第6話 現場

 月曜の朝九時過ぎ、芙蓉がそろそろ大学に出かけようとしていると、三津木ディレクターから電話がかかってきた。先生はまだ寝てますと言うと、

『叩き起こしてください』

 と言うので、いい口実だと思い、毎日朝寝坊で生活習慣のなっていない紅倉を寝室に起こしに行った。

「もしもしい~~」

 叩き起こされた紅倉が思いっきり不機嫌に言うと、三津木は紅倉の寝起きなどまったく取り合わずに訊いた。

『先生は写真を見て、その人物が生きているかどうか、分かりますか?』

 うん?と紅倉も真面目な三津木の声に少ししゃんとした。

「分かると思いますけど?」

『ではこれから写真を送りますので、判別してください』

 と、芙蓉の携帯に画像データが送られてきた。開くと、集合写真を拡大したらしいちょっとぼやけた、まっすぐ前を向いた、詰め襟の、ぽっちゃりした色白の男の子の顔写真だった。

 芙蓉は紅倉に見せた。

『どうです? その少年は、今現在、生きていますか? それとも死んでいますか?』

 紅倉は、うーーん……、と眉を寄せて携帯の液晶を睨んだ。ひどく目の悪い紅倉はいくら睨んだって目には見えないのだが。

「何、この影の薄さは? 普通なら死人だけど…………、ムカつく、よく分かんないわ」

 ムカついたおかげでバッチリ目が覚めたようだ。

『芙蓉さんに替わってください』

 芙蓉が電話を替わると、

『今日は学校ですか? 済みませんが欠席してください。至急次の住所に向かってください。いいですか?』

 三津木は東北の関東寄りの某県の地方都市の住所を告げた。

『メールでも送りますが、我々はこれから急行しますので、先生に合わせて、でも出来るだけ早く来てください。現地に近づいたら電話ください。落合場所を決めましょう』

 おいおーい、と後ろから紅倉が呼びかけた。

「わたしの意向は無視なわけ?」

『じゃ、お願いします』

 三津木はさっさと電話を切って、代わりに芙蓉の携帯にメールで先ほどの住所を送ってきた。

「仕方ないですね。じゃ、行きましょうか」

「おいお~~い」

 パジャマ姿の紅倉は抗議の声を上げたが、芙蓉は無視して紅倉のお出かけ用の服を選び直した。

「ま、しょうがないか」

 寝癖のついた銀色の髪をくしゃくしゃかき回して頭をすっきりさせた。視聴率の稼げる紅倉に三津木は常に最大限ご機嫌を取る態度で接している。その三津木がこれだけ強引に事を進めるというのは、よっぽど緊急を要する事件なのだろう。

 うんしょ、と紅倉はトイレに立ち上がった。




 昼二時を回って、紅倉は元「株式会社M工作所」の空き工場に来ていた。例の現場である。

「どうですか?」

 紅倉を中に案内すると、三津木は詳しい説明は後回しに訊いた。いつものことで、あえて問題のトイレには直行せず、学生たちの侵入した裏口から入り、テラス風の元「従業員休憩室」でいったん止まり、訊いている。侵入防止に外されていたドアノブはこの裏口だけ付け直してもらっている。

「ふむ」

 紅倉はさっさと玄関向かって歩き出し、芙蓉が付き従った。

 紅倉は来客用トイレの前に立ち、ドアを向こうへ開けた。

「霊はいないけど、霊的磁場の乱れは少し感じるわね。何か心霊現象が起きたのは間違いないでしょう」

「生き霊の痕跡はありませんか?」

「うーん……、ちょっと分かんないなあー」

「そうですか」

 と、ここで三津木はようやく今回の事件について二人に説明した。



 まず、三人の男子高校生が保護された顛末を説明すると、お隣のウェブデザイン会社の社員がわーわー騒ぐ若者たちの声を聞いて眉をひそめていたところ、ガッシャーンとガラスの割れる大きな音が響いてびっくりし、若者たちの声も尋常ではなく、同僚たちといっしょに見に行った。前日警察官が調べに来ていて、こちらの会社にも変わった様子はなかったかと聞きに来ていたので、何か事件かと慌てたのだった。

 玄関を覗くと、学生の男の子が騒いでいる。他にも倒れている子がいる。ガラス戸を叩いて「おい、どうしたんだ?」と声をかけても喚くのをやめないで、らちがあかない。戸は開かないので、彼らが侵入した場所を探して、裏口ドアの裂け目から入った。

 玄関に回ると、廊下に男子学生がしゃがみ込んで耳を塞いでわあわあ喚いている。その向こうに仲間らしいのが二人、伸びて気絶している。尋常でない様子に「おいっ、しっかりしろ!」と声をかけて学生の肩を押さえると、こっちを突き飛ばす勢いで驚き、助けが来たのは理解したようだったが、怯え切って言葉が出ない状態のようだった。彼は床に伸びた連れ二人を見てますます怯えてしまった。

 ガッシャーン、という音は、前々から危ないなと思っていた半分に割れた窓ガラスの上の方が落下して砕け散った音だった。床に細かな破片がいっぱい飛び散っていた。

 通報でパトカーがやって来て、喚いていた学生を保護、救急車も到着して、救急隊員が気絶した二人を調べて、病院へ搬送していった。

 怯える学生をなだめすかして事情を聞いたところ、何とも奇妙なゴーストストーリーで、気絶した二人を、

「あいつの幽霊が現れて取り殺したんだ!」

 と信じて疑わないようであった。

 二人は気絶しているだけで、死んではいないと説明してやっているのだが。


 学生……香川真之介は警察署に連れて行かれ、物々しい雰囲気の中、ようやく落ち着きを取り戻すと、月曜日からの出来事を全て白状した。しかし警察も面食らったのは、藤山啓吾が翌日も生きていたという事実だった。翌日どころか、月曜夜も母親が家でその姿を確認している。火曜朝、学校へ出て行くのを見送ったのが現在のところ母親が最後に見た息子の姿だった。

 死んでいた、というのは、素人の見誤りだろう、と警察は考えたが、その出来事が藤山少年の精神に強い影響を及ぼし、失踪へと導いた、とは大いに考えられた。

 警察は香川の言う、「ゾンビ」や「幽霊」は、まともに取り合わなかった。

 では香川のひどい怯えようや気絶した二人はどうしたのかと言うと、「死なせてしまった」という罪の意識と、死んだはずの少年が生きて現れて、また消えてしまった、という謎めいた出来事で、すっかり精神を疲弊させた上での、まあ、幻覚を見て、集団ヒステリーを起こしたのだろう、というように考えた。

 それにしては、気絶していた二人のその後の様子はちょっとひどすぎたが…………



「というのが、この幽霊事件が発覚してからの流れです」


 当初の予定では芙蓉の電話連絡を受けてどこかで合流するつもりだったのだが、自分が車が苦手なせいで到着の遅れたのを気にしてか、紅倉の意向で現場に直行することになった。先に他を取材していた三津木たちも二人の到着に合わせてやってきていた。今回のメンバーは三津木と、個人秘書としてこき使われている重永真利子と、その他五名。三津木のダークグレーのセダンと、局のワゴン車で来ている。

 中央テレビ制作部に出社した三津木に朝一番で相談の電話があった。香川真之介からだった。

『行方不明のクラスメートを捜してほしい』

 という、オカルトが専門の三津木にしたら「番組が違っているよ」と言ってやりたくなる相談だったが、よくよく聞けば謎めいたゴーストストーリーで、俄然意欲をかき立てられた。

 しかも、


「もしかしたら、その行方不明の少年は生きているかもしれない、けれど、決して普通の状態ではないようだ、というわけで」


 紅倉にメールで写真を送って少年の生死を判別してもらったわけだが、紅倉にも判断がつかなかった。

 先発した三津木隊は、まず行方不明の藤山啓吾の母親に会い、番組として取材させてもらう許可をお願いした。何しろ三津木のやっているのは怪しげな「本当にあった恐怖心霊事件ファイル」という心霊オカルト番組なのだ。警察とクラス担任を通して香川の話を聞いていた母親は、「息子を見つけてくれるのなら」と藁にもすがる様子で許可してくれた。

 藤山啓吾は、小学二年生の時に父親を病気で亡くし、以来、母一人子一人で暮らしてきたのだった。家は決して裕福ではなかった。

 次に三津木たちは香川に改めて話を聞きに行った。香川は学校を休んで家にいた。

 香川というのは本来秀才タイプで、ちょっと人を馬鹿にしたような嫌なキザっぽさのある男子だったようだが、今は怯え切って、病的に目をギョロギョロさせていた。

 他の二人、仲尾正明と草刈功喜にも会いたかったのだが、二人は病院に収容されたまま、面会は許可されなかった。……看護士からこっそり聞き出したところでは、二人とも意識は戻ったものの、仲尾は何かにひどく怯えてまともに話せず、一人になることを異常に恐れ、特に、トイレには、ドアを開け放したまま、誰かに見ていてもらわないと、発作的に恐怖が襲ってくるようで、用が足せない有様だった。草刈はもっとひどく、目を開けたままぼうっとして、話しかけても反応せず、かと思えば誰か目に見えない相手とおしゃべりして、大声で笑ったりして、もう完全に精神が壊れてしまっている状態だそうだ。


 紅倉に報告しながら「うーん……」と三津木は考えた。

「普通に考えれば、行方不明の藤山君が生き霊となって現れて、自分を見つけてくれと訴えているんじゃないかと思うんですが……。三人に彼を無理やり肝試しに連れ出して死なせてしまったという怯えがあるのも分かるんですが……、それにしては三人のやられ様はひどいですよねえ? 香川がまだまともなのは、彼は草刈功喜がトイレのドアを開けた時、とっさに目を閉じて、決して開かなかったからのようです。トイレの中を見てしまった二人は、そこで起こった何かによって、完全に精神をやられてしまったようで…………いったい何が起こったんでしょうねえ?」

 と、三津木は生来のオカルト好きの嫌らしい笑いを浮かべたが、芙蓉の白い目で表情を取り繕い、

「行方不明の藤山啓吾が先生のようなスーパーサイコパワーの持ち主だったっていうなら別ですが……、彼は体が大きい割にひどく大人しい、目立たない生徒だったそうです。日頃から鬱屈したものがあったのかもしれませんが……、どうなんでしょうねえ?」

 と、後は紅倉に任せた。

「この場所って、なんなの?」

「倒産した会社の社長がトイレで自殺したそうです」

「嘘つきなさい」

 三津木は鼻で笑った。

「はい。そんな事実はありませんでした。ここに入っていた会社は、倒産したわけじゃなく、郊外に大きな工業団地が整備されて、自治体からかなり優遇された企業誘致が行われまして、古くて手狭になったここを売ることにして、その工業団地に引っ越したそうです。業績も好調で、社長は健在でバリバリ働いているようですよ? どうしてそんなデマが流れたんでしょうねえ?」

「あのガラス窓のせいでしょう」

 紅倉は、今は石膏ボードを仮止めされている表の窓を見て言った。この建物は、一応警察の現場検証が行われたが、事件のあった痕跡は認められず、管理する不動産屋によって改めて「進入禁止」措置がとられている。もちろん三津木はそちらにも(場所はモザイクを掛けてぼかすという約束で)取材許可を得て、ドアの鍵も預かっている。高校生たちが侵入した裏口の破れもふちをかすがいで留められて塞がれている。

「ガラスが割れて、いかにも廃墟らしく、管理が甘くて容易に侵入できたんで、子どもたちが遊びで幽霊話をでっち上げるのにおあつらえ向きだったんでしょうね」

「そうなんでしょうね。そのガラスは、引っ越しの最中、トラックがバックするとき、荷台から板が飛び出しているのを失念して、うっかりミシッと押してひびを入れてしまったそうです。ガムテープで補強してたんですが、道路を通行する大型車の振動や風で次第にずれていったようですね。まったくもって形だけのお化け屋敷だったわけです」

 三津木の評に紅倉も呆れたように肩をすくめた。

「しかし困ったわね。手がかりがないわ」

 紅倉が手を伸ばして、すかっ、と空振りした。

 ドアの開かれたトイレは、ごく普通の洋式トイレで、水が通わなくなって、あかの干涸びたような空気が感じられた。使われなくなってから半年ほど経っているはずだが、よく廃墟探検でされているようないたずら書きもなく、きれいなものだった。

 紅倉は眉根を寄せてじっと睨み、

「ここに行方不明の少年の霊はいない。元々心霊現象の起こるような場所ではないから、ここを起点に霊的な糸をたぐることも出来ない。まったく、どこ行っちゃったのかしら?」

 と、迷子の子どもを捜すような口ぶりだが、神経質に視線を動かして、紅倉も実は焦っていた。

「あっ」

 と、三津木がうっかりしていたように言った。

「写真がありました。いえ、わたしもまだ見てないんですがね。一番重症の草刈功喜が、携帯で『死んでいた』藤山啓吾の写真を撮っていたそうです。香川は草刈にそんな写真さっさと消去しろと言っていたそうですが、多分そのままだろうと。警察にも話したそうですから、おそらく携帯は警察に証拠品として押収されているんじゃないかと思います」

「それよ、それ。出し惜しみしてんじゃないの」

 紅倉は指を突きつけて文句を言い、

「じゃ、それを見せてもらいましょう。さ、行くわよ!」

 と元気に腕を突き上げた。

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