学校へ急がないと

 春、満開に咲き乱れる桜が生徒たちを迎え入れる。オレは寮から学校へ向かうため桜の並木道を歩いていた。辺りはオレと同じく学校へと向かう生徒たちで賑わっている。


「まずいな…………」


 入学初日早々オレはピンチに陥っていた。

 このままでは入学式の集合時間に間に合わないかもしれないという事態。簡単に言えば遅刻しそうなのだ。

 辺りに登校中の生徒たちがまだ多数いるため正確には遅刻していないのだが、入学式の前に生徒指導室に寄らなければいけなかった。

 そのため早めに登校しなければいけなかったのだ。


「遠すぎる。どうなってんだ、この学校は…………」


 寮は学校の敷地内にあるのだが、敷地そのものがとてつもなく広いためどうしても時間がかかる。

 校舎までがとても遠く、かれこれ10分は歩いている気がする。

 このままでは間違いなく遅刻する。

 オレは脇道に逸れて近道することにした。細い道をやや早足で歩き、目的地の校舎を目指す。


「だからごめんって謝ってるじゃん」


 急にそんな声が聞こえてくる。声のする方を向くと、すぐ近くの公園で少年二人と少女一人がもめていた。

 オレと同じ制服を着ている。同じ学校だろうか。


「謝って済む問題じゃねぇんだよ。こっちは骨が折れてんだぞ」


「ちょっとぶつかっただけで骨が折れるわけないよ。人間はそこまで弱くない」


 どうやらぶつかったことが原因でもめているらしい。


「悪いけど、私急いでるから行かせてもらうよ」


「待てよ。行かせるわけねぇだろうが」


 さっきまで自分の肩を押さえていた少年が少女の腕を強引に掴む。


「ちょっと。しつこい男は嫌いだよ」


「てめぇ……‼︎」


 少女が無理やり腕を振り解き、今にも喧嘩になりそうな雰囲気になる。

 喋っている男は一人だけで、もう一人の大男は黙ったままその状況を眺めている。大きな身体に鍛えられて隆起した筋肉が遠目で見てもわかる。

 おそらくこの二人は仲間なので、喧嘩になれば大男の方も加勢するだろう。とても女が勝てる相手とは思えない。喧嘩になれば負けるかもしれない。

 だが、今のオレにはそれよりも優先するべきことがある。


「急がないと」


 今は遅刻寸前。こんなことに構っている時間はない。

 公園を横目に急いで学校へと向かおうとする。

 すると、

 

 ーーーお前は、どこまでいっても偽善者だ。

 

 不意にあの男の声が脳裏に過ぎる。

 昔、聞き飽きたあの男の声に嫌悪感を感じながら、あの日のことを思い出す。


「もう許さねぇ‼︎ぶん殴ってやる‼︎」


「ちょっといいか」


 拳を握って今にも少女に殴りかかりそうなところにオレは声をかけた。


「何だお前。関係ないやつはすっこんでろ」


「喧嘩になるのを黙って見てる訳にはいかないんだよ」


「なんだぁ?正義のヒーロー気取りのバカか?」


「正義のヒーローか。今のオレに一番似合わないセリフだな」


 オレは少女の方に視線を向ける。


「大丈夫か?」


「うん、私は大丈夫だよ。っていうか、別に助けにこなくてもよかったのに」


「なんか危なかっただろ」


「大丈夫だよ。人を殴るの得意だから」


 見かけによらず危ない発言をさらっとしてくる。


「まぁ、そこで黙って見てなよ」


「おい。無視してんじゃねぇぞコラ」


 少年が威圧的にオレに詰め寄ってくる。


「少し落ち着け。オレが代わりになるから」


「なんだぁ?お前が代わりに土下座でもするってのか?」


「土下座して許してくれるならいくらでもするが?」


「はぁ?何言ってやがる。プライドってものがねぇのか?」


 プライドなんて持っていても糞の役にも立たない。

 それだったらトイレットペーパーの方がよっぽど役に立つ。


「土下座して謝ってもそっちの気が済まないだろ。謝って済む問題じゃないって言ってたしな」


 謝って済むなら最初からこんなことにはなっていないはずだ。


「そういうことだ。土下座しても許すつもりはない」


「だったらどうしたら許してくれるんだ?」


「カネだよ。カネ」


 少年は手のひらをこちらに向けてくる。


「10万寄越したら許してやるよ」


 治療費に10万寄越せということらしい。あくまでも骨が折れていると言い張るつもりか。

 もちろん10万などという大金は今持っていない。


「後で渡すって言っても無理だよな?」


「もちろん今すぐだ」


 このままじゃ埒があかない。

 どうするか考えていると、そこに新たな来客が現れる。


「剛力から連絡をもらったが、こんなところで何してる、高橋」


「に、二階堂さん……どうしてここに……?」


「同じことを二度言わせるな。こんなところで何してる」


「す、すいませんっ」


 明らかにガラが悪い見るからに不良の男。

 新しく現れた男が二階堂、黙って見ていた大男が剛力、ずっと喋っていた男が高橋というらしい。

 高橋の態度の急変や二階堂の雰囲気から考えて、こいつらのボスといったところだろうか。


「三度目の質問だが、こんなところで何してる」


「じ、実はですね……」


 高橋が二階堂に状況を説明する。


「それまたくだらねぇことをしてたもんだな。しょうもねぇ。少しは学習しろ」


「はい…………」


 二階堂がこちらに視線を向ける。


「悪かったな、絡んじまって。こいつには後でキツく言っとくから許してやってくれや」


 意外にも謝罪の言葉を告げる二階堂。


「分かった。こちらとしても争うつもりはなかったから、そう言ってくれると助かる」


 オレは二階堂の謝罪を受け容れることにした。

 争わなくていいならそれに越したことはない。


「それじゃあオレたちはこれで失礼する」


 この場から立ち去ろうと二階堂に背を向けた瞬間、背後に気配を感じる。

 振り向くと二階堂がこちらに距離を詰め、眼前まで迫っていた。

 二階堂の素早い蹴りがオレの顔面を捉え、大きく吹っ飛ばされる。


「ちょっと‼︎」


 心配し叫ぶ少女がオレのそばへと駆け寄る。


「あはははは‼︎二階堂さんが何もせずに見逃すはずないだろ‼︎二階堂さんにかかればお前らは雑魚同然なんーーー」


「黙れ高橋」


 高橋のセリフを途中で遮り黙らせた二階堂が鋭い視線をオレに向ける。


「どうやら痛い目を見ないとわからないみたいだね。私は暴力はあまり好きじゃないんだけど、そっちがその気ならこっちもーーー」


「お前は黙って下がっているんだ」


 臨戦態勢に入った少女のセリフを途中で遮り、オレは倒れていた身体を起こした。


「痛いな。いきなり蹴るとは驚いた。オレじゃなかったら怒ってるところだ。見逃してくれるんじゃなかったのか?」


「お前、今手加減したな」


「………なんのことだよ」


「さっきの蹴り、全く手応えがなかった。蹴りが当たる瞬間に下がって、威力を殺したんじゃないのか?」


「完全に油断してたんだ。そんなことできるわけないだろ。お前の気のせいだ」


 オレの言い分に納得しなかったのか二階堂は疑惑の視線をオレに向ける。


「……まあいい。今回はそういうことにしといてやる。行くぞ」


 やがて興味をなくしたのか高橋を連れてこの場から立ち去っていく。

 オレはその背中を無言で見送る。

 またさっきみたいに目を離した隙に、攻撃されたりしたらたまらないからな。

 二階堂たちの姿が見えなくなったところで、オレは服に付いていた土を払い落とし彼女に声をかける。


「大丈夫だったか?」


「いやそれ私のセリフなんだけどね。きみこそ大丈夫なの?まともに食らったみたいだったけど、ケガしてない?」


「ああ、大丈夫だ。蹴りの威力も見た目より強くなかったみたいだな」


「だから威力を殺したとか変なこと言ってたんだね」


 威力がそこまで強くなかったから良かったが、危うく回避してしまうところだった。

 オレが攻撃を食らうだけで彼女を助けられるなら安いものだ。

 オレたちは二人並んで学校へと歩き出す。


「自己紹介がまだだったね。私は白銀織姫しろがねおりひめ


 美少女だった。肩の辺りで揃えられた輝くような銀髪、整った顔立ち、10人いれば10人とも口を揃えて美少女だと言うだろう美しさだった。


「オレは九条零翔くじょうれいと。よろしく」


 オレたちは2人並んで学校へと歩き出す。


「九条くんは桜の並木道は通った?とても綺麗だったよね。やっぱり桜は実物を見るのが一番だよね」


「まぁ、そうだな。初めて見たけど綺麗だったかもな」


 一応共感しておいたが、正直何が綺麗だったのかはわからなかった。

 初めてなのは実物を見るのがという話で、写真でなら見たことがある。

 写真でも実物でも特に違いは感じなかった。

 どちらも眼球で桜を見ているということに違いはない。

 桜が本物だろうと偽物だろうと、そんなことはどうでもよかった。


「初めてって珍しいね。桜が咲かないような地域に住んでたの?」


「まぁ、そんなところだ」


 この学校の敷地内には桜がたくさん咲いている。

 落ちた桜の花びらの掃除が大変そうだ。


「これから同じ学校の仲間だね。よろしく」


「ああ」


 会話がひと段落したところでオレは大事なことを思い出す。

 生徒指導室に寄らないといけないんだった。


「ちょ、ちょっと九条くん⁉︎」


 オレは白銀を置いて急いで学校へと走り出した。

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