第3話 学校の怪
翌日、仲尾と香川は寝不足のぎすぎすした顔で登校した。
教室に入って自分の席に着くと、お互いに訪問することもなく視線も向けなかった。
「おはよっ!」
草刈だけはいつも通り馬鹿っぽい明るい笑顔で入ってきて、二人に挨拶した。
自分の席にカバンを置くと、まず香川のところにやってきた。
「まだ見つかってないのかなあ?」
ワクワクしたような浮かれた顔をして香川をうんざりさせた。
「あんな所、管理人でも様子を見に来なければ誰も捜したりするかよ」
そう言いながら香川も、昨夜は藤山の所在を訊ねる担任からの電話がかかってきはしないかと一晩中びくびくしながら過ごしていた。
電話はなかった。
あいつの家はどんななんだろうな、と思った。もしうんとお金持ちだったりしたら、家の人が誘拐を恐れて警察や学校に連絡するのをためらうかもしれないが……、いつも学校で見ている限り、藤山が大金持ちのお坊ちゃんとはちょっと思えなかった。
何故電話はかかって来なかったのだろう? 家の人は藤山が家出でもしたと考えたのだろうか?
いずれにしろ時間の問題だ。藤山の遺体は表から見えないわけではない。夜の間は暗くて見えないだろうが、朝になって犬の散歩をする人が、ワンワン吠える犬に何事かと吠える先に視線を向ければ……。それを切り抜けても周りの建物に通勤してくる会社員が、ふと、明るくなった廃屋の廊下に横たわる足を見つけて……
藤山のカバンは裏口を入った所に置いてきた。カバンの中身なんて調べてないが、襟のバッジやボタンの校章からもこの学校の生徒であるのはすぐ分かる。実はもうとっくに連絡が来ていて、校長たちは対策会議を開いていて、じきに担任か学年主任がやってきて…………
香川はどんどん胃が痛くなっていった。
「ほれほれ」
草刈が携帯電話を開いて差し出し、何気なく目を向けた香川はギョッとして思わずそれをたたき落としそうになった。
携帯の液晶にはフラッシュで白く浮き上がった、白目を向いた藤山の顔が映っていた。
「バッカヤロウ……」
香川は声を押し殺し、草刈を睨んだ。
「さっさと消せよ、そんな物」
へへへ、と草刈は得意そうに笑った。
「やだねー。お宝写真じゃん? 大丈夫だよ、ひとに見せたりしないから……ほとぼりが冷めるまではさ」
「消せよ」
「へへへえ」
こいつ、ここまで馬鹿だったっけか?、と、香川は草刈の妙な明るさを不気味に思った。
「何やってんだよ?」
二人のおかしなやり取りにやきもきして仲尾が険悪な顔でやってきた。
「こいつがまだ昨日の写真持ってやがるんだよ」
「なにい?」
仲尾も怖い目で草刈を睨んだが、草刈は相変わらずニヤニヤ笑って、写真を守るように携帯を学生服の中に抱え込んだ。
「おまえ、何考えてんだよ?」
「藤山をあそこに置き去りにしたのはおまえら二人じゃん? 俺はもっとあそこにいたかったのにさあー」
「名前出すなよ。言っただろ、幽霊なんかいねえんだよ。あんなのは悪ふざけの作り話だよ」
「またまたあー。俺、信じないもんねえー」
なんなんだこいつは?、と、仲尾も不安そうに香川と視線を交わした。
香川は、とにかく写真はヤバい、なんとか消去させなくては、と、どう草刈を説得しようか考えながら、ふと視線を教室の後ろの出入り口に向けた。
「あ・・・・」
香川は驚愕を顔に貼り付かせて硬直した。
「どうした?」
警察でも来たのかと慌てて視線の先を追って目を向けた仲尾も、
「あ・・・・」
と、同じ驚きと恐怖を顔に立ち上らせた。
「なになに?」
草刈も顔を向け、
「あっれえ~~?」
と、素っ頓狂な声を上げた。
藤山が入ってきて、教室の後ろを歩いてきた。
大きな体に、真っ白なぽちゃぽちゃした肌。
三人はまじまじと見つめたが、間違いなくそれは、昨日死んだはずの藤山だった。
藤山はいつものように誰とも目を合わさないようにうつむいて、まじまじ自分を見つめる三人にも目を向けずに、一番後ろの席に着いた。
「生きてた……な……」
「ああ…………」
仲尾と香川は惚けたように藤山を見つめ続けた。
昨日は確かに死んでいると確認したつもりだったが……、現にこうして生きて登校してきている。古くさい言葉だが、狐にでも化かされたような気分だった。
藤山から目を戻すと、仲尾と香川はこそこそと話し込んだ。
「どう思う? あん時は確かに心臓止まってたぜ?」
「肉が厚くて伝わらなかったんじゃあ……なんてこともねえか。止まった心臓がまた動き出したってことだろう?」
「あいつ、どうする気だろうな? 俺たちのこと、教師にチクったりしねえかな?」
「しねえだろ?あいつだもん」
二人はまたそっと藤山の様子をうかがった。机に向かったまま、相変わらずうつむいてじっとしている。
「真っ暗な中で目を覚まして、俺たちを相当恨んだだろうがな、あの通りだ。あいつに教師にチクって俺たちの怒りを買うような度胸はねえさ」
「だな」
二人はワルぶって陰険に笑った。内心ではほっとしているのがありありとしていたが。
草刈が藤山の席に向かっていって、二人はまたギョッとさせられた。
草刈はニコニコ笑いながら藤山に話しかけた。
「ね? 昨日、トイレで幽霊見た?」
仲尾と香川は、バッカヤロウ、余計なこと訊くんじゃねえ、と内心罵倒しながら、藤山の反応を見守った。
藤山はうつむいたまま何も反応せず、
「ねえ? 見た? 見たのお? 教えてくれよおー」
草刈はニコニコしながら藤山の肩を揺すり、藤山は顔を首から浮いたようにぐらんぐらんさせた。
仲尾は堪らず向かっていって、
「やめろよ、この馬鹿」
と、草刈の腕を掴んでやめさせた。仲尾は気味悪そうに藤山を見下ろし、
「悪かったな。まあ、許してくれよ」
と声をかけ、相変わらずの無反応に小さく舌打ちし、
「行くぞ」
と草刈の腕を引いて離れさせた。
もしかして……、と、香川も胸の内を寒くして考えていた。
もしかして、心臓が止まっていた時間が長くて、酸素の欠乏で、脳に何か障害が出ているんじゃないか?……
そう考えると、いつもと大して変わりないのに、もの言わぬ藤山の姿が怖くてしょうがなかった。
一時間目、二時間目と授業が進む内、香川は異変に気づいた。
異臭がする。
最初は、
(臭せえなあ。どっかで浄化槽の掃除でもしてんのか?)
と思っていたが、もう秋も深まった寒い時期で窓は全て閉まっている。しかしこうした臭いはちょっとした隙間からでも粘っこく侵入してくるもので、時おり鼻をこすりながら我慢していた。
しかし、臭いはどんどん鮮烈になっていって……、ひどく身近に感じられた。
そこで香川はギョッと斜め後ろを振り向いた。
藤山は相変わらず机にうつむいて、教科書を見ていた。
まさか……、と額に脂汗が伝い落ちた。
そんなはずはない。もしあいつが臭いの発生源なら、こんな強烈な臭い、周りの奴らが反応を見せないはずはない。面と向かって文句を言わないまでも、自分みたいに、顔をしかめて視線でプレッシャーをかけるとかするだろう。しかし、そういう態度や表情をしている奴らはいない。
どういうことなんだ?
香川は前に向き直って考えた。
俺だけなのか?この悪臭を嗅いでいるのは?
なんなんだよ、この、臭せえ臭いは?…………
髪の生え際にじっとり汗が浮かんで、臭いが肌に貼り付いていく不快感を感じた。
休み時間になると、席の一番離れている仲尾の所に逃げるように向かった。
「なあ、なんか変な臭いしねえか?」
仲尾は顔をしかめて、
「自分の体臭じゃねえか?」
と嫌な目で香川を眺めた。香川は、
確かに俺も臭ってるかもしれねえな、
と、嫌な汗に濡れた体を思った。
「マジでよ、バキュームカーみたいな臭い、しねえか?」
「そういやあ……、俺もちょっと気になるか……」
仲尾も不安の解消し切れていない血色の悪い顔をしていたが、香川の視線に誘われて藤山に目を向けた。
藤山にはまた馬鹿っぽい笑いを浮かべた草刈がしつこく「ねえ、幽霊見たの?」と絡んでいた。
「あいつもおかしいよな」
「ああ……」
「あのよお」
香川はプライドが邪魔をして逡巡していたが、我慢し切れずに訊いた。
「あの空き家の幽霊の噂って、……ガセなんだよな?」
「そうだよ」
仲尾もこの状況にうんざりしたように不機嫌な声を出した。
「あそこは機械類の部品加工なんかやってた所みたいでな、どうして潰れたのかは知らねえけど、誰かが自殺したなんて話はねえし、あそこに忍び込んで実際幽霊見たやつなんかいねえよ。もう何人も遊びで忍び込んで、なんともねえんだ。幽霊なんているわけねえだろう? まったくよお、ちょっと楽しい放課後の暇つぶしだっただけなのによお、あの白ブタ野郎、いもしねえ幽霊にビビって仮死状態になってんじゃねえよ」
「そういやあ、豚って神経質で、ちょっとしたことですぐパニックになるんだってなあ」
香川がどうでもいい知識を披露して、自分で白けた顔をした。
「俺たちが神経質になってるだけなのかなあ? 周りの奴らは全然気にしてねえもんな?」
「そうだ。……おまえも案外ビビリだな?」
「うるせえよ」
香川はむっとした顔をしたが、少し気が楽になった。腹立たしいが、予想外の事態に動揺して、普通じゃない汗をかいて、自分の臭いに自分で参っているだけなのかもしれない。
「気にするな。墓穴を掘るぞ?」
「ああ、分かった。もう平気だ」
平気だ、と思いながら自分の席に戻った香川だったが、藤山の近くに来るとやっぱり臭いが気になって、フンフン鼻を鳴らした。
「ねえねえ、藤山くーん、幽霊見たのー?」
藤山の腕を取ってしつこつぶらんぶらんさせて無邪気に訊いている草刈をぶん殴ってやりたくなった。こいつを先に行かせればよかった。
草刈にしつこくされながら、藤山はされるがまま、相変わらず下を向いて無反応を決め込んでいた。
自分の気持ちの問題だと割り切ったつもりだった香川だが、三時間目、四時間目と進むごとに臭気は更に強く感じられるようになっていき、昼休みになってもまるで食欲がわかなかった。
昼休みになると、さっさと遊びに行く者と、食堂に行く者とで、教室に残る生徒は半分くらいだった。
香川は母親が弁当を用意するので教室で食べるのだが、とても今の状態では食べられないと思った。
しかし、朝教室に入ってきて以来まるで動かなかった藤山が、のっそり立ち上がり、廊下へ出ていった。
途端に、臭いはしなくなった。
香川はほっとして、あいつもいつも弁当じゃなかったっけ?、と思ったが、ともかく今のうちに食べてしまおうと弁当の包みを開いた。きちんと食べて空にしていかないと母親がうるさいのだ。
弁当を済ませると、いつもは三人で集まってどうでもいい話題でだべって過ごすところだが、仲尾は自分の席から動かず、草刈はいつの間にか教室から消えていた。
暇を持て余して中身がすかすかのラノベを読み、昼休みも終わりに近づいて、トイレに立った。
藤山は出て行ったきり帰ってきていなかった。トイレに行ったのかと思って、今のうちと急いで弁当をかっこんだのだが、おかげで胃がもたれてしまった。
教室の並びにあるトイレに入り、小用を足した。
トイレは四つ小用便器が並び、個室が二つあった。
誰もいないトイレで体育館から響いてくるバスケか何かで騒いでいる声を聞きながら溜まっていた物を出し切り、ぶるっと肩まで震え上がった。ズボンのファスナーを上げると、
クン、
と、異臭に鼻を鳴らした。
振り返ると、二つ並んだ個室の、奥のドアの鍵が赤になっていた。
香川は硬直し、全身の毛穴からどっと粘り気のある汗を噴き出させた。
ガチャン。
鍵が外され、ドアが中へ開いていった。
のっそり出てきた大きな図体を見て、香川は全身にぷつぷつ痛いほど鳥肌を立て、ガクンと膝から体勢を崩すと、転げるように廊下へ飛び出していった。
教室に帰り、自分の席で真っ青になって冷たい汗に震えていると、五分前の予鈴と共に藤山が入ってきた。
香川は引きつけを起こしそうな顔で彼を見て、前を向くと机が揺れるほどガタガタ震えた。
午後の残り二時間、香川は気分が悪くて仕方なく、授業の内容などまるで頭に入って来なかった。
悪夢に酔ったようにぼうっとなり、いつの間にか授業が終わっていて、はっと気づいて振り向くと、既に藤山の姿は消えていた。
「あっれえー、藤山くん、またいつの間にかいなくなっちゃてるよ」
草刈が素っ頓狂な声を出してきょろきょろしていた。
香川が怖い顔で仲尾に目を向けると、仲尾は、俺は知らねえ、とばかり香川の視線を無視してさっさとカバンを持って教室を出て行った。
その夜、十時を過ぎて、クラスの担任から電話があった。
藤山が家に帰っていないそうなんだが、おまえ、どこにいるか知らないか?
という問い合わせだった。
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