15.曇天

 三日目の天気模様は曇天だった。

 少し薄暗い雲が空を覆いつくしていて、今にも雨が降ってきそうだ。

 この崩壊した世界では、少し足場が悪くなるだけでも危険な場所が数多く存在する。

 こんな天気の日は、できるならどこか丈夫そうな建物の中に引きこもっているべきだ。

 だけど今回、どうしても確かめたいことがあった私は、無理を押して廃墟の街に繰り出していた。

 FGE細胞。衰弱。治療薬。

 昨日見た夢に出てきた単語を、一つずつ思い返す。

 肝となるのは衰弱の部分だろう。確かエンの開発者の人も、エンと邂逅して間もなく衰弱死してしまったと私は聞いていた。

 エンと、私の記憶の中の女の人……たぶん、私の母親。

 その二人が日常ではあまり耳にしない同じ単語を口にした。偶然だと切って捨てることは簡単だろうけれど、なんらかの関連性がある気がしてならない。

 それから、治療薬だ。

 これは私の推論であって確定ではないけれど……人類はもしかしたら、そのほとんどがなんらかの深刻な病原菌によって病死、または衰弱死してしまったのではないだろうか。

 そうと考えれば、いろいろと辻褄が合う。

 もっとも、情報が断片的すぎる上に少なすぎる。辻褄が合うと言っても可能性としては低い方だ。

 だがいずれにしても、なぜ人類が滅びたのかという原因を私は早急に知るべきだと判断した。


「けほ、けほっ……」

「っ、マスター! やはり近くの建物で休みましょう……これ以上は体に障ります」


 咳を繰り返しながら歩みを進める私を、エンは横で支えてくれている。

 エンは初めからこの曇天の中で出かけるのは反対だった。それに加えて、今の私の体調も問題だった。

 昨夜寝る前に咳をした時は、その時だけのものかと思ってたけど……私の予想に反して、随分悪化してきてしまっている。

 以前も言ったが、病院も薬局も廃墟に変わり果てた今の時代では、ちょっとした病気でも重大な問題になりかねない。

 ただの風邪でさえ、拗らせてしまえば死因になり得るのだ。

 それでも無理をして外に出てきているのは、この私の症状が本当に風邪かどうか知りたかったからだった。

 もし風邪じゃなかったのなら……そう。たとえばこの症状が人類が滅ぶ原因となった病気だったりなんかしたら、私は私が知らないうちに死んでしまったりするかもしれないのだ。


「大丈夫だよ……あと少しだし。心配してくれてありがとね、エン」


 ……正直なところ、かなりきつい。

 昨夜体を休めた場所から目的地までは結構な距離がある。

 すでにお昼時は過ぎ去っており……つまるところ、体調が悪い中、数時間も歩き続けている。

 不安そうに私を覗き込むエンに見せた今の笑顔も、エンを心配させないと必死に作った作り笑顔に過ぎなかった。

 それがバレてしまったのか、それとも別の要因か。少なくとも、初めて会った時のエンだったなら作り笑顔だなんて判別はつけられなかっただろうけれど……エンは不意に歩く速度を早めた。

 そのまま私の進行方向を塞ぐように私の前に回り込むと、私をじっと見上げてくる。


「マスター……どうしてもこのまま移動を続けるというのであれば、エンはマスターを抱えさせていただく許可を申請いたします」

「抱える……? えっと、私を歩かせるんじゃなくて、エンが私を抱えて移動したいってこと?」

「はい。これ以上マスターの体を酷使する行為は、マスターのために存在するアンドロイドであるエンには見過ごせない行為です。どうか、ご検討を」

「……」


 エンがこうして自分からなにかをお願いしてくることは少ない。マスターに仕えるアンドロイドという立場がそうさせるのだろう。

 そんなエンが、私に自分から物事を提案してきた。

 どうやら相当私のことを心配してくれているらしい。

 不甲斐ないやら申しわけないやら、いろんな気持ちでいっぱいだったが、一番強い気持ちは嬉しさだった。


「ふふ……うん、わかった。じゃあお願いしてもいいかな、エン」

「もちろんです。マスター」


 今度は作り笑顔なんかじゃなかった。

 いつもなら遠慮していたところだけど、これ以上無理を続けて、エンに心労をかけてしまうのも忍びない。

 エンは確かに首を縦に振ると、私が背負うリュックを受け取った後、私の背中と膝の後ろに手を回し、私を持ち上げた。

 俗に言うお姫様抱っこの体勢である。

 だいぶ恥ずかしかったが、昨日の時点でこれ以上に恥ずかしい体験を何度かしてしまっている。

 水分を補給させてもらうためにお互いの唇を合わせたり、一緒にお風呂に入ったり……。

 だからなのか、なんだか自分で思っていたより慌てることはなかった。

 慣れとは恐ろしい……。


「少し揺れますが、ご容赦を」

「うん……ありがとね、エン」

「どういたしましてです」


 私よりも小さいエンに抱えられるのは、ちょっと変な感じだ。

 私が元々背負っていたリュックは、私の体の上に置いている。

 エンもまた私の物より大きなリュックを背負っているから、前にも後ろにも大荷物を背負っているに等しい状態だ。

 全部合わせればかなりの重荷だろうに、エンは少しも苦に顔を歪ませる様子はない。

 いつもと変わらない、どこか愛嬌さえ感じる無表情だ。

 この世界で目覚めてから幾度となく見てきた彼女のその表情は、私にとってなによりも安心できるもので、気がつけばすっかり弛緩し彼女に体を預けてしまっていた。

 昨日こうしてエンと歩いていた時は大抵私から話題を振って話していたものだが、体調が悪い今回ばかりはそういうわけにもいかず、私もエンも口を開かない時間が続いた。

 大量の荷物を抱えているとは思わえないほど軽快なエンの足音と、少し強い風の音だけが耳を打つ。

 お互いに無言と言うと気まずい空気を連想しがちだが、今の空気はそれとは違うものだ。

 気が合う人と一緒にいる時みたいな、心地のいい沈黙。

 エンも同じように感じてくれてたらいいな、なんて密かに思う。


「……到着しました。マスター」


 目を瞑って彼女の腕の中で揺られていると、立ち止まったエンがそう知らせてくれた。

 瞼を開け、顔を横に向けると、そこには私がこの時代で最初に目覚めた廃墟である日本家屋があった。


「ありがとね。ここからはもう大丈夫だから、自分で歩くよ」

「……わかりました。ですが無理はなさらないでください」

「あはは、もちろんだよ。っ、けほっ……」

「……マスター」


 エンに下ろしてもらってすぐに咳が出て、ふらついたところを彼女に支えられる。

 もう大丈夫と言って数秒後にこれである。どこが大丈夫なのか。自分のことながら苦笑してしまう。

 エンに肩を貸してもらいながら、日本家屋の中へと入っていく。

 ここに戻ってきた理由は至って単純だ。

 私が夢で見た、私の母親と思しき女性に語りかけられていた光景はおそらく、私がこの日本家屋の地下にあるカプセルでコールドスリープにつく直前のものだ。

 一番新しい記憶だったから、断片的とは言え思い出せたのだと推測できる。

 ならば私が今気になっているあの夢に関する情報は、この屋敷のどこかに眠っている。そう考えるのが自然だろう。

 ただでさえ、コールドスリープの機械なんていう凄まじいものが地下に隠されてたんだし。

 玄関近くに荷物を置き、まず足を踏み入れたのは、私がこの時代で最初に目覚めた地下室だった。

 当然ながら地下室の状態は、私が目覚めた時となんら変わりない。

 無機質な部屋に、巨大なカプセル。そしてそのカプセルから伸びたコードがいろんな機械に繋がって、なにかの数値やメーターを表示し続けている。


「これって、電気どこから来てるんだろ……」

「機械の中に、エンと同じ縮退路と思しき機構が確認できます。おそらく外の空気や水分、物質を定期的に取り込み、エネルギーとする仕様でしょう」

「エンと同じかぁ。なるほどね。一〇〇年以上稼働できてるエンと同じなら機能してるのも納得かな」

「しかし見たところ、エンと違ってナノマシンによるメンテナンスは行われていないようです。おそらく、長くて後十数年ほどで使い物にならなくなるでしょう」

「……ちなみにエンが私を起こしてくれる前にこれが使い物にならなくなってたらどうなってたの?」

「マスターを目覚めさせる際の機械の挙動から察するに、コールドスリープから目覚めるには適切な処置が必要のようです。エネルギーが切れた場合、それが適用されず眠ったまま肉体が死亡していたものと推測されます」

「そ、そうなんだ……」


 あ、危なかった……エンが見つけてくれなきゃ、私も知らないうちに死んでたのか。

 つまり巨大トカゲに襲われるより以前から、私がここに生きていること自体が最初から全部エンのおかげだったということになる。

 こうなってくると、もはやエンにおんぶに抱っこなんて表現でも足りなくなってきそうだ。


「うーん……あると思ったんだけど、ここには手掛かりとかなさそうかな……うっ!? げ、げほげほっ!」

「マスター!」


 地下室だから、埃くさいのも関係しているのだろう。今までで一番大きな咳が出る。

 これ以上ここにいるのはまずいのは明白だったので、エンに肩を貸してもらいながら素早く地下室を脱出する。


「マスター……もう休みませんか? 探索であれば休んだ後でもできます。恐れながら……エンは、マスターが熱で正常な判断ができていないものと愚考いたします」

「そうだね……そうかも。私もこれ以上はエンに心配はかけたくないなぁ……」

「でしたら」

「だからさ、次が最後……ってことでいいかな。次に見る部屋が最後。なにかあっても、なくても」

「……わかりました。マスターが、それをお望みなら」


 全然納得していなさそうな、しぶしぶと言った感じの返答だった。

 少し苦笑しながら、ごめんねとエンの頭を撫でて、最後にどこを探索するべきかを考える。

 ……おそらくこの日本家屋は、かつての私の自宅だ。

 初日はわからなかったけれど、少しだけ昔のことを思い出せた今なら、それが感覚的にわかる。

 エンの肩を借りながら、直感の赴くままに足を進めた。

 そうしてたどりついたのは、誰かの部屋だったと思しき一室だ。

 記憶がないから当然見覚えはないけれど、どこか知っているような不思議な感覚がある。

 ――私の母親の部屋。

 私の直感は、この部屋のことをそう言っていた。


「けほっ、けほっ……はぁ、はぁ……机の、上の……束になってる紙、みたいなの……エン、取ってもらえる?」

「はい。マスターはここでお休みを」


 やはり無理をしすぎたのだろう。病状の悪化が著しい。

 エンに促されるまま床に膝と手をついて、必死に吐き気を堪える。

 眩暈がする……平衡感覚にも狂いが生じていて、時折頭がぐらつく。


「持ってきました。こちらですマスター」

「ありがと、エン……え、っと……これは……」


 その場にぺたんと座り込み、床に紙の束を起いて、上から覗き込む。

 ところどころ文字がかすれてはいるものの、読めないほどではなさそうだ。

 見出しには、FGE細胞を利用した細菌兵器の危険性について、と書かれていた。

 FGE細胞……夢にも出てきた単語だ。いや……そういえばどこか別の場所でも目にしたような……そうだ。あの巨大トカゲに襲われたスーパーマーケットで見つけた医療雑誌に載っていたはずだ。

 あの時は気にも留めなかったけど、重要なことだったのか。


「……? なにこれ……SF小説かなにかの設定……?」


 束の最初の方にはFGE細胞の特性について簡単に記されていた。

 だけどその内容は、コールドスリープやアンドロイドと言ったもの以上に、到底信じられるものではなかった。


 ――FGE細胞は、南極に飛来した隕石に埋まっていた『胎児の化石』から採取された細胞である。

 ――他の生物に投与することで、その生物の遺伝子の進化を強制的に促し、変異させる性質を持つ。

 ――また、それによって進化した生物の細胞は、金属に対し未知の親和性を獲得することが確認されている。

 ――その特異性から機械工学・生物学の爆発的な進歩が見込まれており、今現在様々な機関に研究されている。


 ……意味がわからない。

 コールドスリープやアンドロイドと言った技術は、私の虫食いだらけな知識の中にも一応存在した。

 だけどFGE細胞やFGE細胞がもたらす効果は、まったくの初耳だ。

 本当にSF小説かなにかの設定かと思って見出しを見直したが、ちゃんとした資料のように見える。

 にわかには信じられないが……私自身、初日にエンの言っていたことをまったく信じなかったせいで痛い目を見ている。

 たとえどんなに私の常識から外れた事柄が書かれていようと、頭ごなしに否定することはできない。

 FGE細胞も、『胎児の化石』も、本当に存在したものなのだ。

 そういう風に頭の中の認識を切り替えて、先を読み進める。

 次に書いてあったのは、FGE細胞の致命的な欠陥について、だ。


 ――FGE細胞は投与した生物に強制的な変異を齎す。その変異の内容は、巨大化や新たな器官の獲得など多岐にわたる。

 ――未知の進化に備えるため、研究の際は戦闘用アンドロイド等、なにかしらの自衛手段を用意することを推奨する。

 ――しかしその一方で、そういった変異に適応できない生物種も存在する。

 ――その明確な基準は定かにはなっていないが、適応できなかったケースとして、次の二通りに分かれることが判明している。

 ――第一に、適応できなかっただけで、一切の変異が起こらないケース。

 ――第二に、変異を起こそうとする細胞と変異に抵抗する細胞が害を及ぼし合い、衰弱死するケース。


「衰弱死……」


 ずいぶんと聞き覚えがある死に方だ。

 FGE細胞に適応できなかったケースの一つとして、衰弱死がある。

 だとしたら、まさか……人間がFGE細胞に侵された場合の症状は……。


 ――FGE細胞を利用した細菌兵器は非常に危険なものである。

 ――あらゆる生物に変異を齎し、生態系を崩し、環境の崩壊が危惧される。

 ――そしてなによりも重要な点として、人間はFGE細胞による変異に適応できず、衰弱死するケースに該当することが挙げられる。

 ――仮にFGE細胞が細菌兵器として利用された場合、未曽有の人数の死者を出すばかりでなく、世界滅亡の危険さえあると言える。

 ――これは決して冗談などではない。絶対に流出しないよう、FGE細胞は厳重に管理する必要が――


「ぅっ!? げほっ! ぇぁ、えほっ! は、ぁ……!」

「マスター!?」


 読むために無理に頭を働かせていたのがいけなかったのだろうか。

 病状がさらにひどくなり、咳が止まらなくなった。そのまま床に顔面から倒れ込みそうになって、エンが私を慌てて支えてくれる。

 もう少し資料を読み進めたかったけれど、もうできそうもない。

 けれど幸か不幸か、知りたかったことは知ることができた。

 エンのようなアンドロイドやコールドスリープ。今の私の知識にはない超技術が生まれたのは、おそらく隕石に埋まっていた『胎児の化石』から採取されたFGE細胞によって、一部の技術が急速に発展したからだ。

 トカゲが不自然なまでに巨大化する進化をたどっていたり、レインボーローズのような不可思議な花が自然の中に咲いていたのも、すべてはそのFGE細胞が関わっていたから。

 そして人類が滅びたのも……そのFGE細胞を利用した細菌が、細菌兵器として世界中にばら撒かれたからなのだろう。

 ……今の世界は、そのFGE細胞を利用した細菌がそこら中にばら撒かれているに等しい状況だ。

 そんな世界で三日間も生きてきて、私もその細菌をまったく摂取していないと言えるか?

 やっぱり今の私のこの症状は、風邪なんかじゃなくて……。


「ごめ、んね……エン……少し、休、ませ……」


 あらゆる感覚が遠のいていく。

 薄らいでいく意識の中で、必死に私の名前を呼ぶエンの声が、妙に耳に残った。

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