第2話

 私は最初、それがだということに気が付かなかった。一仕事終えて飲んでいたせいで、少し酔っていたのかもしれない。だからその現象も、ただの見間違いだと思ったのだ。

 冒険者ギルド支部の扉がひとりでに開く。ノブのついているしっかりしたものだから、そんなことはあり得ないはずだ。2、3度瞬きをして、それが酔いのせいではないことに気付く。やがて、奥の席にいた金髪の青年が手を上げた。やたらに存在感のある男だったから、先程から暇つぶしに観察していた彼だった。やがて、ゆっくりと足音が聞こえてきて、私の目の前に来た瞬間に、その姿があらわになった。灰色の髪と、何より、その丸っこい耳には見覚えがあった。つい昨日会った、探し屋の少女だ。そういえば、名前を聞くのを忘れていた。

 少女は二言三言男と言葉を交わすと(男の方は、やたらに通る声だった)、また姿を消して歩き始めた。試しに、私も男に倣って片手を上げると、足音は唐突に止まり、愛くるしい顔が驚きの表情を浮かべて現れた。


「一日ぶりだな、鼠」


 ……この呼び方は、我ながら挑発的過ぎたと思う。だが少女は嫌な顔一つせず応えた。


「びっくりしちゃった。いるなあとは思ってたけど、呼び止められるなんて。何か買いたいモノでも?この間のサービスはまだ続いてるよ」


「1万ガメル分だったか?なら折角だし聞こう」


 ここで私は近寄ってくれという指示のために手招きをした。が、少女は予想に反して私の膝の上に座ったものだから面食らってしまった。咳払いをして取り繕う。この咳払いもわざとらしすぎたが。


「おほん。いやなに、あの男、見たところ貴族か何かのようだが何者だ?この国には賢者はいても貴族はいないだろう」


「そりゃ1万じゃ足りないね……と言いたいところだけど、正直クロさんについてはアタイも良く知らないんだ。とにかくお金持ちらしいってのはわかるんだけどね」


 そう言うと彼女は懐から大金が入っているのであろう銀貨袋を取り出した。体格の割りに少し重いと思ったが、それのせいだったのだろうか。


「クロさん?」


 随分可愛らしい愛称だ。ネコか何かのようではないか。


「クロウリー、って名乗ってる。まあ本名じゃないでしょ。そういう響きじゃない」


「アルフレイムにそんな名前の魔術師がいたような覚えがあるよ」


「お姉さん、アルフレイムの出身なんだ?よくこっちに渡ってこようと思ったね」


「おっと、この情報は何ガメルで売れるかな?」


「求められれば100ガメルくらいで売るかな、買い取りは生憎してないんだ。で、それだけだとタダ同然の情報なんだけど、他に何か無いの?」


「ああ、そういえば、お前の名前を聞いていなかった」


 これに値がついているはずもないだろうと思っていた、その予想自体は当たっていたが、裏切られたと言った方が適切だろう。


「悪いけどプライスレス。アタイは売ってるんだ。恨まれることも多くてね。でもまあ、アタイを知ってる人は仮に『ラット・チュー』って呼んでるよ」


「もう少し捻りが欲しい。センスが無い」


「アタイもそう思う」


 鼠は肩を竦めて苦笑した。不相応に大人っぽいしぐさだったが、中々似合っている。


「ま、それなら鼠と呼ぶさ。と、これでは余計にセンスが無いか。私はメディと言う。なれ合うつもりは無いが、頼りにすることもあるかもしれんな」


「メディ相手に商売したくないね、既に2回もタダで情報を渡しちゃったし、これから3つ目がないか聞くところだ。もうサービスはしないぜ」


「ふむ、そうだな……」


 そういえば、今日の依頼で気になる点があった。私は一つの本……日記を机の上に置く。


「これは?」


「日記だ。魔神使いのな」


 魔神使い。デーモンルーラー。異界より外なる神を呼び出し、使役し、あるいは自身の肉体をそれに変化させる、邪法を使う魔法使いのことだ。今日の依頼は、それの討伐だった。邪法といえど魔法に関連することなら、私の興味を引くに値する。無論、使うこと自体が犯罪扱いされることも多い召異魔法を修める気はさらさらないが。

 閑話休題。


「この日記に度々登場する、マガ=ノストルムというのは誰だ?どうにもこいつは、魔神どもよりもそれをこそ信仰しているように感じた。人名か?何かの暗号か?」


「それ魔神使いの家からくすねてきたの……?」


「戦利品だ。で、どうなんだ?」


「それだと、うーん、あ、すみませーん、オレンジジュース一杯ください」


 どうやらそれが情報料らしい。大した金額ではないし、こちらでは常識の範囲内のものなのだろうか。

 店員がジュースを机の上に置く。それを一口飲んだところで、鼠が話しはじめた。


「マガ=ノストルム。それはこの国の昔の王様の名前だよ。この国の最盛期の王様で、そして最後の王様」


「魔法王か何かか?民に叛逆され弑されたそれなら、アルフレイムの北にもいたな」


「魔法王なのは当たり。でも、民に叛逆されたどころの話じゃないね。そのマガ=ノストルムは、奈落の魔域を意のままに操って、このラクシアを奈落で満たそうとしたんだ。でも人族の勇者に討伐されて、この国は生まれ変わった。一人の王が管理する国ではなく、多くの賢者が話し合いによって進む先を決める国にね」


「……なるほど、で、未だ魔神使いの間では神格化され信仰されている、と。そいつが始まりの剣に導かれなくてよかったな」


 ここまで話していると、不意に視界の端に捉えていた金色が動いた。先程鼠と話していた男が立ち上がったのだ。そして、なんと私達に近づいてきた。


「何やら面白そうな人間と話しているな、ラット」


「ああ、クロさん。この人の情報が欲しいなら200ガメルね~」


「払おう」


 ジャラ、と鼠の手のひらの上に銀貨が置かれる。小さな手の上では零れ落ちそうになるほどだった。


「さっすが。この人はメディ。魔術師で、アルフレイム出身らしいよ。あと美人さん」


「なんだ、随分高い買い物をしたな……どれ」


 男の金色の瞳が私を見据えた……私は、身動きが取れなかった。この男は、本当に人か?違う、と私の本能が叫んでいた。大いなる獣、背徳の獣、七頭十角の獣……!違う、違う、こいつは、何だ!


ヴェス・第五階位フィブ・ル・バン。衝撃ショルト・炸裂スラーパ――――――」


 畏怖の念を噛み殺しながら、私の口は勝手に呪文を唱えていた。ブラスト。第五階位の真語魔法にして、接触しなければ放てないという弱点を抱えながら威力に優れる攻撃魔法。私が最も得意とする魔法だ。それを全力、全開で放とうとしていた。瞬間、男の口の端が上がる。


「面白い、撃ってみよ」


「ぐっ!?絶掌ダルラッドッッ!!!!」


 すわ暴力的バイオレント行使キャストか、そう思うほど、会心の手応えがあった。ブラストの衝撃で、体が吹き飛ぶ。それはクロウリーと名乗るあの男も同様だと思った。柄にも無く笑いながら、男がいた方を睨む。


「ほう、余の抵抗を凌駕するか。これだからは面白い」


 男は、笑ったままそこに立っていた。鼠が何やら抗議しているが、私の耳に入ってこない。


「では、この一撃も受けきられるか、試してみるか」


 男の声はすぐ隣から聞こえた。私が状況を理解する前に、再び体が宙を舞う感覚に襲われ、そのまま意識は闇の中へ落ちていった。



***



キャラクター紹介


クロウリー 人間?/男/年齢不詳


無能地区の酒場や冒険者ギルドに現れる、謎のパトロン。金髪の青年だが、その雰囲気や態度には、貴族的、というより王気のようなものが感じられる。戦闘力もかなりのものであるようで、メディのブラストを受けてもビクともせず、アッパーカットの一撃でメディの意識を刈り取った。



用語紹介


探究する国マギステル


大陸北部、コタック地方北西に位置する大国。この物語の舞台。賢者と呼ばれる人々による合議制によって政治機構が成り立っている。その中でも三賢者と呼ばれる人々が強い影響力を持っている。三賢者の中にナイトメアがいることと、寿命が長い=研究を長い間続けられることが理由で、ナイトメアへの差別意識はほとんど無い。

かつてはケルディオン大陸のほとんどを占領した超大国であったが、マガ=ノストルムの奈落に取り憑かれた凶行により今の領土まで後退を余儀なくされ、国の在り方も変わった。



無能地区


マギステルの外れにある、魔法の『能』力が『無』い者達が住む地区。決して差別的な意味合いがあるわけでも蔑ろにされているわけでもない。しかし守りの剣の影響が及ばない地区であるため、違法なアンデッドの研究をする者がいたり、蛮族が隠れ住んでいることもある、危険な地域。自治のため冒険者が重宝されており、冒険者ギルド支部もいくつか存在する。



暗黒帝国パルティニア・エンデ


大陸中央を占拠している超巨大蛮族国家。初代皇帝でありケンタウロスのアルケサス・パルティニアが統治しており、人族の共通の敵となっている。

建国の英雄に人族の弓使いがいたために人族への差別意識はないが、そのために『穢れや種族関係無く力を求めない奴が真の弱者』という歪んだ考えが蔓延しており、差別意識の濃い『強いだけの国家』になっている。

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