8.一〇〇年
昨日は気づかなかったが、注意深く周囲を観察してみれば、生えている草木や野花の中にも、私の知識にはないものがいくつか見受けられた。
その中には花びらの一枚一枚が違う色をしたカラフルな花なんかもあって、その鮮やかさに立ち止まって見入ってしまったりもした。
レインボーローズ、という花がある。他の色に染まりやすい白いバラの茎を縦方向に裂き、枝分かれした茎をそれぞれ違う着色料を含んだ水に浸けておくことで、花弁一枚一枚に違う色をつけた虹色のバラのことだ。
このように人工的に手を加えれば、カラフルな花びらを持つ花を作ることも不可能ではない。
しかし私が見たカラフルな花は、どう見ても根っこを持ち、天然の姿を見せつけてきていた。
トカゲが巨大化の進化を果たしていたように、やはり他の動植物も同じように異質的な進化を遂げているようだ。
昨日も見たスズメやタヌキなど、元と姿が変わらない生物もいるみたいだけど……。
「ねえ、エン。昨日も聞いたことだけど、もう一回確認していいかな」
「はい。なんでしょうか」
「エンは人類が滅んだことは把握してるけど、その理由についてはなにも知らない……そういう認識でいいんだよね?」
昨日はあの後も、焚き火の前でいろんな話をした。
その結果わかったことと言えば、エンは意外にも人類滅亡やその時代の事情についてほとんどなにも知らない、というものだった。
というのも、エンは人類滅亡とほぼ同時期に作られたアンドロイドであるからだそうだ。
つまるところエンが完成した頃には、すでに人類はほぼ絶滅していたのである。
人類が滅んでいたのなら、誰とも話すこともなかっただろうし……おそらくテレビやネットも機能しておらず、それらを使って情報をかき集めることもできなかった。
エンがアンドロイドであるということもまた、無関係ではないだろう。
人間とは異なる生活サイクル、思考回路。
水や食糧を必要とせず、病気にもならず、自身の能力の高さから、外敵の一切を容易に退ける。
自己で完結する彼女は、
命令に忠実に従うエンのアンドロイドとしての真面目すぎる性格からして、自発的に余分な知識を獲得することもなかったはずだし。
さながらそれは、誰かがスイッチを押さなければ決して自ら動くことのない機械と同じ……あー、いや……。
この言い方は、あんまり好きになれないな……。
……ナマケモノ……よし、ナマケモノにしよう。
さながらそれは、毎日をぐーたらぼーっと生きているイメージが強いナマケモノと同じように、知ろうとしなければ何事も案外無知でいられてしまうものだ。
だから私は、エンがかつて繁栄を極めただろう時代に精通していないことを不思議には思わない。
エンは私の再確認に頷くと、さらに補足をする。
「肯定します。先日も申し上げましたが、エンこと戦闘用自律型アンドロイド『F-Angel』は、人類の滅亡と同時期に完成した機体です。よって稼働前となる人類滅亡以前の時代についての知識は、あらかじめ入力されていた最低限の情報を除き、相当量不足しています」
あらかじめ入力されていた最低限の情報って、本当に最低限なんだろうな。
エン、トカゲがどんな特徴や見た目なのかは把握してても、全長とか細かい部分までは自分の目で見たものだけを参照してたみたいだし。
事務処理用アンドロイド……なんてものが実在したかは定かではないが、少なくとも戦闘用として作られたエンに、その時代の詳細の情報など必要ないことは確かだ。
「滅亡と同時期に完成した機体、ねぇ……それってさ、エンは今まで私以外の人類には会ったことないって認識でいいの?」
「否定します。今までエンが遭遇した生存する人類種の個体は、マスターで二人目に当たります」
「え? あ、そうなんだ……」
私としては、ちょっと予想外な返事だった。
たまに見るエンのポンコツ具合からして、てっきり私が一人目だと思ってたんだけど……。
そっかぁ……私は二人目なのかぁ。
……一人目とも、こんな風に親しげに接したりしてたのかな……。
…………え、なに? このモヤモヤした感じは……。
いや、いやいや、いやいやいや。
別にその、やきもちとかそういうんじゃないし。
私そんな独占欲の強い純情乙女じゃないですし?
ただ、なんていうか……ちょっとだけ、ほんとにちょっとだけだけど、できれば私が一人目になりたかったなー……なんて、思っちゃっただけで……。
べ、別にエンと一人目との間柄がどんなだろうと私には関係ないし! そう、関係ない!
「……ひ、一人目の人とエンは、どんな関係だったの?」
そう、私には関係ない……関係ない、けど、やっぱり気になっちゃうのはしかたないことのはずだ。
それにこのタイミングなら、会話の流れも不自然じゃないし……不自然じゃない、よね?
や、ただ気になっちゃっただけで他意はないけど!
どことなくモヤッとした内心を押し隠し、ぎこちなく問いかける私とは裏腹に、エンはあいかわらず心の機微を感じさせない抑揚のない声で答える。
「一人目の
「開発者……あー、そっか。そりゃそっか」
よく考えれば、私が二人目以降になるのは至極当然のことだった。
エンが人の手によって作られたアンドロイドである以上、一人目がエンを作った開発者であることは自明の理である。
「マスターと同じ、日本人の女性の
「一分も接してないって……なんで? エンを作った人なんだよね? もっといっぱい話したりとかしなかったの?」
「その方は、エンの起動当初からすでにひどく衰弱し、瀕死の状態にありました。よって残念ながら、会話を行う余裕はほとんどありませんでした」
「……衰弱……」
そのエンの開発者の人は、なにか重い病気にでもかかっていたのだろうか。
人類が滅亡の方向に向かい、もし病院のような医療機関が機能していなかったのなら、ちょっとした病でも死因の一つになり得てしまう。
あるいは……その衰弱した状態こそが、人類の滅亡の原因となる大きな事態に巻き込まれた結果だったのか。
直接見たわけでもないし、情報がなさすぎるから、しょせん妄想にしか過ぎないけど。
「じゃあエンはさ、その人とはどんなことを話したの? エンの言い方だと、ちょっとだけだけど話せなかったわけじゃないんだよね? それってどんなことだったのかな」
「命令です」
「命令?」
「はい。人類を守ってほしい、と。その方はただ一言、エンにそう命じました」
予想だにしない返答に、私は困惑する。
「人類を……? え、でも、エンは人類滅亡と同時期に製造されたんでしょ? 私が二人目になるくらいだし、その頃にはもう、人類なんてほとんど生き残ってなかったんじゃ……」
「肯定します。命令を受諾したエンは、エンが開発された研究所の外に出ましたが、周囲に人類種の姿は見られませんでした。ですのでエンは与えられた命令を果たすため、現存する人類種を探し、この地球上のあちこちを放浪してきました。その結果としてエンは先日、人工冬眠によって眠っていたマスターを発見したのです」
「……」
なぜエンの開発者が、エンに人類を守ってほしいなんて命令を下したのかはわからない。
衰弱して意識が朦朧としていたのか、どこかに生き残った人類がいると信じていたのか、単純に外の状況を把握できていなかったのか。
いずれにせよ、私に真実を知る術はない。
ただ、エンの過去が浮き彫りになっていくにつれて、一つの大きな疑問が私の中に浮かび上がってくる。
その疑問を投げかけることが少し怖くはあったけれど……何度飲み込んでも幾度となく湧き上がってくるそれを、どうしても聞かずにはいられなかった。
「ねえ、エンってさ……いったいどれくらい、そうやって人類を探して旅をしてきたの……?」
「活動記録から逆算……年月にして、およそ
一〇〇年……。
「そんなに長い間、ずっと、一人で……?」
「……? はい」
「……」
一〇〇年。
人間の一生にも等しい、あるいはそれ以上の、途方もない数字だ。
そんなにもの長い時間、叶えられるかどうかもわからない……むしろ叶わない確率の方がずっと高かった命令を果たすため、エンは旅を続けてきたのだという。
そしてそれを彼女はきっと、なんとも思っていない。
苦しいとも、虚しいとも、寂しいとも思わず、ただ、それが役目だからと今の今まで続けてきた。
そして私と出会わなければ、彼女はその先も、その身が朽ち果てるまでそれを続けていたに違いない。
それこそ、一〇〇年なんて比じゃないくらいに。
何百年、何千年、もしかしたら何万年と。
いつまでも……ずっと一人で。
それを思うと、なんだか段々と胸の奥が苦しくなってくる。
たとえエンがそのことになにも感じなくても、エンのその在り方は、私の目にはとても痛々しく映って……。
「マ、マスター? どうかいたしましたか……?」
「え……?」
気がついたら、エンが心配そうに私を見ながらオロオロと狼狽えていた。
なんでそんな反応をするのかわからず、目をパチパチと瞬かせる。
その時に気がついたのだが、私はいつの間にか泣きかけてしまっていたようだった。
瞬きをしたことで目尻に溜まっていた涙が落ちて、頬を伝う。
「や、やはりどこか痛むのですか? さきほどスリープモードについてお話しした際もそうでしたが……まさかエンの気づかないうちに外的被害を? ……マスター、もしなにか体に不調があるようなら、どうか小さなことでも申告をお願いします。エンは医療用のアンドロイドではありませんが、それでもできる限りのことは……」
「……ふ、ふふ、あはははっ……エンは可愛いなぁ」
無表情で取り乱しているエンがなんだかおかしくて、それから、心配してくれるのが嬉しくて、思わず笑ってしまった。
涙を拭って、よしよし、とエンの頭を撫でる。
「マスター……? 昨日からそうでしたが、その、この行為にはなんの意味が……?」
「ふっふっふ。これはねー、偉い偉いってエンを褒めてるんだよ」
「褒める、ですか……? しかし、エンはマスターになにもしておりませんが……」
「私のことじゃなくてさ、今までのこと。今まで私たちのために頑張ってきてくれて、ありがとね、って。頑張ったね、エン」
「……」
そう言って私が頭を撫で続けると、エンは困ったように押し黙った。
その理由は、なんとなくわかる。きっとエンは、頑張ったつもりなんかない。
エンの価値観からしてみれば、命令を遂行することは当然の義務なのだ。
だからそんなことで褒められるのは、あまりピンとこないんだろう。
ましてや褒めているのは命令を下したエンの開発者その人ではなく、まったく関係がないはずの私だ。
でも私にとって、こうしてエンを可愛がることにはとても重要な意味がある。
「よーし。じゃあ満足したし、早く川まで行っちゃおっか。なんかいつの間にか立ち止まっちゃってたし」
「はい。ただ、その前に……マスター。しつこいようですが、体調の方はもう大丈夫なのでしょうか……?」
「あぁうん。大丈夫大丈夫。心配させちゃってごめんね、エン」
「マスター、謝罪は……いえ。わかりました。誘導を再開します……」
エンもようやく私という個体を学習してくれたようだ。
謝罪は必要ありません、と言いかけただろう言葉を中断し、再び歩き出す。
私もそんなエンの横に並んで、たまに気になったことを質問したりしながら、一緒に歩みを進めていった。
橋が崩壊した河川敷にたどりつくと、まずは川がきちんと流れているかどうかを確認する。
エンの浄水機能とやらがどんなに汚れた水でも綺麗にできるにしても、川が枯れていては意味がない。
川以外にも水を手に入れる方法はあるが、やはり川の水を使うのが一番手っ取り早い。
ひとまず川に問題なく水が流れていることがわかると、ほっと安堵の息を吐いた。
「そういえば聞いてなかったけど、エンの浄水機能ってどうやって使うの?」
「口部からエンの中に水分を取り込み、体内で清浄化を行います」
「へー。それって体内で取り除いたぶんの余分な汚れとかってどうなるの?」
「エンの燃料になります。縮退炉は質量を持つ物質であればなんでもエネルギー源にできますので」
「あーなるほど。縮退炉ね、シュクタイロ」
縮退炉がなんなのかはまったく理解はできてないけど、理解できてないということは理解できているので、すなわち理解できていると言えなくもない。
岸に降りると、エンは川辺に近づき、川の水を飲み始める。
その小さな両手で川の水をすくって何度も口に運ぶその姿は、さながら小動物が一所懸命に飲んでいるみたいで、なんだか微笑ましい。
ただ、若干飲みにくそうな感じも否めなかった。
んー。毛布とか食料とかの他にも、水筒みたいな水の容れ物も調達しないとね。
エンもこういう浄水のための水を飲みやすくなるし、エンが浄水してくれた飲み水を保管して持ち歩くにも便利だ。今後、活動範囲を広げる際には必須のアイテムになる。
あと、そういう必要なものを全部持ち歩くためのリュックサックとかも欲しいかなぁ。
さすがに全部素手で持ち歩くわけにもいかないしね。
「あ、終わった?」
ゴクンとエンが飲み終わったタイミングを見計らって確認を取る。
「はい。ただいま清浄化を行っています。ほとんど汚染されていない綺麗な川水でしたので、五分もあれば作業は終了するでしょう」
「五分かー。じゃあその間、水切りでもしてみる?」
「水切り、ですか?」
「そうそう。こんな感じの平べったい石を水面と水平になるように投げて、水面を跳ねた回数で競うんだよ。ちょっと見ててね……」
適当に平べったい石を拾うと、ゆっくりと構えを取る。
そして私はその石をまるで手裏剣を放つ忍者のごとく、回転させながら投げた。
そう、回転――水切りにおいて、もっとも重要なポイントは回転だ。
回転が強ければ強いほど跳ねやすく、跳ねる回数も多くなるのである……!
私の中にある水切りの知識を最大限活用した、全力の回転をかけた渾身の一撃は、私の手から離れて一秒とせず水面に到達する。
そしてその石は特に水面を跳ねたりはせず、普通に川底に沈んでいった。
「……」
「……」
「……まあ、跳ねた回数で競うんだよ!」
「はい」
少し前になにか悲しい出来事があったような気がしたが、きっと気のせいである。
得意顔で投げた石が一度も跳ねなかったなんて事実はこれっぽっちもなかった。いいね?
エンは足元にあった石の中から私と同じような平たい石を選び、手に取ると、宙にかざして眺め始める。
水切りなんて人間くさいことをエンがやったことがあるとは思えない。
戦闘用のアンドロイドだというなら、水切りだなんて余分な知識も持ってなどいなかっただろう。
つまり、これがエンにとって初めての水切りということになる。
だからだろう。石の観察を終えた彼女はおもむろに、私の投げ方を真似たポーズを取った。
ろくな成果も残せなかった私の投げ方なんて、ぶっちゃけ参考にしないでほしかったけど……まあ、他に手本もないしね。
それにエンが私と同じ投げ方で芳しい結果を残してくれたなら、それすなわち私の投げ方が完璧だったという証明にほかならないのではないだろうか。
実際、投げ方自体は悪くなかったはずなのだ。
私が良い結果を残せなかったのは……あれだ。私の筋力が想定以上にクソ雑魚だっただけである。
昨日とか私トカゲから逃げる時、数十メートル走っただけで凄まじく息が切れてたし。私の貧弱さを舐めるな。
そしてその私に足りなかった筋力を、戦闘用アンドロイドであるエンはじゅうぶんすぎるほどに備えている。
私の知恵とエンの性能……私たち二人の力が合わさることで初めて石が水面を跳ねるというのなら、それはそれ以上にない最高の成果と言えるだろう。
そう。今ばかりはエンの成果はイコール私の成果なのだ!
期待を込め、エンの初めての水切りを見守る。
おぉっとエン選手! 狙いを定めております……!
石と川を交互に確認し……投げ……投げ……。
……! さらに大きく振りかぶって、エン選手! ついに投げ――。
――――ドゴォオオオオォオンッ!! ザッパァァアッンッ!
「……」
「……」
「……跳ねませんでした。マスターと同じ結果ですね」
「はい」
エンが投げた石は水面を跳ねるどころか貫通し、その先の水底に凄まじい勢いで衝突した。
どうやら投げる威力が高すぎて、跳ねるとかそういう次元では収まらなかったらしい。
威力が低すぎて跳ねなかった私とは真逆だけども……エンの言う通り、結果だけ見れば跳ねた回数は二人とも〇回だ。
案外私たちは良いコンビなのかもしれない。
巻き上がった特大の水しぶきで全身を水で濡らしてしまった私は、斜め上方向の予想外な結果にちょっと苦笑いを浮かべつつ。
どこかしょぼくれたようなエンをなぐさめるように、よしよしと彼女の頭を撫でるのだった。
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