第4話 行方不明

 翌日、学校。

 始業のチャイムが鳴って教室に入ってくると、担任は浮かない顔で生徒たちを見渡した。

 おはようございますの挨拶を受けると、生徒たちに訊いた。

「ま、昨日みんなに電話したから知っているだろうけど、藤山君が家に帰っていないそうで、今朝になっても所在が分かっていません。誰か、藤山君がどこにいるか、心当たりのある人はいませんか?」

 担任はしばらく待ったが、答える者はいなかった。ううん…、と渋い顔をして、いぶかしげに、皆に訊いた。

「昨日……、藤山は学校、来てたよな?」

 教室に静かなざわめきが起きた。

「岡田。昨日、藤山、来てたよな?」

 となりの席の女子に訊き、

「いた……と思います……」

「おいおい、頼りないなあ」

 担任は自分のことは棚に上げて文句を言った。担任の木原先生は五十代のベテランで、朝の出欠など、ざっと教室を見渡して、「誰かいない者はいるか?」と訊いて、返事がなければ全員出席と丸をつけてしまう人だった。

「そうだよなあ、いたよなあ」

 と今ひとつ自信なさげに顔のしわを深くし、

「誰か、何か知らないか?」

 と今一度訊いた。

 香川は平静を装いながら、つい伏し目がちになり、顔は真っ青だった。


 午前の授業が終わってもなんの連絡もなく、藤山は依然行方不明のようだった。

 香川は堪らず仲尾と草刈を教室から連れ出し、人の来ない屋上への出入り口前に行った。昨今問題が多いのでドアには鍵がかけられ、屋上へは出られないようになっていた。

「おまえら、おとといのこと、言ってねえだろうな?」

「言うわけねえだろ」

「俺も言ってないよ。だって、昨日いなくなったんだろう? 関係ないじゃん?」

「ああ、そうだよ、関係ねえよ」

 草刈の能天気な馬鹿ぶりに軽蔑の目を向けつつ仲尾は頷き、自分たちを連れ出した香川をかえってなじるように睨んだ。

「おまえ、何ビビってんだよ? 藤山は生きていた。学校に来た。俺たちとは関係ねえ。だろ? 余計なことやって墓穴掘るなって言っただろう?」

「でもよお」

 香川も自分で賢いことではないと思いながらも不安からどうしても言わずにはいられなかった。

「おかしいじゃねえか? なんか担任もクラスの奴らも、なんだか昨日藤山がいたのかどうかよく分からないみたいな態度してよお?」

「あいつのことなんか誰も気にしてねえってことだろう? おまえだって普段ならそうだろう?」

「でもよお、昨日はおまえがあれだけしつこく絡んでたじゃねえか? それはクラスの奴らも聞いてただろう?」

 昨日「幽霊見た?」としつこく絡んでいた草刈を見て訊いたが、

「そうだねえ?」

 と不思議そうにする草刈に対して仲尾は、

「だから誰も気にしてねえんだよ、こいつのことも」

 と、あくまでクラスメートたちの無関心を主張し、

「おい、おまえ、いい加減にしろよ?」

 と香川を凶悪な目で睨みつけた。

「おまえ、わざわざ犯罪者になりてえのかよ? 俺たちのせいでないなら、あんな奴、どこでどうなっていようと、どうでもいいだろうが?」

「で、でもよお……」

 チッと舌打ちして本当に殴り掛かってきそうな仲尾にビクッとしながら、香川は早口で言った。

「あいつ、昨日、生きてたのか?」

「あん?」

 仲尾は顔を斜めにしかめた。

「あの臭い。あいつ、もう死んでたんじゃねえのか?」

「はあ? おまえ、頭、腐ってんじゃねえか?」

「昨日トイレに入った時、あいつが個室から出てきたんだよ。その時のあいつの顔、とても生きてるようには見えなかった」

「どういう顔してたんだよ?」

 香川はひっと息をのんで言葉を失い、ゴクリと喉を鳴らして、言った。

「ひどくむくんで……、まるで、ゾンビみたいだった…………」

「けっ、くっだらねえ」

 仲尾は頭から全否定し、

「あー、香川まで狡い~~。俺も見たかったあー」

 草刈は面白がって喜んだ。

「くだらねえ」

 仲尾はもう一度吐き捨てるように言い、階段に向かった。

「余計なことはするな。しゃべるな! 分かったな?」

 ひと睨みして下りていく仲尾の背中に、香川は言った。

「おまえもよ、……ずいぶん向きになってねえか?」

 あん?と険悪な顔を向ける仲尾に香川は引きつった笑いを浮かべた。

「本当はおまえも怖いんだろう? なんで藤山が消えたか、怖くて、考えたくないんだろう?」

「ああ、考えたくねえよ。おまえも、考えるな」

 仲尾はぶっきらぼうに言って、行ってしまった。

 香川も草刈相手じゃ何を話しても無駄かと思い、教室に戻ろうとしたが。

「……おまえさ、あの写真、まだ持ってるのか?」

「見る?」

 草刈はいそいそと携帯を取り出して開き、

「はい」

 と香川に見せた。

 下唇を突き出すように、内側の「ぬめっ」とした粘膜を覗かせて口を半開きにし、白目を向いた、藤山の写真だ。フラッシュを浴び、下から煽り気味に写され、不細工が強調されている。

 香川は眉をひそめ、顔を逸らし気味にして眺めた。

「なあなあ、じゃあさ、やっぱこれ、死体? 俺、昨日、ゾンビと話してたの?」

 ゾンビ……

 生き返った死体……

 写真の、上にひっくり返った目玉が、ギョロッとこちらを向くような気がして、携帯を突っ返した。

「さっさと消せ。いいな?」

 香川も草刈に言い捨てるようにして階段を下りだした。

 踊り場で向きを変えた時、ふと視線を上げて草刈を見た。

 上の狭い廊下に突っ立ってこちらを見下ろしている草刈は相変わらず頭悪そうにへらへら笑っていたが、今日も曇って薄暗い光のせいだろうか、その顔面が黒ずんだゴムのように見えて、香川は背筋にゾクリと冷たいしびれが走るのを感じた。



 放課後。

 香川は他の二人とつるむことなく、まっすぐ家に帰った。自転車を二〇分ほどこいで到着すると、母親は買い物にでも出ているらしく、玄関は鍵がかかっていた。

 鍵を開けて入ると、まずトイレに向かった。学校では一度もトイレに入らなかった。行方不明の藤山が、また個室から現れてあのゾンビのような顔で自分を脅かすのではないかと、怖くて我慢していたのだ。

 ガチャリと何気なくトイレのドアを開けた香川は、べったりした臭気に顔を撫でられ、そこにたたずむ黒い影を目にし、「ひっ・・」と悲鳴を上げてのけぞった。

 握ったままのノブを慌てて押し込み、ドアを閉めた。

「母さん……、母さん……」

 ノブを握ったまま、呼びかけた。返事はない。やはり母親ではない。では、

 このクソの臭いをさせているのは、誰だ?

 ドッと脂汗が吹き出した。

 尿意に股間が縮み上がり、力んだ内股がびくびく震えた。

 いきなりドアが開いてきはしないかおそるおそるノブから手を放し、とてもここに入ることはできず、香川は風呂場で用を足した。


 夕食後、風呂に入った時にまた用を足し、後はトイレに入らなくて済むよう水分を摂るのは控えた。

 早々に布団に入ったが、足先と肩が冷えてきて、必死に尿意と戦わねばならなかった。

 布団の中で幼児のように体を丸め、トイレで見たあれがなんだったのか、思い出したくもなかったが、考えずにはいられなかった。

 学校の個室からぬっと出てきたような実体のある物のようには思えなかった。空間に浮かぶ、黒い影だけだった。けれど、あのずんぐりした大きな体は、やはり藤山としか思えなかった。

 学校には半死体で現れた藤山が、帰り道で遂に力つき、どこかで完全な死体になっていて、自分をこんな目に遭わせたクラスメートに、今度は幽霊になって、復讐に現れたのか?


 やめてくれよ、ちょっとからかって、悪ふざけしただけじゃねえか?


 香川は布団の中でブルブル震え、トイレに行く勇気もなく、一晩中尿意に耐えて過ごした。

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