四章 - 最後にはあるべきところに収まる3

 志穂は一瞬、息を呑んだ。それは無数の写真が吊るされた巨大なインスタレーション作品だった。写真の重なりによって微妙な色の協調が生まれている。作品の中を歩くと色の重なり方が変化し、空間に色がついているようだ。

 映像が写真のアップに切り替わると、写真はすべて「物」を写したものであると気づく。テレビの近くに靴があり、カーテンの横にポットがある。日常生活では近くに接することのないような物たちがこの作品では近くに存在している。

「空間、っていうか、距離感かもしれないですね、これ。空間もあるんだろうけど」

 志穂は画面を巻き戻しながら言う。写真は裏側に別の写真が貼られているようだ。極端に古くて、すでに使われてなさそうな物も撮られている。カバン、トースター、ヒビの入ったマグカップ、椅子、ソファ、ペン、リモコン、古い写真機、コードなど。

 写真として一つ一つ並べられると、日常的にこれほど大量の物を使用しているのだということに改めて気づかされる。

「距離感っていうのは?」

「これ、写真の並べ方に法則があるみたいなんです。調理器具とかリビングにありそうなもの、とか一緒にあっておかしくなさそうなものはあまり近くに置かれてないみたいで。わざわざ遠くに置かれているというか。

 そもそも物の写真が吊るされていることもそうなんですが、物がなにも落ち着いてないんですよね。あるべきところに置かれない不安定さが写真と写真との間に漂っているように感じるんです」

「なるほど。志穂さん、やっぱりアーティストだね」

 志穂は浅倉に目を向ける。

「感動するものに出会った時に、ちゃんとアーティストの目になるよ」

 志穂は喉が詰まったように感じて、声がうまく出せなかった。これまで自分をアーティストとして見てくれた人がどれだけいただろうか。アーティストなんて名乗れば誰でもできる。でも価値があると思われている人はほとんどいない。自分で自分のことを、価値があるアートをつくる人だなんて、とても思えなかった。無意味な時間を積み上げてしまった。そう思っていた。

「浅倉さんはどうして、この作品をソヨンさんのものと通じるものがあるって思ったんでしょうか」

「それは作品自体っていうより、作品のステートメントを読んだからなんだけどね。『空間を記録媒体とし、空間を私として提示する』みたいなことが書かれてたんだ」

 志穂は、ソヨンのステートメントに「記録媒体としての身体の表現。自分自身を部屋そのものにし、空間を記録媒体として残した」という表現があったのを思い出す。

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