第2話 ヤバイ事態
正門を出て道路を渡り、住宅街を三ブロックほど行くとバイパスに突き当たる。そのまま脇の道を二〇分ほど歩くと、噂の空き事務所に到着する。
最後の授業が終わると四人は校舎横手の自転車置き場に向かった。
仲尾たち三人は自転車通学をしていたが、藤山は家が近所で、徒歩で通っていた。目的地と方向が逆で、歩いて一〇分くらいだと言う家まで自転車を取りに行かせようかと思ったが、そのまま家に引き込もりを決められる恐れがあり、草刈が香川の自転車に二人乗りして藤山に自転車を貸してやることにした。
学校の近所で教師に見とがめられるとうるさいので、しばらくおしゃべりしながら自転車を引いて歩き、バイパスのトンネルをくぐると、辺りを見回して、自転車にまたがってこぎだした。
途中大きな幹線道路を越え、静かな新しめの住宅街を越え、それぞれ駐車場を備えた会社の建物が集まるブロックに入り、やがて、空き事務所に到着した。
それは折板(=ギザギザ)屋根のシンプルな四角形の平屋で、改めて見るとけっこう広かった。
枝道との角地にあり、枝道側にガラス戸の玄関があり、その前は車四台分の「お客様駐車場」になっている。
四人は目立たないように右側面側に入り、自転車を止めた。壁にはずらりと等間隔に窓と換気扇のフードが並んでいた。中を覗いてもがらんとして何もないが、よくよく見ると床のあちこちに何か重い機械を固定していた跡があって、どうやら何かの工場だったようだ。
こちらのお隣さんはIT関連のデザイン会社のようだが、こちら側に窓らしい窓はなく、おあつらえ向きだ。
四人は玄関に戻ってきた。厚いガラス戸はしっかりロックされていて開かなかった。
どこから入れるんだ?と眺めると、パッと目に付くのが、
「割れたガラス窓」
だ。
それは、バイパス側に、正方形の本体からテラス風に飛び出した小部屋?の壁にあり、バイパス側の壁には中にブラインドの下りた、足下までのはめ殺しのガラス窓が並び、玄関側の壁に、やはり足下までの、普通の窓2枚分の大きなガラスがはめ殺しになっている。
そのガラスが、中央で横に一本ひびが走って、ガムテープで補修してあったが、ガラスの上半分が枠から外れて少し下にずれていた。
「ここから……は無理だな」
と早々に諦め、再び反対の側面へ回っていった。
窓が並んでいる中央に、アルミの簡単なドアがあったが、ドアノブが取り外されていて、開くことはできなかった。
さらに、裏側の、グリーンのフェンスに囲まれた駐車場へ回った。
ここにも同じアルミのドアがあって、同じくドアノブが外されていたが。
「おお、ここだ、ここ」
アルミ板の下側が枠から外れて奥へずれていた。話をしていた「二組の奴」が開けたものか、それ以前の別の奴の仕業か。足先で押すと、べろんと、半分くらい枠から外れて奥へ開いた。
仲尾たちは改めて辺りを見回した。駐車場の隣りはまた別の建物の駐車場になり、バイパスと反対側は、デザイン会社のお隣の会社の建物の背中が並んでいる。
人の姿は見当たらない。
バイパス下の道を乗用車が走ってきたが、運転手はこちらに注意を向けることもなく通り過ぎていった。
まだ街灯のつく時間ではないが、空はどんより曇っていて、薄暗かった。
ドアのとなりに窓がある。前は壁で、廊下が横に延び、そのままバイパス側の部屋に通じている。
「なあなあ、幽霊って、どんなの?」
草刈に無邪気に訊かれて、仲尾と顔を見合わせた香川がにたあっと不気味に笑って、自分の首を両手で締め上げる真似をした。
「もんのすげえ、膨れ上がって紫色してんの」
「うわあ、見てえ~~」
草刈は無邪気にはしゃぎ、仲尾と香川は呆れて苦笑した。
「じゃあ、これから中を探検してみようと思うわけだがあ……、みんなでドヤドヤ押し掛けたら幽霊もビビって出てこないだろうからあ、一人ずつ肝試し形式で行こうぜ?」
仲尾が言い、どうだ?と目を向けると、
「いいね、やろうぜ」
と香川と草刈は賛成した。
「じゃあ誰から行くかだけどお……」
三人は一人青い顔になっている藤山に視線を向けた。
「藤山くん、最初でいいよね?」
藤山はゴクリと喉を動かして、
「なんで?」
とか細く訊いた。
「一番おいしいところだからに決まってるじゃん。明日みんなに自慢してやるからさ、かっこいいところ見せてくれよ?」
三人に笑顔で見つめられて、藤山はうつむくと、無言で固まってしまった。
じっと黙り込む藤山に、草刈が苛立ちを含んだ声で言った。
「おまえさあ、そうやって黙ってれば済むと思ってんの? ムカつくじゃねえか」
まあまあ、と香川が抑えて、ねっとり嫌らしく言った。
「バンジージャンプ前の心境だよなあ? 飛ばなきゃならないのは分かっていても、なかなか自分でタイミングが計れないんだよねえ?」
そうして藤山の背中に手を回すと、ぐっ、と、下へかがむよう押した。
「ほら、行けよ」
突き飛ばすようにされて、藤山は嫌々しゃがむと、アルミ板を向こうへ押しやり、中の床に手をつくと、大きな体で窮屈そうにくぐっていった。
仲尾がかがんで声をかけた。
「トイレはな、表の玄関の方に洋式便所があるから、間違えんなよ? しっかりドアを開けて中を確認してくるんだぞー」
藤山の足が入り、アルミ板が下りた。藤山が窓の前にのっそり出てきた。
「頑張れよー」
外の三人はニコニコ手を振り、グッと親指を立てた。藤山は恨めしそうに見て、進んでいった。その背中を見送ると、
「見に行こうぜ」
仲尾は、来いよ、と手を振ってバイパス側へ開いている駐車場の出入り口へ小走りした。香川は続いたが、草刈は、
「なんだよ、順番に肝試しするんじゃねえのか?」
と不満そうに言った。香川は呆れ、
「勝手にしろ」
と、既に腰を屈めてブラインドの窓の前へ向かっている仲尾の後を追い、草刈も、
「チェー」
と言いながら走り出した。
草刈が追いつくと、三人はそーっとブラインドの中をうかがいながら前進した。
ブラインドの隙間から、おどおどと様子を探りながら進む藤山の姿が見えた。
三人はニヤニヤしながら藤山が進むのに合わせて前進した。
藤山は立ち止まると、動かなくなった。例の半分に割れたガラス窓を見ているのだ。立ち尽くし、後ろを振り返る仕草をした。
「あの野郎……」
香川が低く唸った。藤山はトイレまで行かずに逃げ帰ろうとしているのだ。
「このまま戻ったらぶん殴ってやる」
と、その脅し文句が聞こえたわけでもないだろうが、藤山は壁の向こうを向くと、嫌々ながら歩き出した。
「よーしよし」
褒めてやりながら三人も建物の角に小走りし、割れた窓から中を覗いた。
おっかなびっくり壁の角を曲がった藤山が、(はっ)と窓を振り返り、三人は慌てて身を屈めた。
藤山はまた窓をじっと見つめて固まってしまい、その間に三人は玄関の方に移動し、いつまでもやって来ない藤山にイライラさせられた。
ようやく藤山が幽霊みたいにのっそり玄関を通過していった。三人は壁に張り付くようにして藤山の後ろ姿を見守った。
玄関を越えると廊下は閉まったドアで行き止まりになり、そっちではなく、それと斜めに向かい合って、横の壁に来客用のトイレのドアがあった。
藤山はドアに向かってまたたっぷり時間を取り、三人を苛立たせた。
ようやく、躊躇しながら手を伸ばし、ドアノブを掴んだ。
ガチャッ、とスプリングの跳ねる音にビクッと震え、そのビビリ様に三人は笑いをかみ殺して肩を震わせた。
藤山は口を半開きにしてはあはあ息をし、ドアノブを回すと、え、と固まり、ああ、とドアを奥へ開いた。
ドアノブを握ったままいっしょに体を半分中へ入れ、一歩片足を踏み出した。
仲尾たち三人はもう隠れる必要もないだろうと、二枚のガラス戸の前に出てきた。藤山がトイレを覗いて、ほっとして出てきたところを、
「うわわわわわわああ~~」
と、お化けの真似をして脅かしてやろうと、ニヤニヤ、企んでいた。
「漏らしたら面白れえけど、俺の自転車貸すのは嫌だぞ?」
草刈が小学生みたいにはしゃぎ、
「しっ! 静かにしろ」
と叱りながら仲尾も笑っていた。
じっと中を見ている様子の藤山が、突然、
「ひいい…………………」
息を吸い込む細い悲鳴を上げると、バネ仕掛けみたいに跳ね上がり、体をまっすぐにしたまま、後ろに倒れた。かかとを軸に頭を押されたマッチ棒のように倒れ、
ゴン、
という音を立てて、廊下に横たわった。
「ギャハハハハハハ」
草刈は爆笑した。
「見た? ウケるう~。マジ、気絶したんじゃね?」
「黙れよ」
低い声で言って香川が草刈の口を押さえた。藤山は倒れたきりぴくりとも動かない。
「なんかヤバそうな音しなかったか?」
「とにかく行ってみよう」
仲尾は辺りを見回し、元来た道を駆け足で戻った。香川と草刈も続く。
藤山が入った裏口のドアに戻ってきて、仲尾は外れた板を向こうへ押しやって躊躇なくくぐった。香川と草刈が続くと、仲尾は二人を待たずにもう先へ行っていた。
ドアを入ると、左手は壁で、右手にだけ廊下が延びている。
廊下を行くとそのままテラスの部屋に出て、今来た廊下の裏は男女のロッカールームがあり、作業の大部屋へ向かう廊下を挟み、男女のトイレ、給湯室があった。大部屋へはガラス窓のドアが閉まっていた。
ガラスの割れた大窓へ向かい、給湯室の入る壁の角を左へ折れると、玄関の向こうに仲尾が背中を向けてしゃがんでいた。その向こうには藤山の無駄に大きな体が仰向けに寝ている。
追いついた香川が訊いた。
「おい、どうなんだ?」
仲尾が振り向くと、むっつりして、怒っているようだった。立ち上がり、
「おまえも確かめてみろよ」
と場所を譲った。
前に出て藤山の顔を見た香川は、
(うっ……)
と顔をしかめた。
藤山は後頭部を壁に当て、ぐうっとうなずく形で顎を首に乗り上げ、口を半開きにし、白目をむいていた。
「おい、これってよ……」
香川が仲尾を振り返ろうとすると、パッと白い光がフラッシュし、「カシャッ」と音がした。
草刈が身を乗り出して携帯で写真を撮ったのだ。
「バカ」
嬉しそうに撮った写真を見る草刈を苛立たしく叱り、香川は改めて仲尾に訊いた。
「こいつ、まさか……」
「だから、自分で確かめてみろって」
仲尾は腕組みをし、任せる、というポーズを決め込んだ。
香川は仕方なく手を伸ばし、
「おい。おい。起きろよ」
と藤山の肩を揺すった。ぶるんぶるんと脱力した肉が震えたが、自発的な反応はない。
学校は黒い学生服が制服だ。仲尾が調べたのだろう、藤山の学生服の第二ボタンが外れていた。香川は顔をしかめながら手を差し込み、ワイシャツの胸を触った。ムニッとした触感に、
(女のオッパイもこんなんかな)
と思ってしまい、
(おえ〜〜)
と気色悪く思った。
藤山のむっちりした胸は、湿って、生温かかったが。
「心臓、動いてねえだろ?」
ヤケクソのように半分笑いながら言う仲尾を睨んで、香川は手を抜いた。
「息もしてねえし、こりゃ、マジで死んだな」
「マジかよ……、くっそ……」
「えー、マジマジ? こいつ、マジ死んでんの?」
「うるっせーよ!」
香川は草刈にキレ、
「どうするよ?」
深刻な顔で仲尾に訊いた。
仲尾は玄関のガラス戸から外を見ていた。表はもうだいぶ暗くなってきていた。当たり前だが建物の中はもっと暗い。
仲尾はふと、ドアの開いたトイレを見た。そういえばこれを見に来たんだったな、と。
入り口の上には明かり取りのガラス窓がある。他に窓はない。
ここのトイレは家庭のトイレと同様の洋式トイレが一つの個室で、おそらく廊下で出会い頭の衝突を防ぐ配慮で室内にドアが開く分、奥行きに余裕が広く取られていた。トイレの蓋は閉まり、貯水タンクが付いている。
ガタン、と音がして、香川も思わず身構えた。
貯水タンクの上、天井に換気扇の格子窓がある。それが通じる煙突から風が吹き込んで、内部のシャッターが鳴ったのだろう。
(こんな物に……)
驚いて心臓マヒでも起こしやがったのかこのブタ野郎は……
香川は改めて憎々しげに藤山を見下ろした。
車が走ってきた。仲尾たちはじっと動かず見守った。車はバイパス脇の道に入る手前で一時停止し、一方通行に従って左折していった。ライトはまだ付けていない。
「どうする?」
再び香川が訊いた。
「ボタン、閉めとけよ」
「うん? ああ」
香川は藤山の第二ボタンを留め、思いつき、袖でボタンを拭った。
「で?」
「どこか触ったか?」
香川は考え、答えた。
「いや。触ってない」
「おまえは?」
「え? うーん、触ってないんじゃないかな?」
草刈は答えながら、携帯でトイレの中を撮った。暗がりに炸裂した眩しいフラッシュに香川は怒った。
「やめろよ、バカっ!」
「なんだよおー、幽霊撮れてるかもしんねーじゃん」
草刈は口を尖らせ、期待にワクワクしながら画像を確認した。
「えー、映ってねーじゃん」
香川は音を立てて舌打ちし、言った。
「幽霊なんかいねーよ! バあカっ!」
「行くぞ」
仲尾は部屋に向かって歩き出した。
「いいのか?」
香川が今一度訊いた。
「俺たちがここに来るの、昼休み教室で話しているのを聞いてた奴がいるんじゃないか?」
仲尾はしばらく考えた。教室にいた顔ぶれを思い出しているのだろう。振り向くと、ニヤリと笑った。
「誰も俺たち……、特にこいつになんて、注意してねえよ」
「ま、そうだな」
香川も覚悟を決めたように冷たく同意した。
いつしか日が落ちてきたようで、室内は真っ暗になってきた。
動かない藤山の影が室内の暗がりと同化していく。
「ま、悪く思うなよ。てめえが勝手に死んじまったんだからな、俺たちのせいじゃねえや」
香川はまた余計なことをしないように草刈の腕を掴み、テラス部屋へ向かった。
三人はそれぞれ自分の自転車にまたがって、夕闇迫る薄暗い中、それぞれ帰宅の途についた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます