っていた。
後ろのタンク脇の狭い空間に、もう一つ、もやもやした、立っている人物が浮き上がった。
藤山より更にノイズがひどくてどのような人物か判然としないが、見ている内に、香川はどうしようもなく嫌な予感がひどくなってきた。
よく知っている人物だ……、日常的に、とてもよく知っている…………
そいつが前に歩み出ると、香川はあっと驚いた。知っているも何も、
それは香川自身だった。
いつの間にか天井から先が輪っかになったロープが垂れていた。
色彩に乏しくノイズまみれの香川がそれを手にすると、それを見ている香川は胸の内に膨れ上がった嫌な予感に、
「や…、やめろ……」
とかすれた声を出した。
「やめろよおっ!」
ノイズまみれの香川は輪っかをトイレに座ってうなだれた藤山の首に掛けると、天井のフックを経由して背後のタンクにつながる給水管へ斜めに下りたロープを握り、ぐい、ぐい、と、両手で引っ張りだした。
ミシリという音を立てそうにして、重そうな藤山の体が、首に掛けられたロープで、ぐい、ぐい、と、引き上げられていった。
首を引っ張られて、腰が浮き上がり、曲がっていた膝がまっすぐになっていき、立ち上がると、ぐい、ぐい、と、足先が便座から離れるまで引き上げられ、うつむいていた顔が首を引き絞られて上向いた。
「ひいいいい…………」
香川は腰が抜けそうになった。ぎゅっと詰まったような顔をした藤山が、恨めしそうな目で香川を見下ろしていた。
「やめ、やめてくれ……」
いつしかぎゅっと握りしめていた手に、ゴツゴツしたロープの感触と、重い体重のかかっているのを感じ、ひいっと手を開いてぶらぶら振った。
だらんと弛緩した藤山は、もうとても息があるようには見えなかった。
自分がクラスメートを殺した光景にも吐き気を覚えたが、鬼気迫る顔つきで藤山を吊るす作業をした香川は、握りしめた両手にぐっと藤山の体重を支えながらその恐ろしい死に顔を見上げていたが、何を考えているのか、両手の間に輪になった余分なロープを持ち上げると、頭を突っ込み、パッと手を放した。
藤山の重たい体が落下し、代わりにやせ形の香川の体が、ビンと張ったロープに跳ねるように引っ張り上げられ、ねじ切られそうに首を締め上げられた。
勢いよく吊られた香川の首は、グキリ、と、折れ曲がり、断末魔の凄まじい顔をこちらに見せた。
「ひやああああああ」
見ている香川は今度こそひっくり返って尻を床に打ち付けた。
撮影しているスタッフ、その後ろで見守っている玉木巡査も、ただ事ではない香川の様子にさすがに顔色をなくした。
香川にしてみればざらざらしたノイズまみれの映像だからまだしも耐えていられるのだが、それは紅倉が霊的波動からわずかなデータを抽出して増幅させているのだが、これを生でリアルに見たら、とても耐えられないと思った。が。
首をつられたままずり落ちるように便器に座った藤山の目玉がギョロリと動いて香川を見ると、突如、ノイズが晴れて生々しい姿になった。
「ひ、ひ、ひいっ・・」
香川はあっちへ行けというように手を振りながら床をこすって後退した。
生々しい質感で恨めしそうに香川を睨んだ藤山が、しっかり足を着き、前へ立ち上がった。一歩二歩三歩、前進すると、
ぬうっと、トイレの外へ姿を現した。
「ひ、ひい・・」
わっ、と思わずスタッフが声を上げた。彼らにもその姿が見えたようだ。
肉眼でそれを見た香川はいっぱいに開いた目に涙をあふれさせ、もう耐えられる恐怖の限界を超えてしまったようだ。
「はい、タッチ」
事務室側に退いていた紅倉が、さっと手を伸ばして、藤山に触れた。藤山は不意をつかれて驚いた顔をして、そのまますうっと、消えてしまった。
紅倉は藤山に触れた手を伸ばしたまま、ぐるっと体を巡らし、消えていった先を追跡し、
「見つけた!」
と宣言した。
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