10.セーラー服
「それで、エンはなにか良いもの見つけられた?」
ゴキブリから逃げるために全力を尽くしていたせいですっかり頭から抜けてしまっていたが、元はと言えば、私はエンの方の様子を確かめたくて二階に向かおうとしていた。
とりあえずエンの前にあった開いたクローゼットの中を覗いてみるが、役に立ちそうなものは見当たらない。
ただ、私と同じようにエンもリュックサックを発見していたみたいで、エンの小さな背丈に見合わない巨大なリュックサックが隣で存在感を放っている。
「良いものかどうかはマスターの見解次第であり、エンには判断しかねますが、マスターに有用と感じていただけるだろうものはいくつか見つけることができました」
「おー、さすがエンだね!」
「……マスター。それらの代物はまだお見せしておりませんので、お褒めいただくには少々早いと存じます」
なんて、いつも通り平坦な声音でちょっとつれない反応だったが、心なしか嬉しそうに見えるのは見間違いではないだろうと思う。
機嫌良さそうにブンブンと左右に揺れる子犬の尻尾が幻視できそうだ。
エンは横に置いてあった巨大リュックサックの中に手を突っ込むと、その中に入れていたものを取り出して見せてくる。
「ひとまずは今朝マスターがおっしゃっていたものを優先的に探しました。まずは毛布です」
「毛布……これ、一〇〇年以上放置されてた割には白くて綺麗だね」
「見つけた当初は衛生的な問題もありましたが、ナノマシンで除去いたしました」
「え、除去? 汚れを? エン、そんなことできたの?」
「はい。探索を優先していたため、今はまだ最小限にしかできていませんが……」
私の知らないエンの新たな機能がまた明らかになる。
や、ナノマシンが使えること自体はなんか聞いた覚えがあったけど……。
そんなことができるなら、私が見つけた衣類もわざわざ川まで洗いに戻る必要もなさそうだ。
なんなら私が知らないだけで、エンはもっといろいろとできそうな気がする。
アンドロイドのこととか私全然知らないし。エンにとってはできて当然と思っていることでも、私にとってはそうではないこともいっぱいありそうだ。
いろいろ落ちついたら、どんなことできるか改めて教えてもらうのがいいかもしれない。
「次に寝袋です。気象によっては毛布だけでは温度の確保が難しいと判断し、併せて用意しました」
結構大きめの寝袋で、リュックサックの中ではなく下にくくりつけられていた。
この大きさなら、なんなら二人一緒に入ることもできそうだ。
寝袋があるなら毛布は必要と言うほどでもない気もしたが、毛布ならちょっとした休憩の時にも使える。荷物がいっぱいにでもならない限りは両方とも持ち歩いて問題ないだろう。
「そしてこちらは衣類です」
「ん? これ、セーラー服? 一〇〇年以上放置されてた割には、全然黄ばみとかないね。これもエンが?」
「いえ、エンはなにもしておりません。こちらは元々の保存状態が良好でした」
エンが持っているセーラー服は透明なフィルムケースで丁寧に包装されていた。
衣服などが劣化するのは酸素が原因だ。酸素で生地が酸化したり、酸素を栄養にカビが繁殖したりして劣化する。だから理論上は、無酸素空間であれば衣服が劣化することはない。
とは言え、いくら真空パックでも完全な無酸素状態を作ることは非常に難しいはずだ。だけどエンが持っているそれは、保管する当時の状態とほぼ変わらないように見えた。
「また、靴下も同様の状態で保管されていました」
「く、靴下も? セーラー服はまだわかるけど……」
たとえば、学生だった当時の状態そのままで保管しておきたかったとか。
そのために良い状態で保管しておいたと言われれば、思い出を大切にする人なんだな、ってくらいの印象で済む。
でも靴下まではさすがに……しかもなんか三種類あるんだけど、なんなのこの靴下への異様なこだわりは……。
「貼りつけてあったタグを解析するに、一つがクロナちゃん用、一つがミルキーちゃん用、一つがフーミャちゃん用のようです」
「……」
「おそらくはこれの元の持ち主のお名前だと推測しますが……」
……まさかとは思うけど、これ学生の頃の制服でもなんでもなくて、ただのコスプレ衣装なのでは……?
大好きなアニメかなにかの制服を頑張って再現した衣装だから、それぞれのキャラクターが穿いてた種類の靴下と一緒に、コスプレ用に大事に保管してただけなのでは?
い、いや……断定するにはまだ早い。
エンの言う通り、クロナちゃんとかミルキーちゃんとかフーミャちゃんとか、もしかしたら本当にそういう人が実在したのかもしれない……。
「エン、その……一応確認なんだけどさ、同じ場所に他にもいろいろ変な服ってなかった?」
「肯定します。なにやら『めいどふく』なるものや『ちあがーる』、『ごすろり』などエンの知識にはない種類の衣類が数多くありました」
やっぱりコスプレじゃねーか!
「が、その多くが機能性に難を抱えており、普段使いにはあまり適さないと判断しました。そのため、もっとも優れたこれのみを持ち出してきた次第です」
「うん……そっか。なるほどね……」
「リュックに入る数には限りがあるため、エンが独断で判断してしまいましたが……他の衣類も持ち出しますか? 幸い保管状態はこれと同様ですので、劣化もほとんどありません」
「う、うーん? まあ、一〇〇年以上放置されて劣化してる衣服よりはマシ……なのかなぁ? でも、滅亡した世界をチアガール姿で出歩くってどんな状況だ……」
ウンウンと散々悩んだのち、首を横に振って断る。
セーラー服はまだ学生の制服と大差ないからいいが、他の衣装はだいぶフリフリしていたり、際どかったり、着心地が悪かったりしそうだ。
エンが言うように、きっと普段使いには向かない。セーラー服だけでじゅうぶんだろう。
んー……でも、メイド服かぁ。
メイド服……メイド服のエン……。
頭の中で、メイド服を着たエンを思い浮かべてみる。
……ありだな……。
エン自体が人に奉仕するために生まれたアンドロイドだからか、同じく人に奉仕することを生業とするメイドとのイメージがうまい具合にマッチして、とても似合っている。
可愛らしい白いフリルと、常に変わらない無表情のギャップが良い味を出していた。
できれば「おかえりなさいませ、ご主人さま」とか言ってもらいたい。
それから、さっきみたいに「ご主人さまには、エンの体を好きに使う権利があります」とか上目遣いで言ってもらったりして……。
は、背徳感がすごい。なんていうか……そそる。ゾクゾクする。
……メイド服だけ持ち出すのも、あり?
………………。
「……マスター?」
「はいっ!? あ、いや! なんでもないよ!?」
気がついたら、エンが黙り込んだ私の顔を不思議そうに覗き込んできていた。
そのアングルが、私の妄想の中で上目遣いをしてきていたエンとまったく同じだったものだから、思わず声が裏返って変な反応をしてしまう。
「なんでもないのですか? ……命令していただけるのであれば、エンにできることならなんでもいたしますが……」
「な、なんでも……? ……や! 大丈夫だから!」
一瞬メイド服を着てほしいと言いかけたが、寸前で堪える。
っていうかなに考えてるんだ私! エンの教育に悪いことはいたしませんって覚悟はどうした! 自重しろ自重!
そもそも冷静に考えて、メイド服を持ち出したところでエンにはサイズが合わないはずだ。
見たところ、このセーラー服が私と同じくらいのサイズだし。
エンは私よりも一回りほど小さいから、もっと服のサイズが小さくないとダボダボになってしまう。
ダボダボのメイド服姿のエンも可愛いだろうけど……エンが言っていた普段使いにはまったく適さない、マジでただのコスプレになってしまう。
そんなものを持ち歩く余裕はさすがにない。
心頭滅却心頭滅却と心の中で反芻し、自分に言い聞かせる。
「こほん! よし……とりあえずいい加減寒いし、早速これに着替えちゃってもいいかな」
「もちろんです。どうぞお受け取りください、マスター」
エンからセーラー服と靴下を受け取る。靴下はソックスとニーソックスとストッキングの三種類で分かれていて……どれでもよかったけど、一番シンプルなソックスを選んで、それに着替える。
……よくよく考えたら私、ゴキブリから逃げてきた時、インナーだけの状態でエンに飛びついてたのか……。
今朝エンに恥じらいについて語ったはずなのに、どちらかというと私の方が恥じらいに欠けている気がしてきたぞ……エンは単に無知なだけだし。
「どう? 似合うかな?」
「はい。似合っています」
くるりと一周回ってスカートを軽く翻したりしてみる。
エンは二つ返事で肯定してくれたが、果たして彼女に服が似合うかどうか判断する価値基準が備わっているのか疑問だ。なんとなく、エンは私が喜ぶだろう答えを反射で選んでくれただけのような気がした。
だけどそれでも似合っていると言ってくれたことは嬉しかったので、私はえへへと微笑みを返した。
まあこれ普通のセーラー服じゃなくてコスプレなんだけどね……。
「そして次が最後になりますが……」
言いながら、エンはリュックサックの中に手を入れて、筒状の容れ物を取り出した。
「あ、水筒! ちょうどほしいと思ってたんだよね」
「それは僥倖です。エンの中に保管できる水分量には限りがあります。別途で持ち歩くことで、より安定した水分補給が可能になるはずです」
「でも……これ、だいぶ
錆というものは、一度発生してしまったら状態が加速度的に進行する。
どんな金属も手入れされないまま一〇〇年以上もの時が経っている今、錆びていない金属を見つける方が難しいだろう。
この水筒もそうだ。変色し、損耗も激しい。このままでは到底使えそうにない。
だけど、エンはこれ以上ないくらい優秀なアンドロイドだ。本当に使えないものなんか拾ってくるはずがない。
「ご安心ください、マスター。ベースがあるならば、エンのナノマシンで錆を除去、並びに損傷部分を補強することができます」
「おー。錆を除去までは予想できたけど、補強なんてできるんだ?」
「はい。元来、エンのナノマシンはエンの自己修復のために搭載された機能です。そのため、エンを構成する物質と同じ……特に金属類に関しては、容易に生成が可能です」
物質の生成。さりげなく言っているが、とんでもない技術だ。
そして同時に、それこそがエンが機械の身でありながら、錆びず摩耗せず一〇〇年以上の時に渡って稼働し続けられた理由なのだと察する。
エンは自分の損傷や摩耗、変質しかけた部分を、随時除去し、修復することができる。
ナノマシンを使い自分で自分をメンテナンスすることで、常に最善の状態を維持できる。
「あ。もしかして、エンの服がずっと綺麗なのもナノマシンのおかげ?」
「肯定します。もっとも、エンはアンドロイドですので体温を調整する必要ありません。装甲も頑丈です。なので衣服も不要な代物なのですが……」
ふ、不要って……いやまあ確かに、エンにとってはなくても支障はないものなんだろうけど……。
「どうにも、あらかじめエンに入力された知識によれば、人間のサポートを行うに当たって、装甲をむき出しにしたままにするのはあまり好ましくないことらしいのです。その知識に従い、ナノマシンで随時修復し衣服の状態も維持してきました」
「な、なるほど」
よ、よかった。それくらいの常識はちゃんと最初から備わっててくれたんだ。
いや、備わっててくれなきゃ困るけどね?
なんて密かにホッと息をついていたら、エンは少し考え込んだのち、なぜか自分で自分の服の裾に手をかけた。
そしてなんでもないことのように、少したくし上げる。
「やはり……脱いだ方がよろしいですか?」
「……んん!? なんでっ!?」
なに「やはり」って!?
「今までのマスターのエンへの接触履歴を参照するに、露出部位への接触が多い傾向にあります。もっとも多いのは頭部です。また接触の際、マスターの表情筋が弛緩し、平時よりも全身の力が抜け、リラックスした状態になる効果が確認されています」
「う、うん。まあ、そうだね?」
エンは可愛いし、髪はサラサラな上に柔らかくて気持ちいいし。そんなエンの頭を撫でていたら頬も緩んでしまうというものだ。
「なので今よりも露出部位への接触が多くなるよう、衣服の類は脱いだ方がいいのではないかと推測したのですが」
「……うん。いや、あのね……? あれは頭だからいいんであって、エンの体ならどこでもいいってわけじゃないんだよ」
「そうなのですか?」
「そうなのです。トカゲの時に私とエンの認識に齟齬があったから提案してくれたんだろうけど、今回はちゃんと一致してるから。だから脱がなくても大丈夫だよ」
私が言い聞かせるようにそう言うと、エンはなるほどという風に頷いて、服にかけていた手を離した。
……うぅむ。これ、早めに恥じらいについて知ってもらわなきゃいけないような気がしてきたぞ。
エンだって女の子なんだし。
今朝はなんだかんだで誤魔化しちゃったけど、近いうちにちゃんと教えてあげないと……。
「それで、えーっと……ああそうだった。エンが二階で見つけたものは、さっきので全部なんだよね?」
「肯定します。この背負い袋と、毛布、寝袋、衣類、水筒が、マスターのお役に立てるものと判断し、エンが回収したすべてです」
「そっか。ありがとね、エン。どれもすごくいいものだったよ」
「有用と感じていただけたのであればなによりです」
よしよしとエンの頭を撫でる。
うん。やっぱりエンが言ってた通り、こうすると落ちつく。
エンもどことなく嬉しそうにしてくれてる気がするし、ふふ、これからも機会があったらいっぱい撫でてあげよう。
「じゃあそろそろここもお
「どうかいたしましたか?」
「んと……そろそろ本格的に喉が乾いてきたなって……」
なにぶん、昨日目覚めてから一滴たりとも水分をとっていない。
ぶっちゃけ喉がカラカラすぎて頭がクラクラしてきた。軽く目眩もする。
そろそろ補給しておかないと、本格的に厳しい。
フラフラと壁に寄りかかって、床に座り込む。
「エン、浄水ってもう終わってるよね」
「はい。すでに清浄化は完了し、飲料水として利用できる状態です」
「ん、じゃあ早速だけど飲ませてもらってもいい?」
「了解しました」
「あ……でも、容れ物がないか。水筒はまだ使えないし……エン、水筒を使えるようにするまでってどれくらい時間がかか……エン?」
まだもう少し我慢しなくちゃいけないかと思っていたら、私の目の前にエンがストンと膝をついた。
どうしたんだろうと目をパチパチとさせていたら、どんどんエンの顔がこっちに近づいてくる。
「エ、エン……?」
「動かないでください、マスター……」
目と鼻の先に、彼女の顔がある。
動かないでと言われたって、こんなに近寄られたら後ろに下がらざるを得ない。
でも下がろうとしたら壁に背中が当たって、それ以上後ろには行けなかった。
……きっと私はこの時、エンの行く末を見守るのではなく、彼女を一度突き飛ばし、どうしてこんなことをするのか理由を聞くべきだった。
だけどこの時代に目覚めてから、いつだってエンに甘えてばかりな私が、彼女を突き飛ばすなんて乱暴な真似ができるはずもなく。
私はその場に呆然と座り込んだまま――――あっけなくエンに唇を奪われた。
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